Acte 2-10


 ――お母さんが、地面に倒れてる。

 こういうときってどうすればいいんだろう。亮は足元に崩れ落ちた母をじっと見つめて、手に持ったアイスクリームの存在をしばし忘れる。溶けかかったクリームが手にとろんと流れてきて、今しがたそれを思い出したように舌でぺろりとひと舐めした。


 六年前、小学四年生の真夏の炎天下のことだった。

その日、母の智子は朝から具合が悪そうだったが、せっかくの仕事の休みだからと息子を映画館へ連れていってくれた。観た映画はおもちゃが主人公のディズニー3Dアニメで、昼は近場のケンタッキーだ。年が十にもなる食べ盛りの亮はチキンを三個も食べたが、母はウーロン茶を少し飲んだだけで、あとは何も口にしようとはしなかった。クーラーの効いた店内ではあったが、母はしきりに汗をかいていた。帰りのバスの中、母は白いバッグを腕に抱えて魂が抜け切ったようにずっと眠り込んでいた。


 自分たちの住むマンションの前に到着したところで、母は「あ」と一文字だけ声を出して、目の前でパタリと倒れた。あまりにも突然のことで、母はいったい何をふざけているのだろうと勘違いしたほどだった。

 クリームを舐め、母を見て、ようやくこれが異常なことに気が付く。母の元へと駆け寄り「お母さん、お母さん」と呼び掛けるも返事がない。亮は必死に母に叫び続けた。

「どうしたの、ぼく――あらあら、大変」


 後ろから駆けつけてきた女性が母の容態を確認し、すぐに救急車を呼ぶ。

 亮は母の元に座り込んで、ポロポロと流れてくる涙を腕で抑え込んだ。手にしたアイスクリームは溶けてぐしゃぐしゃになるわ、クリームが涙で濡れた眼鏡に付くわでなんとも悲惨なものである。「お母さんが死んじゃう、死んじゃう」と何度も引き攣る小さな背中を、見ず知らずのもう一つの小さな手が優しく摩ってくれていた。


「大丈夫だよ、落ち着いて」

「でも死んじゃう」

「大丈夫だよ、息してるし死なないよ。もう救急車来るからね。大丈夫だからね」

 まるで魔法の呪文のように同じ言葉を繰り返しながら、その子は泣きじゃくる亮を懸命に守ろうとしてくれた。小さな優しさの温もりが背中へじんわりと吸い込まれる。溶けきったアイスクリームの白い液体が指の隙間からぽとりと落ちた。

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