「微笑」

いつかの記憶が蘇る。


―――ねえ航平、殺してよ。


同じ場所で、涙を浮かべながらそう訴えた詩織。

あの時、僕は嫌だと喚いたっけ。


なあ、あの時の僕よ。


僕は今、どうすればいい?





僕はゆっくりと歩き、詩織に近づいて行く。みしみし、と僕に踏まれた植物が悲鳴をあげた。

生ぬるい風が揺らいだ。詩織の髪が崩れる。

「詩織は変わってくれないんだね」

僕は詩織の前髪に触れた。

あの頃から唯一変わっている美しいブロンド。

今からでも改めてくれないものかと、無二の変化を優しくなぞる。

「前も言わなかったっけ。私たちはあの頃から変わってないんだよ」

だからこんなことをしてるの、と詩織は僕の首筋を撫でた。その指はいつもより温かみを帯びている。

という言葉が、僕らを卑下しているのか、それとも誇っているのかは定かではなかった。


僕は何も言わない。

すると、詩織はくるりと僕に背を向けて、空に目をやった。僕も同じように目線をあげた。

そこでは無数の塵芥が我こそはと様々に輝いていた。色も形もまばらに、遠く離れた小さなこの青の星まで、自らを主張している。

詩織はつぶやいた。


「綺麗だね」

「うん」

「死んだら、私も星になれるかな?」

「ロマンチックだね」

「『きれい』というロマンには、女の子はいつだって魅せられているんだもの」

「そういうものなのかな」

「そうだよ」


詩織の横顔を覗く。遠い星なんかより、ずっと美しかった。


「航平」

詩織は僕の名前を呼んだ。あえて返事はしなかった。

「もう、殺して」

詩織は僕の懐にあるピストルを取り出して、僕のたなごころの上にそれを乗せた。

「嫌だ、って言ったら?」

「そんな選択肢、ないよ。だってこれは、あの時の再現なんだもん」

その時、かすかにパトカーのサイレンが聞こえてきた。


まさか、もうバレていたのか。

いや、きっと違う。

これは―――


「君が通報したの?」

僕の問いに、詩織はうなずいた。

「言ったでしょ。これは再現なの」

詩織は続ける。

「私たちは二人で殺して、逃げて、逃げて、追われて。そして最後、私を貴方が殺して終わるの。航平は十四年越しに終止符を打たなきゃならないんだよ、私の人生に」

「君は僕に、二度も愛する人を殺せというのか?」

「違うよ。私を愛の中で死なせてほしいの」


意味は同じじゃないか。


そうつぶやくと、詩織は微笑んだ。


「そう、物はとらえよう。航平は私を幸せにするの。お願い、私を終わらせて」


段々とサイレンの音が強くなる。夜風が耳を拭う。


仕方なしに、僕はピストルを構えた。詩織は満足そうに首肯した。


どうせ詩織は止められない。それにそれは、僕の本望ではない。


詩織を殺したら、僕も後を追おう。


心の中でそう誓った。


あの時死に損ねた詩織と、僕。

二人で仲良く死んでやろう。


詩織は一歩、一歩と僕との距離を詰めた。

そして、額にぴったりと銃口を合わせた。

「これなら、もう死に損ねないでしょう?」

僕は思わず笑う。

「いいね、名案だ」


撃鉄を下ろす。

覚悟はとっくに決めていた。今更躊躇いはなかった。

夏の夜の湿気った空気が心地よい。気分は最高だ。


引き金を引いた。銃声が響いた。


そして、僕らの愚かな青春が終わった。


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