「再現」
詩織の運転するSUVは高速道路に入っていた。
父を殺したのち、僕らは逃げた。本来なら死体を埋めてから逃走すべきだが、あそこは住宅街だ。きっと銃声で通報されている。そんな余裕はなかった。
詩織にどこに行くのかと尋ねると、「二人目を殺しに行く」という言葉が返ってきた。
そうだ。まだ殺人は終わっていない。詩織の言う「二人目」を殺さなければ、僕らの「凶行」は終わらないのだ。
一体、二人目とは誰なのだろうか。殺せたとして、詩織はどうするのだろうか。
そして、今度はちゃんと逃げ切れるのだろうか。
運転席の詩織を覗く。
その目は変わり映えのしない退屈な景色をただ映していて、一体何を思っているのか読み取ることはできなかった。
すると詩織はディスプレイに手を伸ばし、ラジオを流す。
なんてことないニュースがいくつか流れたのち、無視できない言葉が聞こえてきた。
『…続いてのニュースです。本日午前11時ごろ、東京都内で殺人事件が発生しました。被害者の男性は自宅で倒れているところを発見され、胸には銃痕が発見されたとのことです』
詩織はもう一度ディスプレイに手を伸ばした。ラジオが切れる。
「…早いね」
確かにその通りだ。時刻はまだ15時すぎ。想定よりもずっと早い。
「今のうちに、コーヒー飲んでもいい?」
「え。うん。全然いいよ」
突然の言葉だったが、僕は快諾した。
詩織はハンドルを切った。サービスエリアに行くつもりらしい。
顔がばれちゃう前にね、と詩織は呟く。言葉はどこかうつろで、焦りは感じられなかった。
からん、からん、と詩織がアイスコーヒーをかき混ぜる音が響いた。
休日だというのに、僕たちのほかだれもいない、寂れたパーキングエリア。
無人のフードコートの中で、プラスチックの机を挟んで椅子が二つ事務的に置かれているだけの窓際の席は、座り心地がいいとは言い難かった。
詩織のコーヒーカップに、間延びした僕の顔が映る。
老けたらこんな顔になるのかと思うと、複雑な気持ちにならざるを得なかった。
詩織が一口飲んだ。無機質なカップに、ベビーピンクの唇。
なんか良い、ととぼしい語彙と感性の中で思った。
その時ふと、僕らは変わったのかもしれない、と思った。
二度目の逃避行。でも、一度目とは随分と違う。あの時はコーヒーをすするなんて余裕はどこにもなかった。
一度目は本当に、逃げているだけだった。
移動手段も情報も金もなく、食べ物は全て万引きしたものだった。それが僕らの等身大で、精一杯だった。
今思えば醜いかもしれない。だが、あの時の僕らは「生きて」いた。
禍々しい、二度と取り戻すことできない確かな青春。
それに比べて、今の僕は愚かな死骸に過ぎない。
目の前の彼女に連れられて、ミイラのように「生きて」いた頃の行動をなぞっている。
あの時のように人を殺めて、詩織を愛して。
詩織もあの時のように、僕を導いてくれている。
ずっとかわらない僕の唯一の光。
「そろそろ、行こっか」
いつの間にか詩織はコーヒーを飲み干していた。
「結局、どこまで行くんだい」
僕の問いに、詩織は小さく笑みを浮かべた。
「もうじきわかるよ」
車は2時間ほど走っていた、らしい。
らしいと言うのは、走り出してすぐ、僕は助手席で寝始めたのだ。
次に起きた時は、高速道路を降りて、下道を走っていた。
窓の外に広がる、記憶の片隅にあるようなないような、何処にでもある普遍的な景色を眺める。
平坦な道、少し形の歪んだガードレール、色落ちた白線。
「懐かしい?」
ふと、詩織が尋ねた。
言っている意味がわからなかった。
するとその時、思い出してハッとした。
まさか。
この場所は―――
瞬間、全てを悟った。
詩織がここに来た意味。
詩織が僕を
そして、二人目の正体。
詩織の横顔を覗く。詩織はどこか満足気だった。
そうか。
君は待ち望んでいたんだね。
「うん。懐かしいよ、すごく」
詩織は僕の答えに少し口許を緩め、スピードを上げた。
結局目的地に着く頃には、日は沈んでいた。
詩織は車から降り、おもむろに歩き始めた。
僕もそれに続く。鍵はかけなかった。
まだらに伸びた草を踏み分けて詩織はぐんぐんと進んでいく。
軽やかに、まるであの頃のように。
僕は彼女の背中を追う。あの頃と同じように。
詩織は走り出す。子どものようにはしゃいで、声をあげながら。
全く、馬鹿みたいだ。
心の底からそう思った。
だが、自然と僕は笑っていた。
だって僕らは漸く、この場所にたどり着いたのだ。
十四年前、一度目の逃避行で、詩織が目的地に設定した有名な草原。
僕らは今そこにいる。
あの時は着く寸前で僕らは力尽きた。
今回の「凶行」は、詩織にとってきっと、あの日の再現なのだ。
だからこそ、僕らの待ち合わせの場所は、僕らの思い出が詰まった場所だった。
死体を埋めた山。行きつけのカフェ。学校を抜け出してよく遊んだ公園。
詩織は今、
あの日の続き。愚かな夢の終わり。
―――線香みたいなもんだよ。貴方との思い出を偲んでるの。
詩織の言葉がよみがえる。
そう。これは思い出の生前葬だ。そして、詩織は
今なら、詩織の全てがわかる。
そしてこれから、詩織が何をしようとしているのかも。
「ねえ、航平!」
なだらかな丘の頂上まで駆けて、詩織はこちらを振り向いた。
大きく手を広げる。世界を抱きしめるように。全てを祝福するように。
そして、詩織は予想通りの言葉を発した。まるで買い物を頼むぐらいの軽い口調だ。
「二人目は私だよ。さあ、殺して」
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