「拳銃」

やたらと広い、木造の日本家屋。

昔からこの場所が嫌いだった。

木の匂いも、庭の松の木も、昔破いたふすまも、窓からさす光も、全てが嫌悪感で満ち満ちていた。

この場所に良い思い出なんて一つもない。

全て、僕を縛る負の歴史だった。

しかし僕は、来たくもないこの場所に父の「たまには顔を出せ」という一言で呼び寄せられた。

社会人になってずっと経っても、僕はいまだに父に逆らえない。

自分が情けなくて仕方なかった。


「久しぶりだな」

父は居間で新聞を読んでいた。こちらには目もくれない。

「久しぶり、父さん」

僕も目を合わせようとはしなかった。

僕と父。

ただそこにいるだけ。

まるで道具みたいに、父と息子という名前が与えられているだけ。

いや、道具なのは僕だけか。

一代で成り上がった敏腕社長で次期市長候補とも目される父からしたら、僕は「息子」という名前の道具でしかない。

数ある自慢話のコレクションの一つに、僕の名前を加えたいだけだ。

僕のやりたいことなど、今まで一度たりともさせて貰えなかった。


「どうだ、仕事は。出世はできそうか」

出世。

父は口を開けばそれしか言わなかった。

父は僕を院長にすることにしか興味がなかった。というよりも、「息子」を院長にすることに興味があるのだ。「息子」であれば、それが僕である必要性はなかった。むしろ、僕でない方がよいというのが本音だろう。


僕は人殺しを共謀し、挙句の果てに殺人未遂を起こした。栄光に満ちた父の人生において、それは最大の汚点だった。父は事件が表沙汰にならないように必死に根回しし、僕が罪に問われることもなかった。

だがしかし。

僕は罪を償いたかった。

詩織と居たかった。

そのどちらも、父は許してくれなかったのだ。

今思えば、詩織が死んだと聞かされたのも僕と詩織を遠ざけるための嘘だった。

父は詩織を忌み嫌い、いつもまるで悪霊のように語った。


全てあの女が悪い。

悪魔のような女だ。

親のいない子など、ろくなもんではない。

あの女のせいで全部が狂った。

死んでせいせいした。


幾度となく聞いてきた言葉たち。

悪意と憎悪に満ちたそれは、さながら呪いだった。


「なんとか言え。全く、ぼんくらに育ったな」

何も答えない僕に、父は嘆息した。

「これも全部、あんな女と関わったからだ」

違う。そうじゃない。僕が狂ったのはあんたのせいだ。

詩織は僕を救ってくれただけだ。

詩織がいたから、生きてこれたんだ。


だが、言葉は形を成さなかった。父の言葉に反論することを、僕の身体は拒んでいる。

父は怪訝そうに僕を見た。あまりに何も言わないため、不機嫌になったのか、「もう帰っていい」と吐き捨てた。

僕はそれに従って、実家を後にした。





家に着くと、ソファに体を投げ込んだ。

疲れた。

呟きは生地に吸い込まれる。

時間にすればものの十分もなかったはずだ。それなのに、永遠に感じられた。

それだけ息苦しかった。

―――ああ、詩織に会いたい。

またしても、吸い込まれた。

空いた背中に詩織のぬくもりが恋しくて、今すぐに彼女に会いたかった。


詩織は、僕に一切の情報を知らせなかった。ネット上のやり取りの方が良いに決まっているのに、手紙という手段にこだわり、まるでいつかの僕らにみたいに、いびつな約束を一方的に置いていった。

僕は餌を待つ利口な仔犬のように、黙って詩織主人を待つほかないのだ。


歪だろうか。


しかし僕は、これ以外に愛と呼ぶべきものを知らなかった。





ピンポーン、とインターフォンが鳴る音が聞こえた。僕はいつの間にか寝ていたようで、中途半端な睡眠による時間感覚のズレと戦いながら起き上がる。


「はい」

「お届け物です」

何のことだかわからなかった。

「あの、人違いではないでしょうか」

すると、インターフォンの向こうで配達員は手元を確認する仕草をした。

「間宮航平さんでよろしいでしょうか?」

合っている。ますますわからないが、とりあえず僕は配達員を通し、ドアを開けた。


「確認お願いします」

金髪の若い配達員はぶっきらぼうに言った。段ボールに貼られたシールに目を通す。

次の瞬間、僕はほとんどひったくるようにそれを奪った。配達員は不満そうにこちらを見たが、構わなかった。詩織からの荷物だったのだ。急いで判を押し、扉を勢いよく閉めた。

まるで一般的な家庭のクリスマスの朝の子供のように、慌てて段ボールを開ける。

テープをびりびりに破くと、手紙が出てきた。


実行します。

頼りにしてるよ。


いつものように、場所と日時が書かれたほかに短くそう記されていた。

そして手紙の下には、厳重に紙で包まれたがあった。しかし、紙を剥がすまでもなく、掴んだ瞬間に感触がよみがえった。

僕は恐る恐る、紙を剥がした。

出てきたそれを見て、嘆息せずにはいられなかった。


もう一度やるのか、僕は。


途端にそれが現実味を帯びて、思わずシルバーの鉄の塊を睨みつけた。

僕はそれを持ち上げた。


頼りにしてるよ。


先ほど目にした小さく端麗な字がよみがえった。


やるしかない。詩織のために。


覚悟を決め、僕は鋭い光を反射させる拳銃ピストルを握りしめた。

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