第29話 エピローグ
せっかく気持ちが通じあったのに、ハンスクロークは忙しそうだった。
ディーンが隠していた違法薬物は見つけ出されて、警ら隊が処分した。マルコは裏組織の連絡役で情報屋だったらしいのだが、捜査に協力的ではない。のらりくらりと質問を躱しているうちに、後ろにいた裏の組織は逃げてしまったようだ。
マリーベルが巻き込まれるのを心配して、ハンスクロークは定期的に隊員を派遣してくれるのだが、副隊長であるハンスクロークが来てくれることは稀だった。
二人でゆっくり食事にでも行きたい。
行き損ねてしまった居酒屋でお酒を飲んだら、楽しいだろう。
フローラには、カップケーキを買いに行きつつ、両想いだったと報告した。面白がって根掘り葉掘り聞かれ大変だったのだが、今度連れて来て欲しいと言われている。この様子では、いつになることやら。
ちょっとした仕事を片付けて事務所に戻ったばかり。コンコンというドアノッカーの音に、返事をした。
こんなに控えめな音は、ハンスクロークのものではない。
来客だ。
扉を開けて、二人組の客を招き入れる。
二人の身なりはキレイ。大衆向けの服装だが、清潔にしているようだ。二人とも、どちらかといったら背の高い方。力もありそうだった。
「どうされましたか?」
ハンスクロークに言われたように、仕事中は手袋を外すようにしている。
何かあれば、魔法が使える。魔法が使えれば、防御もできるし、逃げることもできる。
「それが……、魔法探偵さんに頼みたいことがありまして、なぁ」
「来て欲しいところがあるんだよ、なぁ」
二人で顔を見合わせた。
「どういったご用件でしょうか? それによって、持ち物なんかも変えなければなりませんので」
「あぁ~その、何て言うんでしたっけ?」
何だか、モゴモゴといい淀んでいる。
「できるかどうかは、聞いてから判断させてください。どこに向かう、おつもりですか?」
「それは、あれ、だな」
「とにかく、来てくれれば、いいんだな」
二人で確認しあっているようだが、どうしようもなく怪しい。
お隣のサーシャさんにも、人拐いが頻発しているから気を付けるようにと、言われたばかりだ。
このまま二人の話に乗っかるべきか。それとも追い返すべきか。
迷っていると、またドアノッカーが叩かれた。
ガン、ガン、ガン。
この強めな叩きかたは、ハンスクローク。
マリーベルが扉を開ける前に、勝手に顔を覗かせた。先客がいることで「失礼」と言ったものの、そのまま中に入ってくる。
いつもは涼しげな目元が、とろんと眠そうだ。
最近忙しかったから、疲れたのだろう。これまでも何度か、休憩を取りに来ていたので、マリーベルは何となくわかるようになっていた。そのときには、ソファーで仮眠を取っていったが、今は客が座っている。
「ハンスさん。奥で待っていてくれませんか?」
「いいのか?」
眠たいなりに目を見開いて、小声で聞いてきた。
眠たそうなハンスクロークを、追い返すわけにもいかない。
「仕方がないので、特別ですよ」
居住空間へ案内する。
キレイに掃除してあって、よかった。
「ここで、ゆっくりしていてください」
「いいのか? すまない」
ベッドに案内すると、口角をあげたハンスクロークの顔に赤みが差しているような気がした。ポッと浮かんでしまった余計な想像を、頭を振って打ち消す。
ハンスクロークは、黒猫の抱き枕を抱いて横になった。
かなり古いもので型崩れしているのだが、気に入ってしまったようだ。
じっと寝顔を見ていたい気もするが、事務所の方で客の声が聞こえる。
「お待たせしました。それで、どのような御用件でしょうか」
「あ、あの。また今度でいいです」
慌てて立ち上がる。
「ありがとうございましたぁ~」
慌ただしく、事務所から出ていった。
小声で「ハンスクロークがくるなんて、聞いてないぞ」と、話しているのが聞こえてしまった。
「では、また何かありましたら」
不自然にならないように、二人を見送る。
事務所の影から、ビルがひょこっと顔を出した。
二人に目線を向けから、ビルに向かって首をかしげる。もう一度、二人の背中を見るとビルは頷いた。
尾行を開始したビルの後ろ姿が、遠ざかっていく。ハンスクロークを送ってきて、そのまま外で様子をみていたのだろう。
過保護過ぎではないかと思っていたが、まさか今日のようなことを想定していたのか。
「考えすぎね」
看板の下の札を付け替えると、ハンスクロークのところに戻った。
すでに、規則正しい寝息を立てていて、黒猫の抱き枕がひしゃげてしまっている。
「ハンスさん。これ潰さないでくださいね」
小声で抗議してみると、むにゃむにゃと口許を動かしている。
「マリー。好きだ」
「ふふふ」
冷酷無情と言われているが本当は暖かい彼と、穏やかな時間を過ごせることに幸せを感じる。
『御用命は黒猫魔法探偵事務所まで』の看板の下には、『営業は終了しました』の札が揺れていた。
御用命は、黒猫魔法探偵事務所まで 翠雨 @suiu11
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