第22話 甘い香りに包まれて

 しばらくビルが消えた事務所の入り口をみていたマリーベルだが、弾かれたように動き出した。

 『外出中』の札をかけると、店の準備などで人や荷車の行き交う中を縫って進む。

 目的の可愛らしい店から漂ってきている甘い空気を、大きく吸い込んだ。


「よし!」

 気合いをいれて店に向かっていると、後ろから名前を呼ばれた。

「マリーベルさん!! いいところでお会いしました」

 振り返ると、茶色い髪をきれいに撫で付けたポールの姿。今日も洒落た服装だ。

「ポールさん? どうされました?」

「実は、倉庫の裏で、争った後のようなものを見つけてしまいまして……」

 落書きだけでは済まなかったのだとしたら……

「警ら隊に相談しますか?」

「さすがに、警ら隊に言うほどではないと思っているんですが」

 相談だけでも、しておいた方がいいと思う。


 マリーベルは、首をかしげた。警ら隊への相談でなければ、倉庫番のポールが、ここにいることが不思議だった。荷物の出し入れがあって忙しい午前中なのに。


「確かに、まだ、早いかもしれませんが、報告だけでもしておいたほうがいいかもしれません。他の場所でも同じような報告があれば、警ら隊も動きますし」

 ポールが、渋い顔をした。

「争った後とはいえ、夜中のことだと思うんです。どこかの酔っぱらいが、喧嘩しただけかもしれないじゃないですか。だから、警ら隊は大袈裟ですよ」

「そうですか?」


 それならば、何故、忙しいはずの時間に、ポールはこんなところにいるのだろうか?


「マリーベルさんに、会えて嬉しいですね」

 マリーベルは、眉根を寄せた。不審に思っているのが、態度にでてしまった。

「ポールさん、今は・・・」

「あぁ!! マリーベルさん!! 今度一緒に出掛けませんか? マリーベルさんは、どんなものがお好きですか? 美味しいものもいいですし、劇なんかも素敵ですよね? もしかして、自然が好きだったりしますか?」

 畳み掛けるように提案されて、視線をさ迷わせる。ガラス越しにフローラと目があった。

「あの、ポールさんは、お忙しいんじゃ・・・」

「何を言っているんですか。マリーベルさんのためなら、時間をつくりますよ」

 ジリジリと寄ってくるポールが、少し怖い。

「マリーベルさん。私は、あなたのためなら、何でもします」

(何でもって、どうしてそんなこと言えるのだろう??)


 フローラの店の扉が開く音がした。

「マリー?? 待っていたんだけど、どうしたの??」

「フローラ……」

 おっとりとしたフローラだが、芯のあるしっかりとした女性だ。

 約束をしていたわけではないのに、マリーベルが困っているのを察知して、出てきてくれたのだろう。

 マリーベルの表情に、明らかな安堵が広がる。

「遅かったじゃない。 この人は?」

 エプロンについた小麦粉をパンパンと叩きながら、マリーベルとポールの間に入る。

「依頼人といったところかしら?」

「あら、でも、今日はお休みにする予定よね?? それとも?」

 フローラの機転に感謝する。

 仕事相手ということで、バッサリ断っていいのかわからなかったのだろう。マリーベルに選ばせてくれた。

「お休みよ!!」

 慌てて、フローラの話にのった。

「マリーは、うちに来る予定だったの。お仕事は、また日を改めて頂けますか?」

「これは、失礼。急ぎの用事ではありませんので」

 ポールが背を向けたので、マリーベルは胸を撫で下ろした。



「朝御飯~」

 フローラに、カップケーキをねだると、ミルクとともに焼きたてのカップケーキがテーブルに置かれた。

「あなた、何人、男をひっかけているのかしら?」

「そんなんじゃないってば~」

「マリーがそう思っていなくても、相手はどうかわからないのよぉ」

「ポールさんとは、仕事の繋がりしか……」

「ふ~ん。ポールさんとね。ハンスクロークさんとは?」

「ハンスさんとはたくさん話すけど、そんなんじゃ……。私は、魔法使いだし、ハンスさんだって魔法使いなのよ」


 魔法使いが、恋やら愛やら、そんな話をするなんて。どうせうまくはいかない。期待しても悲しくなるだけ。


「また~。そんなこと言って~。でも、この前、二人っきりで過ごしたんじゃないの?」


 新作のカップケーキの感想と共に、ハンスクロークとは、ご飯を一緒に食べただけだと伝えてあった。実際に、ハンスクロークは、仕事で呼び出されて帰っていったのだから。


「あのときは、まぁ。でも、ご飯だけ」

「その後、なんにもなかったのぉ? だって、あなた、部屋で二人っきりってことよね??」

「そ、そうだけど、仕事だって、ビルさんが呼びに来て」

 改めて聞かれると、あの晩のハンスクロークの様子を思い出して頬が赤くなる。

「帰っちゃったんだ?? その後は?」

「一緒に食事に行こうって約束したけど……。なんか、怒らせたの……」

「えぇ?? ハンスクロークさん、マリーに惚れてたじゃない?」


(フローラったら!!)

「だから、そんなんじゃないってば!」

「まぁ、惚れてるのは間違いないと思うんだけど、何をしたのよ~??」


(そこは否定してくれないんだ……)

「何って……。さっきのポールさんが、魔力が反発するか確かめたいって言うから……」

「もしかして、それで、触っちゃったの??」

「ううん。手を重ねる前に、ハンスさんが来て、怒り出しちゃって……」

「もしかして、ポールさんは、『私に触れてくれませんか?』みたいなこと言ったんじゃないかしら?」

「なんでわかるの??」

(エスパーかしら??)

 目を丸くして見つめていると、フローラは小さくため息をついた。

「それって、劇中の有名な台詞よ。あなた、あからさまに口説かれたのよ」

 最近流行っている溺愛ものの劇での台詞らしい。

「でも、反発して、それで終わりじゃない?」


 魔法使いなのだから……。


「マリーったら、どうせ反発するんだしって、気楽に触ろうとしたんでしょ~。もしかしたら、反発しても、『あなたの魔力まで、愛します』と言うつもりだったんじゃないかしら? こっちは、『触れられない恋』の台詞よぉ」


 『触れられない恋』の登場人物は、昔からの知り合いで、魔力の相性がよくないことをわかっている。それにも関わらず、引かれていき、一緒に暮らすことを決意する。相性のよくない魔力ごと愛するから一緒に暮らしてくれと、プロポーズするときの台詞らしい。


「でも、会ったばっかりだし……」

「ポールさんの本気度合いは、私にはわからないわよぉ。でも、ハンスクロークさんが怒った理由は、ポールさんに口説かれているマリーを見つけたからじゃないのかしら? しかも、受け入れているように見えたんじゃないの?」


「え~! だって、魔力が反発しないことなんて、ほとんどないんだから」


「マリーったら、そればっかりね。魔力の相性を気にしないっていう可能性を考えないと~。私とマリーだって、魔力の相性は悪いわ。でも、友達でしょ~」

「そりゃね~。でも、恋人ってなったら違うんじゃ?」

「なんでぇ? 手袋をしていれば、手を繋いで出掛けられるし~、美味しいものを一緒に食べるとか~、それだけで楽しいと思わない?」


 ハンスクロークと、一緒に居酒屋に行くのを、すごく楽しみにしていたことを思い出した。

 たまに感じる体温が、むず痒く幸せだったことも。


「ほらぁ。マリーは誰のことを考えてるの??」

「そ、それは……」

「わかったんなら、もう、帰った帰った。早く会いに行ってきなさいよ」

「まだ、仕事中だし……」

 警ら隊本部まで押し掛けるのは、迷惑だろう。

 しかも、会って何を言ったらいいのかわからない。


 ボーッと外を見ていると、店のガラス越しに、母親と手を繋いだ女の子が見えた。女の子は、フローラの店を指差して、カップケーキをねだっているようだ。


 メアリー……。


「ねぇ、カップケーキ、15個くらい売ってくれない? えっと……、でも、15個で足りるのかしら??」

 目を丸くしたフローラは、ぷくっと頬を膨らませる。

「どれだけ食べるのよぉ?? やけ食い?? 太っちゃうわよ~」

「違うわよ。孤児院に持っていくの!」

(我ながら、いい案だと思う)

 嬉しそうに笑っているマリーベルに、フローラは訝しげな顔だ。

「元気になったのはいいけれど、急に何よぉ??」

「妹みたいなお友だちがいるの。ハンスさんが、紹介してくれたところ~」


「はいはい。ハンスさんねぇ~」

 フローラは、焼きたてのカップケーキを詰めてくれた。


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