第21話 思わぬ来客

 朝日が目に染みる。あまりの眩しさに目を細めた。

「黒猫さん、おはよう。最近、元気がないようだけど、大丈夫?」

 心配させてしまって、申し訳なく思う。笑顔に見えるように意識して口角をあげると、サーシャの顔を見ないように挨拶をした。

「おはようございます。お水、任せてください」


 魔法詠唱をして、植木鉢に水を撒いた。


「助かるわ。でも、黒猫さん。無理してはダメよ」

「ありがとうございます。でも、なんでもないんです」

 力なく笑うマリーベルを見てサーシャは悲しそうにするが、視線を伏せたマリーベルの視界には入らなかった。


 看板の下に『営業中』の札を出し、事務所の中に戻る。のろのろと動きながら朝御飯を食べようか迷っていると、扉の開く音がした。

(こんな早朝に?? 急用かしら?)

「いらっしゃいませ~」

 事務所スペースに戻ると、女の人が立っていた。

 髪は乱れて、服装も薄汚れている。なにか大変なことがあったのだろうと近寄ると、睨み付けられた。

「あなたのせいで、別れることになったのよ。どうしてくれるのよ!」

 見覚えがあるような気がして、よくよく見ると、エリアナだった。少しつり目で、長い髪が緩やかにウェーブしている華やかな美人だったのに、今は、見る影もない。

「あなたが、行動調査とやらをしたのは、わかっているの。どうせ、嘘の報告でもしたんでしょ」

 魔法探偵として、嘘の報告などするわけがない。

 エリアナの浮気は確実。

 マリーベルが行動調査をしているとき以外にも、エリアナがマルコと抱き合っているのを目撃しているのだ。

「結婚生活は、うまくいっていたのよ。あの人ったら、警ら隊の、何て言ったかしら? ・・・何とかっていう、結構偉い人だったみたいで、稼ぎもよかったんだから。もしかして、それを妬んで!?あぁ、ヤダヤダ。これだから、低俗な女ってのは」

 反論したいことはいくらでもあったが、口を開けば火に油を注いでしまいそうだ。


 エリアナの元旦那さんはアルバードだが、警ら隊本部の小隊である班をまとめる班長をしている。マリーベルは、仕事の関係で知ったことだが、元奥さんであるエリアナがしっかり理解していなかったことに驚いた。


「あの人の運命の人は私しかいないのに、別れさせてどうするつもりなのかしら? あぁ~、イヤイヤ。妬みよね~。魔法使いに溺愛されるのは、私なのよ!!」

 顎をあげて、マリーベルを見下した。


 魔力の相性が良い運命の人は、一人しかいないわけではない。なかなか見つからないというだけで、唯一無二というわけではないのだ。

 アルバードは行動調査を依頼したときに、エリアナの不貞に気がついていた節がある。マリーベルが依頼を受けなくても、浮気を突き止めていたと思うのだ。


「あの人だって、もっと優しくするべきなのよ。仕事が忙しくても、運命の人に尽くすのが、魔法使いでしょ~。私が余所見する暇もないくらい、尽くしてくれれば良かったのよ。そうしてくれないから、自由にしていただけでしょ~」


 アルバードは、魔法使いだからこその、遠出の仕事が多かった。

 いない時間が多くて寂しかった。だから、浮気をしてもいいとでも言うのだろうか。


「あなたのせいで、独りになっちゃったじゃない」


「マルコさんは、どうしたのですか?」


 エリアナには、浮気相手がいたではないか。隠れて会っていたのだが、これで堂々と一緒にいられるようになったはず。


「あんなやつ、知らないわ! 私が、あの人と別れたって知った途端、冷たくなったのよ。意味がわからないわよ。あんなに良くしてやったのに」


 マルコの変わり身の早さには驚いたが、エリアナは旦那も恋人も一度に失ってしまったということだ。


「ねぇ、あなた。どう責任とってくれるのかしら?? 私、らくして贅沢な暮らしがしたかったの。それを、あなたが壊したのよ。責任とってもらわなきゃ困るわ」

 気味の悪い笑顔で、じりじりと近づいてくる。

 マリーベルが責任をとる必要などないと思うが、エリアナの表情に背筋が凍りついた。

「ねぇ、どうしてくれるの?? そうね、責任がとれないっていうんなら、死んでくれてもいいわよ。ふははははははは~」

 奇妙な笑い声をあげる。エリアナは、バックの中に手を突っ込むと、ナイフを取り出した。

 マリーベルにナイフの刃先を向けたまま、一歩、また一歩、近づいてくる。


「やめてください!」

「私の人生をめちゃくちゃにしておいて、自分だけ幸せそうにしているなんて許せない」


(私だって、幸せなわけではない)

 ハンスクロークを怒らせてから、一度も会っていなかった。謝る機会もない。

 仲良くなれたと思ったのは、マリーベルだけだったようだ。


 エリアナの人生は、エリアナが選んだもの。マリーベルのせいではない。

「あなたの、その、可愛らしい顔を傷つけて、苦痛に歪ませなさい。私の気が済んだら、苦しませずに殺してあげるわ」


 ナイフを避けるように後ずさって、壁まで追い詰められてしまった。

 手袋をはずそうかと思うが、魔法で攻撃することは禁止されている。できるとしたら、防御することだけだ。


「さぁ!! 死になさい!!」


 ナイフを振り上げたエリアナの目は、血走っていた。


「物騒だなぁ~。外まで聞こえてるよ~」


 扉が開く音がすると同時に、気安い声。すぐにカツカツと近づいてくると、帯刀している剣を抜き、エリアナに突きつけた。

「黒猫さんが傷つくのは頂けないんだよね~。やめてもらえるかな?」

 一片の曇りもなく磨き上げられた剣を、喉元に突きつけられたエリアナは、腰を抜かした。

「ひゃ、ひ、人殺し~!!」

「君が、だろ? 黒猫さんに二度と近づかないって誓えるのなら、見逃してやってもいいよ。それができないっていうんなら、このまま殺されてよ」

 軽い調子でいうので、余計に怖い。

「ひっ! ひぃ~!!」

 尻餅をついたまま、後ろに下がるエリアナ。

「そう、そのまま逃げた方がいいんじゃない? ぼく、このまま殺しちゃっても、殺人にはならないんだよね~。警ら隊だから」

 笑顔で片目をつぶる動作が言葉とちぐはぐ過ぎて、背筋が冷たくなった。

 今日も、斜めに被った帽子と胸元のボタンを開けた着こなしだったが、警ら隊の制服であることにはかわりない。

 万が一刺してしまっても、殺人を未然に防ぐために致し方なく、ということになる。

「ひぃ~!!」

 ジタバタともがきながら、棚や壁にぶつかり、扉にも引っ掛かるようにしながら、エリアナは事務所から出ていった。


 剣を鞘にしまいながら振り返ったビルは、少しだけ拗ねたような困った顔をしていた。

「黒猫さん。どうして、逃げないんですか?」

「エリアナさんは、私のせいで離婚したんです」


 元はといえば、エリアナ本人の浮気が原因だが、その引き金を引いたのはマリーベルだ。

 エリアナが指輪を落としただけなら、どうなっていたかわからない。その指輪をマリーベルが探しだしたことで、アルバードが確信をもってしまった。

 考えれば考えるほど、悪いほうへ思考は流れる。


「それは、違うでしょ~。どうして、自分のせいにするんですかね~。まぁ、僕は、副隊長が幸せなら、なんでもいいんですけど」

 そういうと、ドカッとソファーに座った。


「ところで、黒猫さん。ここ数日、副隊長の元気がないんですよね~。なにか知っていますか?」

 ハンスクロークの辛そうな顔が思い浮かぶ。

「あ、あの。私のせいです」

 すごく、怒らせてしまったのだ。

「ふ~ん。また、自分のせいですか。黒猫さんが、なにか言ったんですか?」

「えっ??」

 そう言われると、なんで怒られたんだったか。


(えっと、無防備だとか、魅力がどうのとか言われたのよね。元はといえば、ポールさんの手を触ろうとしていたのを見つかって怒られたのよ。ハンスさんには関係ないことなのに……)


 考え始めたマリーベルをみて、ため息をつく。

「はぁ~。黒猫さんは、副隊長が会いに来ると、迷惑ですか?」

「へ? ……いえ」


(むしろ、会えたら嬉しい。どんな顔をして会ったらいいのかわからないだけで……)


「ぼくからのお願いなんですけど、嫌じゃないなら 仲直りをしてくれませんか? 副隊長、何があったのか教えてくれないんで、どうすることもできないんですよ」

 ソファーに座ったまま少し乗り出して、悲しそうな顔でマリーベルを見つめた。


 仲直りって、どうしたらいいんだろうか?

 幼い子供なら、謝っておしまいなのだろうが、大人になってからの仲直りは、ただ謝ればいいのだろうか??


 そんなことを考えていると、ビルが

「副隊長と黒猫さんは、魔力的に相性が良いはずなんです。副隊長は魔力が多すぎて、手袋や服では防ぎきれないんですけど、今まで反発は起きたことがないでしょう?」

 肩を掴まれたことを思い出した。それ以外にも、なにかと距離が近かったのは、そういう意味があったのだろうか。

 でもそれは、ビルも同じ。手袋をしていれば反発が起きないくらいに、相性が良い。


「じゃあ、僕は、そろそろ行かないと」

 急にそわそわし始めたビルは、

「黒猫さん、頼みましたよ~。あぁっ!! 遅れる~!!」

と、走っていってしまった。


「仲直り……か」


(ものすごく怒っていたと思うけれど、謝るくらいで許してもらえるのだろうか……。……しかも、何を謝ればいいの?)


 マリーベルの呟きだけが残った。

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