第19話 落書き

 暖かくなった風が、開け放たれた事務所の扉から入ってきた。マリーベルは、持っていた箒を片付けて、大きく伸びをする。

「う~ん。綺麗になったかな」

 事務所を隅々まで見回して、確認していく。

 天気もよく、大掃除日和。空気を入れ換えて、事務所だけではなく、居住空間まで念入りに掃除をした。



「う~ん。終了~」

 開けていた窓を閉めていると、コン コンと聞こえて振り返った。

 開けっぱなしになっている扉のところに、背の高い男性が立っていた。年はマリーベルより少しだけ上。明るい茶髪を、すっきりと後ろに流している。スーッと通った鼻筋は爽やかで、下がった目尻が優しそうだ。

「いらっしゃいませ」

 一歩入ると、事務所の中を見回した。

「心地よい風に、すてきなお店ですね」


「ありがとうございます。何かお困りごとでしょうか?」

 春のような穏やかな笑みを浮かべていた男性が、肩を落とした。

「相談するような事ではないのかもしれないんですけど」


「話だけでも、してみませんか?」

「いいのでしょうか? ついつい来てしまいましたが、本当に、気にしすぎかもしれないんです」

 お茶を用意している間、事務所のなかを見回していた男性は、マリーベルが向かいに座ると「落ち着きますね」と笑顔を見せた。


「何があったのでしょうか?」

 茶色い瞳で、まっすぐマリーベルを見つめる。

「オ、………私は、倉庫の管理番をしているんです」

 管理番とは、倉庫の中身や鍵の管理をしている人だ。マリーベルが手伝いに行く倉庫にも管理番はいる。比較的、身近な職業だった。


 視線を落として、足を組み直した。

 流行りのジャケットとグレーのパンツが若々しく、お洒落だ。服装は気にかけているのだろう。倉庫番にしては、少々お洒落すぎるくらいだ。


「私の管理している倉庫のうちの一つなんですが、落書きされていまして、不気味に思っているんです」

 落書きは、厄介だ。消すためにはお金も時間もかかるが、犯人の特定が難しい。一回で終わるのであれば、泣き寝入りしてしまうことが多いだろう。

「落書きですか」

 しかし、その程度で魔法探偵事務所に持ち込むのは、割に合わない。魔法探偵への依頼は特殊能力ゆえ、料金も高めだからだ。

 そんな気持ちが、顔に出てしまったのかもしれない。

「あぁ~、実はそれだけではなくて、少し前に倉庫を抉じ開けようとした跡があったんですよね。それに、妙なんです。気味が悪いっていうか……」

 中に何が入っているのかはわからないが、盗まれたら大きな損失になってしまうだろう。


「見に行ってもいいですか?」 

 顔を手で覆い、少し悩んでいるようだ。

「そこまでしていただかなくても」

 正式な依頼というわけではないから、料金をとるつもりはない。

 魔法探偵に相談したくなるほど気味が悪い落書きというのが、気になった。

「う~ん。今日はちょうど仕事もないのです。散歩ついでに、どうでしょう?」

「いいのですか?」

 マリーベルは頷く。

「困ったときは、お互い様ですから」




 事務所の看板に『外出中』の札を下げると、鍵をかけてから男性を追いかける。並んで歩くと、彼の背の高さがよくわかった。ハンスクロークよりは細身だが、背の高さは同じくらいだろうか。

「お名前伺っても、いいですか?」

「黒猫魔法探偵事務所、所長のマリーベルです。皆さんには、黒猫さんって呼ばれています」


「黒猫さん、ですか。せっかくの素敵なお名前ですから、マリーベルさんって、呼んでもいいですか?」

「えぇ、もちろんです。貴方のことは、何てお呼びすれば?」

「私は、………ポール、ポールといいます」

「ポールさんですね。管理している倉庫は、どの辺でしょうか?」

「ここからだと少し東側なのですが、最近、警ら隊の捕り物があったらしくて、警戒していたんです」

 メアリーの父親が逮捕されたのも町の東側だが、もう少し内陸だ。海沿いの倉庫の近くだと、少し前の事件になるが、ヘクターとディーンが捕まったときのことだろう。


 海沿いに出ると、急に風が吹いて、マリーベルの髪を揺らした。

 太陽は少し西に傾き始めているが、まだ十分に暖かい。


「この時間は、綺麗ですね」

 ポールの言うように、穏やかな海がキラキラと輝いていた。


「マリーベルさん。こっちです」

 似たような倉庫が並んでいる。何度も角を曲がったので、どこにいるのかわからなくなってきた。

 狭い道を入っていき、人の目につかないところに、その落書きはあった。

「事件のことを聞いて、見回っていたら見つけたんです。これ一つだけなので、相談するかどうか随分悩んだんですけど、こんなに親切にしていただけるなら、早く相談すればよかったです」


「これは……」

「気味が悪いでしょう」

 真っ黒い塗料で、月と太陽が描かれている。それだけなら、魔力持ちの紋章にも使われているモチーフだ。

 しかし、大きな三日月が、小さな太陽を飲み込むように見えた。

 太陽が大きく、月が小さい。それをねじ曲げると暗示しているような落書きに、背筋が冷たくなる。


 夜が昼を取り込んで、常闇が訪れるとでも言いたいのだろうか?


「確かに……、なんのマークでしょうか?」

 少し触れてみても、特に変わったことはなかった。

 魔力的な違和感も感じない。 

「ちょっと、これだけでは判断できなくて」

 ポールは、「ん~」と悩む。

「抉じ開けられた倉庫というのは、これですか?」

「抉じ開けようとした跡があっただけで、開けられてはいないんです。そのときの傷は直してしまいました」


「警ら隊に相談してみても、いいかもしれませんね」

 マリーベルの何気ない提案に、ポールはピクリと肩を震わせた。

「警ら隊ですか……。あまり大事おおごとにはしたくないんですよね。しかも、一回限りのイタズラかもしれないじゃないですか」

 警ら隊への通報には労力がかかる。警ら隊に赴いて、話を聞いてもらわなければならない。マリーベルがハンスクロークに直接話すのとは訳が違うのだ。

 色々、細かいことまで説明しなければならないし、話したからといってもすぐに対応してもらえるとは限らない。

「では、私の知り合いに荷運びのリーダーがいるんですが、その方に声をかけて、倉庫同士で連携をとるというのは?」


 ポールはしばらく考えているようだ。


「ん~。そんな手もありましたね。ここら辺には知り合いもいますので、自分で声をかけてみますよ」


(何のための落書きなのかしら??)

 マリーベルはもう一度落書きを見上げ、しっかりと目に焼き付けた。


「マリーベルさん、せっかく来ていただきましたし、夕飯でもご馳走しますよ」

 予想外の言葉にポールを振り返る。そんなつもりは、全くなかった。

「気にしないでください。では・・・」

「そんな訳にはいきませんよ。すぐ、そこですから」

 別れの挨拶は、口からでる前に遮られた。


(えっと、こんなときって、どう断ったらいいのかしら?)


「こっちです」

「あの、でもぉ」

(断ったら、嫌なやつって思われるかしら?)

 自然と歩調が遅くなるが、ポールがそれに合わせてくれる。

「ここのパイ包みは絶品なんです。デザートもおすすめですよ」

 高級そうな店構えのレストラン。

「えっと、でも。散歩のつもりだったんで」

 なんとか断ろうと言葉を探すが、ポールは目尻を下げ小さく笑う。

「気にしないでください。私が、マリーベルさんと食事をしたいだけなんで」

 「さぁ」と言われても、足が動かない。


(ポールさんのことが嫌いというわけではないんだし。依頼人になるのなら、嫌われない方がいいのよね)


「失礼します」

 そういうと、マリーベルの手をとって、店の中に引っ張った。

 手袋をしているので、反発など起きない。ポールに引っぱられるがままに、店の中に入ってしまった。


 壁には大きな絵がかけられていて、海で遊ぶ女性が描かれている。アンティークの花瓶には、たくさんの花が活けられていた。絨毯もふかふか。ランプも骨董品のようで趣がある。

(やっぱり、高そうなお店。奢ってくれると言うけれど、申し訳ないわよね)


「こっちです」

 ポールは慣れた様子で個室を頼むと、料理の注文まで済ませてしまった。

「あの……」

「美味しいですよ。マリーベルさんの笑顔を見ながら、美味しい食事ができるなんて、私は幸せ者ですね」

「でも……」


(食事が嫌な訳じゃないんだけど、なんだか、圧が強い……)


「素敵な笑顔が見たいだけなのですが、ダメですか?」


(笑顔くらい減るものではないけれど、顔がひきつってしまいそう……)


 美味しそうな料理が運ばれてきてしまった。残すのも申し訳ないので、口をつける。パリッとしたパイの中に柔らかいお肉が入っていて、たしかに美味しかった。


「美味しいでしょう」

 返事をしながら、頭に思い浮かぶのはハンスクロークの顔。これを食べたら、どんな顔をするのだろうか。

(今度、誘ってみようかしら?)


「マリーベルさんは、普段は事務所にいるのですか?」

 ポールが話しかけてきて、意識を戻す。

「ん~。半々でしょうか」

 依頼があれば、その調査のために出掛けていることが多い。依頼がなくても、ゴードンの手伝いや、買い物などで出掛けていることもある。


「警ら隊とお付き合いは、ありますか? 先ほども、相談した方がいいとおっしゃっていましたし。実は、警ら隊の制服を着たかたと、一緒に歩いているのをお見かけしたことがありまして」


 ハンスクロークと一緒にいるのを見られていたのだろうか?

 彼と知り合ったのは仕事がきっかけだが、それ以外にも、依頼人の相談に付き添ったりと、顔見知りは多い。


「えぇ、顔見知りは何人か」

「警ら隊に行くときは、どうするのですか?」

 落書きのことを相談したくなったのだろうか?

「本部の建物に入ると、すぐに受付がありますので、そこにいけば大丈夫です」

「受付があるんですね。え~っと、隊員はたくさんいるのでしょうか?」

「ん? 対応は、いつも時間がかかってしまいますね。捜査にも時間はかかりますし、残念ながら、落書きの犯人は、すぐには見つからないかと」

 受付まで行っても、門前払いということもある。粘り強く交渉して、警ら隊に動いてもらったとしても、犯人が見つかるとは限らないのだ。

「落が……あぁ、やっぱり、時間がかかりますか」

「でも、相談しておくことを、おすすめします」

「そ、そうですね」

 少し不自然さがあった。落書きのことを忘れていた、なんてことはないだろうに。

 不思議に思っていると、

「あぁ、デザートを持ってきてもらいましょう」

と、給仕に声をかけにいった。


 デザートは、すぐに運ばれてきた。イチゴがのった小さなケーキだった。数口で終わってしまいそうなくらいの上品な大きさだったが、口の中にイチゴの甘酸っぱさと、バターとクリームの甘さが広がる。

 つい、頬に手を当てて「ん~」と唸ってしまった。

「美味しそうですね。いい笑顔です」

 見られていたことに恥ずかしさを覚える。話題を変えたくて、室内を見回した。

「いいお店ですね」

 ポールは、嬉しそうな顔をした。

「でしょう。一番のおすすめですから」

 残りのケーキを口に放り込むと、ポールが席を立つ。

「もう遅いので、送っていきますよ」

「あの、お支払は?」


 これだけ素敵なお店だと、値段が気になった。町の中心からは少し距離があったので、富裕層でなければ通えない店、という感じではない。それでも、居酒屋よりは高額だろう。


「もう済ませてありますので、お気になさらず」

(いつ?)

 マリーベルには、全く覚えがなかった。

「では、自分の分はお支払しますわ」

 ポールは、大きく首を振った。

「やめてください。話を聞いてもらって、倉庫を見にきてもらったお礼なんですから」

「それじゃあ……」

(釣り合わないんじゃないかしら?)

「マリーベルさんが親身になってくれたお陰で、気味の悪さは半減したんですから」

「でも、自分の分くらい……」

「いえ。帰りましょう。送ります。事務所に送ればいいですか」

 話を切り上げられてしまった。

 借りができてしまったようで、気分はよくない。


 事務所が見えてきたところで、

「今日はありがとうございました」

と、頭を下げて走る。後ろを振り返ることなく、事務所に飛び込んだ。

 内側から魔力鍵をかけて、ヘナヘナと座り込む。

「つ、疲れた~」



 マリーベルの走り去ったところでは、綺麗にセットされていた茶髪を乱暴に崩した男が、鼻を鳴らす。

「ふん。一筋縄にはいかないってやつね」

 

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