第18話 新たな一歩

 窓の外を眺めていると、少しだけ雨が弱まってきたようだ。

「ふ、ふ~ん、んふふ~」

 可愛らしい鼻歌に、自然と笑みが広がる。

「おねえちゃん、できたよ」

 満面の笑みで、少しだけ首をかしげて、五枚の便箋を差し出している。そのどれもが、大きな絵で埋め尽くされていた。


 メアリーに「むかえにきてね」という文字を教えると、

「父ちゃん、よめるかな?」

と言われ、絵を描くことにしたのだ。

 描いているうちに楽しくなってしまったらしい。


 警ら隊が行う違法薬物に関する啓発は、商店街周辺では口頭でも行われていた。しかし、住宅街などでは、チラシによる啓発が主だったように感じる。

 もし、文字が読めなかったとしたら……。違法薬物の危険性を認識していなかったのかもしれないと、ゾッとする思いがした。


 メアリーの書いたものを封筒にいれてあげ、蝋で封をする。

「すご~い。すてきね~」

 可愛らしい便箋、きれいな封筒、黒猫印の封蝋、そのどれもに瞳を輝かせた。

「はい。できた。明日、渡そうね」

 元気な返事に、マリーベルまで笑顔になる。


「ねぇ、メアリーちゃん。食べたいものってある?」

 メアリーの好きなものを食べさせてあげたかった。


「えっと、う~んと。あのね……」

 言い辛そうに、モジモジとしている。

「言ってみて」

「いいの? え~っと、あのね~。おおきな、おにく」

「骨付きのやつとか?」

 メアリーが、キラキラとした目で見つめてくる。

「じゃあ、屋台に買いに行こうか」

「うん!!」

 弾むような返事をしたメアリーの手を引いて、出掛ける。

 雨はずいぶんと弱くなり、傘が煩わしいほどになっていた。ところどころ、雲の切れ目から夕日が差し込んでいる。



「うわ~!!」

 右をみて驚いて、左をみて目を丸くする。

 人気の屋台には、人だかりができていた。


「あの辺りに骨付きのお肉があって、あそこのサンドイッチが美味しいよ」

 メアリーはマリーベルの手を引っぱって、蟹やイカ焼き等には目もくれず、肉料理に直行している。

 漁師の娘なのだから、魚介類は珍しくないのだろう。


「あれ、たべたい!!」

 ちょうど購入した人が、店主から骨付き肉を受け取るところだった。

「じゃあ、サンドイッチと骨付き肉を買って帰ろっか」

 お肉に喜ぶメアリーのために、焼き肉が挟まったサンドイッチを購入し、骨付き肉を二つ買うと、それを手に持ったまま事務所に帰ってきた。

 待ちきれなかったメアリーが、骨付き肉にかぶりついているのを見ながらお茶をいれ、サンドイッチを食べやすい大きさにきってあげる。

「おねえちゃん、おいしい~」


 勢いよく食べていたと思ったら、気がついたときには大人しくなっていた。

 骨付き肉を平らげ、小さく切ったサンドイッチをひとつ食べ終わるかどうかというところで、目蓋が重たくなってしまったようだ。


 昨日も十分に眠れていないようだし、泣いている時間も長かった。警ら隊にも一緒に行き、自分の親が逮捕されるなんて、大変な衝撃だっただろう。手紙を書くことも初めてで、屋台も普段から行く場所ではなかった様子。

 いつもと違うことに気を張って、疲れてしまったのだろう。まだ、寝るには早いかなという時間に、ウトウトし始めてしまった。


「お口ゆすごっか。そうしたら、寝ていいよ」

 イヤイヤと、首を振る。

「いや~。おねえちゃんと、いっしょにいる~」

 メアリーは、小さく首を振ると、マリーベルにしがみついてきた。


 一人で父親を探しに来たことから予想していたが、メアリーには母親がいないらしい。身寄りのいなくなってしまったメアリーを預かろうかと考え始めたマリーベルに、ハンスクロークが孤児院を紹介してくれるという。

「俺の紹介だから、悪いようにはならない。むしろ、同じ年代の子と一緒に過ごしたほうがいいだろう」

と言うので、ハンスクロークにお願いすることになった。

 本来なら、それまでの間も警ら隊が面倒を見るようなのだが、不安そうなメアリーのために、マリーベルが預かることにしたのだ。


 メアリーは何度も頭を振り、起きていようと頑張っていたのだが、ついに限界が来てしまったようだ。事務所のソファーで、すぴーっと可愛らしい寝息を立て始めてしまった。





 昨日の雨が嘘のように、晴天が広がっていた。

 メアリーの旅立としては良い日なのだが、肝心のメアリーが朝からマリーベルに纏わり付いていた。

「おねえちゃん」

 腰の辺りに、ギュッと抱きついてくる。

「メアリーちゃん。気を付けてね。肌にはさわっちゃダメよ。バチって、とっても痛いから」

「ん~。わかってる」

 ムギュッと、さらにくっついてくる。


 いつ誤って、魔力反発が起きてしまうか、気が気ではなかった。


「ビルさん。こんなことになってしまって」

「随分、懐かれましたね」

 ビルが、優しげに目尻を下げる。


 警ら隊本部についたら、抱きついたままマリーベルの後ろに隠れてしまう始末。


「マリーは、誰にでも好かれるんだな」

 今日、孤児院に行くことがわかっているメアリーは、無言で抱きつく腕に力をいれる。

「メアリーちゃん。お手紙渡さないと」

 一瞬だけマリーベルから離れて、「はい」と、ハンスクロークに差し出す。

「あぁ、ちゃんと渡そう。父さんがな、メアリーに謝りたいって言っていた。すまないってな」

 メアリーは泣きそうな顔になり、マリーベルに抱きついてくる。マリーベルの腰の辺りに顔を押し付けて、なんとか泣くのを耐えているようだ。


「あの、ハンスさん。メアリーが行くのは、どんなところなんですか?」

 可愛いと思っているメアリーを、酷い環境の孤児院には送りたくなかった。

「あぁ、王族経営の孤児院だから安心していいぞ。食事やリネン類などの生活環境は整っている。ここからも近いし、教育も行き届いているからな。ちゃんと申請すれば、外出も許可してもらえる。マリーにも会いに来れるぞ」

 途中からは、メアリーに向かって話していた。

 細かいことは理解できなくとも、マリーベルに会いに来れることはわかったようで、「マリーおねえちゃん!」と泣きそうな顔で笑った。

「じゃあ、ビル。連れてってやれ」

「まって。おねえちゃん。……おねえちゃんみたいになるには、どうしたらいい?」

 難しそうな顔をして質問してきたのだが、その様子が可愛らしい。

 少しだけ茶化して、

「お肉をたくさん食べられるようになるには? ってことかしら?」

と聞くと、

「う~ん。そんな感じ?」

と首を傾げている。

 ハンスクロークが小さく吹き出して肩を震わせているが、マリーベルはメアリーに向き合った。

「いろいろなことを覚えるの。メアリーちゃん。お手紙書いたでしょ」

「うん!」

「読み書き、計算ができれば、本から色々なことを覚えることができるわ。色々なことを覚えれば、それでお金を稼ぐことができるのよ」

「そうなの??」

「お父さんは、お魚については詳しかったでしょ。メアリーちゃんも、何か好きなものについて詳しくなればいいのよ」

「う~ん。そっかぁ~。読み書きって、どうやって覚えるの?」

 読み書きは、教えてくれる人がいるか教材がないと、なかなか難しい。

「その辺は、心配しなくていい。皇太子様設立の孤児院だぞ。お前が望むなら、必要な教育は受けさせてもらえるさ」

 心配はいらないということは、伝わったようだ。マリーベルからゆっくりと離れると、ハンスクロークを見上げた。

「おにいちゃん、ありがと~」

 まっすぐなお礼に、ハンスクロークは照れているようだ。「問題ない」と、モゴモゴ言ったが、メアリーは少しキョトンとして、マリーベルに抱きついた。

「おねえちゃんも、ありがと~。また、あそびにきてもいい?」

「うん。いいよ」


「ありがと~」

 大きく手を振り、ビルの差し出した手をしっかり握って歩み出した。


「マリー。ちょっとだけいいか?」

 副隊長室に招かれた。

「今回は、感謝している。少しだが、褒賞金も出るはずだ」

 あの建物は、違法薬物をこっそりと売っている店だったらしい。持ち帰るもよし、家族に隠れて建物のなかで使うもよしという店だ。

 違法薬物の匂いをごまかすために、匂いのきつい薬草を炊いていたので、鼻が捥げそうな匂いがしていた。

「実はな、あの店、なにも残っていなかったんだ。定期的に売りに来ていた売人が急に来なくなったことを警戒して、残りの薬物をお金に変えて、高跳びを狙っていたらしいんだ」

 もう少し遅かったら、店主は逃げた後だった。

 無理矢理、お金に変えようとした。そのため、普段より多めに売り付けて、メアリーの父親は、いつもの時間を過ぎても家に帰らなかった。


「定期的に来ていた売人っていうのが、ディーンだったんだ」


 ヘクターと共に捕らえられた男だ。

 ディーンを捕らえたから、メアリーは孤児になってしまったのか??

 そんなことは、ない。余計な考えを振り払うために、マリーベルは小さく首を振る。

 ディーンが捕らえられなくても、いつかは来てしまう未来だったのだ。

 それなら、早い方がよかったのか?? マリーベルは、そう割り切ることもできそうになかった。まだ、幼いメアリーには過酷すぎる。


 ヘクターやディーンのように違法薬物でお金を儲けようとする人がいるから、メアリーの父親のように薬物を使ってしまう人がでてくるのではないか。使ってしまう方も、知識や警戒が足りなかったと言われれば、そうなのだが。

 そんなモヤモヤした気持ちを押し殺し、メアリーが楽しく暮らせるようにと祈った。

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