第16話 父親の捜索
マリーベルは、海の方へ足を動かしながら考える。
今わかっていることは、メアリーの父は、おそらく漁師で、青い家に住んでいて、その壁には大きな蟹がかけられているということ。
圧倒的に情報が少ない。
王都として栄えているこの街の海岸線には、たくさんの物を運び込むための倉庫が立ち並んでいる。
そのため、漁師町は点在していて数は少ない。
漁師の家が多い場所は、倉庫街の東側か、砂浜のある中央か、西の端か。
メアリーが明るくなりはじめてから家を出て、早朝に黒猫魔法探偵事務所についたと考えれば、彼女の足で歩ける範囲にある東側の漁師町。
つめたい風がマリーベルの鼻先をくすぐる。
空を見上げると、灰色の雲で埋め尽くされていた。
(まずい。雨が降りそう)
本物の猫であれば、雨が降っても問題なく匂いで人探しができるのかもしれない。しかし、本物ではないマリーベルには難しかった。
(急がないと)
マリーベルは地面を蹴って、走り出した。
商店街を抜け、ゴードンたちの働く倉庫街が見えてきた。
倉庫街の手前を左に折れて、さらに走る。
ポツッと、マリーベルの小さな額に雨粒が当たった。
(まずい。降ってきた)
地面を掻いてから力強く蹴って、風のように走る。
ポツポツと雨の降るなか、数軒の青い家を見つけた。
特徴的な色だから、すぐに見つけられると思っていたが、考えが甘かったようだ。
東側の漁師達は青い家を好むのだろうか。何軒もの青い家の前で足をとめる。
海色の壁に空色の屋根。
どの家の青色も微妙に色が違っていて、見ようによっては海色にも空色にも見える。
(蟹、蟹……)
マリーベルは、大きな蟹を求めて、細い通路を歩き出した。
確認できた蟹の甲羅は、3匹。
メアリーは世界一だと言っていたのだからと、一番大きい蟹をかけている家の玄関に鼻をつける。
独特なたばこの匂い。そういえば、メアリーからも、うっすらとこの独特な匂いがしていた気がする。
窓から覗いてみたものの、二部屋しかない小さな家には誰もいなかった。その代わりに、女の子の服が干してあるのを見つけた。サイズはメアリーにちょうどいい。
マリーベルは、ポツポツと雨が降るのも気にせずに、一心不乱に、しかし、慎重に匂いを辿った。どしゃ降りになる前に、メアリーの父親の行き先を突き止めなければならない。
漁師の青い家は見えなくなり、住宅街も端の方。入り組んだ細い道には路上生活者が増え始めた。視線の先に、崩れそうな家が、目にはいる。
あまり治安のよろしくない場所に、踏み入れていた。
(なんかひどい匂い。鼻が
嗅いだこともない匂いは、目の前に建つ、人が住めそうにないボロ屋から漂ってきているようだ。匂いがきつすぎて、独特なタバコの匂いを辿ることが、できなくなってしまった。
ボロ屋の回りは路上生活者がほとんど見当たらない。匂いがひどいせいか、他の理由があるのか。
柱に木を使い、壁に漆喰を塗り固めた二階建てだが、一部が崩れかけていて雨が吹き込んでいるように見える。
窓には板が打ち付けられて、部屋の中にライトがついているかは確認できない。
両隣の建物が寄りかかるように傾いていて、異様な雰囲気が漂っていた。
(まさか、あの中……??)
異様な雰囲気とひどい匂いに、あの中にいるとしたら犯罪の予感しかしない。
万が一逮捕でもされてしまったら、メアリーが一人きりになってしまう。彼女の父親は、何事もなく彼女のもとに戻って欲しい。
そう思うと、ボロ屋を調べる気にならなかった。
ひどい匂いのボロ屋を避けて、近くにある他の建物を調べる。玄関扉に近づいたり、窓を覗いてみたりしても、独特なたばこの匂いはしない。
全ての可能性を潰してしまい、あの建物の中としか考えられなくなってしまった。気がついたときには、雨が激しくなって、マリーベルはずぶ濡れになっていた。
少しだけ雨が降って匂いが弱まったものの、いまだにツンと差すような匂いがしている。酷い匂いを我慢して、寄りかかってきている建物との隙間に体を滑り込ませる。
外観はどうみても空き家だったのに、壁の向こうには、人の気配がする。足音がしないように、気配を殺して進む。
崩れかけている隣の家の壁に爪を立てて、窓に登る。狭すぎて、人の入れない隙間だからか、板は打ち付けられていない。カーテンはあるが、どうせ人は入ってこれないという安心感からか、しっかり閉まっていなかった。
その隙間から覗くと、やはり人がいる。
焦点の定まらない目で、ブツブツと呟くように口を動かしている。
(やっぱり。ひどい匂いは、この中からしているのよ。ハンスさんが違法薬物が問題になっているって言っていたし、この中にメアリーの父親がいるんだとしたら……。どう考えても良いようにはならないわね)
猫のままではどうすることもできないし、マリーベルの姿に戻ったとしても、多人数の気配がするあの建物に単身で乗り込むのは、どう考えても名案とは思えない。
トボトボと肩を落としながら、事務所に戻っていく。
重く垂れ込めた雨雲から落ちてくる雨粒が、マリーベルを容赦なく襲う。滑らかな黒い毛から、水滴が滴り落ちる。耳をペタンと伏せ、尻尾をダラリと垂らしたまま、事務所の小さな扉を
ビショビショになってしまった体を振るって水滴を飛ばすと、もとの姿に戻り、しっかりと残りの水滴もタオルで拭く。
メアリーのあの可愛らしい表情を、悲しみに沈ませてしまう。また、大泣きさせてしまうのではないか。
どんよりとした気分のまま、サーシャさんのお店に入る。
「黒猫さん、お疲れさま。雨、酷いわね~。髪濡れてるじゃない。そのままにしていると風邪引くわよ」
そういって、タオルを貸してくれた。
「ありがとうございます。すみません」
メアリーにどう伝えたら良いのかと、そればっかり考えていて、サーシャさんに心配させてしまうことにまで気が回らなかった。
「いいのよ~。黒猫さんには、いつも助けてもらっているんだから~」
そんな話し声が聞こえてしまったのだろうか。メアリーがゆっくりと起き上がって、大きなあくびをする。
腫らした目はまだ眠たそうだが、父親のことが気になっているのだろう。
「おねえちゃん、みつかった?」
「えっとね、お父さんがいるかもしれない建物は見つけたの。でもね……」
黙ってしまったマリーベルに、メアリーは顔を曇らせる。
「やっぱり、お父ちゃん、わるいことしてたんだ……」
「やっぱり??」
「うん。なんかへんだなって、おもってたの。お父ちゃん、つかまっちゃう?? ころされちゃう??」
メアリーの瞳から、涙が溢れてボロボロとこぼれ落ちた。
あの建物にいた人たちが、どれほどの罪に問われるのか、マリーベルにはわからない。警ら隊に聞くことはできるが、そんなことを聞いたら、なにか知っているのかと怪しまれるだけだ。
小さな子がいるからって、温情してもらえないだろうか?
ダメね……。
冷酷無情のハンスクロークがこの事件を追っているんだった……。軽い罪で済ませてもらえるわけがない。
「わからないの」
重たい空気に、息を吸うのも辛い。
「その建物には、何があったんだい?」
サーシャさんも心配そうだ。
「違法薬物の疑いがあります」
サーシャさんに答えると、メアリーが首をかしげる。
「いほーやくぶ??」
「最近、警ら隊が気を付けろって、騒いでるやつだね。他人事だったけど、やっぱり出回っているんだね……」
「いほーやくびゅ?」
「あぁ、そうだよ。飲むと人が変わるって言われてるんだ」
メアリーは難しい顔で、首をかしげている。
マリーベルが知っているのは、警ら隊が啓発をしていた危険性くらいだ。
「優しい人が、急に怒るようになったり、一生懸命仕事をしていた人が、急に仕事をしなくなったりするらしいの」
みるみる青くなっていったメアリーは、ポツリと呟く。
「父ちゃんだ……」
マリーベルは、唇を噛み締めた。
「父ちゃん、どうなっちゃうの??」
どうしたらいいのだろうか……。
メアリーのことがなければ、すぐにでも警ら隊に伝えるべきなのだが。
「父ちゃん……。もどるよね??」
マリーベルも、サーシャも悲しそうな顔で首を振る。
「普通に戻るのは、簡単なことじゃないみたいなの。それよりも、薬を使いすぎて、…………」
それ以上は続けられなかった。
メアリーは、察したようだ。
「ひどくなっちゃう?? 父ちゃん、しんじゃう??」
返事をしないマリーベルとサーシャに、メアリーは大粒の涙を流し始めた。
「父ちゃん……
えっぐ、ひっく、
父ちゃんのばかぁ~
えっぐ」
どうすることもできずに、背中を撫でて、泣きじゃくるメアリーを見守る。
マリーベルの目にも、涙が浮かんでいた。
「えっぐ、ひっく、
ねぇ、
おねえちゃん。
えっぐ、
お父ちゃんを、
たすけて」
メアリーがマリーベルの服を、ギュッと引っ張った。
「助けたいけど……」
あの建物から連れ出して、薬物の影響がなくなるまでマリーベルが面倒を見るなど、できるのだろうか??
「わるいことをしたら、つかまるんだって。父ちゃんがいってた……。つかまったら、ころされちゃうかな??」
「どれくらいの罪に問われるのか、わからないの」
マリーベルが確保現場に居合わせてしまったへクターは、牢に入れられているものの、まだ生きている。
ヘクターのような売人がいるから、薬物使用で捕まる人がいて、その家族が苦しむのだと腹が立つ気持ちが湧いてきたが、それはまた別の話だ。
「前に捕まった人は、まだ生きているけど……」
生きたまま牢から出られるのかは、わからない。
「おねえちゃん。父ちゃんがしんじゃうのは、いやだよぉ~。わるいことしているのも、いやだよぉ~」
「黒猫さん。警ら隊に相談した方がいいんじゃないかね? どちらにしても、このまんまじゃあ、メアリーちゃんも、メアリーちゃんのお父ちゃんも、いい方向にはならないんだ」
「わたしも、つ、れてって」
メアリーが、涙を両手で拭って、嗚咽混じりの口調で言う。まっすぐにマリーベルを見たメアリーの瞳には、決意の色が滲んでいた。
あまり考えたくはないが、メアリーが父親に会える最後の機会になってしまうかもしれないのだ。
「わかったわ。一緒に行きましょう」
手袋をはめた手を差し出すと、メアリーはその手をムギュッときつく握った。
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