第15話 小さな女の子の依頼
事務所の扉を開いて外に出る。曇天を見上げながら、「う~ん」と伸びる。
「黒猫さん、おはよう。今日は、午後にでも雨が降りそうだけど、一応お願いしてもいいかしらね」
サーシャさんは、お花の手入れ中だったようだ。
「お安いご用です」
手袋をとって詠唱すると、キラキラと輝く雫を降らせた。
「いつも、ありがとう」
「キラキラ~」
お礼を言うサーシャさんの声とは別に、可愛らしい声が聞こえた。
振り返ると、目を真っ赤にした女の子。ボーッとした顔で立っている。
まだ、10歳にはなっていないと思う。
少し短くなってしまったスカートからは、膝小僧が覗いている。長袖の上着は、季節が早いのではないかと思うくらいの薄さで、寒そうに見えた。
長い間泣き腫らしたかのような顔に、サーシャさんが「あの子、大丈夫かしら?」と顔を曇らせた。
女の子は、マリーベルとサーシャが見ていることも気がつかないくらい、ボーッと放心しているようだった。
マリーベルが、女の子のそばまで行き、目の前にしゃがむ。
「どうしたの?」
マリーベルの顔を見た女の子は、ボロボロと泣き出した。
「えっく、ひっく」
手の甲で涙を拭いながらも、嗚咽が止まらない。
「ここは寒いから、うちの事務所に来ない?」
「そうよ。黒猫さんには、私もいつも助けてもらっているの。おばちゃん、ビスケット持ってきてあげようねぇ」
そう言うと、サーシャさんはお店に戻っていったので、マリーベルは女の子の背中を撫でて落ち着かせる。
「ほら、これを食べて、元気出しなさい。ねっ!」
女の子は、しゃくりあげながらビスケットを受け取った。
「あ、りがっ、とう!」
「どうってことないよ。黒猫さんの事務所で、休ませてもらいな」
事務所に入り、部屋の中を見回してもじもじしていた女の子を、ソファーに座らせる。
ポリポリとビスケットを食べ始めたので、お茶を用意して食べ終わるのを待った。
「お嬢ちゃん、・・・」
「メアリーよ」
胸を反らせて、ツンと名乗る。小さくてもレディであるのが、微笑ましい。
「メアリーちゃん。どうしたの?」
少し無言になって、
「父ちゃんがいないの」
引っ込んでいた涙が再び溢れ、目にたっぷりとためている。
「父ちゃん?」
「そう。父ちゃんがいないと、わたし、ひとりになっちゃう」
顔を歪めて、頬に涙が伝う。
師匠が親代わりのマリーベルは、胸が締め付けられた。師匠に預けられてからというものマリーベルは、どこに行くにも師匠について歩いた。少しでも姿が見えないと、不安で仕方がなかったことを覚えている。
「いつから、いないのかしら?」
「えっく、ひっく、ごはんのあと~」
嗚咽が混じっている。マリーベルのみぞおちも痛くなり、一緒に泣きそうになった。
「えっと、夕御飯の後? かな?」
「うえ~ん」
堰を切ったように、また泣き出してしまった。
頷いているので、夕御飯の後で合っているのだろう。
「よし、よし」と、背中を撫でていると、落ち着いてきたようだ。
「そろそろ、冷めたよ」
もう冷えてしまったお茶を手渡す。
ズズズズーっと音が鳴ってしまい、チラリとマリーベルを見上げると、恥ずかしそうにしている。
嗚咽もおさまってきた。
「ふふ、美味しい?」
メアリーは、カップを上から覗き込んで、嬉しそうに笑う。
「うん! ねぇ、さっきのはなに? キラキラ~ってやつ」
「魔法よ」
「まほう??」
メアリーは、ソファーのうえでピョコピョコと上下しながら、目を輝かせた。
「そう。便利なの。でもね、お姉ちゃん、手袋しているでしょ? 手袋なしでメアリーちゃんに触っちゃうと、バチって痛いの。だから、絶対に、肌には触っちゃダメよ」
マリーベルの顔と手袋をした手を、何度も見比べている。
「へぇ~。でも、おねえちゃんのまほう、すごいね」
キラキラした目でマリーベルを見上げている。
「うん。魔法を使って、お仕事しているの」
「うんと、なんだっけ? クロネコっておしごと?」
サーシャが黒猫さんと呼んだことを、仕事だと思ったようだ。
「事務所の名前よ。黒猫 魔法探偵 事務所っていうの」
「まほーたんてー?」
「困った人のお手伝いをするお仕事をしているの。お手伝いをして、その代わりにお金をもらっているのよ」
メアリーの目の色が変わる。
「ちょっと待って」と、ポシェットをモゾモゾと探ってから、硬貨を一枚取り出した。
「おねえちゃん、これで、お父ちゃんをさがしてください!」
マリーベルは目を丸くする。依頼などなくても、メアリーが落ち着いたら動くつもりだったから。
親と離れてしまうなんて、悲しすぎる。マリーベルも産みの親と過ごせなかった。でも、その理由はわかっているから、無理矢理自分を納得させている。マリーベルが魔法使いだったせいだ。
その代わり、マリーベルには親がわりの師匠がいた。
メアリーは、硬貨をマリーベルの手のひらにぎゅうぎゅうと押し付けて、握らせようとしている。
ビール一杯も買えない硬貨だが、ちゃんと依頼してくれたメアリーの力になってあげたい。
マリーベルは硬貨を握りしめると、メアリーに微笑みかけた。
「承りました」
少しだけキョトンとしてから、徐々に笑顔に変わっていく。
「ありがと~!!」
お礼をいってから、何かにハッと気がついて、悲しそうな顔になる。
「でも、父ちゃん……」
「ん?」
「なんでもない。よろしくお願いします」
メアリーは、父親が家を出てからあまり寝ていないのかもしれない。マリーベルが話を聞いてくれた安心感もあったのだろう。
トロンと眠たそうになってきてしまった。
「あぁ、ちょっと待って! おうちの場所は教えて!」
うつらうつらとしながら、眠たそうな声でポツポツと説明し始める。
「え~っとねぇ、うみのほう~。うみいろのかべに、そらいろのやねって、父ちゃんは、よくいってた。父ちゃんが、とった、せかいいちの、かにが、かかっているの。おねえちゃん、ありがとう」
ムニャムニャと消え入りそうなお礼だったが、マリーベルにはちゃんと届いた。
眠ってしまったメアリーをサーシャさんに預かってもらい、マリーベルは自分の事務所に戻る。
看板の下に『外出中』の札をかけ、扉の内側から魔力鍵をかけると、黒猫に変身して、猫用の扉から外に出た。
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