第14話 事務所に来ませんか?
外に出ると、雲が切れて日の光が差し込んでいた。
警ら隊本部の前の道を、二人で並んで歩く。
「アルバードは、怪しいんだ」
警ら隊の中では、以前から違法薬物の取引が問題になってた。使用や所持での逮捕者がでている。そのほとんどの逮捕者が、アルバードのいない日に、薬物を購入していることに気がついて、警戒していたらしい。
それに加え、今回捕らえられたヘクターは、質問に素直に答えている。取引があった日付も、しっかりとメモしていて、その日付が、アルバードの出張の日付と重なっているらしい。
「だから、あまり近づくな」
「でも、仕事です」
悲しそうな顔をされて、もう少し違う言い方をすればよかったかなと思う。
ハンスクロークは、心配してくれているだけなのだから。
「では、何かあったら、すぐに俺のところに来い」
真面目な声にドキッとした。助けてもらえるのも、気にかけてもらえるのも、嬉しい。それと同時に、自分も力になりたいと思う。
「はい。その代わり、ハンスさんも、私を頼ってくれますか? 困ったときは、・・・」
「お互い様、だろ?」
ハンスクロークの顔を見上げる。
片方の口角だけあげて、ニヤリと笑っていた。
雲が晴れて、日差しが暖かくなってきた。
「ふふ。ハンスさん、今日は私服なんですね~」
ラフなシャツがとても良く似合っている。
「まぁな。休みだったんだ。アルバードが、マリーに接触しているっていうんで、つい、な」
何となく、呼びに行ったのはビルなんじゃないかと思っている。
ハンスクロークは、本当に心配して、休みなのに来てくれたということだ。
「ハンスさん。これから予定はありますか? あっ、でも……、せっかくのお休み、一人でゆっくりしたいとか?? お忙しい人ですし、気にしないでください」
なぜか口から出てしまった言葉に、迷惑だったかもと心配になり、急いで訂正する。
「いや、予定はないんだ」
背の高いハンスクロークが、少し屈んで覗き込んでいるのがわかる。
ハンスクロークの方へ顔を向けると、近距離で目があった。
距離が近すぎるのも、今は気にならない。
「食べ物でも買って、うちに来ませんか?」
「いいのか?」
目を丸くして、探るような視線を感じるのだが、なにを今さらという感じだ。
「何度も来ているではありませんか?」
「そうか。では、お言葉に甘えて」
そういうと、急にマリーベルの背中に腕を回して、軽く引き寄せた。
「ひゃ!」
隣を見上げると、逆の方向を向いて澄ました顔だ。
(やっぱり、距離が近いのよ!!)
「あの、ハンスさん!? ・・・」
「さて、なにを買いにいこうか。マリーはなにが好きなんだ?」
片側にハンスクロークの暖かみを感じて、体温が上がる。
「あの!」
「女の子って、何が好きなんだ?? 肉……より魚?? 野菜? フルーツか!?」
ほとんどの食べ物を言った気がするのだが、そんな不器用な様子にも笑ってしまった。
そっと、マリーベルの背中を押して、屋台の多いところに向かっていく。
人が増えてくると同時に、ハンスクロークに向けられる視線と、心ない噂話が増えてきた。
やはり、早く食べたいものを見つけて、事務所に帰った方がいい。
「私は、なんでも食べますよ。持って帰れるものがいいので、串焼きか、はさみ焼きか、う~ん。あそこの骨付き肉とか?」
美味しそうな匂いに、目移りしてしまう。
「ははは。肉ばかりだな」
ハンスクロークが、笑った。
その笑顔に、釘付けになる。青い瞳に暖かい色を灯していて、笑うと少し目尻が下がる。自然な感じに口角が上がった口許からは白い歯が覗いていて、目を奪われた。
ずっと、その横顔をみていたら、ハンスクロークが不思議そうにマリーベルを覗き込む。
「なんだ?」
「いえ。なんでもありません。確かに、肉ばっかりですね。ふふ。煮込み料理は、持ち帰りにくいですから避けましょう。フルーツは、そのまま買えば、うちで剥けますよ。それから、最後に寄りたいところがあるんです」
「肉は肉でも、サンドイッチにするか」
薄切りのパンに焼き肉が挟んだものや、卵とハムが挟んだもの、揚げものを挟んだものもある。どれも肉と共にたくさんの野菜が挟まっていて、彩りも綺麗だ。
「色々な種類がありますね~。すごい大きいですし」
「どれがいいかな~」と腰を屈めてサンドイッチを選んでいるマリーベルを、ハンスクロークは愛おしそうに見つめていた。
「ははは。ナイフはあるんだろ? いくつか買って、切り分けよう。これなら、冷えても美味しそうだ」
サンドイッチを3種類も買い、オレンジとイチゴを買った。それをもって、カップケーキ屋に向かう。
その道中も、何度もハンスクロークの噂話が聞こえた。
常に心ない噂話に晒されて、辛くないのだろうか。マリーベルではどうすることもできない。せめて、自分といるときくらい、楽しく過ごしてもらえればいいのだが。
マリーベルの大好きな、バニラとバターの香りがしてきた。
可愛らしい見た目の店舗に、少しだけハンスクロークが立ち止まる。
「私のお友だちのお店なんです」
「マリーのか?」
「へ~」っと、外観を見回して、マリーベルにぴったりとくっついて、店舗に踏み入れた。
「いらっしゃいませ~。あらぁ?? マリーじゃない??」
「フローラ。デザートを買いに来たの。おすすめ教えて~」
ショーケースを覗き込むと、ハンスクロークも同じように覗き込む。
「ちょっと、待って!! マリーったら、素敵な彼氏。心配してたのに、ちゃんといい人がいるんじゃない」
フローラは、たれ目がちな瞳を見開いて、マリーベルとハンスクロークを見比べている。
「そんなんじゃないわよ。ハンスさんとは、仕事を通じて知り合ったの。仲は、まぁ、見た通りよ」
フローラが首をかしげると、一つにまとめた髪がフワリと揺れる。
「あら? 見た通りだったら、お付き合いしているんじゃないかってくらいよ」
「そんなんじゃないから」
ハンスクロークの距離感がおかしいだけで、恋人ではない。ハンスクロークにとって友人であれば、嬉しいなとは思っているが。
ショーケースを覗き込むマリーベルを、愛おしそうに見つめるハンスクローク。フローラは、二人を何度も見比べる。
「ふ~ん。でも、ハンスさんって、警ら隊副隊長のハンスクロークさんよね?」
そういうと、ハンスクロークにまっすぐ向く。
「マリーは、ちょっと真面目すぎるところがあるのよね。こんなに一生懸命で可愛らしいのよ。幸せになってもいいと思うじゃない?」
心ない噂話はたくさん出回っていて、情報通のフローラが知らないわけがない。それなのに、マリーベルがつれてきたハンスクロークに悪い感情を向けない。優しい友人に、心の中で感謝する。
「そうだな」
意外にも優しげに目を細めたハンスクロークに、おっとりとした動きで頬に手を当て、「まぁ~」と嬉しそうだ。
「やっぱり、そう思う?? ハンスクロークさんは、マリーのこと・・・」
「変なこと、言わないで~!!」
恋愛話が大好きなフローラのことだ。何となく続く言葉を予想できてしまって、必死で止める。
(私、事務所とはいえ、家に誘っちゃったのよ。はしたないことをした気がするじゃない!?)
「なによぉ~。でも、何があったか教えなさいよね」
マリーベルを肘でつつくと、カップケーキを4つ詰めてくれた。
「今度、感想教えてね。じゃあ、お幸せに~」
笑顔で手を振るフローラの誤解を、解かなければならない。まだ、友人と言える仲にもなっていないのだ。
「だから、そんなんじゃ、ないってば~」
「ありがとう。では、マリー、行こう」
どう訂正したら良いかと思っている間に、ハンスクロークに背中を押される。店から出たマリーベルを見て、フローラは目を細めた。
「ハンスクロークは、マリーベルに惚れているわね。ふふふ」
フローラにからかわれた後に、腰に腕を回されると、本当に意識してしまう。
(誘った手前、家に来るなともいえないし……。魔法使いは、これ以上触れてくることはないから、まぁ、仕方がない……?)
事務所のテーブルに買ってきたものをおいて、奥の居住空間にナイフを取りに行く。魔道具に薬缶をかけて、お茶を入れる準備をする。
マリーベルが皿やお茶を用意するあいだ、事務所のなかを行ったり来たりしていたハンスクロークは、気がつくと本棚の前で立ち止まっていた。
「そんなに古いものを見ても、面白くないですよ」
「確かに古いが、良いものだな。触ってもいいか?」
マリーベルの返事を聞くと、優しい手付きで万年筆を持ち上げた。
「やはり……。消えかけてはいるが、これは王家の紋章ではないか?」
「親代わりの師匠が、政治部に勤めていたんですよ。私を預かる頃には、退職していたと思うんですけど。一人立ちするときに、なにか思い出の品が欲しいとおねだりしたら、それをくれたんです」
マリーベルの大切な物だ。
「消えかけているのに、王家の紋章だってわかるんですね」
師匠も大切にしていたようだが、長年使い込まれていて、よく見なければ紋章であることすらわからない。
「ちょっと古い知り合いがいるものでな」
今は、警ら隊副隊長。昔は軍部にいて、育ての親はその幹部。経歴を考えれば、王家に近い知り合いがいても不思議ではない。
「さぁ、食べよう」
マリーベルを先に座らせると、ハンスクロークは隣に座った。その端正な顔を、盗み見る。
大きなサンドウィッチを取り出して、「それにしても、でかいな」と笑うので、マリーベルはナイフとまな板を引き寄せた。
サンドイッチを切り分けて、フルーツを丁寧に剥いていく。
「うん! これ、美味しい!!」
「だろ?」
自慢げにするので、行きつけなのかと思ったら初めてのお店だったらしい。
「じゃあ、自慢しないでくださいよぉ!」
「俺の見る目は、確かだろ??」
自信たっぷりにマリーベルを見る。
「ふふふ。美味しかったんで、そういうことにしておきましょう」
ハンスクロークは、思ったよりもたくさん食べた。
その食べっぷりに頼もしさを感じてしまい、こんなことにもカッコいいと思ってしまう。
「お茶、温め直してきますね。ちょっと、待って・・」
「ここで、やればいい」
温め直すだけなら魔法を使った方が楽なのだ。ハンスクロークは、詠唱を聞きたくないだろうと思っていたのに、席を立つのを止められてしまった。
「本当にいいのですか?」
嫌な記憶を思い出すのでは??
「あぁ。マリーの声で、詠唱を聞いてみたい」
本人がいいというのであればと、ポットを手に持った。
「恒久のときを巡る 希望と安穏よ
自然の理をまげんため 我が魔力を代償とす
アナーレシの名のもとに 両の手の器の中を温めよ
加熱!」
ポットの中のお茶がコポコポと音を立てた。カップに注ぐと湯気が上がっている。
魔法詠唱で嫌な思いをしなかったかと、ハンスクロークの表情を探るように見るが、口角をあげてニヤリと笑っている。
「マリー、もう一度聞きたい」
思わぬ甘い声に、ドキッとする。
「え? 大丈夫だったのですか?」
「あぁ。マリーの声は和むな」
何をしようかと考えて、フローラの店で買った、カップケーキの箱に目を付けた。
「恒久のときを巡る 希望と安穏よ
自然の理をまげんため 我が魔力を代償とす
エピリオンの名のもとに かの箱を鳥のように宙へ
浮遊!」
フワフワと浮かばせて近づけると、しっかりと手に持った。カップケーキの箱を開けると、シンプルなカップケーキが二つと、新作が二つ入っていた。
「かわいい~」
黄緑色の背景の上に、二匹の黒猫が向かい合って座っている。その間には、赤いハートマークがあり、黒猫が恥じらっているように見えた。
「あぁ、かわいい」
「フローラは、いつも可愛いカップケーキを作るんです」
「ははは」
笑い声に顔をあげると、ハンスクロークはマリーベルをまっすぐ見ていた。
「マリーは、可愛いものと、甘いもの、あと肉が好きなんだな」
「肉は……。まぁ、美味しいと思います。フローラのカップケーキは特別で、甘いものは人並みです。ハンスさんは、何が好きですか?」
「う~ん。なんでも食べるぞ。まぁ、酒はよく飲む。あっ、でも、マリーは酒が苦手だったな」
「嫌いなわけでは……、ただ弱いんです。酔っぱらっていいのなら、飲みたいんですけどね」
独り暮らしをしていると、酩酊するわけにはいかないので、控えてしまうのだ。
「じゃあ、今度、一緒に飲もうか」
本当に弱いのだ。迷惑をかけるかもしれないのに、本気でそう思っているのだろうか?
「赤くなって、大変なんです。それに、変なことを口走ってもいけませんし」
「そんなマリーも見てみたい」
一気に顔が赤くなったのがわかる。
「酒がなくても、……かわいいな」
ハンスクロークを見れば、片方の口角をあげて意地悪そうに笑っている。
お酒を飲まなくても赤くなったのを、からかわれたのだろう。
「からかわないでください!」
「からかっていいのか?」
覗き込むようにマリーベルと目を合わせると、座る位置を寄せてきた。
ハンスクロークの体温を感じ、触れている部分がムズムズする。心臓の鼓動が早くなって、ハンスクロークに聞こえてしまいそうだ。
「もう、からかっているじゃないですか!」
「ははは」
笑っているし! 絶対にからかっている!
「マリー」
心臓が跳ね上がる。甘い声で、名前を呼ばないでほしい。
紅潮した顔でハンスクロークを睨み付けるが、ビックリするくらい優しい顔で見つめていて、驚いて視線をそらす。
「マリー」
「ん~、からかわないでください~」
両手で赤くなった顔を隠す。
ゴン!!ゴン!!ゴン!!ゴン!!
勢いよく扉が開く。マリーベルは慌てて、ハンスクロークから離れるように立ち上がった。
「失礼します!! 黒猫さん!! 副隊長って、どこにいるか・・・。副隊長!! ここにいたんですか~」
一気に不機嫌になったハンスクロークと、怯えながらも連れて帰ろうとするビル。
「やだなぁ~。僕のせいじゃないですからね!! 文句は、犯人に言ってくださいね!」
何か事件があったらしく、ハンスクロークはビルに引っ張られて、渋々といった様子で帰っていった。
ハンスクロークが帰ってからマリーベルは、自分の名前を呼ぶ声を思いだしていた。
(あの男、距離感がおかしいだけじゃ、すまされないわ! 天性の、女たらしなのかしら?? どういうつもりなのよ!?)
ベッドの上で足をジタバタと動かし、「う~」と唸る。いくら頭を振っても、枕に顔を押し付けても、考えることをやめられず、寝付けない夜を過ごした。
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