第10話 水やりと荷運び
事務所の扉を押し開けて外に出る。まだ少し冷たい朝の空気を、思いっきり吸い込んだ。
「ん~!!」
朝の太陽の下で思いっきり伸びをすると、寝起きの頭もスッキリと冴える。
「あら、黒猫さん。おはよう。ちょうどよかったわ」
聞き慣れた声の主は、隣の店舗のサーシャだ。
服のお直しを専門にやっていて、仕事中は心地よいミシンの音をさせている。
「おはようございます」
「もうこの歳になると、腰が痛くって……」
ふくよかな顔を曇らせる。
「任せてください」
「悪いわね~」
サーシャの店の前には、たくさんの植木鉢があり、色とりどりの花が咲いていた。服飾関係のサーシャのお店にぴったりなのだが、店内から水を持ってくるのは重労働だ。
顔を見ると水やりを頼まれて、マリーベルは快く引き受けていた。
「恒久のときを巡る 希望と安穏よ
自然の理を曲げんため 我が魔力を代償とす
ネロフィーノの名のもとに 恵みの雨となりて降り注げ
水雫!!」
キラキラと水滴が降り注ぎ、まんべんなく植木鉢の土が濡れる。
「ありがとう~。本当にすごいわね」
「お安いご用です」
こうやって、頼られるのは嬉しいのだ。
独り暮らしで、事務所の経営も独り。頼られているときだけが、寂しさを感じずにいられるときだ。
空を見上げて、今日やることを考える。久しぶりに、なんの予定もないのだ。
(休みにしちゃおうかしら?)
最近忙しかったことを言い訳にしながら、休業日とするほうに気持ちは傾いていた。
(フローラに会いに行って、カップケーキを買うでしょ。
屋台にいったら、美味しいものを探さないと。
最近、図書館にも行っていないし、お洋服を見に行くのはどうかしら?)
青空を見ながら、うきうきとする。
我ながら良い案だと、鼻歌まで飛び出した。
「おぉ!! 黒猫さん!! 今日、仕事は??」
屈強な男が息を切らせて走ってきた。まだ寒いというのに、額にうっすら汗をかいている。
(仕事は……)
「特にありませんよ」
笑顔をみせると、彼は両手を胸の前で合わせた。
「頼む! 手伝ってくれ! 一人怪我しちまって、どうにもならないんだ」
海沿いの倉庫で働くゴードンだ。荷運びのリーダーをやっている。大変な仕事なので、怪我をしたり、体を痛めたりと、急に欠員が出て、人手が足りなくなることはよくあることだ。
すると、手伝ってくれる人に声をかけて回る。候補は何人かいるのだが、そのうちの一人がマリーベルだ。
(本当は出掛けようと思っていたけれど、誰かと約束しているわけではないし……)
「まかせて!」
心の中を悟られないように、思いっきり笑顔を作る。
頼られるのは嬉しい。それに、断って嫌われてしまうのが怖かった。
事務所の看板に、『昼に戻ります』の札をかけると、ゴードンのあとに続いた。
「いつも悪いな~。黒猫さんが来ると、あいつら張りきって、いつもの倍、仕事すんだよ」
倍はいいすぎだと思う。それより、足を引っ張っていないか心配なくらいだ。
バラバラと待っていた荷運びを集めると、今日の仕事を確認していく。船で持ち込まれた荷物を、倉庫に運び込むようだ。
「黒猫さんが来てくれたからよぉ~。お前ら、困っていたら教えてやってくれ。早く終わらせるぞ~!!」
ゴードンは仲間を鼓舞する。
「おぉぉ!!」
野太い声が答えた。
マリーベルは、荷運びの活気に笑顔がこぼれる。
親と疎遠なマリーベルにとって、地域の人と関わる時間が、人の暖かさを感じられる唯一の時間だ。
荷運びの様子を見て、ホッと胸を撫で下ろした。
(お出掛けはやめたけど、よかったわ)
師匠に預けられてから、親とは一度も会っていない。魔法使いだとわかり、魔力が暴走し始めて、手に終えなくなったのが5歳ごろ。師匠に預けられてから、15年以上たっている。はっきり言って、どんな人達だったのか、あまり記憶に残っていない。マリーベルにとって、親同然なのは、魔法を教えてくれた師匠である。
師匠も魔法使い。政治部で働いていた元官僚で、厳しい人だった。でも、優しい人。マリーベルに必要な技術を教え込むと同時に、何かと工夫して愛情を示してくれた。
魔法使いの人数は圧倒的に少ない。親が魔法使いではないことが普通だ。子供が魔法使いとして生まれると、扱いに困るのだろう。一緒に暮らせないことが多い。聞いても答えてくれなかったが、師匠も小さな頃、寂しい思いをしていたのかもしれない。
変身魔法を教えてくれてのも師匠だが、師匠が変身魔法を使えたわけではない。それでも、女性が一人で生きていくためには、他の人ができない強みが必要だと考えたらしい。
まずは黒猫を好きになり、よく観察して、姿形を詳細にイメージできるところからだ。少しでもイメージがボヤけていると、異形のものになってしまう。どこで見つけてきたのか、黒猫を拾ってきて、マリーベルが毛の一本一本までイメージできるまで励まし続けた。そのあとも、変身魔法が成功するまで、何度も何度も練習に付き合ってくれたのだ。
そのおかげで、魔法探偵として一人立ちできている。
「黒猫さん。無理しなくていいですからね」
「いえ、いえ。頑張りますよ!」
安心させるように微笑みかけると、小さく拳をあげて気合いをいれた。
はずした手袋をポケットに突っ込み、詠唱を始める。
「恒久のときを巡る 希望と安穏よ
自然の理を曲げんため 我が魔力を代償とす
エピリオンの名のもとに かの箱を鳥のように宙へ
浮遊!!」
マリーベルの魔力が荷物を包み込んで、浮かび上がらせる。
「おぉ!」
「小柄な黒猫さんが、あれを運んじゃうんだからな~」
「いつ見てもすげぇや」
大男が抱えて運ぶ大きさの箱を、魔法で浮かせたマリーベルに、称賛の声がかかる。
浮かせた箱から目を離さずに、歩き始めた。
「黒猫さん、あっちです!」
「足元、気を付けてください」
「あぁ、あの上で大丈夫っすよ」
何人もの荷運びが、マリーベルの後を手ぶらでついてきた。
「おい! お前ら、仕事しろ!!」
「へいへい!」
「ふふふ」
自然と笑いが込み上げる。
頼られている。必要とされている。それが嬉しかった。
「あと、ちょっと! 昼前に終わらせるぞ!! 黒猫さんは、もう大丈夫だ。本当に助かったよ。あいつが、明日には動けるようになっているといいんだが」
「大丈夫です。いつでも手伝いますよ。困ったときは、お互い様ですから」
「ははは。黒猫さん、ありがとよ」
少しばかりの給金をもらい、倉庫で働く人々に手を振って帰路についた。
ゴードンはしきりに感謝してくれるが、感謝したいのはマリーベルの方だ。皆が優しく声をかけてくれる。必要としてくれるので、寂しいと思わずに生きていられる。
友人もたくさんいるわけではなく、家族もいない。恋人など作れないマリーベルにとって、どんな小さな事でも頼られるということが嬉しいことなのだ。
(お出掛けは、別の機会ね)
魔力が減って重たくなった体とは逆に、軽くなった心で事務所に戻っていった。
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