第9話 副隊長補佐

 ぼくと副隊長の出会いは、九年ほど前に遡る。副隊長がまだ軍部にいたとき、ぼくはまだ、13歳だったと思う。


 軍部は、その特性上、魔法使いが多い組織だ。

 副隊長は巨大な魔力のせいで、幼い頃から軍部で生活していた。家の貧しさから、ぼくが軍部に預けられたときには、国の英雄として一目置かれる存在だった。

 

 農家出身で子供のぼくが、気性が荒くプライドも高い軍人の組織で上手くやれるわけもなく、執拗な嫌がらせをされていた。

 このときも、若手の軍人三人に、掃除のバケツを蹴ってひっくり返された。


「ひゃひゃ、はははは。いい様だ」

「お前、掃除すんの遅いんじゃねぇ~。早くやれよ」

「こ~んなに、汚しちゃって」

「早くしろよ!! ほら、先輩が通るぞ!!」

「魔力、ないんだろ? 掃除するくらいしか、能がないんだからよぉ~」

「あぁ、そうだった。俺らの盾になってくれるんだよな」


 こいつらの言っていることは正しい。魔力を持たなくても軍部にいるのは、騎馬兵か歩兵。

 後ろから、魔法で攻撃するこいつらに比べれると、命の危険が高い。

 英雄ハンスクロークが、戦争を終わらせてくれていて、本当によかった。


「おい! 誰か来る!!逃げろ!!」

「やべぇ~!!」


 あいつらの逃げ足は早い。告げ口しても、子供のぼくが何をいっても聞いて貰えない。それをわかっていて、執拗な嫌がらせをしてくる。




「こりゃ、派手にやらかしたな」

 まだ幼さが残っているものの、端正な顔つきで長身。成人前だというのに威厳すら感じる、ハンスクロークだ。国の偉い人からの覚えもよく、育ての親も軍の幹部。同じ軍部にいても、ビルとはまったく立場が違う。

「ちょっと躓いてしまって、すぐに片付けます」

 変に言い訳をしたり告げ口をすれば、もっとひどい目に遭わされると、いままでの経験で知っている。ヘラヘラ笑って、やり過ごすのが一番。

「そうか。ちょっと続けていろ」

 ハンスクロークが、怒鳴るわけでもなく居なくなったことにホッとした。

 雑巾ですいとり、バケツの上で絞る。もう一度、もう一度。いつまでたっても、床に広がった水は減る気配がしない。


 そろそろ、他の人に見つかって、どやされる。


「待たせたな」

 ハンスクロークが、大量の乾いた雑巾をもって現れた。

「え? えぇ?」

「は? 驚いてる場合じゃねぇ~。早くやるぞ」


 乾いた雑巾の威力も然ることながら、ハンスクロークが手伝ってくれたのが大きかったのだろう。他の隊員に見つかることなく、掃除を終わらせることができた。


「雑巾の場所、知っていたんですね」

 ハンスクロークは、少し考えるよう首を捻った。

「物心ついたときには、ここにいたんだ。小さい頃は、随分、大暴れしたからな」

 聞きたいような、聞きたくないような……。

「お前、掃除は終わったのか?」

「もう、お仕舞いにします」

 完璧とは言い難いが、バケツをひっくり返された後で、掃除を続ける気にはなれなかった。ハンスクロークは怒るかと思ったが、片側の口角をあげて、ニヤリと笑う。

「それなら、ちょっと鍛練に付き合え。暇なんだ」


 暇だから、鍛練……。なんて真面目な人なんだ……。しかも、笑っているし。


 軍人は、娯楽にカードゲームやテーブルゲームをしている。そして、お酒を飲みながら甘味を食べて、タバコをふかす。

 鍛練の時間以外は、自由時間。この平和な時代、お腹の出ている軍人も多かった。


 鍛練場に向かったあとは、一緒に素振りをした。ハンスクロークは手合わせをしたかったようだが、あまりにもぼくが弱くて相手にならなかった。青年時代の2歳の差は大きく、さらにぼくは軍部にきたばかり。幼い頃から軍部にいるハンスクロークの、練習相手にもなれなかった。




 こんな出会いでもなければ、既に英雄だった副隊長と親しくなろうなどと思わなかった。バケツを蹴ったやつには、感謝してやろうと思っている。


 副隊長は、その時には魔法が使えなかった。

 後で聞いた話では、床にこぼれた水くらい、魔法でなんとかなるらしい。


 魔法の暴発で、敵兵500人を焼き殺したときの凄惨な光景が、副隊長の心に影を落としてしまったらしい。詠唱を始めると、その時の光景が鮮明に頭に浮かび、上手く魔法を発動できなくなってしまうとか。

 しかも副隊長は、魔法が使えないことを、ずっと気にしている。


 殺した人数が多いとはいえ敵兵だし、それによって戦争を終わらせて、自国民を守ったのだから、胸を張ったっていいはずだ。

 それなのに副隊長は、自責の念に囚われている。しかも、魔法が使えなくなってしまったことでも、さらに自分を責めているのだから、もっと気楽に考えればいいのにと思ってしまう。


 魔法が使えなくなってしまった副隊長を、警ら部に推薦してくれたのは、副隊長の育ての親と、国の偉い人だ。ありがたいことに、ぼくも一緒に移動することができた。英雄としての恩赦もあり、いきなり警ら隊の班長に就任すると、いくつもの難事件を解決し、副隊長に昇格したのだ。

 副隊長の心の中には、育ての親と偉い人への感謝の気持ちがあって、がむしゃらに頑張っているのだと思うが、少し頑張りすぎな気もする。





 夕暮れの冷たい風にふと顔を上げ、誰もいない副隊長室を見回す。

(副隊長、黒猫さんと上手くやっているといいんだけど)


 今日は、黒猫さんに確認しなくてはいけないことがあった。罪を認めているへクターの、証言が正しいのか、裏取りも兼ねている。


 本来なら、部下の仕事だ。それをわかっていて、ビルはハンスクロークに譲った。


 何故って??

 話を聞くのが、黒猫魔法探偵事務所のマリーベルだからだ。


 副隊長がマリーベルに恋心を抱いているということは、うちの班では、誰でも知る事実。あの優しい笑顔が好きなんだろうと、皆で噂していることは、副隊長には内緒だ。


 黒猫さんは、あどけなさの残る美人だ。華やかな笑顔に、目が引き付けられる。それでいて、真面目で優しい。依頼人に親身に寄り添う姿を、何度も目撃している。

 依頼人に付き添って警ら部に来ることもあり、黒猫さんのファンになっている隊員もいるほどだ。いや、黒猫さんに恋心を抱く不埒な奴とでも言えばいいだろうか。副隊長の邪魔だけは、しないでもらいたい。


 巡回中、黒猫魔法探偵事務所の前を通って、看板の下の札を見ることは欠かせない。『営業中』の札がかかっていたら、黒猫さんは事務所にいる。理由がないのに、事務所に行くわけにはいかない。『外出中』になっていれば、どこかで会える可能性がある。黒猫さんを見つけたとき、少しだけ嬉しそうな顔をするのが、ぼくら副隊長付きのちょっとした喜びなのだ。


 副隊長は、ぼくたちに気づかれていないつもりだったらしい。

 あんなにわかりやすく行動していて、気づかれないってどうして思えたんだろう?


「ふふふふふ」

 誰もいない副隊長室で、笑い声を漏らす。


 少しでも接点が多い方がいいだろうと思って、なにげなく話を振ってみた。

「黒猫さんに話を聞いた方がいいと思うんですけど、副隊長、今日って暇ですか?」

 副隊長は、鼻歌でも飛び出そうなくらい上機嫌に、軽快な足取りで警ら隊本部を出ていった。

 ビルはといえば、副隊長の代わりに自分でもできる仕事を片付けているところだ。


 書類を確認して、籠に入れる。この籠は、黒猫さんが入っていたものだ。そのまま副隊長室で使っている。


 黒猫さんを捕まえていたときには、本当に驚いた。黒猫さんに濡れ衣がかからないようにと思ったのだろうが、首根っこを掴んで捕まえたというのだから、思わず黙ってしまった。

 副隊長は、「つい…」と言っていたが、力尽くで捕まえたりするから、その優しさが黒猫さんには伝わらないんだ。






 副隊長室の扉が、ノックもなく無造作に開かれた。

 こんなことをするのは、副隊長以外にはいない。

 副隊長の袖を引っ張って、部屋に入ってきたのは黒猫さんだった。


「副隊長!! どうしたんですか? 黒猫さんに送ってもらったんですか??」

「あぁ、そうなるな。実は、今日もダメだった」


 そのブスッとした表情から、「魔法を使おうとしたけれど、今日もダメだった」という意味だとわかる。

 黒猫さんが、心配そうな顔のまま小さく会釈をして、部屋から出ていった。扉の閉まるカチャリという音が、無情に響く。


 副隊長にしてみれば、カッコ悪いところを黒猫さんに見せてしまったのだろう。しかし、魔法が使えないことは、知っておいてもらった方がいいのではないか?


 副隊長が、黒猫さんの明るさと優しさに引かれているなら、尚更だ。

 接する時間が長ければ、いつかは、ばれてしまうのだから。

 しかも、黒猫さんは魔法使い。普通の人であれば、魔法でできないと誤魔化せることでも、黒猫さんには誤魔化せない。

 それなら、先に伝えておいた方がいい。


「魔法が上手く使えないって、言えばいいじゃないですか?」

「それは、無理だ」

 思った通りの即答に、ぼくも負けじと言い返す。

「何でですか?? 黒猫さんなら、わかってくれますって」

「嫌だ」


「黒猫さん、魔法使いなんですから、いつかはばれちゃいますよ。ばれるよりは、自分でいった方が、いいんじゃないですか?」

「まぁ、そうなんだが……」

(なんとか、説得できるかも!)


「黒猫さんは優しいんで、大丈夫ですよ」

「無理だ」

(あぁ、今回は、一旦引いておいた方がいいかな……)

 そっと、近づいてくる副隊長。


「もう!!・・・・ 副隊長~??」

 ぼくの服の裾を引っ張って、ベタッとくっつき、肩に頭を載せてくる。

「ビル~!!」


 あぁ、昨日から気を張っていたから、疲れたのだろう。


 副隊長の魔力と、ぼくは少しだけ相性が良い。まったく反発しないというわけではないのだが、服を着ていれば大丈夫だ。

 逆にぼく以外の人は、副隊長の膨大な魔力により、服を着ていようが、手袋をしていようが反発を防ぐことができない。だから、副隊長の身の回りのことは、ぼくがすることになっている。


 腕をつかんで引き寄せられる。腹に腕を回わし、ベタベタとくっついてくる副隊長に、ぼくはされるがまま。

「副隊長、ぼくに甘えないでください……」

 普段気を張っている反動なのだろうと思っているが、副隊長は、急にベタベタと甘えてくる。

「ビルしか甘えられないだろ?」


「黒猫さん、触れましたよね??」

 沈黙しているので、考えているのだろうか?


「さすがに、嫌われたくない……」


 たしかに、抱きつくのは、早い気がする。


 副隊長に甘えられるのは、嫌いではない。むしろ、副隊長にとって自分が特別だということに、優越感を感じるくらいだ。ただ、ビルにとってハンスクロークは、一番大切な人物。ハンスクロークの幸せを願うのは、当たり前だ。

 体の大きな副隊長に抱きつかれながら、副隊長が黒猫さんと仲良くなることを祈っていた。

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