第8話 立ち聞きしてしまった

「マリーは、酒を飲まないと思っていたのだがな」

 尾行中、ビールを飲んだことに驚かれてしまった。

「普段はあまり飲みませんね。あまり強くないので」

「それなのに、飲み屋に一人でいったのか?」

「まぁ、それは尾行中のことですから」

 飲み屋のなかで、女性と会っているかもしれない。外からでは、わからないこともある。

「でも、危ないんじゃないか? 昨日も、男に声をかけられたんだろ?」

 不機嫌そうに鼻をならすが、マリーベルにとっては仕事のためだ。ハンスクロークが不機嫌になる必要はない。

「大丈夫です。魔力が反発して、逃げていきましたから」

 飲み屋で声をかけてくるなんて、下心がほとんどだろう。魔力が反発する魔法使いでは、その下心は満たせないはずだ。

「ん~。そうだがな、あまり一人では飲み屋に行かないでくれ」

 わざわざ言われなくても、お酒には弱いのだ。そうそう一人では行かないだろう。

「ハンスさんにも、捕まってしまいましたしね」

 努めて明るく、笑い飛ばした。

 酔っていなければ、もう少し早くに異常を察知して逃げられたかもしれない。

「それについては、逃げなくて正解だ。マリーがいた理由を話してあるから、問題ない」

 下手に逃げなくて、よかったということだろうか。


 昨日もそうだが、ハンスクロークは仕事ができる。部下への指示も的確でわかりやすい。取引現場に居合わせてしまったマリーベルのために、色々と手を回してくれたのだろう。

 皆が噂するほど、悪い人ではないのだ。



 話しているうちに、屋台の多い場所に来ていた。

 夕飯どきは、軽食を売る店が賑わうのだが、今は野菜や肉を売っている店を、買い物かごを持った女性が覗き込んでいた。


「きゃあ~!! 泥棒!!」

 鋭い悲鳴が上がる。

 女性のバックを引ったくろうとしている男が、荷物を抱えて逃走しようとしていた。女性の方は、バックの持ち手を必死でつかんで、踏ん張っている。


 警ら隊の制服を着ているハンスクロークに、視線が集まった。拘束魔法は、警ら隊にのみ許可された特別な魔法だ。国の英雄ならば、魔法で捕まえてくれる。そんな雰囲気が漂う。


 ハンスクロークは手袋をはずし、詠唱を始めた。

「恒久のときを巡る 希望と安穏・・・」


 昨日聞いた魔法詠唱と同じ声。たしか昨日も、魔法詠唱は途切れて、そのあと続くことはなかった。


 嫌な予感がして、マリーベルも手袋をはずす。


 女性は抵抗を続けていたが、ついに転んでしまった。

 群衆にどよめきが起きる。ハンスクロークに向かって「早く!」と怒鳴り声が飛んできた。


 詠唱が途中で止まるには、なにか理由がある?


 たしか、昨日は、違う声がフォローしていた。あの少し高い声は、ビルのものだと思う。ビルであれば、何か知っている・・・。


 そんなこと考えている時間はない。

 助けないと!!


「恒久のときを巡る 希望と安穏よ」


 男が、バックをつかんで走り出す。少しでも人の少ない方へ走り出したのだろう。マリーベルの方へ向かって来た。


「自然の理をまげんため 我が魔力を代償とす」


 魔力が放出され、男が逃げている道に細く立ち上る。


「アナーレシの名のもとに かの男の行く手を阻む柱となれ


 火炎!!」


「ぅわぁ!!」

 目の前に高さのある火柱がたち、男は前髪を焦がして、尻餅をついた。

 次の瞬間には火柱は消滅し、近くの店の親父が男に覆い被さった。周りにいた人で押さえつけ、バックを取り上げると、巡回していた警ら隊を呼んできた。


 引ったくり犯は、警ら隊につれていかれた。


「やっぱり、ハンスクロークは冷たい人だね。私たち庶民にことなんて、どうでもいいと思っているんだよ」

「俺らに使う、魔力はないってか」

「噂通り、冷酷無情だな。血も涙もないよ」


 ハンスクロークの方をチラチラと見ながら、聞こえるように話している。マリーベルは手袋をはめると、ハンスクロークの袖を引っ張った。

「行きましょう」

 どこへ行けばいいのかわからなかったが、ハンスクロークは捜査の途中だったはず。仕事中なのだろう。

 眉根を寄せて不機嫌そうに顔を歪めているのを、放っておくわけにもいかず、警ら隊本部まで送ってきた。


 抵抗しながらズルズルと引きずられている引ったくり犯と、ちょうど同じ時間についてしまい、

「この尼が!!」

と、怒鳴られる。


 それまで呆然としていたハンスクロークが、マリーベルを自分の方へ引き寄せて、引ったくり犯から隠すようにしてくれた。


「大丈夫ですか?」

「あぁ、すまない」

「お仕事中ですよね」

「ビルがいる」

 部屋のドアを無造作に開けた。昨日は気がつかなかったが、魔力鍵はついていないようだ。

 魔力鍵は、魔力で開け締めができ、鍵を持ち歩かなくていいので大変便利なのだが。


 ハンスクロークは、魔力がない??


 そんなことはないはず。先の戦争を終わらせたとき、極大魔法を放ったらしいのだ。


 それが嘘?? いや、まさか……。


 魔力がないなら、手袋はしなくてもいい。


 では、どうして……。


「副隊長!! どうしたんですか? 黒猫さんに送ってもらったんですか??」

「あぁ、そうなるな。実は、今日もダメだった」


 「今日もダメだった」昨日もそう言っていた。

 込み入った話になりそうだったので、小さく頭を下げて、扉を閉める。


 ため息をついた。

 ハンスクロークの秘密に触れてしまいそうで、これ以上立ち入ってはいけないと思ったのだ。

 それでも、気になる。その場を動く気になれずに、扉の前に立ったままでいた。


「魔法が上手く使えないって、言えばいいじゃないですか!?」

 部屋の中からのビルの声に、凍りつく。


 魔法が使えない??

 極大魔法で戦争を終わらせた、国の英雄が??


 魔力がないのなら、側近であるはずのビルは、そんな言い方をしないはず。


 かならず途中で止まる、魔法詠唱。魔力鍵を使わないのも、設定に詠唱が必要だから?


 何故??


 魔法詠唱ができない??

 魔法を使うには、詠唱しながらも、起こることを鮮明にイメージする必要がある。


 どうして……?


(いや、これ以上考えない方がいい。大変な事実……なのだから)


 聞いてしまったことを隠したくて、足音を立てないように、その場を後にした。

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