第7話 飲み屋で聴取
魔法使いなのに距離を詰めてくる男のことを、考えていたからだろうか。事務所の扉に、色気漂う長身の男が、寄りかかっている。
声をかけようかと、回りをウロウロしている女性が目に入った。
ハンスクロークは、先の戦争を終わらせた英雄だ。魔法使いだと誰でも知っている。さらにあの見た目。多少冷たいと言われていても、運命の人であれば、特別になれると思うのだろう。
ハンスクロークはといえば、そんな状況を気にしていないのか、腕を組んで、目を閉じている。帽子からはみ出した明るい茶髪が、暖かくなってきた風で揺れていた。
(えっと。あれは、うちに用事があるのよね……)
面倒事の予感しかしない。
(逃げ出せれば、どんなにいいだろうか……)
声をかける気になれずに立ち止まっていると、ついにウロウロしていた女性が声をかけた。
煩わしそうに顔を上げたハンスクロークと、ばっちり目があった。
「あぁ、マリーが帰ってきたようだから、失礼する」
(愛称……。わざとよね? ものすごい睨まれてしまったのだけれど……)
気づかれない程度に息を吐き出す。
「お待たせしました」
魔力鍵を開けてハンスクロークを招き入れる。扉を閉めて振り替えると、ガツッと腕を掴まれた。
「いつから、あそこにいた?」
マリーベルが、戻ってきているのに気づいていたらしい。
目元を細めて、マリーベルを見下ろしている。
「さっきの女性が、勇気を出して声をかけそうでしたので」
睨んでいるようなので、視線を逸らす。
「そんなの、待つ必要はないだろ? 俺は・・・」
「はぁああああぁ!!!」
ハンスクロークの向こう側。依頼人の話を聞くためのソファーの上。そこに、黒猫の抱き枕が、ドンと鎮座していた。
変身魔法を練習していたマリーベルのために、師匠が買ってくれた思い出の抱き枕。しかし、小さい頃に買ってもらったもののため、ヘナヘナになり薄汚れていた。
到底、男性に見せられるものではない。
ハンスクロークを押しやり、抱き枕を抱えると居住スペースに抱えて入り、ベッドの上において一息ついた。
朝御飯を食べる暇もないくらいだったので、戻すのを忘れていたのだ。
事務所の方へ戻り、笑顔を張り付けて取り繕う。
「失礼しました。今日は、何か、御依頼ですか?」
ソファーを示し座るように促すと、ハンスクロークは小さく首を振った。
「いや、捜査に協力してもらいたくてな」
「昨日、話したことで、全てですが」
困った顔を作ってみせても、ハンスクロークは小さく笑うだけ。
「実際に、飲み屋で説明を聞きたい。困ったときは、お互い様だろ?」
ニヤリと意地悪そうに口角をあげる。
困っているようには見えないが、マリーベルが自分で言った言葉を引用されたら、嫌だとは言えない。ただでさえ、頼まれたら断れない質なのに。
「ここから尾行を始めました」
昨日の夕方、日が暮れ始めるころのことだ。
へクターは、まっすぐに飲み屋に向かったのだ。
その道を辿っていると、大きな荷物を担いだ通行人がこちらに向かってきた。マリーベルは、歩調を緩め、ハンスクロークの後ろに入ってやり過ごそうとしたのだが、ハンスクロークの腕が、肩に回って引き寄せられた。
「マリー、こっちにいろ」
(愛称呼びは、さっきの女性に聞かせるためじゃなかったのかしら? それに、やっぱり、この男、距離が近いのよ!)
「ハンスクロークさん。やたらと触れるものではありません。特に、魔法使いは」
勇気を出して指摘してみれば、意地悪そうにニヤリと笑う。
「ハンスだ」
一瞬何を言われたのか、わからなかった。
「へ?」
「だから、ハンスと呼べ」
片方の口角だけ上げて笑っている。
これは、しばらく名前を呼ばない方がいい。そう思って無言で歩いていると、
「呼んでくれないのか?」
そう言われると、断れない。
(ちょっと、呼ぶだけよ。たいしたことじゃないわ)
「ハ、ハンスさん?」
声が裏返り、顔が真っ赤になっていく。ハンスクロークにとって、愛称呼びなどたいした意味はないのだろうと、自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、意識してしまう。
「あぁ。そう呼んでくれ」
じっと見つめられて、心の奥まで見透かされそうだ。
(触れることについては、はぐらかされてしまったわ)
「あの飲み屋です」
開店時間前なのに、ハンスクロークはズカズカと入っていく。
「まだ、お店、開いていませんよ」
マリーベルの忠告も聞かずに、テーブルを拭いていた給仕に声をかけた。
「捜査に協力してくれ」
顔を上げた給仕は、ハンスクロークの服装を見て警ら隊と理解したらしい。その後で、マリーベルの顔を見た。
「あぁ、あんた。何かあったのかい? あんた、若くて可愛いのに、一人でうちの店に来てただろ? うちみたいなとこは、素行の悪い客もいるからねぇ。心配してたんだよ。でも、途中で声をかけた兄ちゃんは、自分で追い払っていただろぉ? 店を出て、後でもつけられたかい?」
給仕のおばさんは、クルクルとよく変わる表情で、豪快に話す。
「いえ。そんなこと、ありません」
カウンターの目立つところに座ったが、そんなに覚えられているとは思わなかった。
「じゃあ、どうしたんだい? 男の多い店だけど、あんたみたいな娘に来てもらったら、嬉しいからねぇ。口に合ったらいいんだけど」
「とっても、美味しかったです」
仕事じゃなければ、もう少し頼みたかったくらいには。
「そうかい! それはうれしいねぇ~。また来ておくれよ!」
おばさんは、テーブルを拭く作業を再開した。
「ウ、ヴン!! そろそろ、いいか?」
ハンスクロークが咳払いをした。
「あぁ、隊員さん。捜査ってなんだい? お嬢ちゃん関係じゃないんだろ?」
今までいることをすっかり忘れていたかのように、驚いて作業の手を止める。
面倒そうに、白いエプロンについた汚れを気にしている。
「昨日、マリーが見かけた男のことで聞きたいことがあるんだ。違法薬物を取引していた男が、取引前にここの店に寄っていたんでな」
エプロンをいじっていた手が止まった。
「えぇぇ~!! うちは、何にも知らないさ!!」
大仰に大声を出したので、厨房から料理人が出てきてしまった。
取引されていたものが、違法薬物だったことはマリーベルにも初耳だった。おばさんは大慌てで、料理人もハンスクロークに鋭い視線を向けていた。
マリーベルの事務所周辺でもそうだが、商店街では、違法薬物に気を付けるようにと、警ら隊が啓発して回っていた。関わっていると不味いと思ったのだろう。
「店が関わっているとは、一言も言っていない。マリーがどこに座っていて、へクターがどこに座っていったか教えてくれ」
尾行していた相手のことだ。詳細に覚えていた。マリーベルの話を聞いているうちに、給仕のおばさんもヘクターのことを思い出したようだ。
「話していた男の特徴ねぇ~。背が高めで細身。いい男だったと思うよ。黒っぽい髪だったと思うけど、注文することなく、帰っちまったんだよね」
その後もいくつか質問をして、飲み屋を後にした。
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