第6話 指輪とカップケーキ
意識的に口角を引き上げ、作り物の表情を張り付ける。気合を入れて、ドアノッカーを叩いた。
招き入れられた部屋には、ローズの香りが染み付いている。
「早く見つけてもらって、助かったわ~。明日までに戻ってこなかったら、どうしようかと思っていたのよ」
香りのよい紅茶を出してくれたのだが、マリーベルは軽く礼を言うと、口をつけることなく本題に入った。
「御依頼の指輪は、こちらで間違いございませんか?」
ハンカチにくるまれた指輪を取りだし、テーブルの上にのせる。身を乗り出して、指輪を確認したエリアナは、嬉しそうな声をあげた。
「そうよ! これよぉ~。本当に助かったわ」
緑色の石を光に透かして見ると、嬉しそうに自分の指にはめる。そして、ホッとしたように息をついた。
失くしたものを探し出してもらった場合、どこで見つけたのかが、気になるものではないだろうか。今までの依頼主は、どこで見つけたのか必ずといって聞いてきたのだが、エリアナは気にしていない様子だ。
(きっと、落とした場所をわかっているのだわ)
「これがないと、あの人ったら、ものすごく、心配するのよ」
惚けているような、自慢しているような、なんともいえない雰囲気が漂った。
「あの人、魔法使いでしょ~。私のことが、本当に、本当に、大切みたいでね。心配しすぎてしまうから、困ってしまうのよ。家から出してもらえなくなるのは、嫌でしょう~。美味しいものも綺麗な家もいいけれど、外に出られないなんて息がつまるじゃない?」
頬を染めて照れながらも、眉尻を下げて同意を求めてくるエリアナ。マリーベルは、指輪を送った御主人の気持ちを考えてしまい、返事に困ってしまった。
魔法使いの御主人にとってエリアナは、魔力の相性があう特別な女性なのだろう。マリーベルがそんな人には一生出会えないだろうと思っているほど、特別な人だ。
特別だからこそ、常に気にかけていて、何かがおかしいと思ったのだろう。浮気を疑われていたからこそ、必要以上に心配された。
何ともいえない、モヤモヤした気持ちを悟られないように、視線を合わせず曖昧に微笑んだ。
「魔法探偵って、本当に優秀なのね。確認だけど、この依頼については、秘密にしてくれるのよね?」
捜索して欲しいと言われた場所は、エリアナの浮気相手の家に程近い。魔法という不思議な力があるマリーベルであれば、探し当てる距離だと思われたのかもしれない。
浮気のことには全く触れずに、指輪を探し出すことができる。マリーベルには守秘義務があるので、夫に知られることはない。マリーベルにだって、たまたま抱き合う二人を目撃しなければ、真相はわからなかったのだ。
「もちろんです」
しっかりと断定したマリーベルに、エリアナは満足そうに頷いた。
守秘義務は絶対。ハンスクロークに睨まれても、口を割らないほどだ。
「よかったわ。指輪も戻ってきたし、これで安心ね」
曖昧に微笑んだまま、エリアナの家を後にした。
浮気の片棒を担いだようで気分はよくないが、探偵業などをしていれば、こんなこともあるだろう。
それに、この浮気はばれてしまうのだから。
よく見なければわからないようになっていたが、あの指輪には魔力を感じた。マリーベルが魔法使いだからわかったような微弱なものだが、何かの魔道具だったのだと思っている。あの小ささでは複雑な仕掛けはないと思うが、それでもエリアナの行動を不審に思って持たせたものなのだろう。明日、出張から帰ってくる御主人が指輪を見たら、今回のことが問題になる可能性は高い。
(まぁ、私には関係ないのよね)
魔法探偵としては、頼まれたことをやるだけだ。余計なことは考えないようにと、自分に言い聞かせて意識を切り替えた。
甘い匂いが漂ってきて、お腹が空腹を訴え始める。
昨日、魔力切れを起こしたうえ、眠るのが遅くなってしまったマリーベルは、いつも通りに起きられず、朝食を抜いてしまった。ピンクや水色などの淡い色の可愛らしい店が視界に入り、目元が綻ぶ。
優しくて甘い香りが、この店のオーナーの人柄を表しているようで、何かと足を運んでしまう。嫌な仕事を片付けたばかりなのも、店に来たくなった理由だろう。フラフラと、招かれるように店に入ると、バニラとバターの匂いに包まれた。
「あぁ、美味しそ~」
「あら? マリー?? こんな時間に珍しいわね」
おっとりとした声に、嫌な気持ちが
「事務所に戻るところなの。朝御飯、抜いちゃったから、なにか食べさせて~」
マリーベルの数少ない友人の一人であるフローラだ。店が近く、年も近いので自然と仲良くなった。カップケーキ屋を開いている。
「新作よ」
店内の片隅に一つだけ設けられた席に、可愛らしいカップケーキを運んでくる。マリーベルのために設けられたかのような席だ。
春を感じさせるピンク色の背景に、黒猫が斜め上を見て座っている。その視線の先にある赤いハートが、鮮やかだ。
「かわいい~!」
「でしょ~。やっぱり、モチーフはマリーよね」
こういう事を堂々と言ってしまえるところが、マリーベルと友人でいられる所以だろう。
「うっ……。普通の黒猫でしょ~」
こんな可愛らしい黒猫が、マリーベルであるとは思えない。恋を象徴する、ハートマークなどもっての他。
魔法使いのマリーベルには、素敵な出会いなど期待できないのだから。
「私からしたら、黒猫と言えばマリーよ! マリーと言えば、黒猫よね!」
満面の笑みで、拳まで握っている。一つにまとめた髪が、フワフワと揺れた。
その一言は訂正しておかねばと思ったものの、空腹に耐えかねてカップケーキにかぶり付いた後だった。
カップケーキを口に詰めたままモゴモゴ言っているマリーベルに「美味しい?」と何度も聞いてくる。
中には甘酸っぱいベリーのソースが入っていた。
「美味しい~」
「そうよね~。今回は、劇を参考に、恋の始まりをテーマにしたのよ」
垂れ気味の大きな瞳を、嬉しそうに細める。
フローラは、最近流行りの劇に夢中になっていた。魔法使いの恋愛を描いたものらしい。
「運命の人を見つけて、一途に愛しあうっていうのが、素敵だったのよ」
赤く染めた頬に手を当てて、トロンとした瞳で宙を見ている。
「そう簡単に、運命の人なんて、見つからないけどね~」
運命の人とは、魔力的に相性のいい人のことで、劇中の言葉だ。
足をプラプラさせながら、カップケーキに夢中になっているマリーベルを、可愛らしく睨み付ける。
「あら、そんなこと言わないの! マリーにだって、見つかるかもしれないじゃない」
「そんな簡単じゃないって~。それに、私が見つけても男女逆でしょ。男性が魔法使いじゃないと、あの話は成り立たないんだから」
魔法使いの男性の運命の人だとわかり、優しく囲われて、溺愛される物語。巷の女性は、魔法使いの彼氏を作ろうと、必死になっているらしい。
マリーベルが運命の人を見つけても、逃げられないように、必死に尽くす未来しか想像できない。
「じゃあ、マリーには、魔法使い同士の、『触れられない恋』がいいわよね」
と、胸の当たりを押さえて、夢見る乙女の表情だ。
『触れられない恋』とは、魔法使い同士の恋人が、魔力の相性が悪くても、手袋をして手を繋いだり、厚手の服を着た上から抱き合ったりと、工夫をしながら一生を添い遂げる話だ。
「どっちの台詞も素敵よね~」
「もう! そういうフローラはどうなのよ??」
魔法使いだからって、マリーベルのことばっかりからかうのだ。たまにはフローラの恋愛だって聞いてみたい。
「わ、私~?? 今のところ、魔法使いの知り合いは、マリーだけよ」
「えぇ? 魔法使い限定??」
「そうよ。憧れるじゃない」
そんな夢見がちなところも可愛くて好きなのだが、フローラはマリーベルと違って魔法使いではないのだから、普通に幸せになってもらいたい。
「まぁ、いいけど。あと二つ買ってもいい??」
料金を払うと、一つおまけしてくれた。マリーベルの手袋をはめた手を、両手で挟み込むようにしてお釣りを渡してくれる。
フローラはこうやって、マリーベルに触れてくる。魔法使いのマリーベルには、これくらいグイグイきてもらわないと、自分から距離を詰めるのは難しい。ありがたい友人だった。
(そういえば、魔法使いなのに距離を詰めてくる男がいたわね。冷酷無情って言われているのに、思っていたほど冷たい人じゃなかったのよね)
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