第5話 困ったときは、お互い様
軽快に走っていた馬車が、場所を確かめるように速度を落とし、ゆっくりと止まった。ハンスクロークが出ていった扉に向かって、大きなため息をはく。
道中、馬車の中は二人きり。どちらも口を開くことはなく、重苦しい空気が支配していた。小さな窓は閉じられていて、外を見ることは叶わないが、どこにいるのか予測ができてしまう。
どうやったら、依頼人を特定できるのだろうか。
どんな常識外れの手段を使ったのだと、腹を立てていると、馬車の扉が開かれて、緊張感のないくりっとした瞳が覗いた。
「黒猫さん、体調、どうですか?」
抱き上げようとするハンスクロークを拒否して、ヨロヨロと馬車に乗り込んだ。わざわざ抱き上げなくとも、逃げも隠れもしないのに。
「えぇ。まぁ、何とか」
ビルは、「よかった~」と目を細めた。
少しでいいから彼の愛嬌を、ハンスクロークに分けてくれないだろうか。
「副隊長、ああ見えて優しいんで、辛いときは頼ってくださいね」
どこが? と言いかけて、寸前のところで飲み込んだ。
「今回のことだって、全面的に副隊長を頼っていいんですよ。
あの取引は、ぼくたちがずっと追っていた事件なんです。明るくなったら魔力検査をするはずなんで、そこで黒猫さんの魔力が発見されて大騒ぎになるよりも、先に事情を話しておいた方がいいんですよ」
大型犬かと思うような人懐こい笑顔につられて、マリーベルも笑顔になる。
「あっ! やっと笑ってくれた。副隊長が味方なんですから、心配することはありませんからね」
味方というよりも、要注意人物として警戒されているようだったけれど。
「おい! 何をコソコソと話している?」
中途半端に開けた扉の隙間から顔だけ突っ込んでいるビルは、小さく飛び上がった。
「ヤダなぁ~。副隊長~。ぼくが、邪魔するわけないじゃないですか~。副隊長が頼りになるって話をしてたんですよ~」
「ふん。どうだか」
「もう! 黒猫さん、連れていくんじゃないんですか!」
「あぁ、そうだ。降りろ!」
有無を言わせない言葉とは裏腹に、手を差し出してくれる。手袋をしていないマリーベルは、敢えてその手はとらない。
ハンスクロークは、ただ差し出しただけになってしまった手を見つめて、握ったり開いたりを繰り返した。
「ふん! こっちだ」
「ここは……」
へクターの家。アンナの家でもある。
やはり、何らかの方法で依頼人を特定していたようだ。
「警ら隊は、大変優秀なのですね。どのような方法を、使ったのでしょうか?」
マリーベルの皮肉に、ハンスクロークは眉をあげる。
「魔法探偵が尾行していたとすれば、家族からの依頼と考えるのが普通だ。今日捕らえたのは、二人。片方は身元の裏取りが出来ていない。家族がいない可能性が高い。それに比べて、へクターは家族がいることが判明している。十中八九、へクターの家族が依頼人だと推測したまでのこと」
言われてみれば、単純なことだった。
「上がれるか?」
目的地は、集合住宅の二階。体調が万全ではないマリーベルを気遣ってくれるハンスクロークは、ビルが言うように優しいのかもしれない。
「大丈夫です」
手すりに体重を預けながら上るマリーベルを、心配そうに見ている。なんとか上りきった先のドアノッカーをたたくと、勢いよく扉が開けられた。
「あぁ、何ていうこと。こんなことになるとは思わなかったの。黒猫さん、ごめんなさい。大変な目にあわせてしまって」
口に手を当てて、痛々しいものでも見るように、マリーベルに対して涙を浮かべた。怪我でもしていると勘違いしているのかもしれない。隣に冷酷無情のハンスクロークがいるので、暴力でも受けたと思われているのかも……。
涙ぐんで頭を下げるアンナを、安心させようと微笑んだ。
「アンナさん。大丈夫です。ただの魔力切れですから。警ら隊の皆さんには、良くしてもらいました」
皆さんというほどの人数にお世話になったわけではないが、アンナを安心させるには十分な言葉だったようだ。
アンナは、数回、呼吸を繰り返した。先程よりは落ち着いて、もう一度謝った。
「黒猫さん。こんなことに巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。もちろんお代はお支払いたします。それから、今回のことは、警ら隊にお話ししてください」
この言質をとるために、わざわざここまで来たのだろう。満足そうにハンスクロークが頷いた。
マリーベルは、胸の前で両手を握る。
青白い顔をして視線をさ迷わせるアンナが、心配でたまらない。犯罪者になってしまった夫を待ち続けるのも、別れて一人でやっていくのも、若くないアンナにとっては棘の道だ。
マリーベルは一歩近づき、じっと見つめて視線が合うまで待った。
「アンナさん。いつでも頼ってくださいね」
安心させるように、微笑みかけた。
「でも、今回のことで、黒猫さんには、ご迷惑をかけてしまったわけですし」
「困ったときは、お互い様です。これも、何かの縁ですから」
「話をしているところすまないが、そろそろいいか?」
ハンスクロークの不機嫌そうな声が割り込んできた。
「えぇ、そうでした。黒猫さんの体調も、万全ではないのでしたよね」
「ヘクターのことは、警ら隊からの連絡を待て。では、失礼する」
マリーベルにも、早くしろと言わんばかりだ。
手すりに掴まりながら、慎重に階段を降りていると、フワリと横抱きにされた。
「遅い」
そんなに急ぐ必要は、ないと思うのだが。
もしかしたら、体調の悪いマリーベルを気づかってくれたのだろうか。思い返せば、ハンスクロークの言葉はぶっきらぼうだが、態度は優しい。
チラリとハンスクロークを、上目遣いに見る。真剣な顔で前だけを見ている青い瞳が綺麗で、実際のハンスクロークは、冷酷無情と言われるほど冷たい人ではないのかもしれない。
それとも、マリーベルの考えすぎだろうか。
しかし、誰にでも親しくするのは、魔法使いとして、やめておいた方がいいと思う。
「ハンスクロークさんは、魔法使いでしたよね? 魔力が反発するといけないので、あまり近づかないでいただけますか?」
「ふん! 大丈夫だっただろ?」
床にしゃがみこんでいるマリーベルを、ソファーに座らせてくれたときのことだろうか。
たしかに大丈夫だったが、それとこれとは別。こんなに他人に近づいたのは、幼い頃、育て親である師匠に抱き締められたときくらいだ。心臓が、びっくりするくらい、早く動いている。
馬車につくと、ビルが開けてくれた扉を
「副隊長。黒猫さん、送っていきますよね??」
「あぁ、店の前まで頼む。その間に、話を聞かせてくれ」
ハンスクロークの声色が、少しだけ優しくなった気がした。
もう、黙っている必要はない。浮気調査のために、ヘクターの仕事場から尾行し始めたこと。飲み屋に入ったが、ヘクターが話したのは、細身の男性のみだったこと。飲み屋を出てから、倉庫まで尾行したことを話した。
事件に関係することはないと思ったのだが、途中でハンスクロークは、顎に手を当てて「ん?」と呟いた。
馬車が止まって扉が開けられると、マリーベルの事務所の前だった。
レンガ造りの建物には三軒の店が入っている。マリーベルの事務所は、一番左。
『御用命は、黒猫魔法探偵事務所まで』の看板の下に、『だたいま、外出中』の札が揺れている。
「送っていただき、ありがとうございました」
頭を下げて事務所に戻ろうとするマリーベルの腕を、ハンスクロークが掴んだ。
驚いてビクッと飛び上がると、捕まれている力が緩んだ。
「あの、その、いや、すまない」
心臓が驚くほど早く、鼓動している。横抱きされたときの体温を思い出してしまい、顔が赤くなる予感がした。
「失礼します」
魔力鍵を開け、営業が終了したことを伝える札に掛け変えると、事務所に入って扉を閉めた。奥にある居住空間までたどり着くと、思いっきりベッドに飛び込んだ。
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