第5話 美少女と難民キャンプ

 はじめの徴候はカジノ船で酒を口にするようになった点で、つぎに私の中国人が経営する常宿に旅装を解くことがあった、別の部屋ではあるが。私は女性関係には奥手であった。


 その日の夜、運転はジューンとの交替だったので、それほど疲れていなかった。


 近くの市場でパックブンという朝顔の茎のような炒め物と、トムカーカイという鶏のココナッツ鍋をたべて、二人でビールをのんだ。


 三つ目の決定的なライン越えは、ジューンが米酒を注文したときだったと思う。お互いの色々な警戒ラインがさがっていたのだ。


 翌朝、のんだ量にしては軽い宿酔で目ざめると、ジューンはすでに帰盤の準備をしていた。盤谷はバンコクの中華読みである。


 バンコクという呼び名は、インドのカルカッタやボンベイが、コルカタやムンバイにもどったように、もともと英語圏の名称だ。


 もともとはバーンという家や村落を示すタイ語に、マーンコックというオリーブの樹が多かったという程度の意味だ。正式名は天使の都という意味のクルンテープからはじまる長いなまえがある。


 我々の帰盤の準備は調達した銃器の保護からはじまる。


 ルガーやスミスアンドウェッソンの美品を綿のわたにくるみ、プチプチしている英語ではショックアブソーバーという緩衝材をいれ、スターチと呼んでいた小麦粉状のもので隙間をうめる。スターチはまたタイへの視覚的また法的な目くらましだった。


 視覚的には不測の事態で官憲へ荷物の中身をみせるように言われたときに、カンボジア国境からのでんぷん粉の行商人と主張するためで、法的にはトムがおそらく架空の会社をつくってカンボジアからやたらと高いスターチを買ったことにしているのだろう。


 バックパックを背負ってすこし笑いあった。


 彼女との関係はそのとき一度だけだった。気まぐれだったのか、保険の一種だったのかはわからない。


 私はまた新しいユージをスカウトし、ホテル暮らしにもどった。トムは忙しそうで、理由なく私に当たることがふえた。


 トムのイライラはこの頃、陸軍が彼のビジネスをそっくり取ろうとしているのが原因のようだった。


 陸軍といっても左官級や尉官級ではなく、国境警備の部隊の下士官が目をつけた。国境とは、日本のように海に囲まれた島国以外では、陸続きでかなり長い。警備の手薄なところはたくさんある、というより警備がちゃんとしている場所のほうがすくない。そして国境警備兵はどこが手薄かは自分の匙かげんできまる。


「どうもカンボジアからの荷物がすくない」


 トムは行きつけの日本食レストランで刺身定食のあとでつぶやいた。


「アランヤプラテートがあやしい気がする」


 私たちは国境警備を避けるためにわざわざ南のハートレックで海からカンボジアに入っているが、バンコクから最短のカンボジア国境のアランヤプラテートで商品が手に入ればいうことはない。


 アランヤプラテートは「国土の果て」といったひどい意味の郡部で、カンボジア側の町はポイペットだ。ハートレックとちがい、内陸の国ざかいだ。


「おぬし、ジューンとノックと見にいってくれんか」


「ノックもですか」


「ジューンはベトナム人やからな」


「ノックもそうでしょう」


「パスポートのことや、あほ」


 ノックは日本人とも結婚しているが、タイ国籍も取得しているのだ。おなじカンボジア内戦のベトナム難民の子として育ったが、ノックはカオサン通りで住民登録もしているくらいタイになじんでいた。


 私もノックはずっとタイ人だと思っていた、訛りも私の耳にはわからなかった。


 出発は二日後だそうだ。私は急速に面倒なことに巻きこまれていると自覚した。


 一年まえにはじめてカンボジア人の入国を違法と知って手助けしたときや、ハートレックでジョーイとよんでいた少女と国境越えをしたときは、まだどこか自分を俯瞰でみているようなひとごとの気分があった。


 それは人間関係の面倒くささだとおもう。日本の高校生だったころは男子校ということもあって、濃密なけだるさが友人とのあいだにあった。海外に出て、すっきりリセットしたつもりが、どうやら人間との関係がふかまると、なんにせよ面倒なことになる。


 カオサンから出発することになった。私とジューンは前日からノックのゲストハウスに泊った。部屋はユージが責められていた南の角部屋だった。ツインのベッドの窓側に私は荷物をといた。なんだか気恥ずかしく私たちは早めの夕食にでた。


 一年ぶりのカオサンはよくもわるくも同じだった。物売りの声は大きく、我が物顔の白人、するどい目をした一部の人たちが一帯を占拠していた。


 物売りや白人はいつも通り私たちのほうががよけたが、一部の人たちには目礼をもらうようになった。私が知っている、または私を知っている人より、ジューンの交際のほうが広かった。明らかな私服警官と、制服の警官にも顔がつないであった。またマフィアの手先にもアイコンタクトをしていた。


 食事はタイスキにした、観光客が好むメニューであるが、それまであまりちゃんと食べたことがなかった。ジューンもこ洒落た店は慣れていなかったが、写真で取りあえずひと通り注文し、氷を入れたジョッキのビールで乾杯した。


 目で労いあってひと息にのむ、ジューンは半分までいった。


 すこしロリータ趣味の制服の女店員が唐辛子ほかのセットをもってくる。鍋に火が点けられて、出汁がわりとたっぷり入れられる。そこからが忙しい。野菜がくる、キノコがくる、魚と豚と牛肉、鶏のつくねが同時にくる。イカがあったりもする。


 それらをはじめはキノコからなどとやっているが、途中からどうでもよくなりごった煮になる。このスープがうまい。スープで酒をのむという不思議なことになる。唐辛子や生姜もどんどん入れていく。


 顔を汗が滝のようにという使い古された表現がおもわずでてしまうほどに流れる。


 しかし私もジューンもカオサンの貧乏旅行者のような、古びたTシャツに短パン、サンダルだったので、ドレスコードのあるホテルで会うときとちがい、シャツの肩で汗をふき、二の腕で口をぬぐった。


 ジューンは襟足を刈りあげるくらいの短髪で、男からみて色気のある男娼のような雰囲気だった。おそらく店員にはゲイのカップルとみられていたろう。私も当時は今より十キロやせていて、みためもましだったかと。


 女店員が残った鍋の汁に溶き卵とごはんをまぜて雑炊をつくっているときにジューンが、


「お前はいつまでタイにいるつもりなのか」


と訊いた。タイ語だったが、非難のかんじのある言葉づかいだった。


「いや、とうぶんいるつもりだけど」


と返すと、彼女は大げさな溜め息をついてみせた。


「お前はここにいる人間じゃない」


 ジューンは言った。自分は小学校しか出ていない、タイ語でセンという上流とのコネクションもない。しかしお前は日本に生まれて、ただのモラトリアムでタイにいる。


「それは無駄なことだ」


 英語に切り替えて断言した。私はうろたえた、そんなことを言われたのにおどろいた。


「しかしトムもここで成功しているし」


 私が言うとジューンは話にならないといった体で首をふった。声を抑えて、


「いいか、お前はいつでも切られるしっぽの先なんだよ」


 トムはいつでもお前を切れる、何だったら今回の交渉がうまくいかなかったら責任をとらされる。そこでジューンは私の手をとり、


「やめるなら今だ、日本に帰れ」


と言った。これで話はおわりとちょうどできていた雑炊に手をのばした。女店員は英語の会話はわからなかったろう。雑炊の味は絶品だった。


 帰り道は徒歩だが、ジューンが私の上腕に自然に彼女の腕をうしろからからめてきた。筋肉質だが、一度知ったからだなので上気した。


 私は彼女の真意をはかっていた、ほんとうに心配しているのか、更に保険をかけようとしているのか、あるいはその中間か。当時はわからなかったが、人は、特にその中の女性は二律背反を受容することがある。


 ゲストハウスにもどるとノックが人待ち顔だった。ジューンはそのまま一階のノックの部屋へいき、私のツインにもどったのは夜明けちかかった。うすい眠りのなかで静かに這入ってきたジューンはきつい女のにおいがした。私はノックの黒い肌と、ジューンの白い肌が蛇のようにからまるすがたをみて夢精した。


 車はセダンだった、しかも運転手つき、しかしこの運転手が口止めされているようでなにも発言しないことが至上命題と考えているらしかった。


 しぜんわれわれの会話もすくなくなり、私はウォークマンで音楽を聴いていた。


 そのころ好きだったのは、ユーミン、サザン、ブルーハーツだ。洋楽も訊きはじめていた、ホテルのケーブルテレビのMTVやチャンネルVはかるいカルチャーショックだった。


 パタヤで一度目の休憩、朝食をとる。私たちはおなじホテルのカフェに誘ったが、運転手は固辞した。


 私とジューンはアメリカンブレックファスト、ノックはコンチネンタルブレックファストにした。


 サンルーフの下の道路に面したわりといい席に案内されたのは私たちの外見によるのだろう、みな交渉にふさわしい恰好でカオサンをでていた。


 私はノーネクタイだがサマースーツで、ノックとジューンも薄手だが、カチッとしたツーピースだ。


 二人とも体の線がでるピチッとしたスカートで、ホモセクシュアルやバイセクシャル、この二人は後者だが、これらの人たちはヘテロの人にくらべて、逆に自分の性の売りかたを知っている。


 ブレックファストは戒律をやぶることが語源で、前日の夕食からの断食を朝に絶つという意味だ。


 コンチネンタルの反対はおそらく本来はアメリカンではなくイギリスだろう、彼等の自国至上の感覚は、荒天で船がでないときに欧州がイギリスから孤立したと冗談にしても言える国柄にあらわれる。


 しかしここでのコンチネンタルはアメリカンとの対比で火を通さない冷たい質素という意味だ。シリアルにスープ、果物がつけばラッキーくらい。アメリカンは卵料理やベーコンかハムがついて、主食もトーストになる。


 それでも値段はあまりかわらない、席料がほとんどと考えるべきなのだ。


 私はスクランブルエッグにベーコン、ジューンは目玉焼きにハムをたべた、ノックは果物とシリアルについていた牛乳くらいをのんで私とジューンの旺盛な食欲をながめていた。


「あなたたち、よく朝からそんなに入るわね」


「喰わないとからだが持たないからな」


 ジューンが食後にバナナをかぶりながら言う。私は食後のコーヒーに二つ砂糖をいれた。


 それから国境までも、昔のピックアップトラックの荷台とおおきくちがって、運転手もついている快適なT社のセダンでのんびりとすすんだ。まるでこれから島のリゾートへ行くかのようだった、実際はタイ陸軍と無謀な交渉へ行くのだったが。


 私はビジネスバッグの出し入れしやすいところにコルトガバメントを入れていた。オートマチックで一番信用できる拳銃のひとつだ、替えの弾倉もふたつ、これはバッグの底に入れた。


 またサマースーツの下の長袖シャツはあえてワンサイズ大きめで、そのまた下に防刃ベストを着用していた。


 ノックとジューンもそれなりの準備はしているだろうが、いざ荒いことになったときには性別だけでかなりの不利を背負うだろう。それは力でもそうだし、失うものの感覚的価値というのも男である私には分らない恐怖があるだろうが、彼女たちは私より立派だった。


 アランヤプラテートまでは早かった。泰カンボジア国境は南北に長いが、私たちは職務上、最南端のハートレック、訳すと小さな浜という海の国境から出入りしていた。


 ハートレックへは県道をタイ湾の海岸線沿いにずらずらと行かなければいけなかったが、アランヤプラテートには立派な片側二車線の国道がとおっている。しかしハートレックに行くときのようなみずみずしい緑の樹々は沿道になく、赤茶けた地肌がでているところがあったりする。


 私は眠ってはいなかったが、薄目をあけてなるべく体力の温存につとめた。後部座席の女性たちも静かだ。


 愛想は良いがとても無口という運転手の鏡のような色の黒い小男は、ボーコーソーと略されるアランヤプラテートの中央バス乗り場に似つかわしくない高級セダンを乗りつけた。うやうやしく我々の荷物を手わたし、お役御免とばかりに帰っていった。


 ボーコーソーは、セントラルバスステーションのタイ語の頭文字をならべた呼びかたで、英語の通じない地方でそのちかくの一番大きなバスターミナルに行きたいときに便利な言葉だ。


 バンコクは東西南北のターミナルにそれぞれ分れている、この終着駅を行き先にする方法は、パリの北駅、南駅にもみられるがきわめて合理的である。


 ただしフランスやタイのように中央集権に合っているのかもとおもう、ドイツや日本のように第二、第三都市以下が発達した国々はやはりなになに本線というどこを走っているか明確な呼び名が分りやすい。


 それはさておき、この国境のボーコーソーは一応ぜんたいは鉄でできているが、ところどころ木材や萱のぶぶんもあるといったところだ。


 いきなり冷房と低音の効いたカーステレオからFM放送の流れる空間から、まだ正午まえだが元気な太陽と、ディーゼル規制など聞いたこともないといった車の騒音のなかに投げだされて、我々はすこしのあいだ呆然とした。


 すぐに回復したノックがサムローをとめた、サムローは三輪車、動力はバイクのエンジン、横はオープンエアで、天井はしんばりの鉄以外は布製だ、布といっても石油製品だが。


 ボーコーソーの周りには木造というより木製といった商店街になっている、地震のすくない国は住居がらくだ。ふとん屋、自転車屋、薬屋がある。商店街もバス停から放射状にひろがっている、こんなところも大陸的だ。


 当時はすこし街から出るとあとは土くれの道だった。私たちは暑さとほこりっぽさにへきえきしたような顔をしていたが、みなよい気分だったとおもう。


 街で二番目に大きなホテルに投宿した。


 ラウンジがあり冷房も効いている。私が日本のジューンはベトナムの、ノックはタイのパスポートでチェックインする。


 正式に記録を残しておくことは最悪トムが私たちのあとをたどれる、もっとわるいばあいは警察や大使館にしかるべき連絡が行くためだ。続柄はジューンが私の婚約者、ノックは親戚とした。


 ノックはシングルの部屋を取ったので、私とジューンのツインにすぐに来た。


 携帯電話もノートPCも一般化されていなかったので、頼りはホテルの電話だ。安全で確実な通信ができるというのもホテルの価値だった。


 早速ノックが事務机にノートくらいの大きさの手帳をおいて、矢継ぎ早に電話をかける。タイ語や、丁寧というより慇懃無礼なくらいに上手な英語をつかっていた。私は窓ぎわの自分のベッドに腰かけ、ジューンは事務机のちかくのベッドから電話に耳を澄ませていた。


 こういうときに窓がわのベッドをとったり、レストランで奥に女性を座らせるのは、レディーファーストというより、男女の場合うごきやすい場所に男がいることが実戦的に重要だとトムに教わっていた。


 電話は長びいていた、私はスーツを脱いでシャツのボタンをもう一つあけた。


 ノックの電話は交渉相手をさがすためだった、私たちはここまで来てだれが相手か分っていなかった。


 陸軍の駐屯地や地元の警察、あやしげな筋のかたがたに問合せをいれてしばらく電話が黙ったところに、内線電話がはいった、内線ということは私たちがこのホテルにいる確認のためにフロントを通したので、決定的な情報がもたらされた。


 その情報で我々のカウンターパートが、日本語でなんというのか匪賊とか軍閥ということが分って、角部屋で街道に面した明媚なツインのちょっと良い部屋の空気を、あからさまに暗くした。


 ジューンが額を掻きながらため息をつく。


「まあ、言われるまま行くしかないだろう」


 先方はとにかくアランヤプラテートから北、つまり内陸がわに来いということだ。


 その周辺は国境が確定していないくらいの場所もあり、ベトナム戦争とそれにつづくカンボジア内戦の地雷の撤去もすすんでいない。


 相手がタイ陸軍やタイのイミグレーションオフィサーくらいだったら、いくらでも交渉の余地がある。これはあくまでも当時の話で現在の綱紀粛正がすすんだタイ国には失礼な表現であるが。


「行くならはやめに出よう」


 私が提案した。まだ日は高い、昼食はとれないが、今日のうちに距離をすすめるのが得策とおもった。相手にはもう我々の場所は把握されている、むだに時間を過ごすべきでなかった。


 いったん着替える必要があったが、ノックがあっさりと自室に帰ったので、ジューンとおなじ部屋でラフな格好にかえた。私は防刃ベストをバックパックにいれて、唐草模様の麻の開襟シャツをきた。


 ジューンは八十年代のアメリカロックの歌手の厚ぼったいTシャツでメイクを落として中性的にしてある。下で落ちあったノックもやぼったい厚手の服に身をつつんでいる。


 フロントに私とジューンのツインと、ノックのシングルの鍵をあずける。ホテル従業員の窃盗をふせぐために鍵はあずけないほうがいいとするガイドブックもあるが、外国でなにか不測の事態に陥ったときに頼りになるのは宿泊記録だ。


 私がバックパックを背負い、ジューンとノックは大きめなショルダーバッグをななめがけにしていた。行商人の兄弟と妹ふうにしたつもりだが、ノックの美しさは鄙ではまれだった。


 私たちはボーコーソーまであるいていった。すぐに額に汗が吹きだす、途中でコーラを買ってのんだ。コーラはかち割り氷といっしょにビニール袋に入れられ、ストローでのむ形式だった。


 バス駅につくと、私とジューンはベンチにすわり、ノックがあちこちの関係者たちに話してまわるのをぼーっとみていた。


 関係者はバスの運転手や車掌、駅亭など公的な人などで、周りにいる三輪タクシーや、ソンテウという日本語でふた列の椅子の意味のピックアップの荷台を向き合いに二列にわけた改造バスの運転手、そこらへんの物売りやトイレの掃除人にまでたずねまわっていた。内陸部の事情を知っているものから出来るだけ情報を集めているのだ。


「お前はなんできたんだ」


 ジューンに訊かれて、


「なんとなくだけどこっちのほうがおもしろそうだったから」


 そっけなく応える。ジューンは鼻で嗤い、


「お前はヘンな日本人だな」


 いままでよりタイ語の日本人の単語にやさしさがはいった。


 額に汗の玉をしたたらさせたノックがもどる。


「見つかった、はやく支度しろよ、トイレにもいっとけ」


 ノックはそう言ってもうトイレのほうに歩きはじめる、私とジューンはゆっくりと男性便所にむかった。ジューンは個室に、私は朝顔で用をたす。トイレにはおばさんの番人がいて、入るときに5バーツはらう。


 顔を洗っていると、ジューンが鏡を瞬間にらんで先に出ていった。


 ノックが見つけてきたのは、古い日本製のセダンだった。ひと昔まえならば中小企業の社長が好みそうな、角ばったデザインで給油タンクが大きく車室も広い。


 そのかわり燃費は最悪だろう、リッター7キロも出れば上々だ。運転手は小柄だが、ここまでのタイの運転手とちがい、上半身の筋肉がよく発達しているクメール人だ。


 サカナの腐ったような眼をしていて、運転はあらかった。助手席はここにくわしいノック、私とジューンは後部座席だ。


「ここがホームだよ」


 クルマが赤茶けた人工的な平地を左にみたときジューンがつぶやいた。


 私は大げさな表現では、絶句した。ジューンは私と同じ生年、ノックは二つ三つ上だったが、彼女たちがここにあった難民キャンプで少女時代をすごしたのだ。私がゲームであそんでいたころに。


 その赤茶けた土地はサッカーのトーナメントができるか、野球の総当り戦もできそうな広さだった。ここに一面の菜の花、ではなく難民キャンプがあったのをおもうには私は平和になれすぎていた。


 

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