第6話 カンボジアの老人
クメール人の運転手は、国境までのタイ人運転手のように後部座席の快適性などは考慮しなかったので、皆でだまって耐えていた。
道は山にさしかかる、セダンは後輪駆動だが、土くれの登り坂をけなげにのぼる。
タイの国内を走っていたころの濃い緑はきえて、茶色い土肌がでた山間の道路だ。
ジューンが私の掌をとった、思いがけず手汗でしめっていた。それで私はかえって冷静になれた。
クルマはときどき賑わったところをとおる、おそらく定期路線バスの駅なのだろう。道の両側に屋台が数軒でているだけのバス停もある。
そんな集落と言ったほうがよい村をこえて、目的地の町についたのはもう夕景だった。
町の中心あたりで駐車して運転手は、
「鍵をかけてなかで待ってろ」
と言いおいて外にでた。あたりの雰囲気はタイの東方、カンボジアの西方というあきらかにクメール文化の影響がつよかった。
タイではその国を象の顔に見立てて、向かって右耳の東北地方をイサーンとよぶ。この言葉は中央出身者からは若干の侮蔑がつつまれることがある。
しかし私はイサーンとひとくちに言っても、タイ文化がつよい地域とクメール地域ではいっしょに語ることができないちがいがあるとおもう。
町が位置しているのは国境上はタイかカンボジアかなら後者で、クメールの雰囲気が漂っていた。
日の暮れる方角とここまでの山道の蛇行の時間から頭の地図上に現在地をさぐる。
アランヤプラテートからどれくらい離れているかは分りにくかったが、北東の山地だとおもう。カンボジアからみれば北西のこのあたりは、国境線もあってないような山岳とジャングルで、タイとカンボジアどちらの司法権もおよんでいないような気配がある。
司法権がおよばないと、義務がなくなにをしてもいい代わりに、なにをされてもかまわないという意味で、人権も保障されない。
私たちは車のなかでもう一度着替えた、服装は半フォーマルで足元はがっちりと固めた。
運転手がもどってきて、手まねきする。車から出るとむあっとする南国の空気が身をつつむが、その中に高度のたかい地域の風もふくまれている。
すこしはなれた路地に、また日本製のこんどはしかしピックアップ改造型の、まえにトムの下ではたらいていたころを思いだす四駆が駐まっていた。
荷台に三人で乗って顔を見まわす、ノックはまだ緊張感があるが、ジューンはあきらかに情況をたのしむ余裕がでていた。私の顔は二人にどう見えたのだろう。
サカナの腐った目の運転手が、このソンテウという車の運転手に行き先を指示している。ジューンが私に、
「住所じゃなくて住人の名前で言っているぞ」
と耳うちした。郵便制度よりたしかな土地割りが主人の苗字なのだろう。
ここからの運転手は赤銅色の肌の、つまり色が黒く、小柄な男だ。わかった、わかったというように面倒くさげに首をふる。Tシャツからでている上腕と裾を切ったジーパンの先の下腿の筋肉が発達しているのがわかる。彼が夜の山道で気をかえたら、フィジカルでは勝負にならない。
ピックアップなのだが小柄な彼はのぼるように運転席にすわり、ここまでの運転手に手をふるというより追いはらうようなしぐさをした。あたらしい車のエンジンはいい音をだした、四駆なので当然だが、セダンの後部座席の振動より腹にきた。
私たちはこれからながい旅程でも大丈夫なようにお互いに自分のからだを鞄といっしょにだいて目をつぶっていたが、三十分ていどでよく運転手が道の横にとめてあたりの民家に場所を訊くようになった。
車が駐まると、アイドリングのエンジンの音を差し引いても圧倒的な静寂があった。エンジンの音を圧するウシガエルの鳴き声はするが、人工的な音はピックアップの駆動機だけだ。
また駐車するときはロービームにするので暗闇もあった。荷台から平行に視線をおくって星がみえる。
高い建物がなく地上の光源もないと星がここまであかるいのかとおもう。
やがてソンテウは一軒の屋敷のまえについた、運転手が門番と言いあう。私たちはそこでおろされた。
屋敷といってもバンコクの金持ちの屋敷よりはそうとう簡素だ。周囲の柵も木製で、家自体も木組みでできている。しかしこの暗さと文明の距離からするとおごそかな様子にみえなくもない。
門番がなかの従者に引きつぎ私たちは居間に案内された。意外にも洋風のリビングだ。男ばかり十人ほど、一番若くて三十代で年をとっているほうはちょっと推測がむずかしい。紫外線のつよい地域では老けるのがはやい。三十代とみた男もひょっとしたらもっと若いかもしれない。
コの字のテーブルで、小さい辺にはえらそうな老人、奥のながい辺に壮年の男たち、私たちはその対面の入り口にちかいほうの席があたえられた。
執事がお猪口のようなガラスのグラスに氷と透明な酒をそそぐ。老人がグラスをささげてなにか言った。
「この機会に祝福を」
とジューンが訳してくれた。
私は心からビールが飲みたかったが、その酒をあおった。米の蒸留酒だった、胃が灼けるがなんでもないように装った。
それが一巡つづいた、次の男が老人の健康に祝杯し、またその次は答礼をするといったように四、五杯をのまされた。
それから卓上の料理をすすめられた。煮物や炒め物、ピクルスにもち米がならんでいる。一人ずつに取り分けの皿とスプーン、フォークがある。
スープがはこばれてくる、一見して蛙だとわかった、足が特徴的である。いやがらせではなく歓待のしるしだ、我慢してたべる。イサーンに旅行したときに免疫ができていたが、生前のお姿を想像すると積極的にたべたい食材ではない。上澄みをおおく啜ってお茶をにごす。
煮物や炒め物もどんどん自分の皿に盛ってたべる。パックブンという中国語で空心菜のからく炒めたのがうまい、この野菜は消化に難点があるのだが。
ビールもでてきて、猪の仔の丸焼きがきた。ずっしりしたのが二匹、腹びらきで長老のまえにおかれる。老人たちは申しわけていどに自分の皿に切りわけ、一匹は先方の、もう一匹は私たちのまえにおかれた。香草を腹に詰めて焼いたあとにひらいたようでわずかな若い猪の臭みと調和し、また上品な獣の脂がとてもおいしかった。人間、どんな状況でもうまいものはうまいと知った。
会話はなごやかに終始した、老人の孫娘の一人がバンコクの大学にかよっているといった話題がおおかった。
そのままもち米や食後の甘すぎるデザートなどでくちくなった腹で寝床に案内される。
屋敷の二階の一角にゲストルームがあった。うれしいことに熱いシャワーがでるバスルームがあったので、代わりばんこにつかう。知らずに緊張していた肩や背中の筋肉がほぐれていく。
重たかった防刃ジャケットからTシャツ、短パンになる。ベッドは木の古いものだがスプリングはしっかりしていた、部屋の入り口を除く三辺に一基ずつそなえられていた。シーツも清潔で女性たちのテンションがたかくなる。
ジューンは布の短パンを履くとももの白さがきわだった、ノックも短パンだが股ぐりまでおなじ濃い茶色だ。
二人ともTシャツで、ジューンはカオサンで百バーツくらいの英語シャツの大きめなサイズをかぶっていた。ジューンは胸がうすいが、ノックはわりとフィットしたサイズのシャツにおおきな胸がおさめられており、目のやり場にこまる。
ジューンがスキットルを取りだしてあおった、私も一口もらう、バーボンだった。
「トウモロコシの味がするだろう」
ジューンが言って、またスキットルを差しだす。アメリカのトウモロコシ畑を思いながらもう一口、あまり酒の好きでないノックも手をだしてのむ。ノックが、
「私たちは今にとても満足している」
と言った、怪訝な顔をしたかもしれない。
「君の小学生のときの主食はなんだった」
丁寧なタイ語で訊かれた。
「ごはんとパン、麺類かな」
話が私に不利とはわかったが応えた。
「私たちはトウモロコシが毎日だったよ」
みな生酔いだった、料理とのんだ米酒やビールでアルコールは取っているのだが、緊張が酔いを消している。
口すくなに現況の確認をする。ジューンは自分のベッドに寄りかかりわざと興味のないかおで言う。
「まあ、歓待されているということだろう」
「たしかにいきなり喧嘩ごしより助かるよな」
私が同調するが、ノックは、
「油断させるのも戦略ということわざもある」
とすげない答えだ。
「いちおうひとりは起きておこう」
と決まった。私は騎士道精神ではじめの番になった。
朝の六時には支度をととのえておくつもりなので、ひとりあたり二時間の寝ずの番だ。
疲れているふたりはすぐに寝息をたてた。
ジューンは寝るときにすこしいびきをかくのは知っていた。ノックは静かにふかい眠りにはいっているようだ。どうやらノックにも腕を信用されているようだ。
私はTシャツの上に防刃ベストを羽おって、掌のガバメントを撫でていた。ベストにリロードの弾倉もあるので数十発は体につけている、重火器で襲撃されないかぎりは五分から十分はひとりで応戦できる。
懐中時計をズボンの尻ポケットからだして枕頭台におく。ウシガエルの声のほかはとてもしずかだった。眠くなるとタバコを吸って、短針が二回まわるのをただ待つ。
午前二時をすぎてしばらくしてから、ジューンのベッドに近づいて肩にさわる。寝ぼけているがすぐに起きあがり顔をあらってくる。
タバコを差しだすと引ったくるように一本口にくわえてふかす。
ガバメントと予備の弾倉をわたして、ベストも脱ごうとするとそれはいいというように手をふった。
「お前ははやく寝とけ」
しかし私も神経が昂ぶっていてすぐには寝られない。
つれづれにベッドに腰かけて話をした。私はジューンとノックの昔の話をききたがった。
「そうだな、お前らが思っているほど悲惨ではなかったよ」
ジューンはしかしすこし傷ついたような横顔でいった、鼻からあごへのラインがきれいだ、月明かりにカンボジアの国立博物館でみた少女像を思わせた。
「メシはくえた、アメリカのおかげだ」
「日本の自衛隊も行ったと思うんだけど」
ジューンは嗤って、
「地雷の撤去はがんばってるな、でも本当に必要な支援はアメリカだったよ」
アメリカ軍は危険な土地のゲリラの掃討や、難民キャンプへの食料の補給をやってくれた。日本のセルフディフェンシブフォースは、比較的な安全な地域での業務しかやってくれなかった。
「私たちは日本を尊敬するが、感謝するのはアメリカだ」
そう言ってジューンはもう寝ろというしぐさで私を追いはらった。
自分のベッドに横たわるとこらえきれない眠気がおそい、つぎに起きたのは朝だった。
最後に番をしていたノックが部屋のケトルでインスタントコーヒーをつくってくれていた。私からジューン、ノックの順番は体力のある順で寝るのは理にもかなっていた。
ふだんのまないブラックのホットコーヒーを片手に支度をする。ゲストルームの窓からは、昨晩は暗くてみえなかったが、青々とした牧草地がひろがっている。
「行くぞ」
とジューンが宣言して、私たちは一階におりた。
食堂には昨晩の中年のなかの二人がすわっていた。誰もが昨日の酒宴とは無縁な表情で、条件闘争がはじまった。
彼らの主張は自分たちにも拳銃の密輸の利益を分けてほしい、それから小火器の輸出の口利きをしてほしいという二点だった。
一点目はすぐにのめる話だ。彼らにはバンコクでの販売ルートがないので、結局私たちの下請けになりたいということと同じだからこの場で了承した。拳銃以外の小火器については逆に私たちには販売する手段がない、口利きできるほどの軍高官もしらない。
だいたいライフルやショットガンはタイと国境をあらそっているカンボジアから持っていったりしたら、国家反逆罪とかになる危険性すらある。しかしここの軍閥の中堅たちは、拳銃とマシンガンを同列にかんがえているようだ。
おもにジューンが我々はコレクター向けの拳銃しかあつかってなく、軍属とのコミュニケーションもないと説明するのだが、なかなかむこうの若禿のリーダーは納得しない。
しかし潜在的な顧客は私の頭にはあった。バンコクの最大の中華街、ヤワラートの顔役たちだ。彼たちはこのような銃器に多大な興味をもつだろうが、トムもあまり関わりたくないだろう。私たちはもともと高官や一部の金持ちを相手にしていて。それはとてもうまくいっていた。
若禿のリーダーは部下に命じて木箱を二つ持ってこさせた。バールのようなもので机のうえで蓋をあけさせる。なかにはおが屑がいっぱい入っており、リーダーが手を突っこんで一丁ずつ拳銃やライフルをだす。
二つ目のおおきいほうの木箱はやはりショットガンやライフルで短機関銃まであった。短機関銃はイスラエル製のほぼ新品で、殺傷能力のたかいよい銃だった。
トムをのぞけば、私が一番銃器には詳しくなっていたので、一丁ずつ手にとって検品した。この二つの木箱だけの総額でもバンコクの末端価格で七十万バーツ、邦貨二百万をこえるくらいとみた。これはあくまでもサンプルだ。実際に彼らはトラックに入れて運ぶ用意もできていると言った。ジューンに目くばせで買いと伝えると彼女は、
「おなじクオリティのものがくるんだな」
と念をおして、流通経路の話にうつった。
彼らはフリーオンボードを最初希望した。つまり彼らの責任はこの村までであとは私たちがタイに持ってかえるという意味だ。
「それなら半額だな」
と私がタイ語ではっきり言う、まだむこうは売価を提示していないが。
それからかなり緊迫した交渉がつづき、海運用語でいえばCIF、コストと保険を指定地までの運賃に反映させて、1ロット、つまりさっきの木箱の大小1セットで三十万バーツで買い値がきまった。
受け取り場所は国境のタイ側、モードという輸送手段は二十フィートコンテナとシャーシになった。
取りあえず半金の十五万バーツを五百バーツ札の旧札ではらう、私のセカンドバックからだすと厚みがある。タイ紙幣の最高額は千バーツだが、こういった取り引きでは五百の旧札と決まっていた。
若禿の部下がすばやく数えていく、若禿は私にぴたりと視線をむけている。私はすっかり冷えたコーヒーをのむ。金を数えおわって別の部屋にうつし、ようやく若禿は笑顔になった。私は防刃ベストと股のガバメントに汗がべったりついていた。
メイドがでてきてお粥をはこんでくれた。この地方のお粥は副菜の揚げ物や漬け物がいろいろついてかなり腹にたまるのだ。パートンコーという小麦の甘くないドーナツを粥の水分と口にいれる。
どうやらベストとガバメントに出番はないようで、安堵で食がすすむ。となりでジューンも旺盛な食欲をしめしている。ノックはお粥とすこし果物をたべただけだ。
食事がすむと相手がたと一人ずつ握手して、私たちは荷づくりに部屋にもどる。荷物は最小限なのですぐにまとめられた。
一階におりると、若禿がひとりで待っていた。来たときと同じような改造ピックアップが駐まっていたが、あきらかに上位モデルの金のかかっている車だ。
帰りの峠みちはダウンヒルの蛇のようなカーブが多発するが、その日本製の四駆はよく走った。
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