第4話 ホテルと焼き鳥屋

 この頃、私はカオサン通りのゲストハウスを引き払って、スクンビット通りのホテルにうつった。


 新しいホテルはルームサービスがあり、プールもあった。


 金銭的に豊かになったのとともに、カオサンで私の服装が悪目立ちしてきたことが理由だった。その頃はバカだったので、潤った金でブランド物の服や時計、靴を買っていた。スクンビットはカオサンとちがいバックパッカーは少ないし、何よりカオサンでそんな恰好をしているとそれだけで職務質問に会う。


 ユージはいい足になった、すばしこくて目端が利いた。


 美品の拳銃の買い手は、タイで永住権や国籍が取れていないため、正式の銃所持許可が下りない華僑が多かった。また同じ理由の白人や、まれに事情のあるタイ人も客になった。皆、金持ちで金払いはとても良かった。


 太い客にはトムが直接案内して、私が付いていった。それ以外は私が売主になってユージを連れていった。


 太い客は華僑とタイ人だった。白人は値段に厳しい。特に華僑の家は目を瞠るものがあった。広大な敷地に家が四、五棟も建っている。訊けば、一つは大旦那の、次は旦那夫婦の、子供二人に一棟づつ、最後の一つはゲスト用とのこと。離れのコテージは使用人部屋だそうだ。


 そんな家に行くときは私もスーツを着た、トムは上質のポロシャツで来てセールストークをした。


 地下に射撃場のある家や、銃器のコレクションを飾り付けた秘密部屋を持っている客もいた。高級なスコッチをクリスタルグラスに入れて相伴にあずかりながら、そういった支配者階級の話をきくのは、すこし疲れたが勉強になった。


 彼らはおそろしく博識だった、私の英語の能力もそこでのびた。政治経済だけでなく、歴史や美術、芸能にも詳しかった。美術館でないところで名画をみたのも初めてだった。もちろん銃のうんちくも聞かされたが、射撃の練習もさせてくれた。


 トムからは古いリボルバーと量産品のオートマチックを一丁づつ預かっていた。取り扱いに慣れるためで、リボルバーはファミコンみたいなものなので、かなり古くても手入れは簡単、故障は滅多にない。蓮根みたいな弾倉がくるくるまわる、よくロシアンルーレットででてくる拳銃だ。6発装填できる。

 

 オートマチックは弾倉が銃把に十数発順番に入っているので、ジャムという弾づまりがおきやすく、手入れにも気をつかう。またロシアンルーレットをすると一番手が必ず死ぬ、ジャムしないかぎりは。ハンマーをいちいち親指か、西部劇なら空き手で撫でるように上げないといけないリボルバーに対し、オートマチックはその名のとおり連射が可能だが、ジャムしたままでトリガーを引くと事故につながることがある、そして拳銃の事故では指が何本か無くなることもある。


 この二丁はホテルの金庫にしまって、金庫の鍵は当時よくしていた銀の羽根のネックレスに引っかけていた。自室に金庫があるというのも引っ越しのときの条件だった、カオサンのゲストハウスではプライバシーが限りなく少ない。


 拳銃はだいたいヨーロッパかアメリカ製だ。ロシアの銃はゴミである。機関銃などはロシアの武骨なもののほうが低価格で、実際に戦争や大量殺人につかうには便利だが、収集家にはあまり意味がない。第一密輸しなくても、そういう銃器はタイ軍から買えるのだろう。


 なぜタイに直接もってこなくて、カンボジアを経由するかは、おそらく中国に返還された香港とマカオの存在がおおきかったのではないかと推測する。当時のカンボジアはほぼ無政府状態と言ってよく、特にプノンペン以外はやりたい放題だった。


 トムとバーで飲んだときに分け前について訊いてみた。私は充分な報酬を得ていたが、ジューンの取り分が少なすぎるのではと思っていたからだ。


「自分はあれか、平等とかに関心があるのか」


 トムの返答は即物的で、しかし言い出した手前、


「我々バンコクの日本人側が一回の取引で受け取る額が、カンボジアのベトナム人側に較べて高すぎる」


と言ってみた。


 トムは鼻白んだというのか、あきれと小馬鹿にした中間の表情で嗤った。


「それが命の値段だよ、ヒロ君」


 普段は呼び捨てだが珍しく敬称がついた。


「君は日本人とタイ人の命の値段が同額だとかのナイーブな考えをもっているのではないかい」


「君は日本人に生まれる確率がどれだけ少ないか考えたことがあるか」


「そして海外に出てみて自分とちがう環境の男や女をみて、なんか童貞らしい悩みを抱えている気分に酔っているんじゃないか」


 トムはそのような内容のことを、関西弁にときおり標準語を混ぜて私に言った。

 それから私はその手の疑問をやりすごすことを覚えた。


 トムは優秀なビジネスマンだった。

 

 中華街の七月二十二日ロータリーの安いジュライホテルに泊まっていたが、当時では最新のパソコンがあった。


 私は幼少のころから珍しい富士通のPCを買ってもらっていたが、ウィンドウズ95に搭載されたGUIには目を見張った。


 それまでのPCではコマンドを英語で命令しなければコンピュータは動かなかった。


 しかしGUI、グラフィカルユーザインターフェースは感覚的にアイコンを入力するだけで計算機を動かせた。

 

 トムは決して自分でストックを持つことはなかった。


 しかしどこに誰がいくら持っていて、どこに拳銃が何丁どういう状態であるかを常に把握していた。それらは暗号化されてコンピュータに入っているようだった。


 彼はまた法律にも詳しかった。


「CCCって知ってるか」


 ある時、花屋というヤワラート地区の日本料理屋でランチの刺身定食をつまみながら訊かれた。


「シビルアンドコマーシャル・コードや」


 商法と民法、それに日本でいう会社法を合せたタイの法律集だ。


 これをトムは原語で読んでいた。イギリスは慣例法の国で、過去の判例が膨大な蓄積となって、それらに基づいて判断が決まることを教えられた。


 また、タイはフランスのコードを基にしており、日本と同じ成文法と知った。


「だからこれが役にたつんや」


 トムはいつもサブバッグに入れている黒革の法律集をたたいてみせた。


 成文法の国ではなにが違法で合法かが文章で書いてある。


 彼はタイ王国での銃器の所持・携帯・販売の許可を正式にうけていた。


 したがって銃器の売買をタイ国内でおこなうことにはまったく問題がなかった。


 問題はカンボジアから密輸した、関税を払っていない銃器を販売している点だが、そこは私やユージ、最悪ジューンを切りすてることで安全をはかっているのだろう。


 トムからつながる人脈も多彩だった。


 某国大使館が主催したパーティーにも出席した。大使は閣下と呼ばれることや、自衛隊の防衛駐在官も英語ではミリタリーアタッシェとなり、閣下の敬称がつくことも知った。


 正装の自衛隊幹部というのをこのときにはじめて見たが、他国の駐在武官に決して引けは取らない威儀にあふれていたと思う。


 ヤワラートといわれる中国人街であまり好ましくない活動をしている団体の元締めとも会ったが、そのことはあまり書きたくない。


 今はもうユージが国境越えをやっていた。私はバンコクのエアコンの訊いたプールつきのホテルで管理をすればよかった。時間があまるのではじめはプールサイドで、それも面倒になり自室で本ばかり読んでいた。


 本はタニヤ通りのDDブックや、スクンビット通りのサバイブックスで買った。どちらも日本語の古書店で、週に一度くらい出かけて、七、八冊買うとちょうどよかった。


 このころは本当にたくさんの本を読んだ。日本で高校生をしていたころは、ゲームやテレビ、漫画に映画と娯楽が多すぎた。バブルの時代だったから企業のメセナの絵画展などもレベルが高かった。


 しかしタイに来ると、日本語の娯楽は本しかない。


 少なくともネット回線がおそいバンコクでは日本語のコンテンツは楽しめなかった。DDブックは漫画の貸本もしていて、はじめはハマったが、重さに音をあげて文庫本と単行本が主流になった。


 ジェフリーアーチャー、フォーサイス、椎名誠、東海林さだお、高島俊男の本があればすぐに買った。


 それまで日本で数ある趣味という時間つぶしのなかの一つの積極的でもない選択肢だった読書が非常に快楽になっていた。


 生徒のころは克己のための読書だったが、読んで楽しいという娯楽としての読書をこのときに覚えられたのはよかった。


 一年まえに私がトムにしていたように、ユージが週に一度は報告にくる。


 私がトムへの勘定でちょっとずるしていた所を、ユージも同じようにごまかそうとしていたが、先達に習って見ないふりをした。


 ユージはもともとキツネ顔で顎が鋭かったが、このところ目がぎらぎらしてすこし怖い顔つきになっていた。


 その日はめずらしくジューンがホテルに電話してきた、昼すぎだった、夜に会いたいという。


 最近行きつけのホテルのレストランが数件頭にうかんだが、あえて焼き鳥屋でいいかと訊いた。


「それは良いな」


とジューンは言って、時間を決めてエカマエ通りの鳥屋で会うことにした。


 そこの店はよくバンコクにある焼き鳥屋で、しかし日本とちがうのは一羽丸焼きだったり、プラスチックのテーブルが車道ちかくまで張りだしていたりするところだ。


 先についた私は取りあえずシンハビールに氷を入れて飲んで、通りをみつめた。東京より景色がやわらかい。ネオンの明かりもやさしい気がする。


 通る車の八割は日本車だ、残りの二割が欧州の高級車。そこにバイクタクシーやトゥクトゥクという三輪車がはしる。


 二杯めのまえにジューンが来た、色あせているが趣味のいいTシャツにデニムのハーフパンツ、まえよりさらに短くした髪で美男子になっていた。


 私たちは鶏を一羽とソムタムというパパイヤサラダをたのんだ。料理が来るまでは黙ってビールをのんだ。


 シアヌークビルのカジノ船ではきれいにナイフとフォークをあやつっていたジューンだったが、ここでは手づかみだ。ローストされた一羽がくると、


「さてと」


 獲物をみつめる猛禽類のように目を輝かせて取りかかった。尻を向けて大腿部が二本でているチキンを手先だけでバラバラにしていく。


「お前も食え」


と私の皿にも肉片を入れてくれるが、サーブするというより放り投げるかんじだ。


 私はビールのつまみにそれをフォークで口に入れる。ジューンはあくまで食事がメインでビールは口を湿らすていどだ。するすると肉片がジューンの口のなかにはいっていく。


 本来はカオニャオというもち米も蒸したものを、竹筒に入れたものといっしょにたべるのがタイ式なのだが、私はビールがあるし、ジューンはそれほど米をたべなかった。


 カジノ船でも肉類ばかりでパンや麺をたべないので一度きいてみたら、


「そんな柔らかいものじゃ元気がでないからな」


と言っていた。たしかにジューンの体は男で通用するくらい筋肉が発達していて、ムエタイ選手のように引き締まっていた。


 三十分も経たぬうちに鶏は骨だけになった。しかし彼女の手は指の先だけがよごれているだけだった。私は四、五杯めのビールをのんでいた。彼女はようやくビールに手をつけはじめた。私は顔をしかめた。食事のあとにビールをのむのは理解しがたかった。残った骨をパキパキ割っている、骨髄をすうつもりだ。私も髄はうまいと思う。


「話ってなんだ」


 ジューンは割った骨をちゅうちゅうと吸いながら雑踏をみている。


「まあ、場所を変えよう」


 彼女のおごりで支払いをして、トゥクトゥクに乗った。この頃タクシーばかりだったので、このバイクの駆動機でうごく三輪は久しぶりだった。


「カオサン通り」


 彼女が言った地名も久しぶりにきいた。


 トゥクトゥクは屋根はあるが横がひらいたオープンカーなので、あまりしゃべるのには適さない。大声で聞きかえすのもはしたないのでカオサンまで黙って行った。


 フアランポーンというバンコク中央駅をとおる、夜のほうがにぎやかだ。道路の段差をひろってトゥクトゥクが跳ねる、外殻の鉄のバーをつかみ頭を天井のバーにぶつけないようにする。となりのジューンは長い足を組んで、手も胸のまえで組んでいる。よくバランスが取れるものだ。


 王宮まえをぬける、ドライバーがハンドルから手をはなして合掌する。ジューンは腕をくんで虚空をみたまま、私は形ばかり頭をさげる。


 民主記念塔が見えたら、カオサンはその裏だ。


 大通りでおりて歩いていった。行き先は私が昔泊まっていたゲストハウスだった。ジューンはゲストハウスに入るときに番台のノックに目くばせをした。私の知らないところでなにかがおこったいやな予感がした。


 しきたり通りに靴をぬぐと私のブランド物の靴下が目についた。ジューンは行き先の分っている確かな足取りで急な木製の階段を二階にあがった。案内されたのは南側の一番広いツインの部屋だった。


 ジューンに続いて部屋にはいると、ユージが裸で床にすわらされていた。


「ヒロさん、助けてください」


 ユージは明らかに暴行をうけたなさけない顔でたのんだ。私のうしろを猫のようについてきていたノックがドアをしめる。


 ツインのベッドの両方にジューンとノックがすわり、ユージはその中間の床、私は立っていた。


「どういうことかな」


 誰にともなく訊くと、ユージがなにか支離滅裂なことをあわててしゃべった。


 それをジューンが説明してノックが補足する。二人の雰囲気が似ているとおもった。


 それを感じたのか、ジューンがノックもおなじ難民キャンプの出身だと説明した。


 ノックもそういえば肉が好きだ、そして二人ともクメール系の肉の付きかたをしている、すなわちしなやかで力強い躰だ。


 ユージは情けない顔で訴えている。


 どうやらカンボジア側から麻薬をもってきて、カオサンで安価に捌いたらしい。それで地元の顔役に目をつけられてこのありさまのようだ。


 この場合、ノックとジューンは仁義を切りにきただけで、私になにかできることはもうほとんどなかった。


 私のやることは責任をとることだけだった。顔役にそれ相応の詫び金を払う、これはノックがやってくれた。

 

 またトムには私のミスとして報告した。トムには代役を探すまでが私の責任の範疇だとはっきり指摘された。


 ユージの処遇は私とジューン、ノックで相談した。彼はあまり豊かな家の出身ではなかった。親に言って私が立替えた詫び金とジューンとノックへの迷惑料は払ってもらえそうもなかった。


 私は散々ユージには儲けさせてもらっていたので、詫び金くらいは手切れ金として払ってもよかったが、それでは周りに示しがつかないのであった。


 結局、彼には保険金詐欺の片棒をかつぐという安い仕事があたえられた。今はもう各保険会社や国どうしのルール作りのなかでこのようなことはできないだろうが、当時は海外旅行保険の損害補填がとてもザルだった。


 アメリカのAIUなどはすぐに加入できて補償もあつかった。そのような保険会社の保険でノートパソコンやカメラをタイで購入してすぐに紛失、盗難や故障でも保険金がおりた。故障が一番いい。


 盗難は警察の調書が必要で、紛失はおなじくホテル経由の届けがいる。故障は日本製の製品を「まちがって」電圧の高いタイのコンセントに直刺ししてしまったというのが通りやすかった。


 当然ユージの保険金の掛け高はどんどん上がるので、いつかはパンクする。つまりクレジットヒストリーを散々落としたあげくに、無一文で放りだされる可能性が高い。日本人という属性によって、いきなりピラミッドの真ん中からスタートした彼は、今や下にいたはずのジューンやノックの手下に成りさがった。


 ユージが抜けた穴は自分で埋めた。


 この数か月、はしっこいユージに実務をまかせて、スクンビットのプールつきのホテルに泊まり、相手はエスタブリッシュメントばかりの商売に怠けていた自分にツケがまわったと覚悟した。


 久しぶりの船での国境越えはきつかった、でもこれもながく見ていなかったジューンの笑顔で相殺された。再開後の一週間は筋肉痛になやまされた。


 筋肉痛がおさまるころ、ジューンは段々と友人のラインを越えそうになってきた。

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