第3話 カジノと銃
上陸すると白人が経営するゲストハウスに荷をほどいた。船主と小づかいは船で待つそうだ。
ジョーイがクメール語で注文すると、テラスに特大のチーズバーガーが届いた。重そうだなと思ったが、食べはじめると疲労した体にどんどん営養が補給される気分だった。
「寝ておけ」
ジョーイは同室のツインのベッドに倒れて言った。
私は日記を書いてから隣のベッドに横になる。ジョーイは軽い寝息をたててこちらを向いている。私もすぐに眠りにはいった。
起きろ、と肩を叩かれた、ぐっすりと寝ていたようだ。体が軽くなった。
ジョーイは部屋で唯一のテーブルセットに腰かけて、手でまねく。
タイ湾の水しぶきに耐えた懐中時計を見ると夜の六時、うすいカーテンの先はまだ白んでいる。
コーヒーが二人ぶん調えてあった。しばし無言でむきあう。
「トムからなんて聞いてきた」
「いや、君を手伝えとだけ」
ジョーイはネスカフェのインスタントコーヒーをぐっと飲んで、
「では手伝ってもらおうか」
と笑い顔で言う。
「まずシャワーを浴びて髭を剃れ」
そのゲストハウスのシャワーは熱くて大量のお湯がでた、指さきから尻まで洗う。
腰にタオルをまいて出ると、ジョーイがワイシャツとスーツを準備していた。
「これを着ておけ」
ジョーイがシャワーを使っているあいだ、私はこのカンボジアの辺境のゲストハウスに不似合なスーツ姿になった。服類はきちんと折りたたまれていて、私が寝ているあいだに部屋に届けられたようだ。
ジョーイが長湯なのでコーヒーの残りと煙草をたのしむ。
風呂に入った彼は女性の服ででてきた、私は目をむいた。
もともと細身で色黒だったが、体に合ったタイトなグレーのドレスが美しい曲線を描いていた。一瞬レディーボーイというトランスジェンダーかと思ったが、その美しさは目をみはった。
「英語でしゃべってみろ」と言われて、
「いや、君は女の子だったんだね」
「子供ではない」と訛りはあるがはっきりした英語で応える。
「おまえもなかなか見れるじゃないか、トイレはいいか」
ジョーイに右の上腕をがちりと掴まれ、私たちは南国のおそい夕まぐれの町に出た。
シクロという三輪の人力車にのる、まわりの視線が集まるのがわかる。体をかたくしてジョーイに訊く。
「なにをすればいいのだ」
「おまえは香港人の買付人だ」
「広東語は知らないぞ」
「心配するな、むこうも知らん」
「むこうは誰なんだ」
「むこうはむこうだ、あまり詮索するな」
ジョーイはまた例の笑みを今度は女性の顔でうかべた、男だと思っていた時はおない年くらいなのに生意気なやつだと感じたが、ドレスアップしてうすく化粧もして言われると焦りを感じる。
着いた先は桟橋のある港だった。
ジョーイが後ろから腕をからめる、小さいがかたい乳房が当たる。
桟橋は木製で頼りないが、この辺りは遠浅なので怖くはない。
三百メートルくらい沖合いに出ると、カンボジア人の警備員と白人の案内人がいた。
「ご予約のお名前を」
白人の男がていねいに尋ねる。
「ミスターアンドミセス・ワンよ」
ジョーイが応えて、桟橋の突端のボートに案内される。スピードボートの一種で、トイレなどは無いが速さと乗り心地のわるさで定評がある。
しかし意外にもホテルの制服のようないでたちの操船手は、波をうまく避けてスムースにすすんだ。
前方のイカ釣り船かと思っていた光の束は、近づくと大きな客船だった。
ファンネルマークからするとヨーロッパ、しかもフランスの船ではないかと推察された。舷側に鉄製の階段が降ろされていて、そこから甲板にあがる。
甲板の上は今まで見た町とは別世界だった。
カクテルや肉料理がテーブルにならび、主に白人と中国人が占めていた。
傍目には私がジョーイをエスコトートしているように見えるが、実際は右腕にかかる彼女の手が行き先をしめす。
甲板から階段をくだると、カジノだった。
ジョーイが五百バーツ札を何枚かわたしコインを受けとる。半分くらいを私にくれた、それでも両手でいっぱいだ。
始めの所にはコイン落としがあった、コインを上から落として、熊手のような機械の手で吐きだすゲーム。なかなかコインが積もっている台もあったがジョーイは素通り。
すこし奥にはいったところに、バカラ、大小、ルーレットにブラックジャックのテーブルが並んでいた。ディーラーは皆カンボジア人だった。
「ここら辺であそんでいろ」
ジョーイの言うように、ひと通りまわってみてから、年増女のディーラーがいるブラックジャックのテーブルについた。取ったり負けたりしているうち、ジョーイが呼びにきた。
さっきと同じスタイルでさらに船倉の奥に連れていかれる。狭い廊下を進んでいくと、古色な木の扉についた。ジョーイにうながされドアをあける、予想通りに重く、低い音が鳴る。
木製の机でバカラをやっている主人がじろりとにらむ、クメール人だ。
カンボジア人というとベトナム系やタイ系、中華系などがふくまれるが、その壮年のがたいのしっかりした男はクメールの血がつよかった。片方の目に切り傷の痕がある。
ゲームがひと段落するまで、私とジョーイは壁ぎわで待つ。やがてディーラーをしていた主人が総取りして、プレイヤーたちの溜め息が吐く。
バーカウンターにさそわれてビールを奢ってもらう。
「そちらさんはだれかね」
訛りのつよい英語で私とジョーイに訊く。
「前に言った私の主人よ」
ジョーイも英語で答え、それからはクメール語のやり取りになった。
私はほとんどこの言葉は分らないので、バカに見えないように気をつけて座っていた。
そのうちに誘いあうようにバーカウンターの中へはいる、私も呼ばれていなかったがついていく。酒の貯蔵庫の先にまた小部屋があった。どんな造りの船なんだと思う。
そこで取引されていたのは拳銃や小銃、サブマシンガンまであった。なるべく平静な顔を保ちつつ、むこうの主人とジョーイのやり取りをきく。そのへんで分ったのはジョーイのクメール語は母語ではないこと、腕や顔は浅黒いが背中が抜けるようにしろいことくらいだった。
どうやらジョーイは拳銃を買いつけに来ているようだった。リボルバーとオートマチック、それぞれ三丁ずつ目星をつける。リボルバーは回転式拳銃、オートマチックは自動装填拳銃のこと。そこから値段交渉だ、しきりにジョーイが私のほうを振りかえる。なるべく難しそうな気配を出すように心がける。私の役割はいかにも趣味で買いつけにきた華僑をよそおっていればよいらしい。
数字の応酬になると私にも状況が呑みこめてきた、この辺りだろうという安目の値段をスパッと言って片がつく。
拳銃はどれも美品だった、リボルバーの一つは銃把に象牙の意匠が凝らしてあった。オートマチックも弾倉のグリースが艶やかだった。
リボルバーはその名のとおり、シリンダーという回転する弾倉が付いている拳銃で、西部劇やロシアンルーレットなどでおなじみだ。
オートマチックはそれより新しく、弾倉が銃把にはいっている。そのぶんリボルバーの六発に対し、十数発の弾が込められ、薬莢もオートマチックに排出されるので、リボルバーのように撃鉄を親指でおこす必要もない。そのかわり、銃把が弾倉を兼ねているので、象牙の意匠などはほどこせない。
いずれにしろそこで並べられた拳銃はどれもチンピラが使う道具ではなく、金持ちの趣味に売られていく品のようだ。
一つ一つを確かめてからジョーイがハンドバッグから五百バーツ札の束を渡した、大体三十万バーツ程度とみられた。日本円で百万くらいだが、当時のバンコクでの大卒初任給が三万円くらいだったので、大金に感じた。
向こうの主人はそれを部下に数えさえ、拳銃をサブバッグに詰めてよこした。私が受け取るとずっしりとした重みと、金属の触れあう感触がある。
「弾はどうする」
とこれはタイ語。
「いらない」
ジョーイがこたえる。金額を数え終った部下が耳打ちをする。
ジョーイが立ち私をうながす。来た時の逆を通り甲板にもどる。海の気配と大気の広大なスペースが私を楽にした。
ジョーイが酒を取って渡してくれた、彼女もカクテルを飲んでいる。
「君はベトナム人なんだね」
と訊くと、彼女は大きな目を更にむいた。
「よくわかったな」
私は彼女の稚拙なカンボジア語や灼けていない部分の肌の白さから推察したと自慢げに語った。
「おまえにバレるようじゃだめだな」
ジョーイは問わずがたりに身の上を話した。彼女が生れたのはタイとカンボジア国境の難民キャンプだという、レヒュジーキャンプと発音したときに侮蔑の表情がみえた。
両親はカンボジア内戦の影響をもろに受けたベトナム系移民だったそうだ。内戦前はプノンペンで文具の卸商をしていたそうだが、内戦と知識人迫害のなかでタイまで逃げてきた。
私とジョーイは舷側に立っていた。
「ジョーイは」
と言いかけると、
「ジューンと呼んで」
横貌が背後からの光線に照らされる、逆に沖は暗く沈んでいた。星の位置からスターボードが南の海がわを向いているのが分った。
「ジューンは子供のころに何があった」
「何もなかったな、配給の食事と劣悪な環境だった」
彼女は少し暗い目で言う。
「でも夢はあった、タイに行って金を稼ぎたかった」
「トムは君がずいぶん稼いでいるって言っていたけど」
「まだまだ足りないな」
ジューンはかるく笑った、笑い顔を見たのは初めてだったと思う。
月明かりに照らされて、ジューンの元もとの色の白さが際だつと、そのショートカットの髪から見える顔立ちは美しかった。前にカンボジアの国立博物館で見たエキゾチックな仏像のようだった。それはタイの温和な顔ではなく、すこし鋭利な印象がした。
「そろそろだ」
ジューンは私の左腕に右手をからめる姿勢で舷側のライトが届かない場所にうつる。彼女がじっと波頭に目をこらす。
「来たぞ」
と言われるが、私にはなにも見えない。その後二十秒くらいでライトを消したスピードボートが認識できる。
客船まで二十フィートのところでライトも消し、おそらくエンジンも切ったボートが惰性で進んでくる。
ジューンに先を促されて舷側の折りたたみ階段をくだると、ちょうどボートが真下に着いた。そのボートは来るときの豪奢なものではなく、タイのハートレックから荒波こえて一緒に来た船だった。船主のいかつい親父が手を差し延べてくれる、不覚にも懐かしく感じた。
船主のがっしりとした掌に腕をつかまれてボートに乗る、ジューンはドレスアップしたワンピースにもかかわらずかろやかに舷側をまたぐ。
船倉に私のバックパックが転がっている。
「ひょっとしてこのまま」
と誰にともなく訊くが返事はない、私はあきらめて寝る努力をはじめた。
たしかにいったん街に戻るのは危険だった。また夜間のほうが国境を海から越えるには好都合だ。
しかし興奮しているのかあまり眠れず、甲板に出るとまだ盛装のジェーンが船尾に立っていた。
「このままハートレックまで行くのだな」
気怠そうにジューンがうなづく。その後会話がつながらず、私はタバコを吸う、ジッポの火を掌でかこってくれた。しぐさが女性のそれだった。
暗い波濤を二人でしばし見つめる。船の下から波紋がながれる。
「お前はどうするんだ」
「どうするって」
「俺たちの仕事を手伝うのか」
彼女は下品なタイ語の主語で訊いた。
「今回みたいな単発なら十万バーツ、もし一緒にやるなら取り分は出資額で毎回割る」
一緒にやるというのは一味にはいるということだろう、またカンボジア側へのハッタリ要員だけとむなら邦貨三十万だということだ。
「まあ、やってみてもいいよ」
私は答えた、
「でも麻薬はごめんだよ」とも付け加えた。
船倉で着替えをする。ジューンも近くで着替えている、背中の肌は象牙のように白かった。でも短パンとTシャツの姿にもどると、あくまでも少年の出稼ぎ労働者のようになった。
「タイに着いたら俺とお前は知らない同士だぞ」
彼女はバックパックに小麦粉の袋といっしょに六丁の拳銃をしまった。
朝まだきのハートレックの波止場に着いた時にはなつかしい気持ちになった。堤防の突端でおろされて、その場でジューンと背中合せにすわりこんだ。
身体がまだふるえているような気がする。時計をみるとまだ五時まえだ。
背中にジューンの体温を感じる、私より熱い。呼吸の音がきこえる、浅いねむりのようだ。そのまま暑くて座れなくなる七時過ぎまでシャム双生児のように過ごした。
カフェですこしずつ食べて、たっぷり水分をとって、バンコク行きのピックアップを待った。
今まではドライバーだったので乗客として待ち合せの東屋にすわるのは違和感がある。でも昔のジョーイ、今のジューンが疲れはてた様子で車を待っていたわけはよく分った。
二か月まえの私のようなドライバーが、私が運転していたトヨタのピックアップをちかくに着ける。ジューンは前のほうの女性のとなりにすわり、私は後部に落ちついた。
オープンスペースに濃い緑の木々が流れる、タイに帰ってきたと湿気がむかえてくれた。
思えばカンボジアのシアヌークビルのほうが緯度は低いはずだが、乾いた印象があった。彼の国の悲惨な歴史がそう思わせるのかもしれないが。
タイの湿った空気を吸いこみながらうたた寝していたようだ、短い夢をみた。夢の中で私は詰め襟の学ランで教室に座っていた。首の苦しさ、授業中の教室の圧迫感を思い出していた。私は一年くらい前まで巣鴨にある男子校に通っていたのだ。
目覚めてみると開襟シャツの首にバックパックのストラップがかかっていた、その圧迫が高校生のころの詰め襟を想起させてなつかしい夢をみたのかもしれなかった。
ストラップを外して、黒のホーキンスのバックパックに寄りかかる。ジューンが前の方からちらりと私と目を合わせた。カンボジア人達はわりに大人しくしている。
ちょうど車がパーキングエリアに入った。欧米のカフェチェーンが併設されていてトイレもきれいだった。紙コップに熱いコーヒーを買って、テラスで煙草を吸う。
この時の煙草とコーヒーがうまかった、やはり一昨日以来のドタバタに緊張していたのだなと改めておもう。
テーブルを挟んで同じ外を見る方向にドライバーが座った、話しかけたそうな気配がする。正直つかれていたが、声をかけてやる。大阪出身の二十くらいで藪にらみの男だ。
「ユージです、ヒロさんにはよく勉強させてもらえってトムさんに言われました」
私はマルチ商法のビジネスピラミッドを思い出していた。私がドライバーをやっていた頃も、トムの周りには妖しげな日本人や白人が多かった。トムは私にはジューンを成功例として提示して、この若い大阪のお兄ちゃんには私を成功例としてあげたのだろう。
つまりトムの組織で中核になってきたと同時に、私が部下を持つということは、なかなかその仲間からは抜けられなくなるだろうという判断があった。
ユージの強い要望で、バンコクまでは助手席にすわった。彼は色々訊きたそうだったが、私はラジオのFM放送に耳がいっていた。途中の会話で私のほうが年下と分ったが、ユージは敬語をくずさなかった。
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