第2話 美少年

 スンは先ほどまでの緊張した雰囲気から打ちとけはじめて、料理をたべてコーラを飲んだ。


 宿に戻って、シャワーを浴びて、文庫本をひらいた。


 ウォークマンで音楽をききながら、うとうとしているとドアにノックの音がした。


「スンです、開けてください」


 鍵をあけてドアを開くと薄い寝巻きの少女がたっていた。

 その時は親子ゲンカかなと思って部屋に引き入れると、ドサッとからだを預けてきた。


「お父さんの仕事をよろしくお願いします」


というようなことを言って、さらに体を近づける。


 取りあえず落ちつかせて話を訊いてみると、これまでトムが送ってきた仲介人は少女との関係を迫ったほか、さらにカンボジア側の取り分を低くするように圧力がかかっているそうだった。


 兎に角、自分は臨時のドライバーであり、価格交渉はできないと言って帰らした。


 先ほどまでのゆったりとした労働後の心地よさから、カンボジアの国の現実に引きもどされた気分になった。


(まあ、しかし、しょうがあるまい)


 インドやタイでの経験からそう考えたほうがらくだと思った。


 貧しさと、日本に生まれた幸運を天秤に掛けているうちに寝入った。


 いつも夜明け前に目が覚めるのだが、今朝は眩しい朝日で起きた。


 しかしまだ宿は静かだ。


 散歩に出ると、ウシやヤギが早起きして空き地をウロウロしている。


 道は土で朝の湿っぽいにおいがする。


(こどものころみたいだな)


 もちろんウシやヤギはいなかったが、一昔まえの練馬あたりでは土くれの道がまだ残っていた。またそれより、自分の中の縄文からの遺伝がそう感じさせるのかもしれなかった。


 コーヒーとフランスパンのサンドイッチを売る屋台で、熱いカフェオレとハムとチーズ、野菜のハーフサンドイッチをたべた。


 ハーフと言ってもフランスパンの半分だからかなり食べごたえがある。


 生野菜がすこし心配だったが、事後のトイレ事情からすると結果的に新鮮だった。旧仏領インドシナだけあって、パンもカフェオレもうまい。


 そのうち町が起きてきた。


 宿にもどり朝食をことわって、自室で荷物をつめる。


 八時ころに「さあ帰るか」と下階におりると、来たときのようなオジサンや親子づれが待っていた。皆、真剣な目で私を見つめる。また代表のような年かさの男が来て、


「バンコクまで連れていってほしい」


と頼んできた。


「これはトムに言われた金だ」


 タイバーツの紙幣の束をだす。ざっと見て四千バーツ内外だと分る。


 さぁ困った、密出国より密入国が難しいのは当然だ。


 国境でトムから出国させてカンボジアまでなら倍額といわれ即答したのも出るのは楽だからだ。


 逆にタイに入るには正規のパスポートやビザが要る。しかしこの当時タイにくるカンボジアやミャンマーの人たちは、非正規つまり偽造パスポートやビザが当たり前だった。


 中国人の亭主をよぶ。


「私はここまで人をはこぶことを条件に仕事を受けた、帰りもつれていくという話はきいていない」


 中国人には合理的に話すのがよい。


「しかしトムからの仲介人はいつもつれていってくれた」


 ワンという宿の亭主はにこやかにこたえた。


 ここでトムに連絡するのはムダだと思えた、どうせ電話してものらりくらりとかわされるだけだ。


「じゃあ、料金の値上げをしてほしい」と言うと、「ゆうべ娘を抱かなかったのは貴様の勝手だ」とこたえる。主人の娘を歓待に出していたのも吃驚だったが、ここでやってみようと思ったのは、子供ながらの義侠心だったか。


 空荷で帰るより、今の生活を少しでも良くしたいと願うカンボジア人をタイへ届けるほうが、たとえ違法でもやるべきことのように思えた。


 亭主にわかったと手を振り、代表の男のところへもどって、全員のパスポートとビザを確認した。


 十六人中、正規のパスポートとビザはなんとゼロ人。


 偽造パスポートで出来がよいのは八割くらいだった、ビザは国境の審査でなんとかなる可能性が高い。


「俺の名前はヒロだ、お前は」


と訊くと、代表はカンボジア名を言ったが聞きとれなかった。


 私はたっぷり朝食を入れているし、どうせ道ぞいにろくな店はないと昨日わかったので、国境まで一息に行く。


 睡眠と営養、なにより若かった私のカラダがそれを可能にした。乗客は静かで緊張していた。


 この路線のタイ側国境はハートレック、小さな浜といった意味である。逆にカンボジア側からはココンという町が国ざかいだ。


 国と国の間に一本線が通っているイメージは島国のそれであって、大陸では国境線より隣りあった町どうしがさかいになる。


 ココン側から見るタイのイミグレーションは威圧的だった。来るときは素どおりだったが、今回は適当なパスポートのカンボジア人十六人の入国審査がある。


「ABCツアーのものです」


 なるべく明るく手近のオフィサーに声をかける。


「パタヤとバンコクのツアーに十六人つれていきたいんですが」


 オフィサーは私の身なりを見て、


「その客を連れてこい」と返事した。


 ここからはあうんの呼吸である。


 あきらかにツアー客というほど金を持っていないクメール人、ラフな格好の自称ガイドの日本人。ほどほどの金額で越境できた。


 タイ語の看板が見えはじめると、荷台の客たちははしゃぎだした。来たときの倍の人数で騒がしかった。


 ハートレックに着くと、半数くらいはここでいいとバンをおりた。


 西洋人向けのホテルをさがし、電話をかりた。バンコクのトムを呼びだす。この頃は、まずホテルの呼び出しから連絡するしか方法がなかった。


 数コールのあとトムが出る。


「何人連れてきた」


「十六人ですけど半分くらいおりましたよ」


「よっしゃ、一万六千ボーナスや」


 どうやら国境越えが一番高い値段設定だったようだ。


「じぶん、もうひと儲けせえへんか」


 トムは空いた荷台にトラートで降ろした少年と「荷物」をバンコクまで運べば、あと一万バーツと言った。


荷物ってなんですか、と訊くのはヤボだ、教えないことが大事ということもある。


「分かりました」と電話を切る。


 トラートまでは早かった。行きはおそく、帰りははやく感じる現象に名まえはあるのだろうか。同じホテルに車をつける、カンボジア人たちはガヤガヤと市内観光に行ってしまった。


 バンの下のもぐり、ゆるんでいるボルトがないか調べる。ラジエーターやファンも見る。一息ついてタバコを吸っていると、この前の少年が大きいバックパックとともに来た。痩せているので重そうだ。


 クメール訛りがあるタイ語を話す十代なかばの少年で、カンボジア国境まで来たがトラートで一泊して帰る。密輸というコトバが頭にうかぶが、それはもちろん不問でトラックの荷台にアゴをしゃくる。


 少年は荷台の奥にバックパックを置いて、その上に覆いかぶさるように寝た。すこし疲れているようだった。


 乗客がもどってバンコクを目指す。


(文明というのはありがたい)


 つくづくそう感じた、舗装された道路、信号を守るクルマ。休憩に寄るコンビニには冷えた飲み物と清潔なトイレ。


 バンコクの手前のパタヤでまた二人おりた、どちらも若い女性だった、パタヤは歓楽街で有名である。でもそれは彼女たちの選択だと思った。


 夕景のクルンテープ、天使の都と言われるバンコクに着いたときには私の体はがちがちだった。


 中華街に着いて、トムに車を返し、「ボーナス」を受けとった。これであとひと月くらいは楽に暮らせるとほくそ笑んだ。


「自分、もっと稼がへんか」


 トムはさらっとたずねた。


「いや、もうしばらくいいですよ」


「さっきのトラートからのガキがおったろ?」


 中華街に着くなり下りた少年らしかった。


「あいつは稼いでるで、もっと金が欲しかったら聞いてみ」


 しかし今は一刻も早く寝たかった、カオサンに戻りシングルベットで、これまでにない深い眠りにつけた。


 お金があるのはありがたい。


 朝は西瓜のフレッシュジュースと、ベーコンエッグにトースト二枚、食後のコーヒーも頼んだ。


 移動にタクシーが増え、夜遊びをする日があり、朝の四時に起きられないことがあった。それで朝にノックと話す機会がすこし減った。


 トムの仕事はときどきやった。もともと一回でひと月二月過ごせる金になるから、明らかに出る金より入る金が多い。だんだん生活がぜいたくになる。


 季節は暑季から雨季にかわっていた。


 私のパスポートのカンボジア出入国スタンプが十をこえて、出入国管理官が不審な顔をしたり、要求が多額になったりしてきた頃。


「パスポート貸し」


と言われ渡すとトムはいきなり汚い運河にトゥクトゥクという三輪バイクから投げすてた。


「あしたでも再発行しておきや」


 トムは目のしたが隈になっている。ジョーイという私のツアーに二回に一回くらいで乗る、トラートまでの往復の少年もこの間にやつれてきていた。


「大丈夫ですか、疲れているみたいですけど」


 シーロム通りの日系レストランで名物のハンバーグを食べながら訊いた。トムはまぶしい平日のオフィス街を窓ごしに見ながら、それには応えなかった。


「自分、人生になにをもとめてるんや」


と逆にたずねられ、虚を突かれて黙ったあと、


「しあわせですかね」


 トムはわざとらしい溜め息をひとつして、


「ほなら自分は今しあわせなんか」ときく。


「まあ、そこそこ」


「なんでや」


「おかげさまで食ってけてますし、おもしろい毎日なんで」


 トムは「まぁ、それはええ」と急に興味をなくしたように言うと、


「ジョーイが人が足りひんゆうことや」


 真顔で向き合った。


「今までのかせぎが欲しかったら、協力してやれ」


 私はそれが今日めずらしくトムが昼飯をおごると言いだした理由だとわかった。


 帰りは別々にかえった、私はカオサンへ、トムは中華街へ。


 今までの経験からおそらく、麻薬か銃火器の密輸の話だということは知っていた。トムがもっとリスクを取ってリターンを大きくしろと言っていたのも理解できる。


 カオサンにもどると裏の市場でかばん屋から、そのかばん屋がつかっていた使い古しの麻のズタ袋を買った。


 次のツアーに私は客として乗った。


 灼けたTシャツにジーパン、サンダル、ズタ袋で早朝の通りにたつ。


 何か月かまえの自身のような日本人の若者が点呼にくるが、カンボジア人のふりをする。


 私は二重まぶたで鼻がたかく、若いころは痩せていたので、不自然ではなかったと思う。ジョーイが三列まえにすわっていた。


 ヘッドホンステレオで音楽を聴いていたし、とにかく国境を出るまではカンボジア人たちは静かなので、トラートまで気づかれずに着けた。


 トラートでジョーイが降りるときに一緒におりて、しかし声はかけずにうしろをついてゆく。港にでた。


 港まわりに突堤のさきまで歩くと、ドサッとバックを置いてそれによりかかる。私も真似をする。


「おまえは子供のころになにがあった?」


 ジョーイに訊かれて、なんでもあったよと答えると、


「日本に生まれることは幸運だな」


と言いながら目を閉じて眠ってしまった。私もヘッドホンをはずして仮眠をとった。


 肩をきつくつっ突かれてて起きたのは、夕景だった。


 沖のほうからクルーザー型のスピードボートと言われる船が近づいてくる、船首にこわい顔の朝黒でいかつい四十がらみの男。


 男とジョーイが早口のクメール語で話す、痩せぎすの小男がもやいをかける。私はバカのようにその光景をながめていた。船主がきて、


「トイレに行っておけ」


と言う、行きたくないと返事したが、とにかく行けとのとこで岬の公衆便所へ入った。


 舟は五人定員で一見高級に見えるが、外洋では役に立たない貧弱なエンジンだった。


 その船でタイ湾へ出た、湾とはいえトラート沖合いのチャン島を越えると波が高く力強くなった。


 私はてっきりチャン島で降りると思ったのでジョーイに、


「どこに行くのだ」


とスピードボートの手すりを掴んで訊いたが、彼はおなじく波しぶきを浴びながら首を振るだけだった、ちょっと意地のわるそうな笑みをうかべる。


 舟はどんどん沖合いに出ていく、視界の二百七十度は海原だ。


 後ろにタイの国土がかすむ。いやな予感がしたが、私をどうにかしてもそんなに利益はないはずだと思いなおす。


 風の向きがかわる、トラートから南に向いていた舟が、東に針路をかえたようだ。


 左舷の、いわゆるポート側にはタイの陸地がつづく。右舷のスターボードは海がひろがる。揺れが激しく、掴まっているだけでどんどん体力がうしなわれる。


 左舷をポート、港というのは昔から船乗りが港のルールで左舷を接岸するからだ。右舷をスターボードと呼ぶところに、英語のセンスを感じる。


 日が落ちて陸地が見えなくなり、ジョーイが強力なライトを発電機から点ける。前方の視野は確保されるが、十ノットにちかいペースでは直前に障害物があってもさけられない。


 そんな状況でも慣れてくるもので、うとうとした気もする。


 池袋の東急ハンズで買った懐中時計によると午前三時くらいに、アンカーを打つ気配があった。


 朝まだきの海上で私は起きあがった、腕と脚がひどい筋肉痛だった。


 船首の右舷に大きな島があり、左舷にはそれより小さい島、前にはおそらくカンボジアの国土がのびている。


 尿意をおぼえて船尾から用をたす。


 船主と小づかいは操縦席で、ジョーイは甲板で寝ている。


 ジーパンのポケットから煙草を出すと思ったより湿っていなかった、しかしライターが湿っていた。なかなか点かないライターに苦戦していると、寝起きのジョーイが後ろから近づいてきて、ジッポの火を貸してくれた。


「見せて」


と言うとおとなしく手わたす、ベトナム戦争時の米軍ライターだった。


 当時、まだカンボジアは内戦の悪夢から覚めてはいなかった。


 十代だった私と同年代のジョーイはその記憶を父母から聞いているだろう、父母がいればだが。


 しかしそのジッポのことはそれ以上訊かず、


「ここはどこだ」


と私にとって重要なことを尋ねた。ジョーイはまた意地わるく頬笑み、


「前の陸地がシアヌークビルだ」と答えた。


 内心で私はおどろきつつ考えた。今までの国境越えでは内陸の町を指定されていた、それは乗客のその後の移動に楽だからだ。シアヌークビルまで来たのはなにかこちらではなくてはいけない用事があるからだ。


「今日中には帰れななさそうだね」


 それにジョーイは応えなかった。


 

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