第6話 野生桃のコンポート 帰路と岐路

第6話 野生桃のコンポート 帰路と岐路


 鍋に砂糖と水、白ワインと蜂蜜を入れ。砂糖が解けるまで火にかけシロップを作る。桃の産毛を取り半分に切って種を取り出し、皮ごとシロップの入った鍋に入れ弱火で煮こんでいく。


 ただこれだけである。あとは粗熱を取り皮をむいてシロップにつけたまま冷蔵庫で冷やす……て、冷蔵庫がなかった。

 冷たい方がよりおいしいんだけど、致し方ない。

 ひとかけを食べてみた。ん――――! 美味しい。甘い、あの固かった果肉がやわらかくちゃんと桃の香りがして口いっぱいに甘酸っぱさが広がっていく。

 売っている桃とは違って酸味が多少強いのは野生の桃だからだろうか。でもこの酸味が癖になりそうだ。


 隊長さんにも食べてもらいたいなぁ。器に取り軽くシロップをかけて隊長さんがいるテントへと向かう。

 「失礼しますサヤです」

 「どうぞ」と声が返ってきた。

 中に入ると隊長さんは小さな机に向かい手紙を読んでいた。

 「どうしたんだい」手紙を机の上に置き視線を私の方に向けた。

 「あの、コンポート作ったんですけど。良ければ味見していただけませんか」

 「コンポート?」

 器を受け取り中のものを不思議そうに見つめていた。


 「これはもしかして、さっきの桃なのか」

 「はい、ちょっと手をくわえてみました」

 隊長さんは一緒に渡されたフォークで桃を切り分け口にする。その仕草もなんだかとても美しい。さっき桃を丸かじりしていた時はなんか意外にもワイルドな感じがしたんだけど今は全然違う。フォークを持つその動きには隙が感じられない。

 「美味しい。本当にこれが同じ桃なのか?」

 「ええ、そうですけど」

 目を見開き顔がほころんでいる。こう言う隊長さんの顔は好きだ。ちょっとやんちゃな感じが見え隠れするからだ。


 「サヤは医術のほかに料理も出来るんだね。美味しいよ」

 「料理だなんて、そんな大したことはしていないんですけど」

 「ううん、すごいよ」

 隊長さんに褒められた。……なんかとっても嬉しい。自分のご褒美として作り続けてきたスイーツだけど、こうして誰かに褒められると、とっても嬉しい。それが隊長さんだと……あれ、なんか変だな、体が熱く感じる。

 ここにきてからこういうことが良く起きるような気がする。


 「ごちそうさま。ありがとうサヤ」にっこりとほほ笑んで彼は私に礼を言う。

 だがその表情はすぐに曇っていく。すっと私を見つめ。

 「サヤ」と名を呼んだ。

 「はい、どうかなされましたか?」

 「あ、いや……じつは明日王都領に帰還することになった」

 「そうですか」私の気持ちも沈んでいく。

 ようやくみんな、兵士さんとも仲良くできるようになったのに。もう別れないといけないのか。それよりも私はこれからどうしたらいいんだろうか。


 ここは日本ではない。どことも分からない国だ。ましてどうやったら日本に帰ることが出来るかさえ全く分からない。

 私一人が置き去りになる。不安と哀しみが押し寄せてくる。

 もう貴方ともお別れなんですね。

 「サヤ」

 「…………はい」返事をするのがようやっとだった。

 隊長さんはじっと私の瞳を見つめる。あの透き通る青い瞳が私の瞳に映し出されていく。

 肩が震えていた。


 「サヤ、我々は明日王都に帰還する。詳細は詳しくは分からないが、王国からサヤも一緒にお連れするようにとの連絡が来た」

 「……はい……えっ」

 「どうする? もし、サヤが我々と一緒に王都に行くことを望まなければ、私の一存で何とかしよう……でなければ、我々と共に王都に来てほしい。手紙には丁重にお連れするようにとある」

 どうすると言われても、私一人ではこれからどうにもできない。選択の余地などはないだろう。と、すでに腹の中では決まっていた。もうこの人に、貴方についていくしかないと。


 「いきます。私も一緒に連れていってください。王都に」

 彼はひと言「分かった」としか答えなかった。

 これでいいんだろう。この道しか私には選択できない。それより……。

 貴方の傍にいたい――――気がしている。


 その夜はなんだか寝付けなかった。テントの中は蒸すし、王都に行くと返事はしたものの、不安がないと言えば嘘になる。外に出て、無造作に置かれている丸太の上に腰掛けた。

 空を見上げると夏の夜空に星が見えている。初めてこの夜空を見た時、月の大きさに驚いた。私が見慣れている月の5倍以上はあろうかと言うくらい大きなものだったからだ。それにならい月あかりが強い訳ではない。淡く優しい光があたりをうっすらと照らしている。


 「どうなされましたか。サヤ」

 月をただ茫然と眺めていると隊長さんが声をかけてきた。

 「眠れませんでしたか? 明日は朝が早いですよ」

 「ええ、そうなんですけど」

 「うむ、王都に行くのに悩んでいますか?」

 「そ、そう言う訳じゃないです。私どこにも行く当てもないですから。一人残されても困ります」

 「そうですか。なら良かった」

 月明かりに照らされた彼の顔はとても優しく見える。

 素材のいい男子は罪づくりだ。見慣れつつあるあの顔に今は少し胸の鼓動が強くなっているような気がする。


 「あの」

 「はい」

 「王都ってどんなところでしょうか」

 なんか言葉に詰まりこんな質問をしてみた。沈黙に包まれるのが怖かった。

 「そうですねぇ、なんて説明したらいいんでしょうか。まぁ一口に言えば大きな街です」

 「はぁ、大きな街ですか」

 「そうです人もたくさんいますし、お店もたくさんあります」

 「どんなお店があるんですか?」

 「そうですねぇ、野菜を専門に売っている屋台とかあとは肉専門の屋台なんかもあります。それと服や装飾品なんかも売っている店もありますね」

 「そうなんですか」ん―なんか想像力が湧いてこない。

 「変わったお店なんかはないですか?」

 「変わった店ですか。そう言えば、私は行ったことが無いんですけど美味しいお茶を飲ませてくれる店もあると聞いたことがあります」

 おっ、それってもしかして喫茶店ていうんじゃないのかしら。もしそうだとしたら、スイーツもあるかもしれない。

 「そこでもしかしてお菓子なんかも食べられたりしますか?」

 「んー、そんなことも言っていたような……気がします」

 やっぱりそうだ、喫茶店があるんだ。それじゃぁ。

 「お菓子の専門店なんかもあったりします?」

 隊長さんはちょっと困った顔をして。

 「すみません、そう言う情報には疎いもので。お菓子と言えば、ご婦人方のお茶会でよくお見掛けいたしますが」

 「へぇどんなお菓子が用意されているんですか」

 「どんなと言われましても、あまり興味はないもので、そこまでは観察しておりませんね。でも、この前いただいたチョコレートはめったには手に入らないものです。貴族の御婦人方の中でも口に出来るのはほんのわずかな方たちだと思います」

 「そうなんだ」


 ひと箱3個入りの生チョコレート。確かに安い訳じゃないけど、お金を払えば食べることが出来ていた。それが当たり前であって何の気にも留めることもなく出来る普通のことだった。

 でもここではそうではないようだ。

 お菓子と言うのは多分身分の高い人達しか口にすることが出来ないものかもしれえない。

 そうなれば、私は到底無理ということになるんだろうな。


 ああ、なんかお菓子、スイーツから遠ざかりそうな気がして来た。でも、食材は思いのほか手に入りやすそうだ。ここは自分で作ってご褒美スイーツを堪能するとしかないだろう。

 なんか私の好きなことばかり聞いていたせいだろうか。隊長さんとの会話が途切れてしまった。

 沈黙が漂う。何か話さないと。でも浮かんでくるのはスイーツのことばかりだ。これでは隊長さんが困ってしまうではないか。


 その時かさっと草を踏む音がした。

 「おやこれはお邪魔してしまったようだな」

 その声の方を見るとブリスの姿があった。

 「もう起きて大丈夫なのか」隊長さんがブリスに声をかけた。

 「ああ、もう大丈夫だ」と返す。

 もう普通に起き上がれるなんて、ものすごい回復力だ。

 「サヤのおかげでこうしてまた女房と息子のところに帰れる。本当にありがとうな」

 「そんな、そんなにお礼を言われても私……」

 なんだか照れてしまう。本人はまったく記憶に無いんだから。

 「そう言えばなんだろうなあのトロッとやわらかくて甘い、たぶん桃だと思うんだが、ものすごく美味かったぞ。あれ、サヤが作ったんだってな。ごちそうになったよ」

 そう言えば桃のコンポート。あとで食べようとして鍋に入れたままったんだけど。

 「まだありますよね!」

 「ん、……たぶんもうねぇんじゃないのか。みんなうめぇって言いながら食っていたからなぁ」

 はぁーー。そうか完売御礼してしまったんだ。

 「なんだいけなかったのか?」

 「いや別にそう言う訳じゃないんですけど」

 ああ、私ももっと食べたかったぁ!

 でもみんな喜んで食べてくれたんだからまっ、いいか。


 「おお、さすが森林地だ夜もふけると少し寒く感じるな」

 「そうだなもうそろそろ休むとしようか」

 「ああ、明日は早いからな」

 私達は、ふと空に浮かぶ大きな月を眺め、そのあと各々のテントへと戻った。


 早朝。馬の鳴き声が響き、外に出ると兵士さんたちが荷物を荷馬車に積み込んでいた。

 すでに隊長さんも荷作りの指揮をしていた。

 「おはようございます隊長さん」

 「おはようサヤ。あれから眠れたかい」

 「ええ、ぐっすりと」

 「そうかそれはよかった。王都までは距離があるからな。疲れないようによっくりと休んでくれればいい」

 「ありがとうございます。でも何かお手伝いできることがありましたら言ってください」

 「ありがとう」と言ってくれたが、すでにほとんど荷作りは終わっているようだ。


 準備が整い、この森林とも別れを告げる。

 ウエストグレートフォレスト(西の大森林)。フォレンシスト大森林の一角。また私がこの地に訪れなければいけないとはまだ知る由もなかった。


 さぁ王都に向け馬のひづめが鳴り始めた。

 

 隊長さんは馬にまたがり「サヤ」と手を差し伸べた。

 一瞬ためらったが、その手を取ると、体が宙に浮いた。

 「えっ!」

 隊長さんの後ろじゃなく前?

 これってお姫様だっこじゃない! お尻が鞍のくぼみにすっぽりとはまっている。

 「しっかり捕まっていろ」彼は手綱たづなをなびかせ、あぶみを馬の腹に軽くたたきつけ馬を走らせた。


 「あわわわわわ!」

 ちょっと場所が違う気がするんですけどぉ!

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