第2話 ビターチョコレート 出会い

第2話 ビターチョコレート 出会い


 目の前から襲い掛かるノラ。とっさに身の危険を感じるがどうなすべきか、どうあがいてもこのノラに私が勝てるという気はしない。

 ただ、硬直した体に自分の恐怖を上乗せて、意識が遠のくのを待つしかない。

 その間に出来ることなら意識がないうちに絶命してしまえば、痛みと言う苦痛からだけでも回避できるのではないだろうか。

 そんなことを瞬時に私は脳内で展開させている。

 すでにもう絶命の危機であり、死を予期していた。

 声は出ない。

 出したくとも出ないのだ。ここで叫ぶことが出来れば、幾分この恐怖が薄らぐ……ことはないか。

 ああ、なんでこんなことになるんだろうか。もうわけが分からない。

 死。私は……死ぬ。

 ほんの数秒間の間に私は死を自覚し、死を受け入れていた。

 「アイスウオール」

 やられる! 身を硬直させたとき、目の前に氷の壁がそびえたった。

 な、何?

 ノラはこの突如に現れた氷の壁に激突し、その身は弾かれるように宙に舞い地へと落ちた。ドスンと言う音がこの耳に響く。

 バサッ。

 私の後ろから影が素早い動きで通り過ぎていった。その次の瞬間、目の前のノラから大量の血が噴き出し、ノラは黒い霧のようになりまるで蒸発していくかのように消えていった。

 ゆっくりと顔を上げると、たぶん剣に太陽の光が反射しているんだろう。

 きらきらとしたまばゆい光が視界を覆う。その中に人影が映し出されていた。その影はゆっくりと私に近づいてくる。

 た、助かった。……死なずに済んだ、生きているんだ私。

 「お怪我はございませんか」

 その声に即座に反応した。

 「はい、大丈夫です」

 「うん、それはよかった」その声の彼の顔を目にした。

 金色の髪に青く透き通った瞳が私を見つめていた。……美形です。めちゃ美形青年イケメン

 さっきまでの恐怖は一瞬にしてどこかに吹っ飛んでしまった。

 「立てますか?」

 「はい」

 「それでは」と、彼は片膝を地につけ私の顔のあたりの高さに手を差し伸べた。まるで、どこかの貴族が女性を気遣うかのように。

 少し照れはあったが、なんとなくこの流れに沿うように私は彼の手を取り、立ち上がろうとした。その時左足に痛みを感じた。

 「痛いっ」

 耐えられないほどの激痛ではない。

 そっと左足首に目をやると足首は赤く腫れていた。

 ああ、もしかしてこれ捻挫しちゃったかなぁ。骨は折れていないみたいんだけど。レントゲン撮らなきゃ分かんないしなぁ。病院に戻らないと。

 「足ですか? 痛むのは」

 「ええ、たぶん捻挫しちゃったんだと思います。これから病院に……」

 「ヒール」

 彼の手が左足首にあてがわれると、じんわりとした温かみを感じた。えっ、痛みがひいていく。それどころか腫れの赤身もなくなっていた。

 「まだ痛みますか」

 「いえ、……いったい何を」

 「治癒魔法です。私は初級のヒールしか扱えませんけど。もしまだ痛みを感じるようでしたら治癒術師をお呼びいたしますけど」

 治癒術師?

 「いえいえ、もう大丈夫です」

 治っている? もし、骨に異常がなくても完治に10日はかかるくらいの捻挫なのに。一瞬で痛みがなくなっているそれどころか腫れも治まっているということは完治しているの?

 そんなのありえない。魔法でなければ……魔法……。

 そう言えば彼ヒールて口ずさんでいた。それに治癒術師って魔法を使うあの魔術師って言うことは本当に魔法なの。そんなのありえないでしょ。

 私どっか頭うっちゃったんだろうか……それとも、もしかして実は私死んじゃっていて、ここはもう天国ていうところなんじゃないのか?

 はぁ―、そうかそうか、やっぱり私は死んじゃったんだ。ああ、あの地震相当ひどかったんだ。私は地震で、どうなって死んだかは分かんないけど(わかりたいと思わないけど)死んじゃったて言うことは確定しているんだねぇ。しかしまぁ本当に天国ていうのがあるんだ。ここは天国ていう世界なんでしょう。うんうん、でないとこんなこと正直受け入れられないし信じられないんだから。

 でも神様も粋なはからいしてくれるじゃない。こんな美形と出会う舞台まで作ってくれるなんて。

 勝手な妄想は勝手な自分の今の状況を作り上げる。

 「どうかなさいましたか?」

 不思議そうに目の前の美形青年は、私の顔を除き見ていた。

 「あ、なんでも無いんです。私……死んでしまったんですね」

 「えっ!」

 「えって、ここは天国なんでしょ。あなたは神様の使者。私をお迎えに来てくれたんですよね」

 「ええっと……なんて言うか、その……貴女あなたは死んではおりませんよ。まだどこか……」

 彼は少し困ったような表情をしたがすぐににこやかな顔で。

 「何か夢でも見られておられましたか?」と言う。

 夢? 夢ってどういう事? 私は死んでいないって何? じゃぁ、さっきのは、あのヒールとかいうのは魔法……よね。魔法が存在しちゃうって言う事? 魔法で治療が出来ちゃうって言う事? そんなのゲームの世界でないと出来ないんじゃない。

 そりゃぁ、私もゲームはやっていますよ。やったことくらいあります。

 ものすごく弱いけど。最近は忙しくてご無沙汰していますねぇ。

 でもでもそんなのが現実にあるわけがない。

 一人妄想は続いている。現実を受け入れるだけの状況判断が出来ずにいる。

 無理もない事である。聖川はつい今しがた元の世界で自分のためのスイーツを購入し、自宅に帰ろうとしていただけなのだから。今だこの現状を飲みこみ、理解しろと言うのには無理があるというものだ。しかしながら聖川にとってこれが現実なのである。

 頭の中が混乱する。している。

 じゃぁここはいったいどこなの?

 あのノラ……。

 自分を襲った野獣ノラへの恐怖心が再びわき上がってくる。死を覚悟したあの恐怖だ。

 混乱と恐怖が一度に押し寄せ聖川は意識を失った。

 ルノアールは倒れ行く聖川の躰を支え抱きしめた。

 甘く馥郁ふくゆくな香りが彼の鼻腔に漂う。

 「良い香りだ。これは……カモミール」

 彼はその香りを懐かしむように聖川を両手で抱きかかえ「拠点ベースに戻る」と引き連れた兵士へと告げた。

 

 そのころ王宮では……。

 「国王アルベルト・エスタニア・ノーブルは在籍か!」

 「何事だ。大神官マーレン・オルト・ガース」

 勢いよく国王の部屋にノックもせず飛び込んできた白きローブをまとった男性。彼はエスタニア王国の大神官マーレン・オルト・ガース。王国の神殿を取り締まる神官長である。

 国王とは物心知るころからの旧知の仲である。

 「どうしたのだマーレン。そんなに興奮をして」

 「これが興奮せずにいられますかアルベルト! 来たんですよ、ようやくあのいにしえのお告げが」

 「いにしえのお告げ? 何のことだ」

 「もう、これだからアルベルトは神の存在について気が薄いんだよ。邪気にしないでもっと王国の神『ルナケイア様』を素排すべきだよ」

 「邪気になどしてはおらん。我が王国の崇拝する神であるからな。だが我が神ルナケイア様のことについてはマーレン、お前に託しているんだからな」

 「それはそうなんだけど……」

 何か押し切られたような感じがするマーレン大神官である。

 「だが、お前がそれほどまでに興奮していることとはなんだ。こんなに興奮するお前を見るのはいつぞやのこと以来だろう」

 「うん、そうなんだ。実はつい今しがた神ルナケイア様からこの私にお告げがあった。聖女様が降臨なされたと」

 「何、聖女様だと」

 マーレンは片膝を床に付き頭を深くたれ、片手を胸に添えて。

 「はい、その通りでございます。国王陛下」と、言う。


 エスタニア王国が崇拝する癒しの神ルナケイア。女神からのお告げ、それはこの王国の救世主となりうる『聖女』が降臨したことである。

 このエスタニア王国は急激な民の膨れ上がりにより、貧富の差が著しく貧民による抗議デモが増大しつつある。それに伴い病に伏せる民も大勢いる。

 それに付け加え、この大陸を分断す2つの王国エスタニア王国とブルガトフ王国の国境で分断されるフォレンシスト大森林に生息する魔物ノラの活動が盛んになり被害が増大している。

 特に農作物への被害は甚大である。民への食糧事情の悪化は年を追うごとに悪化しているのが現状である。

 王国としてはこの事態を改善すべく国兵を投入し魔物ノラの駆逐に乗り出した。

 だが魔物ノラの勢力は王国が自記していたものより強大であったのだ。

 

 この大陸に伝わる伝説に『聖女のともしびはこの地を照らし闇を解き払う』とある。

 はるか昔、この大陸に降臨した聖女は闇に屈した世界を救ったとされている。その聖女が降臨したのだ。

 癒しの神ルナケイアの神力によって。


 馬にまたがり、聖川をそっと抱きかかえると一人の兵士があるものを手にしているのを目にした。

 「それは何か?」

 「はっ、たぶんそのお方のもだと思われますが」

 「それを此方へ」

 その兵士から受け取ったのは小さな小箱であった。

 ルノアールはそっとその小箱を開けた。中には黒い粉をまぶした3個の四角いのものが入っていた。

 香り立つ甘い香り。ルノアールは今まで経験のしたことのない香りであったが、これは食べられるものであるということは直感的に理解した。

 1つを手にしようとしたが、止めた。

 これは彼女のものだ。

 その想いが自制させた。

 少し溶けかかっているのを気にしたルノアールは「クール」と唱え箱ごと冷やし固めた。

 これで彼女が目覚めるまでもつだろう。

 「拠点ベースへ帰還する」ルノアールは声を上げ兵士たちに指揮する。

 こうして私は彼の率いる大隊の拠点へと搬送された。

 まさか馬上でお姫様だっこされていたなんて。気を失っていてよかったのか?


 「う、ううん……」

 おぼろげながらかすみ見える光景。ここは病院だろうか?

 煌々と光るライトのような光源。その光に照らされているかのように私はあの美形青年イケメンの姿を見た。

 私はまだ夢を見ているんだろうか……。

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