ステラ

ソブリテン

本編


 とある夜。僕は名もなき花だった。真っ暗な世界。微かな風の音も響く静けさ。お日様の輝きから逃れてゆっくり流れるこの時が、根を炙るほどに愛おしい。そう感じてしまう僕は、きっと花になんかなるべきではなかった。


 僕は昼が嫌いだ。お日様の眩しさは、僕の徒然を奪う。夜には仲良く寝静まっている他の花々の、光を奪い合って背伸びする様子も好きではない。言うまでもなく、真似なんか絶対にいやだ。


 とある昼。ぱたぱたと散り散りに飛ぶ小鳥をみつけて。

「僕たちはいつまでここにいるの?」

 お隣さんの白い花に尋ねて。

「いつまでって、枯れるまでに決まってるだろ。」

 返ってきたその言葉に、心の底から絶望したのを覚えている。


 星と星を結んでみたい。特に意味はない。それはきっと、とても幸せだ。笑う真似をしてみた。花弁がひとつ、さらりと落ちる。ぱたり。きらきら。

「ねえ、ステラ。もし明日鳥になれたら、きっとあなたに会いに行くよ。」

 夜になると現れるステラ。昼間はきっと、世界を旅しているのだろう。僕は四六時中、意味もなく咲いているだけなのに。

「来なくていいですよ、別に。」



 とある夜。僕はペンギンだった。透明、白、白。透明。そればかりで欠伸が出る。欠伸は遠く、夜の空へ。夜空の黒にも白いもやが覆う。覆い隠されても、消えない星。ぱたぱた。息が切れる。ぱたぱた。ぱたぱた。翼は僕を連れて行ってはくれない。

「ステラ。」

 声に出さないと、不安になる。忘れてしまいそうだから、かな。いや、ちょっと違うかも。

「……ステラ。」

 みんなに言われて、海底へ潜ったあの日を思い出す。深く、深く。光の届かない世界は、夜よりもずっと暗かった。

「ステラ!」

 見上げればそこにあるのに、本当にあるのかわからなくて、怖くて。足の裏に伝わる冷たさが、海面の下の天敵が、いつも僕の心臓を握っている。

「……情けないですね。」



 とある夜。僕は水溜まりだった。ぐぉう、ぐぉう。ひゅうぐぉう。風が吹くたびに、僕は削れて飛び散っていく。少しずつ薄れていく自我に、眠気に似た感覚を知る。

「よく似合ってますよ。」

 ステラは言い、シニカルな笑みを浮かべた。

「動けないから?」

 ぐぉう。また少し眠くなる。一瞬をとても長く感じる。

「ええ。でも、私が写って不快です。」

 大きな雲に隠れて、ステラは見えなくなった。お日様が昇れば僕も消える。あるいは。ひゅうぐぉう。



 とある夜。僕は風だった。花だったときでさえ身近に感じた友人。前世の僕を殺した咎人。夜の静けさを飾るデコレーション。僕は風になった。ひゅうぐぉう。ひゅるひゅる。ぐぉう。重量に支配されない世界に酔いしれたくて、酔い揺らめいていく。ひゅうひゅるる。……これなら、きっと。

「今度こそ会いに行くよ。ステラ。」

 ひゅるり。舞い上がる。上へ。上へ。高く。空へ。押し返されても、舞い上がれ。ひゅうひゅるら。ひゅるるりる。ぐらぐら。ごうごう。

「ステラ!」

 もう少し。届きそうな光は、追いかけても追いかけても遠ざかる。空気が冷たい。凍てつく体。……そっか。あなたは。

「はぁ……。何やってるんですかほんと。」

 そんなにも、遠くに。



 とある夜。僕は望遠鏡だった。

「……またですか。」

 ステラと目が合い、気まずくなる。

「ごめん、ずっと見てる感じになっちゃって。」

 持ち主の人間は忙しいらしく、全然僕を動かしてくれない。いつも同じ場所にやって来るステラを、ちょうど見続けてしまう角度のまま放置されているみたいだ。でも。

「別にどうでもいいので謝らないでください。」

 ずっとステラが見えないような角度じゃなくて、ほんとうによかった。これ以上遠ざかるのはいやだ。いやだよ。



 とある夜。僕は人間だった。あの空よりも、もっと遠くへ行きたい。寝ている母親を起こしては、何度もそう言って駄々をこねたのはちょっと前の話。そういうのはもうやめた。その不機嫌な顔に、白い花を思い出したあの夜から。

「これなら本当に、会いに行ける……?」

 折り目がボロボロの新聞を広げて、何度も読んだ文字列を眺める。ロケット。これならきっと、どんなに遠くても辿り着くことができる。

「ステラ……。」

 か細くその名を呼ぶ。応答はない。代わりに降り注ぐのは、正体の分からない焦燥と孤独。喉の奥が詰まる。頭が締め付けられるように痛む。痛みはじんわりと拡がる。空想が、現実に負けていく。

「……人間って、難儀だ。」

 ロケット開発が成功して、宇宙旅行が実現して。遥か彼方どこまでも行くことができるようになったとして、僕がロケットに乗れるかどうかは別の話だ。頑張って解決する問題じゃないし、頑張って解決するとして、僕はそこまで頑張れるのかわからない。無駄。無理。無茶。身の毛もよだつほどの知能を持つ生物になったのに、感じるのは無限の無知ばかり。ねえ、ステラ。あなたは本当に、そこにいるの?



 とある夜。僕はオゾン層の一端だった。いつも見上げていた雲が、ずっとずっと下の方にある。お月様、こんなに近くにいたんだ。

「う……。」

 今思えばちっぽけな距離だ。そのはず、なのに。じりじり。ぐらぐら。この身が焦げてしまいそうなほど、お日様の熱を強く感じる。……そっか。僕は。

「ずっと守られていたんだ……。」

 もし今、僕がここを飛び立ちいなくなれば。この熱は大気圏を突き抜け、地球を灼いてしまうだろう。暑い、眩しいと。あの頃文句を言った熱は、ここで弱められたものに過ぎなかった。

「ステラ。」

 お月様よりも、お日様よりも。ずっとずっと遠くのあなたに向けて。手を伸ばそうとして、手なんてもう無いことに気づいた。

「なんです?」

 地上からロケットが打ち上がる。大気圏を超えて、お月様に向かって進む。人々の夢と希望とやらを乗せて。

「僕、今まででいちばん近くまで来れたよ!」

 ぐらぐら。めらめら。お日様の熱に全身が燻る。ざらざら。ちくちく。塩辛い塵が今日も地上からやってきては、僕を溶かす。逃げたくても。ステラの光が見える方へ、飛び立ちたくても。仲間のオゾン層と、大気圏が僕を掴んで離さない。痛い。痛いよ。

「そうですか。遠すぎてわかりませんでした。」

 いつも通り、興味無さそうに言い捨てるステラ。わかってるよ。僕はもう、この遠さを知った。知ってしまった。だからこそ。

「ありがとう。こんなに遠いのに、何度生まれ変わっても見つけてくれて。」

 一縷の声で、感謝を。大きな宇宙の、そのすみっこから。小さく、ささやかに呟く。

「……ばかですね、あなたは。」

 ステラは少し、ほんの少しだけ。悲しそうだった。



 遠い昔からずっと。私は名もなき恒星でした。真っ暗な世界に、誰も住み着くことはなく。穏やかな春風の音も、時の流れる感覚も知らずに。ただ私だけが、ぐつぐつ燃えて光っていました。……嫌いです。退屈すら感じられないこの世界が、心の底から大嫌いです。

「……あ。」

 ひとつ、遥か彼方で声が消えました。



 とある夜。僕は

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ステラ ソブリテン @arcenciel169

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