【エッセイ_03】人の目を気にしなくても大丈夫! 自分が思っているほど人は他人に関心がない
自分が思っているほど人は他人に関心がない、といったことが書かれているエッセイを20代の頃読んで “ほんと~?そうかなぁ” と思った記憶がある。
結婚式の祝辞を頼まれた著者は極度のあがり症らしく、「ヨソ様の結婚式で失敗したらどうしよう…」と、当日が近づくにつれ眠れない夜が続いたそうだ。
当日、参列者の前に立ち、声を震わせながらスピーチを読み始めるものの、みんなそれぞれの席で盛り上がり、誰もスピーチを聞いていない。
だったら気にすることないか、と開き直り、無事に役割を終えたという話だった。
40歳を過ぎて、自分のことがやっと俯瞰的に見えるようになった。
それまでも見えているつもりだったんだけど、それは「つもり」だっただけで、今振り返ると自分の狭い世界の中をぐるぐる動き回っていただけだと感じる。
10年後20年後のわたしからしたら、40歳過ぎの自分もまだまだだろう。
ただ、俯瞰で見る力が以前よりも身についたおかげで、ずいぶん生きやすくなった。今の年齢になると、20代の頃に読んだ前述のエッセイに共感ができる。
つい先日、こんなことがあった。
ある場所で本の面白さ伝える展示会を予定しており、職種の違う数名の選者が自分のお気に入りの一冊を紹介するという企画があるという。
知り合いはその選者の一人に選ばれたそうで、「読んで感想聞かせて」と彼が書いた本の紹介文とともにラインが送られてきた。
ラインには、自分が選ばれたことがうれしいと素直に綴られている。
おめでとうと返信をし、読み終わった感想を伝えた後、わたしもある添付を送った。
その添付は、少し前にあるお店に依頼を受けて書いた寄稿文で、結構気に入っている原稿だった。
しかし彼は、わたしが送った後も自分が話したい内容をひたすらラインに綴り、ついにわたしの話はスルーされたまま(添付はおそらく一度も開かれないまま)会話が終了したのである。
「ねぇ、わたしの文章の感想を聞かせてよ」と追いかけるような野暮なことは一切せず、わたしは黙って素通りした。
だってわたしのことは興味ないだろうしね、と。
その前後に別の会社に勤める知り合いから、彼が日頃仕事に対して考えていることをフツフツと綴ったラインが送られてきた。
要は心の中のもやもやを聞いてほしいだけなのだとわかったので、共感したり意見をしながら会話をしていた。
話の頃合いを見て、前述した彼の時と同じようにワードを添付したのだが「後で見ますね」と返信をもらったまま、今に至る(多分読まないまま、ダウンロードできる期限が過ぎただろうな)。
「自分の話は聞いてほしい。でもそれ以上のことはしなくてOK!」 という、都合の良い考え方をしている人がなんと多いのだろう。人の話を受け止めるほど心の余裕がないのであれば仕方がないけれど、そうではないでしょ?、2人とも。
と内心毒づきながら、サラっとやり過ごすのが大人なのだろう。
人は思ったほど、相手のことを気にしていない。
世間ってそんなものだと認識を変えると、人の目が気になっていた自分の心を解放できる。
むしろ気にしてくれる人は、自分に関心を寄せてくれる人なのだと理解できて、感謝の心が生まれるのである。
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