幸せたくさん味噌汁定食
「はい、そうですかっ。こちらこそ、いえ、午後にお伺いいたします。よろしくお願いいたします」
背広姿の眼鏡をかけた男は運転席から誰もいないフロントガラスに向かって頭を下げてスマホ通話を切る。
(うちの商品を置いて貰えるかどうかは自分の営業次第だからなっ。
スマホの待ち受け画面に映る満面な笑みでブイサインをする
(昼は手っ取り早くファストフードにするか。牛丼かハンバーガーにでも)
浅上は今日の昼ご飯をあれこれと考える。いつもなら節約と晴子が手作り弁当を持たせてくれるが、今日は体調が重いらしく無理はさせたくはないと仕事休みである晴子を朝はそのまま寝かせる事にした。自分で弁当をこさえればよいのだろうが、急な事で朝は時間が無く諦めてしまった。そこは言い訳な反省点であるといつも美味しいお弁当を作ってくれる晴子に頭を下げる。
あまり高い食事は結婚資金を貯める目標のためには厳禁であり、好物な千円超の濃厚味噌ラーメンは除外とする。できることなら
「ん? こんなとこにも飲食店あったんだな?」
車を走らせていると風情のある昭和な店構えの飲食店を見つけて速度を少し緩めながら横目で店の様子を確認する。
浅上はハンドルを握る指をトントンと無意識に叩いてから交差点を右にまわり、通り過ぎた飲食店へと引き返してみることにした。普段はあまり通らない道であり、いい店を見つけたのではという直感を信じたくなったのだ。
飲食店の駐車スペースは狭く駐車線も薄く消えかかっていたが、なんとか土方作業者の使用するペンキ汚れの目立つ
店はそれなりに繁盛しているらしく作業着姿の集団と髪の長い青年が親しげに喫煙場でスポーツ新聞を中心に煙燻らせて談笑しているのが見えた。店の前にまわると鉢植えの花がいくつも彩に飾られている。色がくすんだのれんには達筆に「食堂さわだ」と書かれており、やはり昭和大衆食堂といった風情がある。
(こういうゲキウマい店で紹介されそうな大衆食堂は安くて美味しいて予感がするよな。よし、たまにはお店を開拓してみるかな)
浅上は晴子の好きなバラエティ番組を例に出し、どこかワクワクとした表情で店扉をガラガラと開けた。
「いらっしゃいませ~っ」
「らっしゃいませっ」
「えいらっしゃいませえっっ」
店に入ると三者三様なお声に出迎えられ、お年を召しているが笑顔の可愛らしい女性従業員さんが浅上にすぐに対応してくれた。
「ひとりなんですが」
「はい、いま空いちゃってるのでこちらの席にどうぞ。お客さん一名さま入りま~す」
「はいよっ」
女性従業員が浅上を二人がけ席に案内してから間延びな声とは裏腹なテキパキとした熟練な動きでお冷とおしぼりを運んでくる。
「お客さん、ここははじめてよね?」
「あ、はい、実は雰囲気に釣られまして」
「あら~、嬉しい一本釣りしちゃったのかしらね~。ご注文がお決まりになりましたらお呼びくださいねぇ。はいはい、ご注文いま行きますよ~」
女性従業員は片手で釣竿ゼスチャーをしながら嬉しげな笑顔を浅上に綻ばせ、注文を決めて手を挙げているお客さんの元へと匠な速足で向かっていった。
浅上は自身も釣られた笑顔のままにお冷で口を湿らせる。まだまだ仕事約束までの余裕があるおかげかゆったりとこのお店の雰囲気に浸りたいなと店の様子をうかがった。
厨房奥で調理に忙しく動いている男性が二人見えた。ひとりの後ろ姿から年配と分かる料理人は常に白髪混じりな後ろ姿なため顔は分からない。逆に若めな料理人はこの店の昭和タイムスリップな雰囲気とは少しだけ浮世離れた現代的な刈り上げツーブロックヘアとペタリとしたまばら切りな頭が特徴的である。恐らく普段はワックス等でヘアスタイルをセットしているのだろうというのが分かるアンバランスさだ。だがしかし、見ようによってはKーPOP雰囲気なマッシュヘアとワイルドイケメンな顔立ちが似合っていると思わせる。この場に晴子がいたらミーハー素直に「衝撃な大魔人のヴァリイ兵長みたいでカッコイイ店員さんだね♪」と気に入りな漫画の推しに例えてキャッキャッと可愛く言っているかも知れないと想像するとこの場にいなくてよかったと
(と、なんかジロジロと観察してるみたいで失礼だな。注文も早く決めないと)
お冷で
(ん、これは?)
達筆な文字だけのおしながきを眺めていると一ページだけカラフルペンに丸文字(とある年代の女子間で流行った文字)で「今日のオススメ☆☆☆幸せたくさん味噌汁定食☆☆☆六百円」となんとも可愛く書かれたメニューに目が引き寄せられる。
(なんだい幸せたくさん味噌汁定食って?)
浅上のイメージする味噌汁は朝に食す白飯を進める飯の友であり、和定食にも必ず着いてくる言わば必要不可欠な定番脇役である。その味噌汁を定食の名に冠するという事は主役を張れる味噌汁なのか? 浅上は妙に気になってきてしまい。周りのお客さんが注文をしていないかと確認をする。
ちょうど斜め前の席で浅上の少年期に夢中になった「
「すみませーんっ」
「は~い、いまいきまーす。はいはい、ご注文?」
「はい、この「幸せたくさん味噌汁定食」をひとつ」
「は~い、たく味噌定ね。白ご飯とおむすびとおいなりさんが選べますけど、どれにします? 白ご飯は無料大盛りできますよ」
「そうだなぁ·····」
大盛りご飯をガッツリ食べるのもいいしお揚げの
「は~い、たく味噌定、
「あいよっ」
注文を通す際の「ワンこむすび」というフレーズが妙に気になりつつ、浅上はおしぼりで手を拭き幸せたくさん味噌汁定食に想像を膨らませながら待つ事にした。少しだけ置いてある漫画が気になったが読むと止まらなくなる予感がするのでやめておく。
「は~い、おまたせしましたー。幸せたくさん味噌汁定食です」
しばらくスマホを眺めていると、お待ちかねの幸せたくさん味噌汁定食が運ばれてきた。浅上は無意識にいつもうちでするようにお盆を受け取って目の前に置く。女性従業員さんは「あら、ありがとう」と朗らかな笑いで会釈しながら来店したお客さんの元へと速歩で向かった。浅上はその背にお辞儀をして、改めて幸せたくさん味噌汁定食を見つめる。
(これは、美味しい迫力だ)
浅上が独特な感想を心で漏らす幸せたくさん味噌汁定食は大きな木製汁椀にタップリとつがれた具だくさんな野菜味噌汁が主役を主張する。なるほど「具だくさん」と「幸せたくさん」を掛けたネーミングだったのかと納得する。定番脇役の固定概念のあった浅上もこの主張激しい迫力にはこの定食の主役と納得するしかない。だからと言って元来の主役となる飯とおかずにも妥協は無い。選択したおむすびは一個が皿に乗っているだけだが、この一個が丸く大きめにむすばれ、二枚の海苔で包まれてあり、爆弾おむすびに近い。その隣には少し焦げめの着いた卵焼きと粗挽きウィンナーが一切れづつ。晴子がお弁当に入れてくれるおかずに近いものがあり、湯呑みにいれた緑茶も併せてなんだか勝手に嬉しくなる。
「いただきます」
浅上は割り箸を手に持ち食に感謝のお辞儀をしてから割ると、主役たる具だくさんなお味噌汁から口をつけた。
(ん~、白味噌が優しい味だぁ)
お店のお味噌汁でありながら、どこか家庭的さを感じてしまう不思議な味わい深さが仕事疲れな身体と舌に染みる。具だくさんな野菜は白菜・大根・人参・キノコ類であり、口いっぱいに食してもまだまだ量は減ってない、これ一杯でお腹を充分に満たしてくれるのではないだろうか。
続いて丸くむすんだおむすびを豪快手づかみ大きな一口で頬張る。海苔と塩味の効いた飯が実に美味い。思わずお茶が欲しくなり、熱い緑茶を啜る。お茶が添えられているのはやはり大正義といえるだろう。まだ本格的に辿り着けてはいないが飯にほんのりと指された赤色は潰した梅干しだ。すぐに二口目と行きたいところだが、次に気になる卵焼きを一口。これは家庭的な醤油味な卵焼き。甘いイメージを持っていたがこれも悪くないというか浅上の好む味である。ウィンナーもパキリとした粗挽きで素朴な味わいが良い。
浅上は一口ずつ食べると眼鏡をテーブル横に置いてから改めて手を合わせて「いただきます」をした。ここから本格的に食事を始める時である。
主食の具だくさん味噌汁を頬張りおむすびをガッツリといただく、今度は中心の梅干しに到達して酸っぱさが口の中に広がり、緑茶を一口、梅干し酸っぱ美味さをいったんリセット。梅干しの少ない白飯部分をいただくと味噌汁を啜る。卵焼きは贅沢に一口でいただこう。醤油味がやはり美味くおむすびにかぶりつきたくなる欲求が止まらない。贅沢一口はもったいなかったかと思いつつも粗挽きウィンナーも一口で。残りのおむすびも一気に平らげて味噌汁と緑茶を交互に啜る。あっという間に味噌汁だけになってしまったが定食のメインはこの具だくさん味噌汁である。じっくりと優しい味を堪能しようと浅上は具材たる野菜とキノコ類を噛み締めて、大きな汁椀を満たしていた味噌汁を食し終え、ふぅと息をついて「ごちそうさま」と手を合わせた。
「緑茶のおかわりはどう?」
気づくと近くには笑顔を綻ばせた女性従業員さんが急須を手にして立っていた。
「あぁ、すみません。いただきます」
浅上は少し照れくさげに眼鏡を掛けると湯呑みを差し出した。
「お客さん美味しそうに食べてくれたから熱いのサービスしちゃうわね~」
「あぁ、すみません美味しくてつい夢中になってしまって」
浅上は受け取った熱い緑茶を啜るとホゥと息をついた。
「あら~、そんな嬉しいこと言われちゃうとうちの旦那と息子も喜んじゃうわよ。ねぇ~」
女性従業員さんが厨房へと声をかけると先程の刈り上げツーブロックな若い料理人が頭を下げ、奥にいる年配の料理人さんが振り返らないまま片手を振るのが見えた。
どうやらここは家族で経営している大衆食堂だったようだ。緑茶をもう一口飲んで美味しい定食を作ってくれた息子さん達に感謝の会釈を返すと女性従業員さんにももう一度会釈をした。
「本当に美味しかったです。結婚前のカノジョにも食べさせてあげたいくらいに」
「あらあらお客さんご結婚するのねぇおめでとう。ぜひカノジョさんといらしてくださいねぇ、なんならお二人常連になってくれたら嬉しいわね~」
女性従業員さんが心からのおめでとうを言ってくれると他のお客さんも浅上のテーブル席に身体を向けて大きく笑った。
「へぇ、兄ちゃんも結婚すんの? 真知子ちゃんも結婚するんだろ? ダブルでめでてぇじゃねえの」
「てか、常連になってとかちゃっかりしてんなぁ、商売ジョーズてやつだ。あ、これだと鮫になっちまうか?」
「分かりにくいこと言ってんじゃねえよ。お兄さん、お祝いに一杯奢ったろうかい?」
「こんな真昼間から背広の兄さんに酒勧めてんじゃねえよ。つうか俺らも酒呑んじゃやべぇだろうよっ」
「ああ、ほらほら、お客さん困っちゃうでしょ。ごめんなさいねぇ~」
浅上は賑やかに祝福してくれるお客さん達の距離は近く温かさのあるこの食堂が妙に気に入りまた絶対に晴子を連れて来ようと誓って昼からの仕事を頑張ろうとお会計に席を立った。
食堂さわだ もりくぼの小隊 @rasu-toru
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