食堂さわだ

もりくぼの小隊

カツ丼


「はいいらっしゃいませ~」

「らっしゃいませっ」


 開店まもない午前中な「食堂さわだ」にひとりのお客がフラりとやってきた。本日のお客さん第一号である。若き店主「沢田義孝」は母ののんびりだがハキハキと店内によく通る接客声を聞いて客の存在に気づき、仕込みチェックをしていた厨房奥から挨拶を返しつつ顔をお客さんへと向けた。


「おういヨッシー、来ちゃったよ」

「なんだよタッツンか。冷やかしなら帰っていいよ」


 やたらと笑顔だけはご立派な見知ったロンゲ野郎に愛想はいらぬと厨房奥へと引っこもうとする義孝に向かってタッツンと呼ばれたロンゲ野郎は慌てる。


「いやちょっと待ってよヨッシー、俺お客さまなんだけどっ」

「いやだっておまえ、いつも漫画ばっか読んでお冷飲んで帰るだけじゃん。そういうお冷かしはさわだのお客さまとは言わねえよ?」


 そう、このタッツンと呼ばれた男は食堂さわだの滅多に飯を食わない漫画読み常連であるのだ。


「もう俺だってたまにはさわだに感謝してちゃんと美味いご飯をパクパクモリモリ食べに来るよっ。いやいやそんな白々しいヤツめて感じな目しないで信じてよッ。高校からの付き合いでしょ俺たちてばさッ」


 そして彼は義孝の高校時代からの同級生、腐れ縁というやつである。


「あら~、品森しなもりくん何かいい事でもあったの? うちでご飯食べるだなんて?」

「あの、おばちゃんも俺のこと信じてくれません? もう泣いちゃうんだけどボク」


 タッツンは母にとっても息子の友達としてもご飯を滅多に食べず金を落とさない常連としてもお馴染みだ。ちなみに品森というのはこのタッツンの名前であるフルネーム「品森立行しなもりたつゆき」立って行くと書いて立行たつゆき。通称タッツンだ。


「まぁいい事あったのは間違いないんですけどね。おウマさんが昨日大当たりしちゃってね。ありがとうございますトウホクジェイソン! 松清オーナー!」

「おまえ、競馬やってる暇あったら仕事しとけよ。一応フリーライターの仕事あるんだろ?」

「一応じゃなくてフリーライターの仕事はあるしちゃんとやってるよ。しっかり仕事しないとね軍資金とかその他もろもろ貯まんないじゃない」


 義孝は相変わらずどうしようもねえ生活してんだろうなと呆れ、話半分聞きに肩をすくめると母に「一応注文だけ聞いといてよ」と言って仕込みチェックに戻って行った。


「たくもうつれねえなぁヨッシーは。あ、おばちゃん。長官倶楽部ちょうかんくらぶの続きはどこの棚にあったけ?」

「ああ~、それならここね」


 タッツンはお目当ての漫画を手に取って席に座るとお冷を注ぐ義孝の母に人差し指一本生やしに決めていた注文をする。


「はい、カツ丼でお願いします。大当たりしたからヨッシーのカツ丼で大奮発ッ」

「大盛り?」

「特盛り!」

「はい、カツ丼特盛りね」


 手早く注文を書き込むと厨房の義孝へ「カツ丼、ワン特おねがいしま~す」と伝える。


「あいよカツ丼、ワン特ね」


 義孝は慣れた手付きで調理に取り掛かった。


 先ずはトンカツ肉を包丁の背で軽く叩き、赤身と脂身の間に切れ目を数カ所入れて筋切りを丹念に仕込んでいたトンカツ肉へと両面に塩コショウをかけると、バッター液(水と卵と小麦粉を混ぜたもの)パン粉の順にカツ肉を真っ白に化粧してやると油を満たした大鍋へ手早く投下しキツネ色になるまで裏返し熱々の衣に変身したトンカツが完成する。

 キツネ色に揚がったトンカツを手早く切り、食堂さわだ秘伝配合調味料と合わせ炒めていた中火で煮込む玉ねぎの入った親子鍋(丼物専用の調理鍋)にカツを投入し、衣に煮汁が染み渡るように鍋を回すと素早く溶き卵を半分周しかけて蓋を閉じ手頃な半熟具合を確認すると上から残りの溶き卵を周しかけ丼に飯を特盛りによそいトロトロに仕上がったカツとじを飯の上に乗せ残る煮汁をかけてネギと三葉を乗せ、丼蓋をすれば食堂さわだの特盛カツ丼の完成である。


 シンプルなカツ丼であるが父親に料理人になって初めてまあまあ美味いと褒められた料理であり、息子の蓮も大好きだと喜んでくれる笑顔のカツ丼である。妻の麻美はこのカツ丼をあまり好まないのが義孝としては寂しくも感じるが友達であるタッツンが迷わず注文してくれた事が実は嬉しかったりもするのである。


「カツ丼、ワンあがったよ」


 義孝は出来上がったカツ丼をカウンターに置くと母が壷漬けた自家製漬物に味噌汁と一緒に盆へ乗せて品森の元へと運んでゆく。


「はい~、特盛カツ丼おまちどうさまね~」

「やった、待ってましたよ」


 漫画を読んでいた品森の眼が輝いてテーブルに置かれたカツ丼に舌を舐めながらいい音を立てて割り箸を割ると丼蓋をパカりと開けた。


「はぁ~、この香りがたまんないんだよねぇ」


 存分に煮汁きいたカツ丼の香りを先ずは鼻で堪能すると真ん中のカツへ箸を運び煮汁染みてもまだまだサクサク感の残るカツを贅沢に一口に味わうと真ん中に空いたご飯を豪快に掻き込んで味噌汁を啜り「やっぱ美味ぇんだよなあ」と表情伝える飯の顔をしたタッツンを見て義孝の母は優しく笑いながら熱いお茶を出しにきてくれた。


「はい、カツ丼には熱いお茶がいいでしょ~」

「すいませんおばちゃん。んじゃ遠慮なく。あ~っ、やっぱおばちゃんのいれてくれるお茶も美味ぇよなあ」

「やだぁお世辞ありがとねぇ~」

「いやいや、お世辞じゃありませんって、そういやおじちゃんは今日はどうしたの?」


 お世辞とお茶を口にしつついつもは調理場に一緒に立っている義孝の父がいないことに気づいた品森は首を傾げる。


「それが、お父さんたらギックリといっちゃってねぇ~」

「俺に任せずに無理して重いもん持つからだよ。蓮の前だからって調子づいて余計にさ」


 義孝の母と義孝の身内特有の苦笑混じりな声に品森は「あらら、お大事に」とここにはいないおじちゃんへと頭をさげて茶をもう一口すすり、食事の続きに取り掛かる。カツ、飯、味噌汁、たまに漬物のタッツン流黄金比でカツ丼を食べ進める品森の美味そうな顔はこの世の幸せを描いているようで見ていると自然に笑みがこぼれてしまう。


 そんな品森の食事姿を眺めていると店扉をガラガラと開けて作業着姿の常連客達がガヤガヤと来店すると、カツ丼を食べてる品森を見て驚きの声をあげる。


「あれれ、タッツンが飯食ってんよ」

「え? あ、本当だ。こいつぁ空から鉛玉でも降ってくるんじゃあねえか?」

「もう何なんだよみんなしてさぁ、俺だってここに飯食いに来るんだってばぁ」


 漬物で箸休めをしながら品森は少々膨れて言葉を返す。三十路な中年の膨れ面など可愛くもないが、作業着親父達はガハハと笑いながらスマンと片手チョップしながら席へと着く。


「いやぁ、悪い悪いワリーネ・ディートリッヒ。て、もう通じねぇネタかな? ガッハッハッ」

「つかよぅ、飯食ってるて事はおウマさんで勝っちまったて事か?」

「ご名答、松清オーナーGII初勝利記念のカツ丼だよ。よくやったトウホクジェイソン」

「マジかよ、タッツンの意地勝ちかよぅ。俺も買っときゃよかったかなぁ。あ、そうそうタッツンの紹介してくれたお店の娘達、よかったよ。ありがとうな」

「ちょっとちょっと、ヨッシーとおばちゃんの前でそういうこと言うのやめてくれるっ」


 常連同士の勝手知ったる馬鹿話に笑顔を向けながらお盆に乗せたお冷を持って義孝の母がやってくるのが見えて品森はお下品話など聞かれたくはないなと慌てる。


「なにもう、男の子同士のお話?」


 しかし、義孝の母は慣れたものでこういう話に動じることは無いのである。


「しかし今日は早いのね~、いつもはお昼くらいなのに」

「あぁ、今日の現場は近くでさ、解体許可降りるのまだ掛かっから先に飯食って来いって言われてよ」

「変わりに昼休み前倒しで全力お仕事しなくちゃいけないわけ」


 作業着親父達のマドンナたる義孝の母から受け取ったお冷をチビチビしながら早めに来た経緯を説明する。


「へ~、大変ねぇ、じゃあいっぱい食べて元気いっぱいお仕事しなくちゃ。ご注文はお決まりの日替わり?」

「うん、もちろんいつもの、と思ったんだけどさ。タッツンの食うカツ丼見てたらそっち食いたくなっちまったよ」

「あの美味そうな食いっぷりは反則だぜ。タッツンいい仕事しやがるなぁ」

「というわけでよっちゃん自慢のカツ丼大盛り四つで」

「はいはい、カツ丼大、フォーね」


 義孝の母は素早く注文を書きとめると厨房の義孝に伝えた。


「カツ丼大、フォーおねがいしま~す」

「あいよ」


 義孝は慣れた手付きで再びカツ丼を作り始める。


「ふぃ~、そろそろ混んできちゃうだろうし退散しちゃおっかな」

「あら、まだゆっくりしていけばいいのに~」

「いやいや、稼ぎ時のお邪魔はいたしません。ごちそうさまでしたっ」


 カツ丼を平らげた品森は両手をあわせてごちそうさまをするとすくっと立ち、厨房の義孝にも声をかけて帰ることにした。


「ごちそうさまヨッシー、美味かったよ」

「おう、金払って帰れな」

「払うよちゃんとっ」


 二人のコントのようなやり取りに皆の笑いがドッと広がった。


 これが今日も賑やか通常営業な食堂さわだの風景である。


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