血:定め、記憶ー後編ー
手にもった刀を杖代わりに、よろよろとした足取りで鎌上がこちらに向かって来る。その足取りは亀の歩みかと思うほどに緩やかだが、身じろぎすらできない僕はその長い時をただ待つことしかできなかった。奴の姿はボロボロで、特に金棒が直撃したわき腹は大きく裂け、出血している様子で相当な深手を負っていることは外見からも明らかであった。もう少し、あと一息のところまでは来ていたに違いないが、どうやら致命傷までには至らなかったようだ。
「あれを振り回してこないところを見ると、どうやらもう何もする力もないようだな」
咳きとともに血が含まれた唾を吐き捨てた鎌上は先ほどと同じく真上から僕を見下ろす。その足が僕の顔、体を強めにつつくが僕は痛みをこらえながら奴をにらむことしかできなかった。
「さっき、お前はこれに殺されていたはずだった」鎌上は握りしめた刀を睨む。
「しかし、こいつは貴様を肌一枚で守ったわけだ。まさか美しき父の愛ってやつか?感動的な話じゃないか!?」なぁ、といいながら鎌上の足が僕の顔を踏みつける。
「こいつに頼るのはもうやめだ。お前には私の依代で
そういうと僕の顔から足をどけ、鎌上は胸元から古ぼけた1冊の本を取り出す。四隅がボロボロになるほど使い込まれた様子のそれは見た目は何の変哲もないものにしか見えなかった。
「喜べ、これを見せるのはお前が初めてだ。なんせこれを見たものの中で今まで生き残っている奴はいないのだからな」
どこか興奮気味に呟くと鎌上は本を開き、ページを繰る。どうすることもできない僕がその手の動きをぼんやり見ていると、鎌上の手が止まり、開いたページを僕に見せつけてきた。顔写真とその横に文字が並んでいるそれを僕は霞んだ目で必死にみる。
「これは…僕の…?」
かすれ声で呟く僕の言葉に鎌上が満足げに頷く。そこには僕の名前、住所、家族構成などが顔写真の横に細かく記載されていた。
「これが俺の依代の1つ目の能力」その言葉に少し眉をひそめた僕を見て嬉しそうに笑みを深めながら鎌上は
「まぁ、最後まで聞け。この日記帳はな、宿主が出会った人間の情報をこうして記録することができるんだ。」というと僕の情報が記載されているページを掴み、
「そして、このページを破くことでそいつの存在をこの世から消すことができるのさ」
ビリッ!という音と共に勢いよく引きちぎったそのページをくしゃくしゃに丸め、鎌上は僕の胸元に投げ捨てた。
「というわけでさよならの時間だ。最期の言葉を聞かせてくれよ」
いやらしく笑みを浮かべた鎌上が僕に耳を寄せる。
どうやら奴の能力は本物らしく、体が隅から消えていくという今までに味わったことのない感覚が僕を襲う。かろうじて動く首を動かして自分の腕を見ると粒子のようなものが指先を包んでいるのが見えた。僕はどうやら本当にここで死んでしまうらしい。そのことを理解した僕の口が無意識に動いた。
―めん、――ん―
「…ん?なんだなんだ!?」どうやら鎌上は聞き取れなかったようで、頭が近づいてくる。
「…もっと…生きて…お前を…殺したかったよ…」
最期の瞬間、僕は精一杯の笑みを浮かべ、鎌上にそういってやった。心の中に浮かんだ言葉は、こんなやつに聞かせたくなかったから。
そうして僕の2度目の生は後悔を残したまま幕を閉じた。
※※
目の前に仰向けに横たわる少年の体が薄くなっていく。先ほどまで自分を苦しめた彼だったが、終わってしまえばあっけないものであった。
「…」
ふん、と鼻を鳴らし、鎌上は彼―菱也―に背を向けた。
「下らねー戯言を遺しやがって」
好き放題暮らしているお坊ちゃまであれば最期もさぞかし喚き散らすだろうと思っていたが、菱也の最期の言葉は存外つまらないものであった。
「あー…」
鎌上の足取りは自分の研究室へと向かう。既に彼の頭の中では菱也のことは終わった話として処理されており、現在はこれからどうするか頭を巡らせていた。
「だめだ…さすがに血を出しすぎた…まずは補給だな」
ぼんやりとして回らない頭を苛立たし気にガシガシと掻き、歩を進める鎌上だったが、何かに躓いたようで突然その姿勢がつんのめる。
「…」
刀を地に刺し、何とか足を踏ん張った鎌上は足を止め、自分の歩みを止めたものを見つめる。すると、うつろな目だった彼の表情が次第に強張っていく。無意識に鳥肌が立ち始めた腕をさする彼の目線はそれ―金棒―に釘付けであった。
「なんだ、これは…?」
ひとりでに声が彼の口から漏れる
「あいつは確かにこの世から消えたんだ――なら、なぜこいつがまだ残ってやがる!?」
「あいつさ、この前あたしが殺そうとしたとき、これでいいや、悔いなんてありませんって顔をしてたんだぜ」
突如背後から聞こえた声に鎌上の動きがぴしりと止まる。それはどこか違和感はあるものの、ここには絶対にいるはずのないものの声に似ていた。
「でもさ、さっきのあいつ、もう少し生きていたかったって言った」
鎌上の様子をよそに声は話を続ける。いや、そもそも鎌上の反応など最初から眼中になかったのかもしれない。
「あたしのため、ってのはちょっと気に入らねぇが、あいつも変わったよな」
その声は慈愛に溢れていた。もうこの世から消えて去った少年のことを懐かしむ彼女。鎌上はまさか、という感情のまま振り向く。
「だったら、あたしがなんとかしてやらねぇとな」
はたして、そこには金色の瞳を爛々と光らせ、鬼麟が静かに佇んでいた。
その姿は今にも消えそうなほどに儚く、同時にただいるだけで気圧されてしまうその圧倒的な存在感をもって、この場の主が誰であるかをありありと示していた。
「お前は、確かに殺したはず…それに、その姿は…?」目の前の状況を理解しつつ、まだ信じられない様子の鎌上の声に、
「これか?これがあたしの本来の姿だ」
そういいながら鬼麟は白い着物の袖をなびかせながらくるりとその場を回る。鎌上が最後に彼女と出会った時、その見た目は高校生くらいであったが、今は面影は残しつつさらに成長していた。その背丈は成人男性の平均より少し高めまで伸びており、頭の2本の角も一目で角だとわかるほど、高く、また鋭くそびえたっている。その四肢は真っ白な着物に包まれているため正確には判断できないが、身長に見合うように成長していることは見てとれる。若さの中にも色気をのぞかせるその表情は同姓であっても目線があっただけで胸を高鳴らせるだろう。その突然の出現に警戒心を最大まで強めた鎌上であっても思わず見惚れてしまうほど、鬼麟は美しく成長していた。
「この姿を見て生き残ったやつはいない、なんていうつもりはないから安心していいぜ」
鬼麟の言葉に我を取り戻した鎌上は慌てたように先ほどの本を取り出し、ページをめくる。
「この期に及んで往生際が悪いぞ」鬼麟はそんな彼の様子を見つめ、右手を伸ばす。掌を空に向けると、握った拳の中からほっそりとした人差し指を彼に向かって伸ばし、そして自分の下に寄せるように人差し指を折り曲げた。すると、鎌上が必死に握りしめていたはずの本がふわりと浮き上がる。
「…!…お、おい!待てって!どこ行くんだよ!」
慌てたような鎌上の声を他所に本は浮き上がるとそのままふわふわと鬼麟の下へ向かい、その手に収まった。途端まばゆい光が一瞬その本から発せられたかと思うと、一瞬の後に消えた本をみた鎌上はそれが自分の手元から離れてしまったことを理解した。
最強の依代がいともたやすく失われた衝撃でへなへなと座り込む鎌上につかつかと迫りくる足音。呆然とした鎌上が顔を上げると、鬼麟が目の前に立っていた。
「お、俺を殺すのか…?」鬼麟は答えない。
「くそっ!死んでたまるか!俺だって鬼なんだ!」鎌上はそういうとがむしゃらに両手を振り回す。しかしそんな彼の動きも鬼麟が右手の掌を彼に向けた途端、ぴたりと止まった。
「これは…う、動けない…!!」驚愕の表情で言葉を発することしかできない鎌上、そんな彼を無表情で見つめていた鬼麟の唇が静かに動く。
「せっかく人の子に殺されたんだ、これもいいやって思ったんだけど、さすがにやりすぎたね。いや、あたしの我儘でしかないんだけどさ」
「…?」何を言ってるのかわからない、という様子の鎌上。そんな彼に向かい、
「あたしはあいつを救いたい、ってことさ」
そういうと鬼麟の右手が白く光り出す。その光はあまりに眩しく、何も見えなくなるほどであった。その光は部屋全体を埋め尽くすと徐々に弱まり始める。光が納まると、鬼麟の目の前にいたはずの鎌上の姿は影も形もなくなり、彼が流したと思われる血だまりを残すのみであった。
「…」鬼麟はそれをしばらく見つめた後、右手を開く、するといつの間にかその手には金棒が握られていた。そのまま彼女は静かに目を閉じる。
「…ちょっとだけ、残ってたか」運のいいやつ、と呟く彼女の横顔はどこか嬉しそうで、そのまま祈りを続ける。
「完全復活したあたしなら何とかなる、全く、こんなことはこれきりだぜ」
笑みを浮かべた彼女の周りが先ほどとは別の黒い光に包まれる。光という光を全て吸収してしまいそうなその黒に彼女は包まれていく。全身が包まれる直前、
―――、――――
鬼麟の唇が動いていたが、それを見たものは誰一人この場にいなかった。
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