顛:離別、惜別、聖別―後編―

 父の葬儀は翌朝、しめやかに行われた。場所は漸諫教が保有している国立公園の中、信者たちのために建てられた葬儀会場である。

 僕は物心つく前に母と死に別れ、その後はずっと父と二人で暮らしていたこともあり、葬儀の場に参列したのはこれが初めてであったが、終了するころには今後は二度と参加するものかと思うほどうんざりさせられた。葬儀の間中、僕の周りはほとんど面識がないはずの幹部連中に囲まれ、ほとんど身動きが取れなかった。僕は漸諫教のことは全く知らないし、関わるつもりも全くないのだが、やはり父のこともあり、今のうちに僕にいい印象を与えようとしているのがもはや子供でも分かるような連中はベルトコンベアーのようにひっきりなしに僕の前へやってきては自分がいかに父親に救われ、父を支えていたかを語りだす。朋美さんや香奈さんとも離された席に座らせられた僕はそんな連中に対しひたすら作り笑いを浮かべることしかできず、暇つぶしに脳内で葬儀会場に入るときに見た景色を思い出していた。ここ、葬式会場の内部は幹部や親族しか入ることができないためか、人は思いの外少ない。しかし会場の外では雨の中、傘を差さずに千人近い数の信者たちが会場を取り囲むようにうずくまり、涙とともに祈りを捧げていた。僕の前でわざとらしく涙を浮かべる幹部連中こいつらよりも彼らの方がよっぽど、父の死を悼み、嘆き悲しんでいるように見えるよ、と思うと、これまでは少し苦手に思っていた信者の面々に少し親しみの気持ちがわいた。

「…われらを導き、誰よりも教えを守り、伝え、広めた偉大なる伝導者。久祈様には我らがその教えを広め、世が漸諫教に溢れている様子を、空の上からご照覧いただきたいと思います。久祈様のこれまで積まれてきた徳といたしましては…」

 壇上で鎌上が手に持った紙を読み上げている。どうやら僕の父の仇とされている鬼を討ち取ったということで、教団内の鎌上の力は拡大の一途らしい。会場の設営、およびこの式の場の司会進行を任されている様子からも、現時点で次の教主に一番近いのは間違いなく奴だろう。

「…」

ぎり、と奥歯を噛む。そんな僕の様子がおかしいことに気づいたのか、周りの連中が目くばせしあっているのを感じる。今、僕の周りにいるこいつらはレースに負けたため、僕という後ろ盾を得て再起を図ろうとしているのだろう。僕は鎌上やつ以外のことを考えることで自分を落ち着かせる。

「まぁ、それならそれでせいぜい利用させてもらうだけさ…」誰にも聞こえない声で小さく呟く。壇上では鎌上が最後の儀を執り行うところであった。

「…では、続いて、閉環の儀へと移らせていただきます」そういうと、鎌上が僕を呼ぶ。その声を受け、僕はゆっくりと父のもとへと歩き出した。

 閉環の儀とは漸諫教特有の儀式である。この世から去る人が間違って現世に迷い込まないよう、親族が既にあなたは亡くなっていますよ、ということを伝えるべく、漸環境内部で決められたあるものを最後の手向けとして渡すというものだ。親族でないものが手向けをあげることはなるべく避けるべき行動であるようで、今回は僕が選ばれている。

「では、菱也様、よろしくお願いします」僕が父の納められている棺の前につくと、鎌上から号令がかかる。僕は胸元に挿していたイカリソウを父の胸の上に置いた。

「…父さん」

父は何者かに殺されたとのことだったが、棺の中の彼の表情は無、そのものであり、痛みに苦しんだようには見られなかった。どこか安らかに眠っているようにも見える

―必ず犯人を見つけ、償わせてやりますからね―

「菱也様、ありがとうございました。教主様も喜んでおられることでしょう」

 胸の中、改めて決意を固める僕を他所に鎌上の声が会場に響く。そのままゆっくりと自分の席に戻る僕の目の前には嗚咽の声が隠しきれないもの、ハンカチが目頭から動かせないものなど様々であった。香奈さんも遠くの席でさめざめと涙を流しており、隣の朋美さんがハンカチを渡している様子が見えた。

 閉環の儀の後、僕たちは外に出て父が収まれた棺と共に火葬場に向かうことになっていたため外に出た。途端、雪崩のような嘆きの声に囲まれる。会場の外にいた信者たちが棺を見て一斉にすすり泣いているようだ。中には気絶してしまい、隣のものに肩を貸している者もいる。しかし、車が発車するときには、そんな信者たちはモーセを前にした海のように割れ、僕たちはその中を進むことになった。嘆きの声に囲まれながら進むのは僕にとっては非常に勇気のいることであったが、車を取り巻く信者たちは静かなもので、僕たちは何事もなく火葬場についた。

 その後、火葬場にて父を納骨まで済ませ、夜は漸諫教の幹部連中と共に屋敷で香奈さんお手製の料理をいただくことになった。上座には父の骨壺が据えられており、献杯の後も一言、二言散発的な会話のみで場は静まり返っていた。

「菱也様、この度は何と申し上げてよいか…お父様のこと、無念でした…」

僕が父の隣の席で一人ウーロン茶を飲んでいると、葬儀会場で司会をしていた鎌上が話しかけてきた。服装は変わらず黒いスーツのままで、既に何杯か酒を飲んでいるはずだが、酔っている様子は全く伺えない。

「いえ、こちらこそ鬼から助けてもらって、本当にありがとうございます…」

 朋美さんと話し合った結果、鬼麟と家出したことを今公表しても教団内を混乱させるため、伏せておくことになった。それをわかっているのか、鎌上もあえてそのことに触れようとはしない。

「お父様が拓いた漸諫教については我々の手で受け継いでいきたいと思います。菱也様、あなたはこれまで通りお父様が遺したこのお屋敷で暮らしていただいて構いませんので」

「…そうですか」


「…いやいや、鎌上代理、それはまだ早計じゃないでしょうか」


 突如、僕と鎌上さんの間を遮る男の声、そちらを見ると見覚えがない人間だった。おそらく葬儀の時には僕の隣にいなかった少数派の幹部の一人だろう。その男の年齢は40を超えているだろうか、所々白髪が混じったような短く刈り込んだ頭に角ばった顔はどこか挑戦的なまなざしを宿していた。

「…どういうことでしょうか。川那支部長」

「いやね、久祈様の遺志を継ぎ、漸諫教の教主たる人間を我々の中で選ぶよりも、いっそ菱也様に教主の座を継いでいただき、我々はこれまで通り、その下でまとまった方がいいのではないかと思いましてね」

 川那と呼ばれたその男は鎌上さんの目線におびえることなく、手元の酒をぐいと呷り、


「だから、私は次の教主選に菱也様を推そうと思ってるんです」


 そういい放った。途端

「いきなり何を言い出すんだ!次の教主は鎌上代理しかいない!」

「いや、久祈様の血を受け継ぐ菱也様こそ相応しい!」

「自分が教主に選ばれないからといって、汚い真似を…!」

「なんだと!貴様こそ鎌上代理に媚びを売っているだけのくせに!」

 喧々諤々、怒鳴り声が飛び交う場となってしまった。お互いにヒートアップしているのか、今にも殴り合いに発展しそうな勢いだ。

「皆さん少々騒がしいですよ。この場にいる久祈様の魂のことを考えなさい!」

 鎌上の一喝で場が静まり返り、揉めていた連中の視線が鎌上に集まる。

「それで、菱也様」鎌上はゆっくりと僕の方を振り返る。

「川那支部長はこうおっしゃっていますが、いかがなされますか?」

 大勢の視線が僕に集まる。川那支部長の方を見るとこちらを見ながら酒を飲み干し、頷いた。

「そうですね」心が決まった僕は鎌上の目と目を合わせる。その瞳の奥に向かい、


「正直なところ、先ほどまでは全く考えてもいませんでした。しかし、皆さんの期待に添えるのであれば、僕でよければぜひお力になりたいと思います」


 そういうと幾人かの参加者の中から歓声が上がった。

「わかりました。ですが、私も私を教主にしたいという人の声に応えなければいけません。ですので、ここは二人のどちらが教主に相応しいか、で決めるというのはいかがでしょうか」

「選挙…ですか?」

 突然出てきたワードに思わず聞き返す。

「えぇ、私と菱也様、二人のうちどちらが次の教主に相応しいか、幹部の皆様に投票していただくのです。なんならここで決めてしまってもいいですが」

「それは早計だと思いますがね」ここで川那さんから鎌上に待ったがかかる。

「菱也様の立候補はさっき決まったんですよ?今すぐ投票しろっていうのはちょっと無茶なんじゃないですかね」

「…であればどれほどの期間が必要ですか?あまり教主の座を空白にしておくわけにもいかないでしょう」

「まぁ…一か月後の漸魂会で決めるのはどうですかね?」

「長すぎます。ここに出席している面々の意見を決めるのにそこまで時間が必要だとは思えませんね」鎌上が即座に断る。それに便乗しそうだそうだ!と鎌上派の幹部から野次が飛んだ。

「であればその半分の二週間でどうですか?」川那さんは野次を特に気にした様子もなく、続ける。

「ふむ…」考え込む鎌上。

「幹部の皆さんもお仕事が忙しいし、皆さんにどちらが教主に相応しいか、考えていただくにはそれくらいの時間は必要だと思いますがね」川那の言葉に今度はそうだそうだと数人の幹部連中から声が上がる。

「…分かりました。それくらいの期間なら構わないでしょう。

 鎌上の皮肉を込めた声を素知らぬ顔で受け流し、酒を呷る川那さん。その言葉を境に、張り詰めた空気のまま、会はお開きとなった。


「菱也様、申し訳ないことをした」

 最後まで残っていた川那さんを見送りに行ったところ、屋敷の外に停めた車まで同行をお願いされ、歩いている途中、ポツリと川那さんが零した。

「さっきのだがな、どうしても鎌上に教主の座を継がせたくなくてな。君の意志を無視して担ぎ上げてしまった」

「いえ…もう過ぎたことですし、それに、僕も皆さんの期待に応えたいので」

 そういうと、なぜか川那さんは苦い顔で僕を見る。

「君は自分の感情を隠すのに慣れすぎている。まだ高校生なんだ、もっとやりたくないことはやりたくないと声を大にして伝えてもいいと思うぞ」

 …まったく、何にもわかっていないな。

「僕は感情を表に出してますよ。今回のことも本気で力になりたいと思ってます」

 笑顔の僕に釈然としない顔で頭をかく川那さん。

「そうはいってもだね…」

「僕は父の死の真相を突き止めたいのです。そのためならばなんだってしますよ」

「…真相?君は何を…」驚いたように僕を見る川那さん。

「だから川那さん、取引です」そんな彼に僕はゆっくりと話しかける。

「僕はあなたに協力します。だから

「私は…何をすればいいんだ…?」戸惑う川那さん。

「あなたの配下の人に鎌上を見張っていて欲しいのです。そしてあいつが不審な挙動をしたら逐一僕に報告して欲しいです」

「しかし…そんなことをしても、選挙には勝てないぞ…」どうするんだ、と川那さんが目で問いかける。

 川那さんの言う通り、鎌上さんに明確に反対している人は全体の2割もいないようだ。残り全員の中立派の票を僕の味方につけたとしても、全体の半分以上の幹部を味方につけている鎌上に勝つのは常識的に考えれば不可能に思える。

「そんなことは心配しなくていい」僕は断言する。

「鎌上が父の殺害に一枚嚙んでいることは明白なんです。見張っていれば二週間も待たずに必ず奴は尻尾を出すに違いありません。そうすれば失脚は免れない」

「そ、そうすれば…!!」

「えぇ、あなたの思い通り、私が教主の座に収まるというわけです」

 僕の言葉に納得したのか、鎌上の身辺調査を約束してくれた川那さんが車で去っていくのを見送り、屋敷に戻る。

「菱也様、私感動しました!」

片付けの手伝いをしに食卓へ戻るや否や香奈さんから声を掛けられる。

「私、一生懸命応援しますから!絶対に久祈様の後を継げるのは菱也様しかいないと思います!」

「あ、ありがとう…」

 ふんす!と腕を体の前に組み、気合を入れる香奈さんに思わず引きつった笑いが出てしまう。どうやら先ほどのやり取りを聞き、えらく気合が入っているようだ。

「この屋敷の人みんなで応援しますから!鎌上さんに負けないでくださいね!」

「わ、わかりました…」

 ここは私に任せてください、と言うと勢いよく片付け始める香奈さん、頬を紅潮させ、顔がほころんでいるところを見るとよほど嬉しいようだ。

「菱也様、先ほどは大変でしたね…」

 香奈さんと共に宴会席の片づけを行っていた朋美さんだが、香奈さんの奮起により手持ち無沙汰になったのか僕に話しかけてきた。

「まぁね、でも鎌上に対する仲間が増えたし、僕の方の目的は果たしやすくなったから結果オーライかな」

「でも…」朋美さんはどこか釈然としない様子だ。漸諫教に対する僕の気持ちを知っているからこそ、今教主の座に収まろうとしていることにあまりいい気持ちを抱いてはいないようだ。

「いいじゃない、漸諫教の幹部とのつながりもできたし、さっき話してきたけど、鎌上の周辺調査にも協力してくれるってさ。それに真相がわかった後には川那さんに後の処理を頼めばよくなったしね!」だから気にするな、という言葉を言外に感じ取ったのか、朋美さんは渋々ながらも矛を収めてくれたようだ。

「それはそうと…選挙の話ですが、やはり鎌上さんに勝つのは難しそうですね…」

「大丈夫だよ。僕は選挙で鎌上に勝つことを狙ってはいないから。期間内に父さんの死の原因を突き止め、それで鎌上を失脚できればいいんだから」

「そうだとしても、あの方の弱点を見つけるのは容易ではないように思えますが…」

「そこで朋美さんの力を借りたいんだ。今ここで鎌上のことを千里眼で見れるか試してもらえないかな?」

 朋美さんは僕の声に応えるように、ブレスレットを握り目を閉じる。

「…今は車の中に居ますね」

 しばらくののち、ゆっくりと目を開いた朋美さんはそう答えた。

「ということは朋美さんの力で鎌上さんを見ることはできるってことだね」

 そういうと、釈然としない表情を浮かべながらゆっくりと頷く朋美さん。

「じゃあ、定期的に鎌上さんのことを千里眼で覗いて欲しいんだ。どんな些細なことが真相の究明につながるか分からないからね。何か不審なことがあれば何でもいいから報告してほしい」

「はい…分かりました」

「よし、一旦話を整理しよう。僕は教主の仕事に興味があるふりをして、鎌上に近づこうと思う。朋美さんには僕が鎌上の側にいない時の監視をお願いするよ」

「承知しました…」

「じゃあこれから頑張ろう!」

 そういうと僕と朋美さんは頷きあい、香奈さんに仕事を任せて明日からの準備をするため部屋に戻った。

 しかし、鎌上の正体を暴くことに浮かれていた僕は気づかなかった。


「……??」


 僕の背後で朋美さんが首を捻りながらぽつりと零した言葉に。



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