顛:離別、惜別、聖別―間章2―

 朋美は屋敷の前で香奈と共にその時を今か今かと待っていた。

 兎狩から吉報を受け取って2時間、夏の熱帯夜の中薄く汗を滲ませながらもその時を待っていた彼女が待ち望んでいた時がついに来た。

「…ただいま」

 そういいながらこちらに歩み寄ってくる菱也は記憶の中の姿よりも少し日焼けして体つきががっしりしたように見えるが、それよりも久々の再開であるにも関わらず、どこか心ここにあらずな様子なのが朋美には気になった。

「菱也様!」

「あぁ…朋美さん!香奈さんも…」

 駆け寄る朋美に菱也は微笑みかける。やはりその笑みはどこか弱々しい。

「菱也様!あぁ…教主様が…」

 香奈は菱也を見て安心したのか、涙ぐんでいる。

「うん…僕もニュースで見て知りました…明日にでも通夜をやることになるそうです…」

「菱也様!」

 朋美はそんな菱也を見てはおれず、思わず2人の間に割って入ってしまった。突然のことに2人の目線がこちらに向くも、何故か言葉が出ない。口を動かしはするものの、肝心の言葉が口元まで浮かんでは消えてしまう。

「あ、そうだ!久しぶりに菱也様に私の腕を振るいますね!少々お待ちを!」

 朋美の様子を気遣ったのか、涙をぬぐった香奈さんが大きな声でそういうと屋敷の中へ入っていった。残された朋美と菱也の間に沈黙が訪れる。

「朋美さん、大丈夫?」

「申し訳ございません。久しぶりにお会いして…しかもあんな大事件もあって…なんと言葉をおかけすればよいか分からなくなってしまい、思わず言葉に詰まってしまいました」

 ぎこちなく会話を交わすもすぐに2人の間に沈黙が訪れる。

「でも…菱也様こそ…表情が優れないようですが…どうかなさったのでしょうか…?」

「…鬼麟が」何とか言葉を絞り出した朋美の問いかけに対し、菱也が地面の一点を見つめながら、ゆっくりと噛み締めるように話し出す。

「鬼麟が、死んでしまった。」

「えっ…」

 予想だにしない言葉に声も出ない様子の朋美。そちらを一切目もくれずに菱也は話し続ける。

「僕を連れ戻しに来た鎌上っていうやつと一対一で戦っててさ、あんな強いやつが、殺しても死ななそうなやつが、まさか本当に死んでしまうなんて思わなかったよ。」しかも僕をかばってだ、と自嘲気味に続ける。

「僕が鬼麟と一緒に家出して1週間も経っていないのに、こんなに短い間に父さんも、鬼麟も死んでしまった。結局、父さんとは喧嘩別れしたままだったし、鬼麟を殺したのは僕みたいなもんだ。」とおもむろに菱也は顔を上げる。その目は普段の菱也からは想像もつかないような怒りと憎しみの色に溢れ、ギラギラと不気味に輝いていた。

「僕は、父さんを殺してその罪を鬼麟になすりつけた犯人を見つけなければならない。そいつと、鬼麟を殺した鎌上との決着をつけるためには、僕はどんなことでもするつもりだ」

「菱也様…」

 朋美は突然の菱也の豹変ぶりにそういうのがやっとであった。これまで菱也と一緒の時を過ごしていた時には一度も見せなかったその形相は自分のいない間にどれほどの衝撃に襲われたのか感じさせ、朋美の心を複雑にかき乱した。

「朋美さん、僕に力を貸してほしい」

 そんな朋美に菱也はずいと歩み寄ると、彼女の両肩を掴み、真剣な声色でそう尋ねた。突然肩を掴まれた朋美はいやいやと身をよじり、その拘束から逃れようとする。

「朋美さん!お願いだ!」

「お、落ち着いてください!菱也様!」抵抗し、何とか菱也から逃れた朋美は数歩後ずさる。

「お父様が亡くなられたばかりなのですよ!少し冷静になってください!」

「冷静になる?僕は今も冷静さ、その上でお願いしているんだ」

「な、何を…」

「鬼麟が僕の父を殺すわけがないことは君だってわかるはずだ。そうすると僕の父を殺した犯人は誰なのか。」

 黙って菱也の言葉を聞く朋美。

「父さんを殺せる距離まで近づくことができる人間である、ということを考えると犯人は漸諫教の幹部の人間という可能性が高い。僕と朋美さんはこの屋敷に住んでる以上、ほとんどの幹部の人とも面識がある。幹部の動向を探るのはうってつけというわけだ」

 そこまで言った後、改めて朋美に右手を差し出す菱也。

「僕の父さんの無念を晴らすために、お願いだから力を貸してほしいんだ」

 迷う様子の朋美に対し、菱也は彼女を見つめたまま動かない。

「…一つだけ条件があります」ぽつりと朋美が言う。菱也は黙って言葉の続きを待つ。

「…久祈様の死の真相がわかったら、その時点で菱也様は身を引いて欲しいのです」

「それは…僕が直接…っていうのは駄目ってことかな?僕は父さんと鬼麟の復讐を―――」

「菱也様が!」朋美が遮る。そしてゆっくりと菱也の方を見つめる。その瞳からはいつの間にか大粒のしずくが零れだしていた。

「菱也様がその二人に対して抱いている思い…それ以上に、私にとっては菱也様のことが大切なのです!だからこそ、菱也様が傷つくのならば私はこの身を挺してでも止めさせていただきます!」

あふれ出る涙の粒もそのままに、朋美は大きく声を張り上げる。

「………」

そんな朋美を見た菱也は長い無言の後、

「わかったよ、朋美さん」と静かに答えた。

「では、菱也様…!」

「うん、僕は必ずあの2人の死の真相を暴く。でもその後の始末は警察とか、もしくは教団内の幹部連中に任せることにするよ。それでいいかな、朋美さん」

朋美は大きく頷くと、差し出された菱也の手をギュッと握る。

「あっ……ひ、菱也様…!!」

菱也は握られた手を引き寄せる。そのため勢いあまって菱也に抱きつく形になってしまった朋美は頬を染めながらも自分からはその身を離そうとはしない。

「ありがとう、朋美さん。本当にありがとう…」

「菱也様…」

耳元でささやかれた声に感極まった様子の朋美は気づかない。彼女の肩を抱いている菱也の顔はその言葉からは想像もできないほど冷え切った表情でどこか遠くを爛々と睨みつけていることに。

「お父さんの葬式が終わり次第早速調査開始しよう」

「はい!ぜひ協力させてください!」

 しばらくして身を離した二人は、そう言い交わすとちょうど食事の準備ができたのか、香奈から名前を呼ばれたことに気づき、笑みを浮かべながら屋敷の中へと歩き出していった。








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