顛:離別、惜別、聖別―中編―

 鬼麟と白衣の男の戦いは意外なことにまず殴り合いから始まった。

「そらそら、その図体は飾りかよ!」

 鬼麟が目にもとまらぬ速さで殴りかかる。対する白衣の男はその速度に何とか追いつけてはいるようだが、鬼麟の一方的な乱打にろくな反撃もできず防戦一方だ。

「ようやっと始まったな。菱也様」

 いつの間にか木のうろの前まで移動していた兎狩さんが僕に話しかける。

「…気づいていたんですね」

「まぁな、それより見てみぃ。あれが鬼同士のぶつかり合いや」

 兎狩さんはとても嬉しそうに目の前の戦いを指さす。

「見ろと言われても…早すぎて目で追いきれませんよ」

「かもなぁ。でもあれが、が今日まで君の隣で一緒に生活していたってことはわかってもいいと思うで?」

「…何が言いたいんですか?」

 兎狩さんの物言いに自然、彼を見る目に力が入る。

「だからな、あいつらと俺らの間にはが存在するっちゅうこった。ゴリラとバッタが一緒に暮らせるか?君は自分が鬼麟の姫様の気まぐれで生かされてたっちゅうことは理解できていたか?」兎狩さんは僕に向きなおる。そのサングラスの奥の瞳に何が浮かんでいるのかはうかがい知れない。

「兎狩さんの言う通り、鬼麟は気まぐれな奴です。人を殺したりすることだってあるかもしれない。でも」僕は負けず、反論する。

「僕と鬼麟は友達なんです。友達をなんとなく殺すような奴ではないことくらい、僕は分かってるつもりです。」

「友達、ねぇ…全く羨ましいというべきか、のんきというべきか……」

 兎狩さんは苦笑しながらかぶりを振る。

「それで君はいいかもしれん、でも鬼にあまり深入りするのはよしたほうがええで。姫様以外にも君のことを大切に思ってる人はいるんやから。君の居場所だってその友達が探してくれたわけやし」

「そんな説教をしに僕のところへ来たんですか」

「いやいや、そんなわけないやん!」確かに説教臭くなってもーたな、と兎狩さんは一人で笑い、

「俺はな、君に提案をしに来たんや」と告げた。

「提案…?」という僕に


「せや、言っとくがな、?」

 あっさりと、にわかに信じがたいことを告げたのであった。


「…は?」

 今度は僕が言葉を失う番だった。ただし、それは兎狩さんの言葉に動揺したからではない。

「あの鬼麟が?まさか、あいつが負けるわけないでしょう。このまえどでかい化け物と戦った時も傷一つ負わずに瞬殺したやつなんですよ?」あまりに想像できない光景に思わず鼻で笑ってしまう。

「まぁ鬼を知る君ならそう思うかもな。でもな、これは鬼と実際に戦ったやつしか知らない情報なんやがな。君にだけは教えたるわ」と言うと、兎狩さんはわざとらしく僕の耳元に顔を寄せ、ささやいた。

「鬼はな、人間や依代の攻撃にはそもそも傷一つつかないねん」

「え?」

「だからな、人間がどんなに刀で切り刻もうが、どんなに強い力でハンマーでぶん殴ろうが、鬼には傷一つどころか、寝跡のようなものすら付かないんや」

「また、よくわからない話ですね…」

「なんでそうなってるかは知らんけどな、鬼の表皮はその鬼の属性の力―魔力って言った方が君たち世代にはイメージしやすいか?―が渦巻いていてな、普通の攻撃は弾くようになってるんや」

「なるほど…?まだよくわかりませんが、であれば鬼麟は鎌上さんの攻撃に傷一つつかないってことですよね?殺されるはずがないじゃないですか」

「それがな、ここからがミソやねん」兎狩さんはさらに声を潜める。

「さっき俺は、”人間や依代の攻撃で傷一つつかない”って言ったやろ?つまりな、ってことやねん」

「そ、そうなんですか…?でもあの鎌上って人は鬼には見え……!」

「お、気づいたようやな。あの人はな、見た目はただの人間なんやが、鬼の血でドーピングしててな、文字通り吸血鬼ってやつなんや」

 兎狩さんの声がするのと同じタイミングで鬼麟達の方で大きな衝撃音がする。慌ててそちらを見ると、そこには僕が思いもよらなかった光景が広がっていた。

「…ってー。ったく、まさかお前が同類だったとはな」

 鬼麟が頬を抑え、体勢を崩している。体に大きな傷は見受けられないが、服が所々破れ、顔からは鼻血が一筋垂れていた。

「同類?まさか、とんでもない。私は君の力を盗んでいるだけのただの鬼のなりぞこないだ。その力だって君の全盛期の6割ほどしか出せていないのではないだろうか」

 対する鎌上と呼ばれていた男も白衣が擦り切れ、その下のシャツやパンツにも擦り傷が見受けられるが、鬼麟よりも元気そうに見える。

「くっそー。あたしに怪我をさせるなんて、めっちゃ久しぶりじゃねーか。お前とはもうちょいいいコンディションでやりたかったぜ」

「そう言うな。戦いなんてのは、常に思いもよらず始まるものなのだから」

 そういうと、再び激突が始まった。先ほどと同様に速度で圧倒しようとする鬼麟に対し、鎌上はゆったりと構え、鬼麟の攻撃を受け流しつつ、要所要所で腕や足を掴もうとしている。その動きは最初とは異なり、鬼麟の速度に徐々に追いつき始めているように見えた。

「あれが、吸血鬼…?」

「そう、吸血鬼や」

 まぁ、元々鬼も人の血液を吸って生きてるから、吸血鬼っちゃあ吸血鬼みたいなもんやけどな、と笑う兎狩さん。

「鬼の血を体内に入れるとな、普通の人は拒否反応が出て体が変形したり、正気を失ったりしてしまうんや。君は見たことあるはずやで」

「?」記憶を探っては見るものの、全く心当たりがない。

「あれ、知らんかったのか?君を殺したあいつ、もとは人間なんやで」

「あ、あれが…?だって…ヒグマぐらい大きかったですよ?」

 数メートルの巨体で四つ足歩行する姿はどう考えても人間とは結び付かなかった。

「体が変形するって言ったやろ?あれももとは普通の人間や」

 ちょっとそれてもーたから話をもとに戻すで、と兎狩さん。

「それでな、かなり希少な例になるんやが、もし体内の鬼の血と適合できた場合、その鬼の力を手に入れた人間が誕生するってわけや、あの鎌上サンみたいにな。」

「それがあなたのいう吸血鬼ってことですか…でもちょっとわからないんですが、あの男は鬼の血をどこから手に入れたんですか?」

「まぁ、それは色々あってな…」兎狩さんは露骨に言葉を濁した。

「とにかく、今の鎌上サンは人間の身を捨て、鬼殺しを成し得る存在になったってわけや」何分初めてのことで俺らもちょっと不安だったんやけど、姫さんに傷を与えられてるみたいやし、どうやら実験は成功してしまってるみたいやな、と兎狩さん。

「それで…僕にどうしろというんですか?」

「君、あの鬼の姫さんから金棒もらってたやろ、あれでちょっとお願いしたいことがあんねん」兎狩さんはそういうと、ひそひそと僕にどうしてほしいかを伝えた。

「…それで、結局あなたは何がしたいんですか?」兎狩さんとの話が終わった後にどうしても納得できなかった僕は兎狩さんに伝えた。

「あなたはあの男の味方のはずだ。どうして僕にそんなことを教えるんですか?」

「ま~全部教えるわけにはいかないんやがな。俺は別に鎌上サンの味方ってわけでもないわけ。鎌上サンには鬼麟を倒した後にリタイアしてもらいたくてな」

「…でも、もし鬼麟が負けるんだったら、そんな相手に僕が勝てるわけ…」

「菱也くん」兎狩さんが僕を見る、普段は窺い知れないサングラスの向こうの瞳が、今はこちらを睨んでいることがなんとなくわかった。

「負けると分かった相手に尻尾巻いて逃げるのは自由や、だけどそれは畜生と同じ、人間以下の行動だと俺は思う。人間なら、自分が一度決めた道の上での戦いはたとえどんなに勝てる見込みがないとしても、立ち向かっていくんや。そこで死ぬならそれでもいい、そういう気持ちでいることがってことや」

「…”生きる”…」

「そうや、君が鬼麟の姫様に学んだことはなんや。それをようく考えてみることや」

 兎狩さんはそういうと、鬼麟たちの方に視線を向けた。

「他人の言うことなど気にするな。

 僕は木のうろから抜け出し、兎狩さんの横に並んだ。

「兎狩さん。あなたは鬼麟の敵で、だから僕の敵でもある、お礼は言いませんよ」

「別に構わへんで、お礼を言われるためにやったわけでもあらへんし」

 短く言葉を交わした後、僕は鬼麟と鎌上と呼ばれる男の戦いの場に向かって駆け出した。


「鬼麟!」

「!お前…隠れてろって言っただろ」

 背後から声をかける僕に対し、鬼麟は前を向いたまま、僕に話しかける。

「君が危なそうだったから…助太刀させてもらうよ」

「お前が勝てる相手じゃない…引っ込んでろ」

 そういう彼女を無視し、僕は鎌上と呼ばれる男を睨みつける。

 パッと見ではわからなかったが、よく見ると頭の両脇に小さな出っ張りが見える。きっとあれが角なのだろう。

「君は…菱也君か」

 僕に気づいたのか、鎌上が僕に話しかける。

「お父様が大変なことになってしまってね。私は君を連れ帰りに来たんだ」

「でもその前に鬼麟を殺そうとしている。僕はそれを止めに来ました」

「おやおや、いつもの君らしくもない。」本当に驚いたのか、わずかに目を見張る鎌上。

「こいつは鬼だぞ。ただ気の向くまま、蟻を踏み潰すように人間を殺すやつだぞ。この世に生きていていい存在ではないだろう?」

「さぁ、どうですかね。少なくても僕は鬼麟が人を殺したり、その血をすするところは見たことないですよ?案外鬼と人間は共存できるのかも」

「それはない」鎌上が僕の言葉を遮る。

「全く、無知というのは罪だな。きみがこれまで殺されていないのはこの鬼の気まぐれにすぎない――気まぐれというのは本人以外に予測ができない、最も恐れるべきことだ。これは君の後学のために教えておくが、そんなものと対峙するときは、対話などしようとするな、支配するつもりで臨むことだ」

「つまり、鬼麟を支配しようとしているということですか?」

「いいや、今言ったのはコミュニケーションをとろうとする場合の話さ。私は」鎌上は一呼吸置き、

「こいつを」と言葉を締めくくった。

「ではあなたは僕の敵ということになる」僕は金棒を手に呼び出し、構える。

「僕は友達を守る―ただそれだけです。――鬼麟!」

「なんだ」鬼麟が僕に背を向けたまま短く答える

「これは君だけでなく、でもあるみたいだ。だから勝手にさせてもらうぞ」

「へっ、言うようになったじゃねぇか。そこまで言うならあたしはもう何も言わねぇから、お前の好きにしな」

 鬼麟と僕は地を蹴り、鎌上へと飛び掛かる。

「はっ!」

「っせい!」

 鬼麟の中段突きに合わせて、僕は振り上げた金棒を思いっきり振り下ろす。

 鎌上は成すすべもなく、鬼麟の突きを防ぐので精いっぱい――

「な、なんで…?」

 思わず口から声が漏れる。

「菱也君、知らないのかね?鬼には人間からの攻撃は効かないのだよ」

 僕が振り下ろした金棒は鎌上の肌の上、まさに触れ合おうかと言ったところでピタリと静止してしまっていた。慌てて力を籠めると、!!!と嫌な音をたてながら金棒はスライドしていき、真横に弾かれてしまった。

「菱也、はいま、お前の体に埋め込まれているのを忘れたのか!」僕の様子がおかしいのに気付いたのか、鬼麟が鋭く声を上げる。

「ふむ…その言い方だとそれは元々そこの鬼のものだったのか?」鎌上が意外そうに声を上げる。

「一緒に逃げ出したと聞いた時からおかしいとは思っていたが…さては兎狩の奴、報告を怠っていたな?」ちらりと兎狩の方を見る鎌上。

「まあそれは後で話し合うとして…分かったか菱也君。君はこの場にお呼びでないということさ」

 鎌上の言葉にギクリと体が固まる。

「少し眠っていてもらうよ?」

 そういうと音も無く僕の後ろに移動していた鎌上の手が音も無く僕の意識を奪おうとする。

「おっと!」とっさに僕と鎌上の間に割り込んだ鬼麟が強かにその攻撃をくらう。当たり所が悪かったのか、よろよろと起き上がる彼女の口の端からは血が流れていた。

「菱也!ボケっとすんなよ!!?」

 鬼麟の言葉に慌てて僕は握っていた金棒を構えなおす。その金棒は徐々に渦を巻き、徐々に周りの空気を巻き込みながら赤黒い風を纏いだした。

「依代の能力を使おうと君は人間。どうしようが私に傷一つ負わせられるはずはないのだがね…」

 あきれたようにため息を吐く鎌上。

「そんなこと、やってみないと分からないだろ?」

「好きにするといいい。君のあがきなど、私にとってはそよ風にすら感じられないのだから」

 そういうと、今度はこちらに向かって駆け出してくる鎌上。

「菱也、来るぞ!」

「鬼麟、君の方だ!」

 一直線に鬼麟に向かい、握りしめたこぶしを振りかぶる鎌上。僕は必死にその背後に向かって駆け出す。

「お前の命を捧げ、私は新たな人類の希望とならん!」

 ダメだ―!間に合わない――!!

「ええいっ!」

「ッ!」

 鬼麟の胸元まで伸びていた手を引っ込め、慌ててその場を飛び退る鎌上。その脇腹にはのが見える。

「菱也君、君は…何を…」

「何を?何を…って、ですが?」

「でかしたぞ菱也!」

 こちらに気をとられている鎌上の隙をつき、鬼麟が逆に鎌上の頬に殴りかかる。

 どうやらクリーンヒットしたのか、ドゴォ!という音と共に鎌上が吹き飛ばされ、ゴロゴロと転がる。

「グッ…ちぃぃ!」

「よそ見をしていて勝てる相手じゃないんだぜ?あたしはよぉ!」

 倒れこんだ相手にマウントポジションをとると、鎌上に乱打を浴びせかける。

「舐めるなよ!小娘がぁ!」乱打を避けることなく、鎌上は鬼麟のわきの下を2,3回殴り、体勢を崩させると跳ね起き、距離をとった。どうやら少なくない怪我を負ったようで顔から鼻血が出ている。

「…なるほどな。だったのか…」自身の鼻血を見て納得したような声を上げる鎌上。

「元々鬼の依代だ、血に関する能力はあって当然というわけか…」

 鬼麟、鎌上の出血部分から滴った血が僕の持つ金棒が巻く渦に引き寄せられている。最初は土ぼこりを上げているように見えているだけだった金棒は、渦が赤黒くなり、おどろおどろしい雰囲気を漂わせている。

「これで僕の攻撃はあなたに傷を負わせられるってわけだ」

「得意げになっているところ申し訳ないが、その言葉の意味が分かっているのかね?」鎌上が僕に向きなおる。

「君はただの人間だ、金棒があったからと言ってその攻撃が私に届くのかい?」

「…」

「君は私にとって脅威となってしまったのだ。であれば鬼麟よりも先に倒しやすい君から倒すのが自然」

「つまり、君はただ、いたずらに自分の死期を早めただけに過ぎないのだ。報告は多少面倒になるがやむを得ん。その命、もらい受けるぞ」

 そのまま駆け出してくる。想像以上に速いそのスピードに咄嗟に金棒を構えるも、横一閃、勢いよく薙ぎ払われてしまう。

「ではな、父君と同じ場所に送ってやる」

 僕の胸元に向かって振り下ろされる貫手を防ごうとするも、手の金棒を戻すのは間に合いそうになかった。それでも何とか避けようと体を捻ろうとする僕の体が、その刹那、大きく横に弾き飛ばされた。

「―――!!」

「…む。こいつは」

 鎌上が腕を引くと、ごぽり。と血が地面に伝う。その量は次第に増えていき、水たまりのように

「き、鬼麟―――!!」

「…ん?…あぁ、菱也…大丈夫か…?」

 慌てて彼女のもとに駆け寄る僕。彼女は弱弱しい動きで僕の方を向くと、口の端から血を流しながら微笑んだ。

「お、お前…なんで、なんでこんなことを―!?」

「馬鹿が…これはあたしの戦いだ…っていった…だろうが…」

「血、血が…待ってろ!今金棒で何とかしてやる―!!」

「いや…いい…あたしは…あたしの好きなように…生きた…もう…十分だ…」

「そんな、そんなこと言うなよ!?お前鬼なんだろ!?最強の鬼なんだろ!!こんな傷ぐらいどうとでもなるんだろ!?」

「へ…菱也…最後にな…頼みを…聞いてくれ…」

 徐々に弱弱しい声になる鬼麟。

「最後なんて言うなよ!なんでも聞いてやるからさ!」

「あたしに…その金棒を…ちょっとだけ…貸してくれ…」

「わ、わかったよ!ほら、これでいいのか」

「あ、あぁ…ありがとう…」

 僕が渡した金棒を受け取った鬼麟はそのまま

「…うっ…ぐっ…あぁぁ…!!」

「ちょっと待て!お前、お前何やってるんだ…!!」

 

「鬼麟!なにやってるんだよ!?鬼麟!!」

 僕の頭には先ほど兎狩さんに耳打ちされたことが繰り返されていた。

 ―あのな、鬼麟が殺されることがあったらな、どんな手段をとってもええ、その金棒で血を全て吸い取るんや―

 今の鬼麟の動きはまさしく、兎狩さんから命令された通りのことではないか――!

「う…るせぇ…な…あたしの…勝手にさせやがれ…」

 苦しそうな顔のまま、うわごとのように言葉を紡ぐ鬼麟。次の瞬間、

「き、鬼麟!お前のか、体……体が…透けてきてるぞ!!」

「菱也…お前の…戦いには…金棒こいつが…絶対役に立つ…放すんじゃ…ねぇぞ」

 僕の声が聞こえないのか、うわごとのようにつぶやく鬼麟。

「じゃあな…菱也…お前は…お前の…戦いを続けろ…」

 その言葉を最後に、ほとんどその輪郭を保てないほどに薄くなっていた鬼麟の姿は完全に霧消し、地面に落ちた金棒の音が空しく響いた。

「対象の消失を確認。思わぬ邪魔が入ったが、何も問題はなかった。鬼麟きみの死は無駄にはしないよ」

 鎌上の声が耳に入った瞬間、僕の理性が吹き飛んだ。

「だまれぇぇぇぇ!!」

 拳を握り、殴りかかる。が、たやすく突き飛ばされ、地面を転がる。

「無駄な抵抗はやめたまえ、彼女を倒した今、私の方に君を倒すつもりはない」

「がぁぁぁぁぁ!」

 投げかけられる言葉を無視し、転がった先の地面にあった金棒を掴むと全力で振りぬいた。しかし、

「先ほども言ったが、君は生身の人間だ。その依代さえなければ鬼の血に選ばれた私の相手ではない」

 金棒がその体に届く前に腹部に衝撃が走り、僕は意識を手放した。


    **


「もうちっと手こずるかと思ったら、案外上手く言ったな」

 全てを終えた鎌上に向かい、兎狩がゆっくりと歩み寄る。

「思いの外奴の力を感じなかった。私がこの血の力をうまく引き出していたのか、あるいは…」

「まぁまぁ、勝てたんだから細かいことは気にせんと、明るい未来を考えようや」

 軽く言う兎狩を他所に鎌上は先ほどの攻撃で気を失っている菱也を脇に抱える。

「鬼にかどわかされた教主の坊やの回収とその鬼の討伐任務、成功だ。後は時間に任せるだけで教主の座は私のもとに転がり込んでくるだろう」

「じゃあこれで我々の目標も達成、ということで、褒美を期待してるでー」

「ところで」

 いそいそと近づいて来る兎狩の足が鎌上の声でピタリと止まる。

「なってみて初めて分かったが、鬼の吸血衝動というのはすさまじいな」

「ふーん、そうなんや。ま、それは力の代償なんやろな」

「あの鬼麟という鬼もさぞ苦労しただろう。私も急遽飢えを満たしたくなってきたぞ」

「話が見えへんけど…?」

「物わかりの悪いやつだな。つまりということだ」

 鎌上の腕が一瞬見えなくなるほどの速さで兎狩に襲い掛かる。その手が首に届こうかというところで、

「おや?おやおやおや?これはいったいどういうことや?」

 から兎狩が不思議そうに声をかける。

「鬼麟がこの坊やに依代を与えていたこと、私に報告を怠っていたな?貴様を信用できんということだ」

「あらー、さすがに今から白を切るのは難いか?でも鎌上さんも1つ忘れてんで?―ってこと」

 脇に菱也を抱えているからか、振り返りはするもののそれ以上の追撃をしてこない鎌上に向かい、兎狩はゆっくりとスーツの内ポケットから奇妙な形をした10センチほどの長さのバタフライナイフを取り出した。取っ手の部分に空いた穴に指を通し、器用にくるくると回しながら、

「こんなちゃっちいナイフでも今の鎌上サンにはさぞかし痛いと思うで~?どうする?菱也くんをかばいながら、俺を倒せるかな~」

「…フン、そういいつつもどうせ他にも対鬼の依代を隠し持っているのだろう。食えないやつだ。殺すのは後にしておいてやる」

 鎌上は鼻を鳴らすと兎狩とは逆方向へ歩き出す。その背中から殺気が消えており、兎狩も「いや~、殺されたくはないねんなー」と嘯きながらその背中についていく。先程まで人外の衝突が行われた場所は、2人が去ったことで本来の静けさを取り戻し、何事もなかったように夜風がそよいでいた。


    **


 僕が目を覚ますと、車の助手席に座らされていた。

「目を覚ましたか」

 鎌上の声に意識が急速に覚醒し、体を動かそうとしたところで何か縄のようなもので縛られていることに気が付いた。

「暴れるな、締め付けられて痛いだけだぞ。こいつ謹製の依代封じもついているから金棒を出そうとしても無駄だぞ」

「それ高い代わりに効き目抜群やからなー」

 後部座席から兎狩さんの声が聞こえる。その声に自分の体をよく見てみると、縄の上に何か札のようなものが貼られている。その文字はのたくっており読むことはできないが、試しに金棒を手に出そうとしてみると手に具現する前にその札が輝き、力が抜けてしまう。どうやら効き目は確かなようだ。

「…僕をどこに連れて行こうっていうんです?」

 身動きが取れないことを理解した僕は唯一動く口を使う。

「君のご自宅だよ。最初にそう言っただろう?」

「僕を家に帰して、あなたたちはどうしようって言うんですか?」

「どうやら君は自分の立場が分かっていないらしい」

 走っているのは高速道路だろうか。ほとんど車の影がみられない道路を猛スピードで運転している鎌上は少し呆れたような声をだす。

「教主である父上が亡くなり、息子の君は鬼のせいで行方をくらましている。今漸諫教は上を下への大騒ぎだ」

「…そんなこと、知ったこっちゃありませんよ」

「まぁ、君ならそういうだろうね。でもね、ここで大事なのは1つ。ってことさ」

「…」

「『攫われた君を救い出し、元凶である鬼を討伐し、教主さまの仇をとる』、清須会議の羽柴秀吉のように、君の父の後を継ぐものとしての手柄としてこれ以上ないと思わないかい?」

「…でも、鬼麟は、あいつは父さんを殺してなんかいない。あなたは仇をとったことにはならないですよ」

「考えてもみたまえ、君の父を殺した下手人である鬼なんて存在は、ここ最近彼女しか確認されていないんだよ?であれば真犯人を見つけない限り、彼女が犯人であることにだれも文句を言えないと思わないかい?」

「犯人は鬼…」

「そういうことだ。だが安心したまえ、君の暮らしは何も変わらないさ。、それだけさ」

「…あなたは、」

「ん?なんだい?」

「あなたはどうして、そこまでして漸諫教のトップになりたいんですか?」

「…」

 大きくため息をつく鎌上。そして

「生まれがいい君にはわからないだろうけどね。この世界ってのはとっても不平等なんだ」話が退屈なのか、後部座席でうつらうつらと船をこぎ始めた兎狩さんを他所に、鎌上は静かに語り始めた。

「生まれた瞬間、病に侵されて命を落とすこともある。子供の頃、手を上げて渡った道路に車が突っ込んで命を落とすことがある。そして、。この地上で最も栄華を誇っている人間はそのくせにまだ克服できていない障害が多すぎる」

「だから私はね、その障害に対抗する術を必死で探すことにした。最初は依代の持つ力に注目していたんだがね、どうしても死を克服するほどの力は持っていなかった。だが依代について調べていた私に君のお父さんが接触してきてね、そこでたどり着いたのが鬼の持つ力というわけだ。こいつはいい!この体こそまさしく、我々人類をさらなる段階へ昇華させてくれる存在に違いない!」

 ハンドルを握りながら恍惚とした表情で語る鎌上の頭の左右から、いつの間にか闇をも吸い込みそうな黒々とした角が生えている。鎌上はそのまま荒っぽくハンドルを切り、高速道路から国道に降りる道に進んだ。

「あなたは…」

「だがね、この鬼の力もまだまだわからないことが多い」鎌上は僕を無視して話を続ける。

「もっとこの力を知るために、私にはどうしても欲しいものがあるんだ。というね」

 いつの間にか冷静を取り戻したのか、先ほどの高揚が嘘のように落ち着いた声色で静かにハンドルを握りながら鎌上は言う。

「だからさ、菱也くん」


?」


 鎌上の問いかけに僕は――


    **


「菱也くん帰しちゃってよかったんか?」

 菱也を屋敷の前に降ろし、研究所へ向かう車の中で後部座席から兎狩が聞く。

「よかったもなにも、それが我々の任務だろうが」

 先ほどと変わらず運転席でハンドルを握る鎌上が答える。

「でもなー、多分あの子、で」

「――あぁ、そうだろうな」

「復讐されるかもしれないのに、帰しちゃってよかったんか?」

 最初に聞いたことをまた繰り返し聞いてくる兎狩に苦笑し、

「今回は”連れて帰る”ことが目的なのだから、仕方がないだろう。それに、もし向かってきたとしても、のだから恐れる必要は何もない」とこともなげに続ける。

「そういえば、さっき鬼麟と戦ったときなんで依代使わなかったん?鎌上サンの依代ならわざわざ殴り合いなんかせんとももっと簡単にやれたやん」と思い出したように聞く兎狩。

「あの時は鬼の膂力を実際に体で確認したくてな。私の依代は加減ができないのは知っているだろう」

「鎌上さんが依代使ったら跡形もなくなってまうもんな!」おーこわ、とわざとらしく体を震わせる兎狩。

「それで、もし菱也君が立ち向かってきたら、その最強の依代を使うんか?」

「なるべくは使いたくないが、襲い掛かってこられたら仕方がないだろう。私は私の目的のため、何者にも譲るわけにはいかないのだから」あっさりと答える鎌上。

「でも後処理が面倒やで?あの依代」

「あぁ、だからその時が来るまで、しばらく彼にはと思っている。」

「もしかして、俺が行くんか?もう鎌上さんとの協力は終わってるんやけどなー」

「少なくともお前よりは信頼できるやつだ」運転のため、前を見る鎌上の表情は変わらない。

「へー…じゃあ、俺はここらで降りさせてもらうわ」

 そういうと道路の脇に車を停止させ、兎狩が車を降りた。

「じゃーな、鎌上さん。あんたと菱也くんの結末、楽しみに見させてもらうわ」

 いきなり車を停めさせたことを詫びもせずそういうと、のんびりした足取りでどこかへ去っていった。

 兎狩が去り、鎌上一人になった車の中で突如電子音が鳴り響く。その音の発信源は鎌上の白衣のポケットの中にあるスマートフォンであった。鎌上はそれをゆっくりと取り出すと耳に当てた。

「―私だ。あぁ、君の活躍を期待しているよ―」

 その後通話口の奥から聞こえる若い声と2.3短くやり取りをした後、スマートフォンをポケットへしまった鎌上は車を走らせ、夜の闇へと消えていった。

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