顛:離別、惜別、聖別―前編―

「お前は何を考えているんだ!」

 久しぶりの父との歓談の場にて、怒り狂った父の言葉が僕に突き刺さる。

 何かあったのか、前回から直ぐに再度の急遽漸魂会が開催されることになったらしく、2週間と間を開けずに屋敷に父が来訪した。今回は夕食も家でとることになり、それを知った香奈さんが腕によりを振るった料理が並んでいる食卓は、しかし重い雰囲気で満たされていた。父は、どこかで僕が依代を持っていることを知ったらしく、開口一番、どうして依代を持つことになったかを問い詰め、しどろもどろになった僕が鬼麟のことまで話したところで冒頭の場面に至る。

「お前は鬼がどんな存在なのか知っているのか!?」

 朋美さん、香奈さんを盗み見るが、僕と同じくどうして父が怒っているのか全く分かっていない様子であった。

「わかりません」

 と正直に答えた僕に

「馬鹿者!鬼というのはな、!」

 というと、説明を始めた。

 父曰く、鬼というのは人類史が始まるころには既に存在が確認されていたらしい。彼ら彼女らは古くは神罰として、近代以降は童話や怪談として受け継がれ、連綿と人々に畏怖と恐怖を与えていたそうだ。産業革命を繰り返し、高度に文明を発達させた人類に対し、未だ対等以上に渡り合える唯一の存在、それが鬼なのだという。その数、生態すべてが不明な上彼らは目撃情報がほとんどなく、詳細な情報は未だに殆どわかっていないという。

「そんなものと関わり、ましては依代を埋め込まれただと!朋美!お前は何をしていたのだ!?」

 父の怒りの矛先が朋美さんに向いてしまう。朋美さんは何も言えずに真っ青な顔で俯いている。

「ちょっと待ってくださいよお父さん。僕が勝手にやったことなのになんで朋美さんを責めるんですか!そもそも、鬼のことなんて何も聞いていなかった!朋美さんも僕もあなたからそんなことを教えてもらったことなどありません!それなのにどう警戒しろっていうんですか!?」

「黙れ菱也!これからお前は…お前をなんということを…」

 怒りに言葉を失う父の顔色は、奇妙なことに紅くなったり青くなったりと慌ただしく切り替わっていた。

「ひ、久祈様…一体どうなさったのですか…?」

 明らかに平静でない父の様子に朋美さんが恐る恐る声をかけるも、頭を抱えたまま何か呟き続けている父の耳に入った様子はない。

「ちょっと、お父さん!どうしたんですか!?」

「!?」

 僕が肩を揺することでやっとこちらの世界に帰ってきた様子の父はふらふらと視線を泳がし、僕のもとまでたどり着くと

「貴様は今後一切その鬼麟という鬼に近づいてはならん!」というと食事もそこそこに席を立ちあがった。

「ひ、久祈様!どちらに!」と香奈さんが尋ねるも、「急用ができた!息子を絶対に山へと近づけるなよ!」といい、そのままあわただし気に車を走らせ、敷地の外へ出て行く音が聞こえた。

 残された食卓には重苦しい沈黙が差し込める。その中で僕は先ほどの父の取り乱しようについて考えていた。

 ―中々荒っぽい親父さんだったな―

 何も気にしていないような声で鬼麟は言う。そんな彼女が父の言うとは到底思えなかった。

「鬼麟、さっき父が話していたことは本当なのか?」

 急に独り言を始めた僕に香奈さんが怪訝そうな顔をする。一方朋美さんは僕が誰と会話しているのか思い当たったようでその表情は驚きに染められていた。

 ―まぁ、

 そんな煮え切らない答えをいう鬼麟。

「どういうことだ?どこが合っていてどこが間違っている?」

 ―人間から恐れられているっつーのは本当だな。さっきの親父さん見たらわかっただろ?―

 無言のまま頷く僕。先ほどの父の取り乱しようはどう見ても常軌を逸していた。

 ―そんなあたしらは人間社会の中じゃお尋ね者さ、

「…?」

 ―あたしはために存在するわけがないってことさ。そんな下らない目的のために生まれただと?冗談じゃない―

 そこで鬼麟は一息吸い込み、

 ―。あたしを好きにしていいのはあたしだけだ―

「…あぁ、そうだな」

 やっぱりお前は…

 思わず笑みがこぼれる。久しぶりにいい気分だった。

 黙ってこちらの様子を窺っている二人にきっぱりと宣言する。

「父に言う通り、鬼麟は人類の脅威になるかもしれない。でも僕は

 驚きに身を固める二人を他所に自室へ向かおうとする。

「お待ちください菱也様!」

 背中から朋美さんの声が聞こえたので立ち止まる。

「久祈様はあなたのことが心配で鬼麟と会うことを禁止するよう言ったのですよ!それが分からないあなたではないでしょう!」

「心配という字はね、『心』を『支配』すると書くんだよ。いい加減、僕だって自由を手に入れたっていいと思わないか?」

「菱也様!私の能力をお忘れですか!?たとえ鬼があなたの中にいたとしても、私にはあなたの居場所も何をしているかもわかるのですよ!お父様に伝えればすぐに追手がきますよ!」

「じゃあ朋美さんもすぐには分からない場所に行くしかないね。鬼麟」

 ―おぉ、何だ―

「お願いだ。

 僕がそう呟いた途端、部屋の中に突如突風が吹き荒れる。目も開けていられない程の突風がやむと

「いやーお前も人使い…鬼使いか?、が荒いな。だが、気に入ったぜ」

 鬼麟が腕を組み、こちらに微笑みかけていた。

「鬼麟!お前…!」隣の香奈さんが突然現れた者に驚き腰を抜かしている中、朋美さんが食って掛かる。

「すまんな。お前らの行く末を見たい気持ちもあったんだが、で面白そうだったんでな。こいつ、ちょっと借りるな」

「ふざけるな!…菱也様!お考え直し下さい!」

 足が震えているのがわかる。当然だ。誰かの言うことに逆らったのなんていつ以来なんだろう。だが、それ以上に。僕としてはそれだけで十分だった。

「朋美さん、君は必ず僕を見つけ出すだろう。僕が今からするこのちっぽけな抵抗は何にもならないかもしれない。

 鬼麟の手を取る。すると僕と鬼麟を中心に大きな風が渦を巻く。中心にいる僕の脳に風のうねりの音が大きく響き、すぐに気を失ってしまった。意識を手放す最後、微かに僕を呼ぶ声が聞こえた気がした。


    **


「…い…、おい、……しや…」

 意識の遠くから声がだんだんと近づいてくる。

「ひしや……おいってば!」

 いつの間にか耳元にまで近づいていた声と共に体が猛烈に揺さぶられたおかげで、ゆるやかに覚醒へと向かっていた僕の意識は途中から急速に現実へと引き上げられた。

「お前、意外と寝起き悪いよな」

 目を覚ました僕を見てあきれたように腰に手を当て、中腰で睨んでいる鬼麟を横に周囲を見回す。

「ここ、どこなんだ?」

「大体お前の家から200キロ位離れたところかな。とりあえずあたしについて来いよ」

 どうやら、ぼくは小さな村に連れてこられたようだ。この村は四方八方どこを見回しても山に囲まれており、夜のため周囲はほとんど明かりがなく、空には星が瞬いているのが目で見えた。どうやら川か水田が近くにあるのか、蛙の大合唱が耳に騒がしい。

「ほら、早く来いよ。あんまりぼーっとしてると迷っちまうぞ」

 いつの間にか移動していた鬼麟の声に慌てて後を追う。彼女の言う通り、電灯が家の前、もしくはかなり広い間隔の電灯しかない以上、少しでも距離が開いてしまうとあっという間に見失ってしまいそうになる。一人でずんずん進んでいく彼女の後を必死でついていくと、1つの家の前についた。鬼麟は、勝手知ったる様子で庭の砂利道から縁側まで進むと、そこに腰かけ、

「おーい、おばあちゃん!久しぶりにあたしが帰ったぞー!」

 というと、奥から60~70代の寝間着姿の女性が出てきた。

「あらあら、鬼麟ちゃん、久しぶりねー。また来てくれたの?」と片手に杖、もう片方で手すりを握りながら嬉しそうに微笑む彼女は、鬼麟に近づくと同じく縁側に座り、彼女の手を握った。

 まるで抵抗しない鬼麟に僕が驚いている内に

「あら、しばらく見ないうちに大きくなったわねー」

「だろー、成長期なんだぜ」と話をしながら鬼麟は彼女を立ち上がらせる。

 そして「ばあちゃん、ちょっとこっちに来てもらうぜ」と言いながら僕の目の前に連れてくると、

「こいつ、菱也っていうんだ。ちょっと家出したかったらしいから連れてきちまった。働くから家に置いてくれねぇか?」

「菱也…菱也くん?」

「は、はい。僕は菱也といいます。鬼麟さんにここまで連れてきてもらいました。お願いします、ここに置いてください」

 鬼麟に促され、慌てて頭を下げる。僕の声を聴いたおばあさんは

「他ならぬ鬼麟ちゃんの頼みだからね。わかったわ。私の名前は久子っていいます。菱也くん、短い間かもしれないけどよろしくね」というと僕の方に手を向けてきた。

「は、はい、よろしくお願いします」と僕が差し出した手と握手をしたのち、久子さんは部屋の中へ入れてくれた。

 久子さんの家は二階建てのようだが、久子さん自身は二階をほとんど利用していないということで、僕と鬼麟はその部屋を使わせてもらうことになった。「夜も遅いから詳しいことは明日教えてもらうとして、今日はもう寝ましょう」という久子さんと別れ、僕と鬼麟は外に面する階段から二階へ向かう。二階は部屋が1つしかないため、大きな部屋の中僕と鬼麟で布団を敷いて横になる。

「鬼麟、君は久子さんとどうして知り合ったんだ?」

 布団の中、僕は久子さんにあってからずっと気になっていたことを聞く。

「うん?あぁ、この前お前んとこのサングラスの奴に襲われたって話したろ?あいつに捕まった後逃げ出して、夢中で走っていたらここに辿り着いてな。そこで最初に遭ったのがあのおばあさんだったんだ。」

「へぇ、よく鬼の姿のきみを見て逃げ出したりしなかったな」

「久子ばあちゃんはあまり目が良くないらしくってな、おかげであたしは鬼とバレずに命を永らえることができたってわけだ。」

 こうして布団の上で寝れるのもこの家だけだしな、と鬼麟は続ける。

「ここは君が安心していられる場所ってわけだね」

「あぁ、そうだ。もう眠いからあたしは寝るぞ。お前を移動させて疲れた」

「わかった、明日は僕は久子さんの手伝いをすることにするよ」

「そうするといい。あたしは山にでも行って何かとってくることにするよ」

「じゃあ、おやすみ」

「あぁ」

 という言葉の後、しばらくすると彼女の方からスース―と寝息が聞こえてきた。

「ありがとうな」

 誰に聞かせるでもなく、独り言をいうと、急激な睡魔が襲ってきた僕は意識を手放した。


    **


 久祈は駐車した車から降りると、足早に研究所内に足を踏み入れた。

「鎌上!鎌上はいるか!?」

 勢いそのまま、所長室まで突き進むと、扉をせわし気にノックする。

 しばらくの静寂の後、入室を促す声が聞こえたのでドアノブを捻り、

「鎌上!俺の子供が鬼と…」と、勢いよく走り出した久祈の言葉はしかし、部屋の主の姿を見た途端尻すぼみになる。

「ど、どうしたんだその体は…」

「教主様、お久しぶりでございます」

 室内の明かりで照らし出されている鎌上の肉体、それは明らかに記憶の中の白衣姿と全く別の姿になっていたために当然の疑問を呈する久祈に対し、鎌上は何事もなかったように挨拶をする。

「そんな挨拶はどうでもいい!なんだその筋肉は!?その急激な体の変化は一体何がどうしたというのだ!?」

「大したことではありませんよ、教主様。です」

「お、鬼だと!?貴様、漸諫教が何のために設立されたのか、忘れたというのか!?」

「いいえ、私は漸諫教の信徒ですから、よーく存じ上げておりますよ。その上で、私の目的を優先したまでです」

「もういい」

 久祈の雰囲気が変わる。眼鏡を懐にしまうと、その手にはいつの間にか刀が握られていた。

「お前の目的とやらがなんだろうとどうでもいいし知りたくもない。お前は漸諫教の道を外れてしまったのだな。であれば私が引導を渡してやろう」

「私に勝てるとでも」

「見たところ、まだ鬼になりきってはいないようだな。であれば私にも勝機があるということになる」

 どうやら図星を刺されたようで、鎌上の額に一筋の汗が浮かぶ。それを見逃さなかった久祈がまさに一歩踏み出した瞬間。

「教主様!」

 部屋の外、久祈の背後から兎狩の声が聞こえた。

「ちょうどいいところに来た。兎狩、お前も手伝え!こいつはどうやら裏切り者になってしまったらしい!」

 久祈の声に応え、兎狩は依代を起動させる。

「!?な、ぜ…」

 しかし兎狩の能力は、なぜか鎌上ではなく、兎狩の目の前にいた久祈を襲った。たまらず崩れ落ちるように膝をつく久祈。

「う、かり…な、なぜお前までもが…」

「すみません教主様、それには深い、すごくふかーい理由があるんですわ」

「な…」

「安心してください、久祈様」鎌上が久祈に向かって歩きながら言う。

、私とあなたの目指すゴールは根本では同じなのです、だから」

 そういうと久祈の握っていた刀を手に取り、

「あなたの志は私がしっかり継いで見せます。安心してあちらの世界から見守っていてください」

 一閃。

「…これで漸諫教は私の手の内に落ちました。」

 全てが終わった後、鎌上は兎狩に話しかける。

「これからよろしく頼むで教主様、そんで次はどーするん?」

「彼の死を発表し、幹部には犯人は鬼のものだと喧伝するのだ。」

「そんで?」

「お前にはもう一度対鬼麟用の部隊編成を頼む。私に彼女の血が馴染んだのち、鬼退治に行くぞ」

「了解。俺たちは鬼麟に手出しでけへんからな、最後は頼むで?」

「あぁ、これが成功すれば、我々はさらなるステージに人類を押し上げることができる。それまであと一息のところまで来た。」

「あぁ、そういえば、あんた随分と流ちょうに喋れるようになったんやね?」

「もう10倍の血も体にほぼ馴染んだからな。明日にでも原液を試そう」

「おっ、じゃあ発表も急がんとあかんね、これから忙しくなりそうや」

 というと、を肩に抱え、研究室から出ようとする兎狩。

「兎狩、さっきのお礼だ。これを受け取れ」

 鎌上はそんな兎狩を呼び止め、自分の掌中の久祈から奪い取った刀を差し出した。久祈が握っていた時は退治するものを圧倒させるオーラを発していたが、今はその鋭さは変わらないものの、刀自体にオーラを全く感じられない。

「いやー、それはいいわ、もし久祈さんの依代を知っている人がいたら怪しまれそうやし、そもそも俺はもう依代持っとるしな」

「そうか、では教主様の部屋にでも飾るとしましよう」

「おう、そーしとき」

 ほな、と今度こそ部屋から出ていく兎狩、鎌上はそれを見送ると、証拠隠滅のため、静かに扉を閉めた。

 漸諫教教主である久祈が何者かに暗殺され、幹部の鎌上が代理の教主に就任したニュースが大々的に発表されたのはその翌日のことであった。


    **


 僕が久子さんのもとに訪れてから数日が経った。

「あぁ、久子さんのところの、菱也君だっけ?今日も頑張っているね」

「おはようございます。えぇ、おかげさまで色々なことに漸く慣れてきました」

 久子さんの家の周りの人とも一通り顔を合わせ、今では挨拶を交わすような間柄になっている。田舎の人間は新参者に厳しいと聞いていた僕は少し不安であったが、自分の遠い親戚だと紹介してくれた久子さんのおかげで、すんなりと輪に加わるというところまではいかないが、とりあえず仲間外れにされるということはなく、ここで暮らすことができている。

 最近の僕は朝起きるとまず家の周りを散歩した後に久子さんの朝食づくりのお手伝いをする。鬼麟は朝食を食べるとどこかに出かけるが、僕は家に残り、久子さんの畑の手入れや買い出しの手伝いをする。久子さんはよく目が見えないので、周りの家の人が手伝いに来ることがあるのだが、僕もその手伝いをすると、久子さんはとても喜んでくれた。

「ありがとうねぇ。本当に助かるわ」

 今は多少慣れ、うまく返せるようになったものの、純粋な感謝の気持ちを赤の他人から向けられることがこれまでなかった僕は最初は激しく動揺し、久子さんに余計な気遣いをさせてしまうことがあった。

 孫が手伝いに来ていると思われているのか、手伝いに来る人も丁寧に僕に葉の剪定作業や水のやり方を教えてくれる。初めてのことで失敗し、怒られることもあるのだが、ただ感謝されるのと同様、赤の他人に怒られるという経験もこれまでにほとんどなかった僕は思わず泣き出してしまい、勘違いした久子さんがその人に逆に怒っているのを慌てて止める一幕もあった。

「ここは僕が今まで経験してこなかったことに溢れていて、毎日が輝いて見えるよ」

 夕食の後、縁側で涼んでいた僕は隣の鬼麟に話しかける。

 鬼麟は朝食後、いつの間にかいなくなっており、かと思うと夕食前にいつの間にか帰ってくる。その手には動物が握られていたり、野草が握られていたりしているところを見ると、どこかの山に出かけているようだ。久子さん以外の人に見られるわけにはいかない鬼麟にとってもこの四方を山で囲まれた村は都合がいいわけだ。

「お前はこれまでが異常だったんだからな。ここでってやつをじっくりと探し、愛でるといい」

「あぁ、きみにいきなり連れてこられたときはどうなるかと思ったけど、この生活もいいもんだね。ここは僕を僕として見てくれる」

「それがってことさ」

 ふいと鬼麟が視線を逸らす。そこで僕は鬼麟の気持ちがなんとなくわかった気がした。

「安心してよ」

「?」

「僕がここではただの菱也として見られるように、鬼麟、きみも僕と久子さんにとってはただのだ。鬼だとか人類の敵だとかは関係ない。ただのさ」

「…」

 はっ、と鬼麟が隣で笑い、僕を肘で小突く。

「耳を赤くしてまでこっぱずかしいことを言いやがって」

「うるさいな。僕は正直に伝えただけだ」

 早口で言い返す。

「全く…でもまぁ、ありがとうよ」

 縁側から庭に飛び出したと思えばこちらに振りかえり、頭の後ろで腕を組みながらこちらへ振り向く彼女の表情は軒先の電灯の逆光となっていたのか、影となってしまいよく見ることはできなかった。

「鬼麟ちゃん、菱也くん、ゼリーあるけど食べる~?」

 台所の方から久子さんの声が聞こえる。

「お~、食べる食べる!」

「ありがとうございます。いただきます」

 僕と鬼麟はそれぞれ返事をし、冷蔵庫まで久子さんが言っていたゼリーを受け取りに行った。食卓にはテレビが据えられており、ゼリーを食べながら何とはなしにその画面を見ていると、ちょうど本日のニュースの場面であった。


 ―続いてのニュースです。漸諫教の教主とされている、神咲久祈さんが何者かに殺害されたとのことです。警察は殺人として捜査を開始し、犯人の行方を追っているそうです―


「…え…?」

 突然の知らせに思わずスプーンを取り落とす。


 ―漸諫教については自然信仰の宗教団体として知られておりますが、亡くなった神咲さんの代理として、幹部の1人である鎌上さんが代理の教主に就任したとのことです―


「あら…怖いわねぇ…」

 久子さんがポツリとこぼす中、それでは続いてのニュースです。とアナウンサーが感情のこもっていない声で次のニュースを読み上げているが、僕の脳が今のニュースの処理で手一杯なのか、何を話しているのか全く聞き取ることができなかった。

 ―父が、死んだ?しかも、殺人?誰が?どうして?―

「菱也」呆然としている僕に鬼麟が肩を揺すってくる。

 ハッと気を取り戻した僕が彼女の方を向くと真剣な表情で

「どうやらあたしたちにお客さんが来たらしい」とささやいた後、

「ばあちゃん、ちょっとあたしたちコンビニ行ってくるわ」と久子さんに言うと、僕の手を引いて玄関へと向かう。

「そうなの?夜も遅いんだし、気をつけなさいね」という久子さんの声が後ろから聞こえてくるなか、僕たちは久子さんの家の庭に出た。

 果たして、そこには兎狩さんがスーツ姿の男女を多数引き連れて音も無くたたずんでいた。

「若様、いえ、、お父様の件で至急お伝えしたいことがあり、屋敷に戻っていただきます。」

 兎狩さんはいつものようにサングラスの奥から僕を見据えると、そのまま横に滑らせ、鬼麟を見た。

「そして鬼麟、お前を捕まえるよう指示が出ている。今更言うことを聞くとも思えないが、もらうぞ」

「この前、言ったな」兎狩さんが言うことなどまるで気にしていない、まるで話しかけたのは自分であるかのように鬼麟は語りかける。

「あたしはお前にって言ったな。ここでそれを果たしてやってもいいが、こんなとこで暴れてもいいのか?」

「かまわん。討伐の許可は出ている。この村が滅びようと、貴様を滅する方が最優先事項だ。」

「へっ、宗教法人のくせにお役所みたいなこと言いやがって…菱也!」

「!」

 鬼麟が伸ばす手を握る、途端、僕たちを中心に風の渦が巻き、体が宙に浮かぶ。

「あっちの森で待ってるからな、殺したければいつでも来い」そう鬼麟が言い残すと同時、あっという間に目的地に着いたのか山中に放り出される。

「き、鬼麟…」

「さてと」僕の言葉を静止するように息を吐くと全身のストレッチを始める鬼麟。

「菱也、あたしとお前の珍道中もどうやらここまでみたいだな」

「な…何を言ってるんだ…お前…」

「もうすぐあいつらはここに来るだろう。そしたらあたしはあいつらと戦わなきゃならない。あんたはそこに隠れて、戦いが終わったら出てこい」

「そんな、僕にも手伝えることがあるんじゃ…」

「いや、いい。これはあたしの戦いなんだ。少しでもお前に背負わせたくない。なんだ」

「ぼ、僕はお前の金棒を奪ってしまった!だから僕にも手伝う権利はあるはずだ!」

「いや、いい…それはお前の、お前自身の戦いのためにとっておけ。あたしはんだ、久子ばあちゃんが悲しむからな」

「…」

「あたしが負けると思ってんのか?いっちゃあなんだが、あたしはこれまであんたが会った誰よりも強いだろ?安心してみてな」

 と言った後、僕を背後の木のうろに隠すと、鬼麟は腕を組んでじっと正面を見据えた。

 僕も木のうろに空いた穴を見ながら息を潜めていると、次第に遠くから木々のざわめく音がこちらに近づいてくる。そして

「ここが貴様の墓場になる。覚悟してもらおう」

 黒スーツの集団をともに兎狩さんが現れた。

「…貴様一人か…菱也様はどこへやった?」

「あいつは囚われのお姫様ってわけだ。あたしを倒したら教えてやるから安心しろ」

「関係ないな。のだから」

 その言葉の意味することを理解した僕は一人、うろの中で小さく震える。

「じゃああいつのことはもういいだろ、早くろうぜ。ついでにその気持ち悪い口調ももうやめてくれ」

「…わかったわかった。姫さんの最期の言葉や、叶えてやるわ」

 兎狩さんががらりと口調を変えると背後に控えていたスーツたちが前に踏み出す。

「かかってこい」

 そんな鬼麟の一言を引き金に、一斉にスーツたちが鬼麟に飛び掛かってきた。


    **


 スーツたちと鬼麟の戦いは、あっという間に決着がついた。

 なだれ込むように襲い掛かってくる相手に対し、鬼麟のやったことはひどく単純だった。

 。何十人もの相手に彼女はそれをやってのけたのだ。相手と向かい合い、隙をついて相手の顎に右ストレートを打ち込み、その勢いでまた別の相手に向かい合う。まるで竜巻のようにその一連の動作は滑らかで、しかも素早かった。

「さぁ、前座の時間は終わりだ。そろそろお前が相手をしてくれるのか」

「はぁ…しゃーないのぉ…鎌上サンが来るまでもう少し時間もかかるし、ちょっとだけやで?」

 兎狩さんは懐から懐中時計を取り出す。

「ほぉ、それがお前の依代ってわけだ。まさか時を止められるとかじゃねぇだろうな」

「さぁ、どうやろうな?」

「まぁ、例えそうだとしても、

 両手を広げ、悠々と兎狩さんに歩み寄る鬼麟。今にもこぶしが届きそうな位置にまで近づいた途端

「…ん?」

 鬼麟のいぶかし気な声が聞こえた。

「姫さん、こっちやで」という声の向く方に顔を向けると、鬼麟の正面にいたはずの兎狩さんがいつの間にか右側にたたずんでいるのが見えた。

「…いつの間に」

「さぁ、かかってくるならはよ来てもらわんと」

「…面白れぇ」

 鬼麟が今度は瞬きする間のスピードで兎狩さんに襲い掛かる。だがしかし、その身にこぶしが届く前に、

「今度はこっちや」

 全く動いていなかったはずの兎狩さんが、これまた鬼麟の真後ろに移動している。おそらくその手の中にある懐中時計の依代により引き起こされている現象なのだろう。僕がその能力について考えている間も兎狩と鬼麟の追いかけっこは続いている。

「中々、素早いじゃないか、お前の、依代!」

「姫さんが遅いんかもしれへんで、ほら、もう少しで俺を捕まえられるんちゃうか?おーにさーんこちら、っと!」

 兎狩さんに飛びかかる鬼麟、手が届きそうになる寸前に姿が掻き消え、鬼麟の背後や真横など色々な位置に移動する兎狩さん。もう十数回は見られただろうこのやり取りを経てもお互いに疲れは見られないが、さすがに不毛だと思ったのか、鬼麟がふと立ち止まった。

「お前、あたしを倒す気がないだろう。滅するだか殺すだかなんだか言ってはいるが、逃げの一手。お前はただ時間稼ぎをしているだけじゃないのか?」

「姫さんを消すのは変わっちゃいないで。ただ実際に手を下すのがってだけや。もうすぐ来ると思うからその間俺がお相手してるわけ」

「ふーん、そういうのは先に言えよ」

 そういうと、どっかと鬼麟は地面に腰を下ろす。

「要はあたしがそいつとればいいんだろう。最初からそう言えよ。あたしが待てないとでも思ったか?」

「いや、退屈させても申し訳ないと思ってな。そう言ってくれると俺としてもありがたいわ」

 いきなり戦う意思を失った鬼麟に拍子抜けしたのか、兎狩さんも鬼麟に倣って腰を下ろす。そのまましばらく時間が経過する。座りつつも念のため警戒は解いていない兎狩さんとは対照的に、鬼麟は完全にリラックスしているのか、横になってあくびをしている。その様子を隠れて見ていた僕も何も起こらずに段々退屈になってきたその時。

「!?これは…まさか…!?」そんな声と共に突然鬼麟が跳ね起き、森の一角を見つめる。

「お、連絡も入れておいたしそろそろ来る頃やと思ってたが、漸くか――」

 兎狩さんの気楽そうな言葉を遮る鬼麟。

は、まさか――」

「お、姫さんのそんな顔は初めて見たで」

「どうやって手懐けたんだ。お前ら如きが操れるわけが…!―あぁ、まさか」

「そう、や」

 その時、兎狩さんと鬼麟のちょうど真ん中に突如竜巻が発生し、目を開けていられないほどの風圧が木のうろにいるはずの僕のもとまで届く。目を瞑って風圧に耐えていると次第に勢いが弱まっていき、何とか目を開けられるようになった時。

「初めましてだな、鬼麟」

その額に、白衣の裾をたなびかせる男が立っていた。

「そしてさよならだ。我が人類のための礎になってもらうぞ」

「うるせぇなぁ」

それに対し、鬼麟は最初は驚いた様子は見せるも、彼の言葉を受け、頭を掻く。

「どいつもこいつも人類だ何とか、言ってて疲れないのかね」そういうと拳を握り戦う姿勢をとる。

「来いよ。理想をうだうだ言う前にあたしを倒してみな。崇高な夢をぶち砕いて目を覚まさせてやる」

「まったく、聞いていた通りの暴れん坊だな」

対する白衣の男も鬼麟にゆっくりと歩み寄る。

「今日が貴様の最期だ。存分にあがくがいい」

瞬間お互いの姿が掻き消えた。



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