第2話

 「さあ、今日はもう帰ろう。明日は入学式だろ?」


天空は穏やかな瞳でなずなを見つめる。

だが、天空の気遣いも優しさもなずなの心底には少しも触れることができない。

柔らかな春の風に吹かれる髪をなずなは心底不快そうに適当に払う。


「最悪欠席すればいいのでお気になさらないでください。入学式への出席の有無なんて成績に影響はありません」


強い口調で言い切ったなずなは自身を見つめる天空がどんな顔をしているのか気づきもしない。

天空はその眉間にいくつも皺を寄せ、優しげな顔立ちを歪めるが、心の内の思いを深く押し込むように息を一つ吐き出して、なずなを見つめた。


「私は君の人生を悪霊退治一色にする必要はないと思っているよ」


天空は幼い子供に言い聞かせるような優しい声音で諭すようになずなを見つめた。


長い年月を生き、色々なものを見聞きしてきた天空はなずなが自身の優しさや気遣いをどんなに無下にしようとそれを受け入れ、変わらず想い続ける優しさと余裕がある。


そしてなずなの生きてきた環境がそのような強さを育める環境でなかったことも知っている。


「ですが私にはそれしかありませんので」


嫌味のつもりはない。ただなずなは事実を述べただけだった。


なずな本当に幼い頃から悪霊退治の厳しい訓練と勉強しかやってこなかった。

そしてそれが当たり前だと言われ育ってきたため、悪霊退治以外のことに関しては人ごとで、大切だと思うことができない。


それを天空はちゃんとわかっていた。

だから、嫌味とも取れる言葉を吐かれようと真心を込めた瞳で今もなずなを見つめている。


「それならこれから増やしていけばいい。なずなの先はこれからも長いんだから」


「父は50歳にもならずに死にましたけどね」


その言葉は天空の視界を果てのない飲み込むような黒色と鮮やかな血の赤で染め上げた。


血の深い匂いを流れる血の音をそして生き生きとしたあの荒い息遣いを天空は今も鮮明に思い出せる。


凪ぐように過ごしていた天空にとってあの一夜の激情は忘れられるものじゃない。


何も言葉を返さない天空になずなは顔を向ける。

その表情は少しも悪びれる様子はない。

ただ事実を、少し嫌味を言っただけ。

なずなにとってはその程度の認識だった。


だがいつも雄弁な天空が黙ってしまったので、流石にこれは禁句だったかと考える。

だけどそれは考えているだけで、なずなの胸が痛むこともなければ、謝りたいという気持ちに駆られるわけでもない。


次は言わないように気をつけようその程度の認識でしかなかった。


そう育てたのは亡くなったなずなの父であり、そう育てるように仕向けたのは代々真摯に悪霊退治を行ってきた神元家に生まれた誇りや責任からだろう。


そう考えるとそのようにしか考えられないなずなは被害者であるとも言える。


15年の全てを悪霊退治に費やす他なかったのだから。


天空はなずなと視線を合わせるために膝をつく。


真っ直ぐと射抜くような視線で見られてなずなは居心地悪そうに僅かに顔を顰める。


「不快に思われたのなら謝ります。父の死に対してまた謝るのならそれは結構です。」


「いや違う。私は君に君を死なせないことを誓うために膝をついている」


どこに自身が祀る神に膝をつかせる者がいるだろう。

そしてどこに自身を祀る家の者に膝をつく神がいるか。


呆気に取られるなずなに天空は言葉を続けた。


「私は君を決して死なせないと誓う」


それがまだ15歳の娘から父親を奪い、早々に悪霊退治に駆り出させてしまった自分の責任だと天空はなずなだけを真っ直ぐ見つめる。


本当は自分一人で悪霊退治を行うこともできるが、それではなずなは納得しないだろう。

だからこれはなずなの意思を尊重した上でできる自分が果たせる責任なのだと。


なずなはその誓いの意味を、その誓いの裏にある天空の切実な想いを汲み取ることはできない。


だけどその言葉に安易に言葉を返すことはなかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る