宇宙の季節

高校生

宇宙の季節

自分が他とは違うと自覚したのは小学五年生の時だった。

勃起をした。男子の裸を見て。つまり、男子で興奮したんだ。

その時はみんなそういうものなんだと思っていた。でも友達はみんな好きな人が女子だという。そこで気がついた。僕は皆んなと違うんだな、と。

誰にもこの話はできなかった。無論、親になんて言えるわけがなかった。

その日を境に帰り道で聞こえてくる虫の鳴き声や風の通り過ぎる音、遮断桿が閉まる音、知らない誰かの笑い声、そんな日常の音が全部鬱陶しく感じた。その音全てが僕を否定しているような、そんな僕を嘲笑っているように感じた。どこかに消えてしまいたい、とずっと願うようになった。

それから僕はある場所に入り浸るようになった。そこは都心から数10km離れた山の麓にあって、廃屋となった集落や廃墟となった遊園地がある場所だった。

廃屋を抜けると「Seasons of the universes」と書かれた看板がある。そこが廃墟となった遊園地だ。その中をさらに進むと数分歩いたところに大樹と周りを囲む様に置かれているベンチがある。そこから昔栄えていたであろう遊園地の遊具がそのままの姿で残っているのが多く見られた。そこからすぐそこの場所には大きな扉があった。その扉の奥には万年ずっと咲く桜があって、他にも色んな花が咲いている花畑が広がっている。その場所は僕が一番気に入ってるところで誰にも入らせたくないと思うほどだった。僕はこの遊園地のようなところで毎日を過ごした。桜があるせいか、そこに行くと今が何月何日なのかわからなくなる。そこだけでは外界の、風の通りすぎる音も小鳥の囀りも全部が心地よく聞こえた。僕はここを宇宙と呼んだ。宇宙は時間の流れは遅くなるし、季節はない。そしてただ一つしかないから。という単純明快な理由だ。


カンカンカン、と妙に耳に響く音が鳴り響くと同時に僕の前を遮断桿が遮った。鬱陶しくなって苛立ち始め、舌打ちをして深く溜息をつく。大学生になった今でも状況が変わることはない。

今でも外界の音全てが鬱陶しく感じる。唯一昔と違うところは、もう誰も対等に話せなくなった、と言うところだ。誰かと話す声すら嫌いになった。誰も本当の自分を知らない、知ったら否定される、そんなことをずっと思っているからだと思う。ファーンと列車が通り過ぎるうるさい音を立てながら電車が目の前を横切る。車窓から見えた男女の話姿が無性に僕を苛立たせた。電車が通り過ぎて遮断桿が上がると足早に歩き出した。


遊園地に着くと僕はゆっくりと歩き、大樹の下へと向かう。

大樹の下に着くと重い腰を下ろして深く溜息をついた。

やっぱりここが一番心が落ち着く。どんなことがあってもここに来たら全てがどうでもよくなる。

風が吹く。ひんやりとした風は少し汗をかいた首にあたるとひんやりとした気持ちのいい感覚にさせる。

小鳥の囀り。チュンチュんと耳障りな鳴き声を出して求愛行動をしている鳥をいつもは鬱陶しく感じるが、ここではただ心地がいい。

そんなことを考えてるうちに眠気が襲ってきた。その眠気に逆らう気になれなかった僕は気の赴くままに目を閉じた。


どれだけ寝てたのかわからないが、目が覚めたら夕陽が丁度降りようとしていた。

「綺麗」と声を漏らす。

夕陽は燦々と僕を照らし、僕や大樹、メリーゴーランドやパンダのヘンテコな乗り物達の影を伸ばしていく。昔はきっと栄えていたのだろう。伸びていく影が遊園地に入ったゲイという僕の存在を拒絶するために生まれた怨霊に見えてきた。

動悸がして影から目を逸らし、目を閉じた。目を閉じると自然の音が聞こえてきて心が落ち着いた。

自然の音に耳を傾けて数十秒して気がついた。背後から息のする音が聞こえてくることに。

途端に周りの音が鬱陶しく感じ始めた。落ち着き始めた動機も再発し、過呼吸になる。

僕は途端に立ち上がり、恐る恐る重たい足を一歩ずつ前に出して反対側にいる人を見に行った。

そこには眠っている男がいた。後ろで結ばれた金色の髪に小さい青色のピアス、長い鼻に小さい口。まるで女のようだった。動悸は収まり、呼吸も落ち着き出した。

顔をしっかり見たくなった僕は膝をつけ、顔を近づけた、と同時に彼が目を開けた。

びっくりした僕は「わぁ!」と大声を出して仰向けに倒れてしまった。

恥ずかしすぎて仰向けになりながら手で目を隠すと顔の上から笑い声が聞こえてきた。

手をどかすと彼が手を伸ばして

「おもしろいね、君」

と言ってきた。

その人の声はとても嘲笑ってるようにも、僕という存在を否定しているようにも聞こえなかった。

その手を取って立ち上がる。

「名前は?なんて言うの?」

「...言いたくない」

僕がそう言うと彼は笑って言った

「やっぱり君おもしろいね」 

それを無視するかのように言い放つ。

「なんでここにいるの?」

「うーん、成り行き?適当に歩いてたらここに来た。」

そんなわけないだろ、と思い睨みながら言う。

「あんまり来てほしく無いんだけど」

「いやぁ、そう言われても。ここは誰のものでもないし」

イラっときた。ここは僕だけのものだ。

「僕、ゲイだけど。これ以上来たら襲うよ?」

脅しのつもりだった。だけど男は笑いながらこう言う。

「なら丁度いいね。僕もゲイなんだ。」

言葉に詰まった。何を言えばいいのかわからなくなる。

「じゃあ、僕は帰るから。明日また来るね。」

肩を叩くと男は帰っていった。夕陽が照らす彼の姿は何にも言い換えれないほど華麗だった。

彼が言ったゲイという言葉が脳内を巡る。本当にそうなのか?なら、僕と同じ境遇なのかもしれない。

夕陽が沈む。大樹を照らしていた太陽は跡形もなく消え、辺り一面が暗くなり僕の影が無くなった。


次の日も彼はいた。

煌々とした太陽が照らす大樹の下で、昨日と同じ様に座っていた。

彼はこっちに気がつくと

「やぁ、こんにちは。」

と本を片手にして軽く言う。

次の日も、次の日も全く同じ様なことをいい、大樹の下に座っていた。それが一ヶ月ほど続いた。

僕は周りに人がいるとどんな音だろうと鬱陶しく感じた。だが、不思議なことに彼だけは周りにいても周りの音が鬱陶しく感じなかった。少し経つと僕達は普通に話す仲になった。自分の中で彼は、他と違うと自覚してから唯一対等に話せる人という立ち位置になった。


季節は夏から冬に変わる。


「いい加減、名前教えてくれても良くない?」

彼は反対側から顔を覗かせてそう言った。

「なんか、ここまできたら教えたくない。プライド的に。」

「えーなんで。教えてくれてもいいじゃん」

「プライドだよ。プライド。」

「なんだそれ。」

静かな静寂が二人を包む。不定期に吹く冷たい風が体を凍らせる。

「さっむ」とあいつが言う。ベンチに横たわりながら相槌を打つ。

あいつはずっと本を読んでいた。

「なんの本読んでんの?」

「まぁ色々。自然科学とか政治とか、本当なんでも読むよ。」

「何がおもろいん?それ」

「さぁ、よくわからない。昔から読んでたからほぼ癖みたいなもん。」

ふぅん、と興味なさそうに相槌を打って立ち上がってあいつの前に立った。

「桜見に行こ」

僕がそういうとあいつはキョトンとした顔で言った。

「は?今冬だぞ」

「いいから、行くぞ」


無理やりあいつの手を引いて大きな扉の前まで来た。

「この奥にあるんだよ、桜」

んなわけねぇだろ、と突っ込むあいつを横目に扉を開いた。

扉の内側から風と同時に花吹雪が吹く。目の前には咲き誇った大きな桜の木と、色んな花が咲き乱れていた。

なんだこれ、とあいつは声を漏らす。狐に摘まれたような顔をして目を大きく見開いていた。

僕は無言で桜の木の下に歩き出した。アヒルの子が親に何の気無しに着いていくように、あいつは僕の後ろをついてくる。

桜の木の下で僕達は座り込んだ。下には白詰草やアザミ、菜の花などの四季折々の花が咲いている。

「なんだよここ。こんな景色見たことねぇ」

「綺麗だよね。」

「いや、綺麗とかじゃなく、なんで春にしか咲かない花が咲いてたり、冬にしか咲かない花が咲いてたりしてんだよ。」

「知らないよ。僕は植物学者じゃないんだ。」

「まぁそれもそうか…。」

かなり困惑した様子で話すあいつを見て少し笑けてきた。笑う僕を見てあいつも笑った。


膝枕をしてもらった。上を見上げると満開の桜が目に入る。ひらひらと宙で踊る桜に少しの間見惚れていた。

ふとあいつの顔が目に入る。高い鼻に少しだけ見える青く光るピアス。僕は知らない間にあいつの方に見惚れていた。

僕は桜に目を移して声を出す。


「この場所、誰にも言うつもり無かったんだよね。」

「なんで?」

「ここは僕にとっての宇宙なんだ。ただ一つしかなくて、四季は感じるけど、今が何月なのかわからない。時間が進むのも遅く感じる。今何時なのかもよくわからなくなる。なんで万年桜が咲いているのか、花がこんなに咲いてるのか。全然わからない。ただ僕はこの光景に見惚れている。何もかもわからないのに魅力を感じる。まるで宇宙みたいじゃない?」

「そうかもな」

「人によって感じ方は違う。この景色を綺麗と思う人もいるだろうし、不気味だと思う人もいる。それと同じで僕が男子を好きなこと、皆んなとの性への感じ方が人と違うだけ。でもほとんどの人は気色悪いと思う。それはまだ人々がゲイという存在を確立することが難しいからなんだと思う。その絶対的な確立がないと、人々は自身の主観で物事がどうなのかを決める。この場所は何もわからないし、これからもきっと観測されることはない。僕はこの場所を僕だけの感想で存在させたいんだ。誰からも、不気味だと思われたくはない。」

「何でそれを僕に言ったの?」

「僕と同じだと思ったから。」

あいつは嬉しそうな、でも少し悲しそうなどちらにも取れる顔を浮かべて言った。

「もしかしたら、同じなのかもしれないね。」

それだけ話すと僕は数時間ほどそのまま寝た。


「俺だって、裸足になりたいよ」

寝ている耳がそう聞いた様な気がした。


季節は冬から春に変わる。それまで全くと言っていいほど今のこの状況が変わることはなかった。

互いに身の上話を一度もしなかった。今思うときっとあいつは話をするとここには居られなくなることがわかっていたんだろう。

僕らの日常が崩れたのはいつもみたいに過ごした日の青空がとても綺麗な茜に変わった時のことだった。


あいつは大樹の下で声を出す。

「僕さ、多分君のこと好きなんだと思うんだ」

「なんだよ、急に」

「いや、なんか言いたくなって。てか、もうちょい驚けよ」

「別に驚くことじゃないでしょ。正直わかりきってたし」

少し溜息混じりの声で答えた。

「やっぱり面白いなお前」

あいつはそう言うと深く溜息をついた。

斜陽に照らされる大樹やメリーゴーランドは僕達が座っているベンチに向かってゆっくりと伸びてくる。

あいつはその影をじっと見つめては涙を溢していた。僕はそれに気づかないふりをする。なんとなく、話さない方がいいと思った。

数秒の静寂ののち、あいつが声を出す。

「俺さ、多分もうここ来れないわ。」

「…は?」

「やっと驚いたな。」

「そんなんどうでもいいって。何?どーゆーこと」

あいつは頭を掻く。

「言いたくねぇな。」

そう言って立ち上がった。僕はそれを静止するように手を取る。骨を砕きそうなほどの力であいつの手を握った。

「何?離して。」

冷たい声でそう言われる。

声が出なかった。何を言えばいいのか、何があったのか。知りたいことがありすぎて何から聞けばいいのかわからなかった。

必死に考えて震えた声が出た。

「ここにいて。」

あいつは少し悲しそうな顔をした。遊具の影はどんどんと僕達へと迫り来る。

「帰らないといけないんだ。もうここには戻れない。」

自分がどんな顔をしていたのかよくわからない。でもきっと死に際のウサギみたいな顔をしてたんだろう。

「笑ってよ。いつもみたいに。最後ぐらい、俺を笑顔で終わらして。」

立ちあがろうとする。でも足に思う様に力が入らなかった。ベンチから手を握ったまま崩れ落ちた。

地べたに這いつくばったまま声を出す。

「僕を、置いていかないで。」

影がどんどんと迫ってくる。ついには僕の下まで影が伸びた。

「もう、遅いんだ。」

僕は叫ぶ

「遅くないよ!!!」

何が遅いかなんてわからない。だけど叫んだ。

あいつは膝をついて僕の肩を叩く。

「君の気持ちも、分かるよ」

また叫ぶ

「分からないよ!!!」

やまびこで同じ声が何度も響く。

「宇宙ってのは、人によって違うんだよ。例え、俺や君の間であっても。

似たような星はあるかもしれない。似たような生命体が生まれているかもしれない。似たような運命を辿るかもしれない。だけどそれは全部にて非なるものなんだ。重ね合わせることは出来ない。」

「それが、何?」

嗚咽をしながら声を出す。

「きっと、俺たちは似たような生命体は存在してるんだ。でも、運命は全く違う。俺と君じゃ、住んでる世界が違うんだ。」

「でも!」

そう叫ぶと少しの静寂が身を包んだ。辺りが暗闇に包まれる。

「…俺んちはさ、結構裕福な家なんだよ。多分、君も名前を知ってるぐらいの。俺はその家の一人息子。これだけ言えばもうわかるよな?」

泣きそうな声を出す

「どうにかならないの?」

「なるんなら最初からしてるさ。」

僕は泣いた。これ以上ないほどに。そして泣きながらこう言った。

「わかった、なら最後に桜の下に行こう。」

あいつは僕の手を取ったまま桜の下に歩き出した。


僕達は手を取り合って桜の下に座り込んだ。

「君、この前ここは自分が観測した感想だけで存在させたいって言ってたよね?」

「…うん。」

「俺はさ、この場所は観測されるべきだと思うんだよ。」

「何で?」

「観測されたら、きっと綺麗だって感想で埋め尽くされるから。」

「人によって見方は違う」

「誰からも不思議に思われたくない。そう思ってるから君は裸足になれないんだ。

確立ってのはより多くの賛成の上に成り立ってるものだ。少なくとも俺は、ここが綺麗だと思った。不気味と思う人もいると思う。でもそれはほんの僅かしかないんだ。君はそのほんの僅かを怖く見過ぎてると俺は思う。宇宙は一つなんかじゃない。人の数と同じ数ある。そしてその中で、いろんな物事が確立されていく。ここでは時間は流れてる。時間が流れるから、確立されていく。」

「それは…そうかもしれない。」

「だろ?」

そう言うとあいつはニカっと笑った。周りは暗いのに、その笑顔はとても明るく見えた。

「好きだった。お前のことが。」

「あぁ、俺も同じだよ。」

骨を砕きそうなほどの力で握ってた手は、その言葉を言うと同時にするっとあいつの手から外れた。

あいつは立ち上がり言う

「バイバイ。」

僕は泣きそうになりながらいった

「またね。」


その次の日に大樹の下に行った。

あいつはいなかった。桜の木の下にもいなかった。

僕は溢れる涙を拭いて桜の木の下に座った。

手を動かすと何かに当たる感覚があった。それを拾い上げた。

それは手紙だった。

「俺に裸足になることを教えてくれたのは君だ。君のお陰で気持ちに整理が着いた。ありがとう。

君の宇宙では四季がないみたいだけど、俺の宇宙は青やぐ季節にある。

まだ色んなものが確立されていない中で、どんどんと草木が青やぎ、やがて全てが青くなる。

俺の中で全てが青やぎ始めたのは紛れもなく君のおかげだ。本当にありがとう。

もう二度と会うことは出来ないけど、君に会えて本当に良かったと思っている。--四季 空」


人の数と同じだけ宇宙がある。それらの宇宙では大抵の事はもう確立されている。僕の宇宙が何も確立できていなかったのは僕が他の宇宙を知らなすぎたせいだ。僕の宇宙では、子葉が出来始めたところで成長が止まっていた。

何も分からないのが美しいんじゃない。それらを想像し、確立していくことこそが美しいんだ。

風が吹いた。あたりの花が少し散る。ひらひらと桜が落ちてきた。

きっと宇宙の季節は、夏なのだろう。

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宇宙の季節 高校生 @rio_retasu

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