流連荒亡

三鹿ショート

流連荒亡

 他の人間たちが帰宅する中、残っていたのは、私と彼女だけだった。

 私は彼女に対して別れを告げると、別の店へと向かうべく、外に出た。

 夜空を眺めながら歩を進め、目的の店へと到着すると、従業員が私の背後を指差しながら、連れの人間かと問うてきた。

 振り返ると、彼女が其処に立っていた。

 何故この場所に立っているのかと問うたが、彼女は答えることなく、従業員に二人だと告げると、店の奥へと向かった。

 困惑したような表情を浮かべる従業員を無視し、私は彼女の跡を追う。

 先に腰を下ろしていた彼女は、自身の隣を叩きながら、私に着席を促していた。

 その望み通りに腰を下ろすと、彼女は接吻でもするかのように私に顔を近づけながら、

「今日もまた、帰宅しないつもりですか」

 何故そのようなことを訊ねるのだろうかと思ったが、それを口にすることなく、私は首肯を返した。

 私の反応を見て、彼女は首を傾げると、

「以前から気になっていたのですが、何故帰宅しないのですか。金銭にも限りがあるでしょう」

「きみに答える必要は無い」

 私はそう告げると、従業員に酒を注文した。

 私の注文を聞いた従業員は、呆れたように息を吐くと、その場から姿を消した。

 従業員の様子に、彼女は疑問の声を出した。

「あれは、どのような意味の反応なのでしょうか」

「きみは疑問ばかりだな。生きていて大変だろう」

「そのようなことを考えたことはありませんが」

 言葉を額面通りに受け取ったその姿に、私は溜息を吐いた。

「私が先ほどの酒を注文した際には、必ず酔い潰れて、この店で朝を迎えることになるからだ。この店は明け方まで営業しているゆえに、夜を明かすには丁度良いのである」

「わざわざ金銭を消費してまで、外で夜を明かす必要があるとは考えられません。帰宅することを避けたい理由でも存在するのでしょうか」

 話が戻ってしまったために、私は舌打ちをした。

 だが、彼女は怯むことなく、私の顔を見つめ続けている。

 おそらく、彼女は己の疑問が解消されるまでは、退くつもりはないのだろう。

 店で時折見かけてはいたが、自分から喋ることはほとんど無かったために、ここまで積極的だとは思っていなかった。

 此処で答えなければ、彼女は今後も私に同じ問いを発し続けるのだろうと考えたために、私は彼女に告げた。

「口外しないということを約束することができるのならば、質問に答えよう」

 私の言葉に、彼女は迷うことなく、首肯を返した。

 私は立ち上がり、従業員に対して帰宅するということを伝えると、彼女と共に自宅へと向かうことにした。


***


 自宅に到着し、中に入ろうとすると、彼女は驚いたような表情を浮かべた。

「何をしているのですか」

 その言葉に、私は当然のように答えた。

「此処が、私の寝室だが」

「どのように見たとしても、其処は犬小屋でしょう」

 彼女が指差したのは、私の寝床である。

 確かに、他の人間からすれば、犬小屋だと考えても仕方が無い。

 しかし、此処で眠るのは犬ではなく、私である。

 私は犬小屋の中に入り、内部から彼女を見上げながら、

「このような場所で眠るくらいならば、外で遊び歩いていた方が健康的だろう。ゆえに、私は帰宅を避けていたのだ」

 当然のように告げる私に対して、彼女は目を見開いたままだった。

 信じられないといった様子で、彼女は再び問いを発した。

「仮にも、あなたは大黒柱でしょう。そのような人間を、何故このような場所に」

「それは、私が愚かだったからだ」


***


 かつて私は、犬小屋ではなく、自宅の内部に存在する寝室で眠っていた。

 だが、家族を楽にさせるために、私は身を粉にして働くことを決め、会社で寝泊まりすることが多くなった。

 やがて、久方ぶりに帰宅した私を待っていたのは、怒りを露わにした妻と娘だった。

 いわく、娘の習い事の発表会が存在していたにも関わらず、私がそのことを忘れて、会社で働き続けていたことが気に入らなかったらしい。

 しかし、不満の理由は、それだけではなかった。

 妻が体調不良で倒れた際も、娘が自動車に轢かれて怪我を負った際も、私が姿を現すことはなかった。

 初めて耳にしたそれらの情報に私が驚いていると、

「外で寝泊まりすることが当然ならば、あなたの寝室はそれで充分でしょう」

 妻が指差したのは、真新しい犬小屋だった。

 犬を飼っていないにも関わらず、何故犬小屋が存在しているのかと思ったが、どうやらそのような理由によるものらしい。

 私は抗議しようとしたが、口を開く直前に、己の行為を振り返った。

 家族のためにと働き続けたが、その家族を、私は正面から見ていただろうか。

 生活を楽にすることも重要だろう。

 だが、その家族と触れ合わなければ、家族など必要無いのではないか。

 私が何も答えずにいると、妻は勢いよく扉を閉め、二度と顔を見せることはなかった。

 それからも私は、帰宅することを避けるようになった。

 ただ、現在では仕事ではなく、酒に逃げるようになっていた。


***


 事情を説明すると、彼女は同情するような目を私に向けた。

 そして、口元を緩めながら私に向かって手を差し出すと、

「そのような家族ならば、あなたが外で何をしていたところで、気にすることもないでしょう。私と共に、生きませんか」

 その言葉に、私は首を傾げた。

「何故、私なのか」

「初めて目にしたときから、あなたに心を奪われていたからです」

 顔を赤らめながら言葉を吐いていることから、どうやら真実なのだろう。

 自分を愛してくれる人間と共に生きれば、人生は幸福なものと化すに違いない。

 ゆえに、彼女の手を掴むべきなのだろうが、私が手を伸ばすことはなかった。

 私は首を横に振りながら、

「私は家族に見捨てられたが、それは不貞行為によるものではない。このような状況でも、私が家族を裏切るつもりはないのだ」

 そのように告げると、彼女は手を引っ込めた。

 そして、弱々しい笑みを浮かべながら、

「それならば、やり直すこともできるでしょう。一度、しっかりと話し合うべきです」

 その言葉を最後に、彼女は姿を消した。

 言われてみれば、確かにその通りである。

 家族に見捨てられた理由を思えば、再び向き合うことを誓うことで、妻や娘も考え直してくれるのではないか。

 そのことに気付かせてくれた彼女に、心中で感謝の言葉を吐くと、私は自宅の内部に入ることを決めた。

 しかし、持っていた鍵では、自宅に入ることはできなかった。

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流連荒亡 三鹿ショート @mijikashort

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