第4話 見習い魔王の憂鬱
魔王との戦いを終えた私の安息は、わずか一日で幕を閉じた。いきなりこの魔導都市セルディアスの魔王となってしまった私は、何も分からずに執務室の机の椅子にもたれかかった。
「魔王って何をやるのかさっぱりなんだけど……」
「それはそうでしょうね。だから、魔王様。ひとまずこれつけてくれますか?」
「これは?」
「セルディアスの
セレネが差し出してくれた小さく細い三日月状の形をし
──
声ともに私の意識が急速に何かに接続するのを感じた。目の前に、セルディアスの立体地図が鮮やかに浮かび上がる。
まるで頭の中にいくつもの書棚ができたように次々と情報が流れ込んで来る。これらの情報は、思考するだけで自在に呼び出せる。
「うわ、何これ……」
「大丈夫ですか、フィオナ様」
ふらついた私を、セレネが優しく支えてくれる。
魔力回路を通して流れ込んできた知識で理解したが、これは古代魔導都市が築き上げた
「
「でも、いきなり魔王の役割を果たせと言われても、正直困る」
私はこれまでただ教えに従って日々を過ごしてきた。どちらかというと指示に従う側の人間であることは自分にがよくわかっていた。
「修道院では決まりに従えばよかった。でも、誰かを導くのはまた別物だよ」
いつも自分の判断に違和感があり、ただ周囲に流されているだけの私に、人を導く資質などないと思う。
『よくわかってるな。そんなのは当たり前だ。人間の聖女にそこまで期待してない』
不意に、思念の声が響いた。
驚いて周囲を見回すと、セレネの肩に黒い翼のある
「何こいつ」
偉そうな言い方に私は思わず眉をひそめ、黒の機体を指でつつく。小型の機体は、突然の接触に慌てたようにバランスを崩す。
『おい、やめろ……俺を何だと思っている』
「知らないよっ」
私は反撃して来ようとする黒い機体を両手でがしっと捕まえる。生意気な子は最初が肝心なのである。
「ふふ、こちらはクロウです。フィオナ様のサポート役を務める
私とクロウの様子に、セレネが笑みを浮かべながら説明する。
「少々口は悪いかもしれませんが、頼りになります。仲良くしてあげてくださいね」
「へえ、そうなんだ。よろしくね。クロウ」
『わかったら離すがいい』
クロウとは
セレネの話によると彼……といっていいのかどうかわからないが、クロウはもともと前魔王とセレネに仕えていたとのこと。
しかも
「あー、でも王様ってのは、配下の人がよろしくやってくれると思ってたよ」
『セレネ、こいつは、本当に魔王の器なのか?』
私の楽観的な発言に、クロウが呆れたような
「うるさいな。急に魔王になれって言われても無理があるでしょ」
『まあ、聖女が魔王になるのは前代未聞なのは確かだ。……でも聖女というにはカリスマとかが微塵も感じられないのはなぜだろう』
「言ったな。サポート役なんだからちょっとはフォローしてくれても良くない?」
私たちがやり合ってると、こほんとセレネが咳払いする。
「魔導都市の統治は、各部署の責任者が任命され、その裁量に委ねられてます。我々が担当する魔導機兵団の都市の仕事は、魔導機構のメンテナンス。これは
憮然とする私に、セレネが補足で説明してくれた。
『もちろん、現場で対応できない問題に対応するのは魔王の役目だ』
「あなたの当面の役割は、どちらかというとセルディアスの運行に必要な魔力の供給ですね」
『そうだな。備蓄していた
「おどかさないでよ」
『自分の身の安全を第一にしろってことだ』
「なんで魔王なのに狙われるんだよ」
『この国では魔王を倒せば、魔王になれる。そうすれば
「
私は首を傾げながら尋ねた。
『ああ、命綱みたいなものだ。都市の防衛から森の集落の結界維持まで、すべてに必要不可欠だからな』
「なるほど。でも、それを独占されたら……」
私は感心しつつも、不安がよぎる。
「そうです。先々代の魔王を中心とした旧貴族派は、その
「だから他の人に安易に魔王を任せるわけにはいかないってことか」
「はい。少なくともフィオナ様には魔王のフリをしてもらいます。そもそも前魔王レイヴンが魔王になったのは争いを避けるためだったんですよね」
『各種族の協力をとりつけ、中立になれるものが他にはいなかったからな』
「国全体が一つの方向性を目指してたら良いんでしょうけど、枯渇するリソースの配分をめぐって派閥の対立とかありますからね」
セレネはちょっと困ったように寂しく微笑んだ。
『ああ、正直に言えば、今、皆が協力してくるのは忠誠ではなく生きるためだろう』
「もしかして、魔王を倒したのってかなりまずかったのでは……?」
やってしまったのでは…?
『そうだろうな。おかげで均衡は崩れ去った。魔王の死は、野心を引き寄せるのに十分だろう』
「やっぱり!」
思わず叫んで頭を抱える私に、クロウは追い討ちをかけて来る。
『それにおまえたちは勘違いしてるかもしれないが、先代の魔王を倒した後、こちらから人間の国に攻め込んだことはない』
「えっ、聞いてたのと違うんだけど……」
魔王レイヴンを倒すことで少なくとも問題は解決するのだと思っていた。しかし、倒したことで逆に争いの新しい火種を生み出す結果になったってこと?
ロガルド王国が騎士団を派遣せず、外部からの徴兵に頼ってたのも今から思えば自国の戦力を温存するためだったのだろう。
魔王の軍勢の変化を王国が把握してなかったとは考えにくいよね。王国からしたら多くの兵を出すよりも遥かに少ないコストでこの国に損害を与えることができたともいえる。
結局のところ、私たちは王国にいいように使われていただけか。おのれ。
◇
「はいはい、話はそこまで。お茶淹れますからね」
私の様子を見て、セレネは気をつかってくれたのか、ポットに手を伸ばす。魔力の残滓がふわっと広がり、コポコポと音を立てて水が沸騰する音がする。
私はポットに手を触れ、すぐに引っ込めた。
「熱い! これって、魔力で動いてるの?」
「
セレナはしばらく置いてティーポッドにお湯を注ぐと、ふんわりと少し甘い香りが私の方にも漂ってきた。
「へえ、すごい! 良いなあ。それってお風呂とかも沸かせるの?」
「流石にそこまで大きくなると一人で魔力を注ぐのは効率悪いですね。でも、この都市では流体魔素が供給されてますから、それでお風呂はそれでまかなえますよ」
「何それ、便利過ぎる」
「ええ、特に魔力の供給システムが画期的なんです。地下の地脈を使って、流体化した魔力を送るんですよ」
セレネからの説明によると、この魔導都市は、生活基盤がかなり整備されていて、私たちの暮らしてた街とは比べ物気ならないほど便利だ。
その典型的な例が、魔導都市セルディアスの地下を流れる整備された地脈を活用し、流体化した魔力を送るシステムだ。
通常の
「ここでの生活に慣れたら戻れなくなりそう……」
「元いた国に戻りたいですか?」
ふと、セレネが話しかけてくる。紅茶を淹れながら、そう切り出した。
「私の国?」
「ええ。なんというかあまり帰れないことを嘆いてるわけではなさそうですし」
セレネの問いかけに、私は少し考える。
聖女に任命され、自己犠牲術式などを教えているということは、結局のところ国にとっては私は使い捨てだったのかもしれない。
そもそも少数精鋭で勇者を送り出すみたいなやり方に私は疑問を覚えていたというのもある。
今聞いた話だとレイヴンが魔王に代わっていた時点で、自国を守るために森に侵攻する必要性はほとんどなくなっていたのだ。
「そうね……そもそも戻れないでしょ。ここしばらくは私の中から魔力が魔王城の方に供給されてるのわかるし」
私が供給する魔力は、都市の運営に必要不可欠で、私が特に意識を向けなくても、あらかじめ定められた通りに分配され、都市基盤の運営は自動で続けられている。
「正直にいうと、魔王様がいてくれるだけでかなり改善されたので助かってます」
「まあ、国に帰っても、きっと面倒なことになるだけだろうしね」
私は黒く染まってしまった髪の毛先をくるくると指で弄りながら、ぽつりとそう漏らした。
黒髪というのは、流刑地に流された一族の特徴であり、私の国、ロガルド王国ではあまり歓迎されていない……はっきりいうと忌避されているのだ。
「仮に国に戻って魔王ですとか言ったら、捕縛されて聖堂教会に突き出されそう。でも、全部を正直に話して古代遺跡の支配権が手に入るとしたら、あの人たちはそれくらいはやりかねないかも」
生きて帰れたらのんびり目立たず余生を送るつもりだったんだけど、今の姿で帰っても疑われそうである。
「堕落した聖女として斬首刑とかになるのは、ちょっと勘弁してほしいかな」
ぽつりと、私は本音をこぼした。
私の心には複雑な感情が渦巻く。
自分を道具として扱った国への怒りもある。
わだかまりを吐き出すかのように私は大きく息を吐いた。
「そもそも自分の国の功労者を無下にするような国、帰る必要なんてありませんよ」
セレネの言葉の端々に、名状しがたい感情がにじんでいるように思える。もしかすると、それは暗い感情なのかもしれない。
しかし、それは私には聞けなかった。結果的に彼女の家族を奪ったのは私なのだから。それでも彼女は、少なくとも私を受け入れようとしている。
「……ありがとう」
セレネが淹れてくれたティーカップを持ち上げ、ひとくち口に付ける。紅茶の香りに、少しだけ心が安らぐのを感じた。
『心配しなくても仕事は代わりにやってやる』
「いっそ、クロウが代わりに魔王をやればいいのに」
『……それができるならもうやってる』
「なんでも一人でやろうとする王は大抵失敗しますからね。人に頼れるというのも王の資質です」
クロウの言葉に、セレネは頷いてつけ加える。まるでお説教をするような口調だ。
『……』
「どうかしましたか、クロウ?」
『なんでもない。……フィオナも慣れるまではせいぜいセレネに世話してもらうと良い』
「ふふ、そうさせてもらう」
クロウの不機嫌そうな言葉の中にはほんのちょっと、私を気遣う気持ちが込められているようにも感じられた。
◇
──それから私たちは今後の方針について長い打ち合わせを行った。
ティーカップを傾けながら、私は窓の外を眺める。
時刻はもう夜だ。
見慣れない街並みが、魔導灯の光に照らされて浮かび上がっている。まるで、私が別の世界に迷い込んだような異質な光景だ。
自分が魔王になるなんて、考えたこともなかった。
できることなら、誰かに任せてしまいたい。
けど、私が生き残るためには、もうそんな選択肢は残されていないのだろう。
たとえ、自分の意思とは関係なく、この立場に立たされたのだとしても。
少なくともセレネやクロウは私に期待をかけている。それはなんとなくわかる。
『逃げ出したいなら今のうちだぞ。明日は円卓会議で紹介するからな。そうなればもう後戻りはできない』
クロウが皮肉っぽく言う。
「逃げ出せるならとっくに逃げてるよ。でもここにいるしかないんだから……やるしかないのはわかってる」
『そうか、ならばもう何も言うまい』
私はカップをそっと置いて立ち上がり、窓辺に歩み寄り、空に広がる星空を仰ぎ見る。
流れ落ちる星がどこに辿り着くのかは誰も知らない。
きっと今の私も、暗闇に迷う一つの星なのかもしれない。これから先、どこに向かい、何が待ち受けているのか。
まだ、その答えは見えなかった。
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