第3話 魔導機巧とセルディアスの観測者

 深夜の執務室に足を踏み入れると、誰もいない無人の部屋に月の光が淡く差し込んでいた。


 窓からこぼれる蒼白い光は、黒檀の机の上に置かれた黒い鳥のような複雑な形状の魔導機巧マシナリーを照らし出している。


 セレネ・ブラックウッドは眠るように置かれた魔導機巧マシナリーに手を伸ばした。機体をそっと胸に抱きかかえると、侍女の制服を通して、金属製の外殻の冷たさが伝わってくる。

 

「まったく魔王様、あそこから負けるとは慢心しすぎですよ。配下を全部退けて、余裕で勝つって言ってたじゃないですか」


 セレネが魔導機巧マシナリーに話しかけると、それは突然動き出した。鳥のように翼を広げてふわりと浮遊し、暗闇の中で魔力の残滓を煌めかせている。魔導機巧マシナリーの中でも使い魔ファミリアと呼ばれるタイプのものだ。

 

『目論見が甘かったことは認めるざるをえないな』


 悔しさが滲んだ魔王の思念こえが響く。

 普段は決して見せなくなっていた感情の起伏。

 冷静沈着な彼が、こんなにも感情をあらわにするのは珍しい。その事実にセレネは少し驚いた。

 

 セレネはこの古代魔導都市セルディアスの歴代の魔王に仕える秘書官。目の前にいるこの浮遊する魔導機巧マシナリー──正確にはその中身──の義理の姉でもある。


 魔導機巧マシナリーの中身は、セレネの義弟にして元魔王のレイヴン・ブラックウッド……とは言っても、正確にはその魂が封入されているだけだ。

 

 もはや魔王としての彼の姿は見る影もない。

 

 ただし、彼は魔導城の機構システムと同調しており、彼の肉体は失われたが、精神は無事だったのだ。


「あれだけ余裕見せて負けるとか、相変わらず肝心なところで失敗するんですから。この子は」


 魔王レイヴンは聖女フィオナに敗北した。

 しかし実際は相打ちだ。

 そのせいで決着がつくまで行動を制限する契約ギアスがおかしな風に作用したようだ。


 敗れたとはいえ、彼とセルディアスとの接続リンクが完全に切れているわけではない。その証拠に、セルディアスから使い魔ファミリアに魔力は供給され続けている。

 

 セレネは安心して息を吐き、目を閉じる。

 脳裏には幼いレイヴンの姿が浮かんでくる。

 セレネは過去の記憶の中と同じく、遠慮なく頭を撫でるようにその使い魔ファミリアの表面をそっと撫でた。

 

『余裕を見せないと一人で立ち向かうのは許してくれなかっただろう? って、いい加減、撫でるなよ』

「はいはい、魔王様」


『元魔王などと呼ぶのはやめてくれ。それに、この使い魔ファミリアの体は不便だな。もう少しまともなものはなかったのか?』


 セレネは抗議を無視してレイヴンを撫で続けると、レイヴンから諦めたようなぼやきとためいきをつくような思念こえが伝わってきた。


「贅沢言わないでください。あの状態で生き残ったのも奇跡だったんですから」

『準備してた仕組みが、まさか聖女に使われるとはな』

「今後のことはおいおい考えるとして、しばらくその偵察用の魔導機巧マシナリーでなんとかしてください」

『不満はあるが、贅沢は言ってられないか。もとより、今のオレに逆らう術はないしな』


 セレネがピシャリというとレイヴンは残念そうに目線を下に向けた。


 ◇


 魔王と勇者一行の決戦が謁見の間で行われていた時、セレネは少し離れた場所で偵察型の魔導機巧マシナリー越しに様子を見守っていた。


 聖女の放った凄まじい自己犠牲術式の余波は、魔王城の謁見の間を蹂躙し、周囲を無慈悲に破壊し尽くした。

 異変を察知したセレネが急いで謁見の間に駆けつけると、そこには力を使い果たした彼の遺骸が残されていた。 


 セレネはそこから彼の精神を魔導核コアに封じ込め、普段から偵察用に使っていた魔導機巧マシナリーに移したのだ。


「魔王になってからすっかり生意気なこと言うようになっていたので、たまには良いじゃないですか」


 レイヴンのこの姿ではもはや威厳も何もない。


『オレは魔王で、セレネは秘書官なのだから問題ないだろう?』


 彼の言う通り、セレネの役目は秘書兼侍女であり、このセルディアスで管理する多くの魔導機巧マシナリーを統括することも役割の一つである。

  

 なぜなら、セレネはこの古代魔導都市セルディアスが創られたはるか千年前に、この都市の運営の支援のために魔導技術マギアテックによって人工的に生み出された生体型の自律人形──そして、今ではたった一人残されたセルディアスの観測者だ。

  

 そんなわけで、実はレイヴンはもちろん本当のセレネの弟ではない。けれど、セレネは彼のことを幼い頃からよく知っていた。

 

 影の森シャドウウッド内の抗争で身寄りを失った彼を引き取り、セレネが育てたのだ。


「しかし、レイヴンが魔王になるとは思いませんでした」

『必要だったというだけだ。仕方ないだろう』


 彼が魔王になると言い出したのは、先代の魔王が他の種族の意向を無視して強硬な姿勢を取ったからだ。


 魔王軍がロガルド王国の街道沿いの砦を占拠したことで、人間たちの国の物流が封鎖された。

 それが、争いの引き金を引くことになった。

 人間たちの国では聖堂教会を通じて各国から有志の募集が行われ、この影の森シャドウウッドに多数の勇者が送り込まれることになってしまったのだ。 

 

 この影の森シャドウウッドは、複数の種族が暮らしている。

 

 この地で暮らす魔族の中には争いが苦手なものも、そもそも争いに興味がないものも大勢いる。

 戦いに魔力資源リソースを割き過ぎれば、都市や周囲の集落に充てる分も減少する。

 

 実際のところこの都市に供給される魔力の枯渇は目に見えて進んでいた。


 レイヴンは、そういった一連の流れを断ち切るために魔王となったのだ。

 この国で実権を握るには、魔王を倒す必要があった。そして、彼は他種族と手を結び、困難の末、それを成し遂げた。しかし…。


『ただ、これからどうしたものやら。さんざん根回ししてきたのがこれで全部水の泡だ。……頭が痛い』


 レイヴンの嘆きは、敗北への悔しさだけではない。

 彼が魔王となり、対立の解消に尽力してきたことを思えば、この敗北がもたらす影響は計り知れない。

 

「勢力図が大きく変わってしまいますね」


 セレネは先行きを案じる。

 魔王不在の状況が長く続けば、この混乱に乗じて、旧貴族派が動き出すのは必至だ。


『旧貴族派の者どもは、オレがいるため大胆な行動は控えていたが……』

「負けましたもんね」

『うるさい。あんな例外がいるとは思わなかったんだ。なんなんだあいつは!』


 レイヴンが抗議する気持ちはわからなくもない。

 

『いきなり自己犠牲術式を使う聖女がいるか。しかも、あいつは道中でまともな攻撃用の魔導術式を一切使えていなかったんだぞ』

「レイヴンって、毎回、肝心なところでミスをしますよね。そこがかわいいんですけど」


『くっ。セレネに弱みを見せたのは失敗だった……』


 レイヴンはぼやきつつ、照れ隠しなのか機体の視線を反対方向に向けた。その仕草があまりにも可愛らしくて、セレネは思わずくすりと微笑んだ。

 

「また、かつてのような抗争の日々に逆戻りするのはあまり望ましくありませんね」


 せっかくレイヴンが構築してきた均衡が、もろくも崩れ去ってしまう。戦乱に陥れば一番困るのは、この都市や都市周辺に住んでいる一般人たちだ。

 

『円卓会議の連中に今すぐ全てを明かすわけにもいかん。

 セレネ、俺はしばらく表舞台に出るわけにはいかない。

 円卓会議の采配は、基本的にお前に任せる』

 

「わかりました。できる限りのことを尽くします」


 魔王としての彼は倒れたけれど、セレネの弟としてのレイヴンはここにいる。

 彼の望みは争いを終わらせることで、せっかく勝ち得た平穏な生活を今は継続させることが必要だった。


『それで、聖女は?』

「寝てますよ。それはもうぐっすりと」

『そこはなんか図太いな、アイツ』

「そうですね。少なくともこちらへの敵意はまったく感じられませんでした」


 セレネはくすくすと笑いながらフィオナのことを思い出す。

 

 彼女に野心はなく、権力なんてものを欲するような性格には見えない。

 そんな人間が自己犠牲術式など使わないだろう。

 けど、彼女には今までの勇者たちと違って、盲目的に従うような熱狂も感じられなかった。自分の取りうる範囲の手段で生き残ろうとし、仲間を逃すという結果を勝ち取ったのだ。

 彼女にはしばらく王を演じてもらい、この魔王城を機能させ続ける必要がある。


「しかし、聖女のあの魔力量、異常な数値ですね」

『もともと素質があったのだろう。羨ましい限りだ』


 彼女の魔力はこの都市の機能を制御するには十分だ。


『目論見は外れたが聖女の魔力は確保できた。予定通り、うまく利用させてもらうことにしよう』

「そう、うまくいくと良いんですけどね。そもそも新しい魔王が人間側出身とかなるとまた揉めそうではありますが……」


『そもそも人材不足だからな。この国のために使えるものは使ってやるさ』


 セレネの言葉にレイヴンは考え込む。

 彼の頭の中では、すでに次なる一手を考えているように見えた。


『円卓の奴らは、聖女フィオナが新たな魔王になったとはまだ知らない。それをどう利用するかか……』

「まずは新しい魔王様を円卓会議に引き合わせないといけませんね」

『ああ、もう面倒なことになりそうだな』


 レイヴンも覚悟を決めたように呟いた。


 この古代魔導都市セルディアスの近い将来、そしてこの地に住むすべての種族の明日は、聖女やセレネたちの手にかかっている。


(なんて言ったら、聖女は嫌がるだろうな)

 

『ところで、人間族の動きはどうなっている?』

「人間族の間では、魔王が倒されたという噂が既に広がっているらしいですね」

『だとすれば、今のうちに体制を整えておく必要があるな』


 レイヴンの言葉を受け、セレネはこの先を思案する。影の森シャドウウッドは、現状は魔獣が出るということで忌避はされているが、森林という資源がある限り、放置しておくということはないだろう。


『言い忘れてた。セレネ』


 レイヴンの思念こえは、はっきりものを言う彼には珍しく、ためらうような響きを含んでいた。


「何か忘れ物ですか?」


 セレネは首を軽く傾け、問いかける。

 

『助かった。すまない』


 レイヴンから感じる思念こえにセレネは思わず目を見開いた。いつもは強がってばかりの彼が、こんなに素直に感謝の言葉を口にするなんて。

 

「どういたしまして。それが私と貴方の契約ですから」


 ここ最近は他の種族との交渉で余裕がなく、感情を切り捨てて冷静な決断を強いられていた。魔王としての威厳を保つため、会議でも刺々しい物言いが多かった。


 隙を見せず、誰にも頼らないのが彼の魔王としての姿だった。だから、そのちょっとした変化が、セレネには少し心地よかった。​​​​​​​​​​​​​​​​

  

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