第2話 聖女は誓いを破れない
目を覚ますと、自分が豪華な天蓋付きベッドに横たわっていることに気づいた。
天井は高く、見たこともない精緻な彫刻が施された家具が並べられており、ベッドの上で寝返りを打つとふんわりとした羽毛の寝具の感触が心地いい。
そういえば、勇者一行と行動してる時は、固く冷たい地面の上で目覚める毎日で、体もあちこち痛かった。
久しぶりに上等な寝具でぐっすり眠れたせいか、身体もずいぶんと軽い。
「お目覚めになられましたか?」
ベッドの傍らには侍女が控えており、私の顔を覗き込んでいた。
(び、美人さんだ……!)
黒を基調とした制服を身にまとった彼女は、まるで娯楽小説の挿絵で見たような貴族の屋敷や宮殿で仕える典型的なメイドそのものだった。
(本物のメイドさんだ。初めてみたな)
修道院と教会を往復する質素な生活を送ってきた私にとって、メイドの存在はちょっと憧れだった。
彼女は艶のある黒髪を後ろでまとめていて、瞳の色は碧色。均整の取れた容貌に、白磁のような肌に細長い手足。華奢でありながら一つ一つの動きに洗練された安定感がある。
とても綺麗なのだが、なぜだろう。
彼女の美しさには、どこか生者とかけ離れたかのような、そんな儚さがある。
「どうぞ、少し落ち着きますよ」
「ありがとう」
彼女は上半身を起こした私に向けて、丁寧に紅茶を差し出してきた。淡い琥珀色をした紅茶から立ち上る香りを感じながらカップを受け取る。
口をつけると、目覚めたばかりの身体に温かさが染み渡っていく。ほっとすると同時に、この状況への違和感が大きくなっていった。
(ここはどこなんだろう? 天国? それとも……)
寝具も部屋の様子もそうだけど、これまでの自分の境遇とはかけ離れていた。いったいなぜこんなところに?
意識を失う前の記憶が蘇って来る。
魔王との決戦で、私は自分の生命力を威力に変換するという禁断の自己犠牲術式を使った。
本来、あの術式を使えば、生きているはずがない。これは神官の中でも禁呪の類とされるものだ。使えば当然、命を燃やし尽くす。
つまり死ぬ。
(いやー、あんなのが神官見習いでも使えるとかバレたらどう考えてもまずいでしょ。何教えてるのよ)
禁呪というなら見習いに軽々しく教えるのはやめてほしい。さすがにあの威力は流石にちょっとどうかと思う。
それに自ら死を選ぶというのは、神の教えに逆らう行為にも等しい。死んだら地獄に送られるのではと内心はひやひやしてた。
でも、目の前に広がるのは地獄のような光景とはほど遠い。この豪勢な部屋や丁重な扱いを見る限り、私は天国にでも来てしまったのだろうか。
そうだとすると天国はメイドさんが起こしてくれるみたい。それはちょっと悪くないかも。
そんな想像を膨らませるのに精一杯で、話しかけてくる侍女の言葉は全て右から左へと通り抜けていた。
◇
「ということで、今日からあなたが魔王です」
「へ…?」
侍女の不穏な言葉に、私の意識は強制的に現実に引き戻された。
「ま、魔王… ってどういうこと?」
「だから、あなたが、次の代の魔王なんです」
え? 私が魔王?
「……」
彼女の言葉を呑み込めず、私の思考はしばらくフリーズした後、一つの結論を導き出した。
「そっか、これ夢だったのか。おやすみなさい」
そう自分に言い聞かせ、再び羽毛のふとんを頭からかぶって二度寝を試みる。羽毛のふとんはとても暖かくて、ああ、できるならいつまでもここで寝ていたい。
「魔王様!」
しかし、ふとんが剥ぎ取られ、私は現実に引き戻される。
「魔王って何? なんで私が魔王になんてなってるの?」
「あら、聞いてなかったんですか?」
侍女の問いかけに、私は思わず目を逸らした。聞き流してしまったともいえず、視線をさまよわせる。
そんな様子に、侍女の目がにこやかに細まる。
(あ、まずい。こういう時、この手の人に逆らってはいけない……)
その教訓は、私に厳しく術式を教えてくれた師匠で嫌というほど体験済みである。そんなわけで私は覚悟を決め、正座した。
「ごめんなさい。てっきり自分が死んだと思っていたから。でも、どうして?」
私の様子に反省の色を見てとったのか彼女はため息をついた。
「……わかりました。いいでしょう。先代の魔王様に勝ったことで、あなたがこの都市の新たな支配者になったからですね」
「支配者?」
なんだか、ますます混乱して来た。
侍女はどうしたものかと思案してる。
「えっと、この街は古代遺跡の上に建てられたことは聞いてます?」
「あ。一応。発見された古代遺跡の力が起動して、その力を利用して街が形成されたという話は知ってますよ。それに古代遺跡の話は、本でも読んだから」
大昔、この森にはある古代魔導都市セルディアスと呼ばれる都が栄えており、現代に比べたら遥かに進んだ
その国を総べる存在が魔王と呼ばれていた。
しかし、何かの原因で、その都市は滅びて森の中で静かに眠ることになった。それ以来、この森は荒れ果て、何代か前の王の時代はロガルド王国の流刑地として運用されていた。
「いつの頃からこの森に勢力ができて、魔王が復活したって言われるようになったのよね」
ある時突然、森の中の古代遺跡が再起動してしまったらしい。そうして流刑地の民や異種族が集まり、この都市周辺を国として主張するようになっていった。
「そうです。古代魔導都市の遺跡の機能を利用して、魔物から都市を守る結界を形成しています。でも、その機能を使うには条件があるんですよ」
「条件?」
「大きな魔力を持つ者が、この都市と契約して
侍女曰く、膨大な魔力を地脈から集めて、都市の機能のために配分するのがこの魔導都市セルディアスの機能とのこと。
これを起動し続けるには、その資格を持つ者。つまり、相応の魔力を持つものが必要らしい。
「あと、魔王を倒すとその資格が、倒した人に移るんですよ。魔王を倒したからには…」
「倒してないよ! 相打ちだよ!」
私は反論するが、彼女は冷静に続けた。
「先に魔王が倒されて、そして貴方に支配権が移って、そして貴方が倒れたってことなんじゃないでしょうか」
「倒された人に支配権が移ったら侵略したら勝ちってことにならない? その仕組みおかしくない?」
「魔王が暴走しないための仕組みでしょうね。人の国も似たようなものじゃないですか? 間違った王はいつかは滅ぼされるものです」
権力者は必ず腐敗するというのはいつの時代も一緒らしい。安全装置みたいなんでしょうねと、彼女は語る。
「なるほど、昔の人も苦労してたんだね」
「いざとなったら殺されると思ったら無茶はできませんからね。ただ、その努力も虚しく滅びましたけどね」
侍女はどこか悲しそうにそう呟いた。
いざとなったら殺されるというのは、逆らう人は早めに潰しておくというのに繋がりかねない。
世の中というのはままならないものである。
「あれ? よく考えたら魔王の結界もないし、じゃあ今なら帰還魔法がつかえるのでは?」
「無理だと思いますが……どうぞ」
「いたたた! 首が締まる! え? 何? あの契約有効なの?」
「契約として、決着がつくまでこの国から出られないという状況ですね。
相打ちによって契約が残ったままになったんじゃないですか?」
侍女に言われて首を触ったが、明らかに契約の魔力は機能しており首につけられて枷は熱を帯びていた。
「魔王め!!!!」
要するに契約が異常に終わった場合の条件がうまく設定できておらず、そのおかげで変な状態になったらしい。
「ともあれ事情をご理解されたようで何よりです」
「ちょっと待ってよ! 私が結果的に先代魔王倒したんだよね? 凄い恨まれてそうじゃない?」
「それは大丈夫です。私たちがお守りしますから。貴方はこの都を動かすため、魔力を供給してくれれば十分です」
「どういうこと?」
「先代の魔王様は、この都市の運営が回るような仕組みを確立していますので、魔力の供給さえあればしばらくは困ることがないと思います」
彼女は自信ありげに胸を張る。
「別に貴方が役割を放棄してくださっても構いませんよ。我らが都の機能を失い、たくさんの人々が路頭に迷うだけなので」
「うう……その言い方はずるい」
突きつけられる選択に、私はただ唸り声を上げることしかできなかった。
「もちろんどうしても魔王がやりたくないということであれば仕方ありません。事実をそのまま報告しましょう。そうなってしまえば斬首刑になるのもやむなしですが」
「そんな理不尽な! それじゃ脅迫と変わらないじゃない」
「理不尽なのはあなたですよ」
彼女は呆れたように付け加えた。
え? どういうこと?
「貴方は復活した際に、このセルディアスに集積していた魔力をその身に取り込んでます。そんなことができるのは貴方の
差し出された鏡を見ると、私の髪はいつのまにか黒く変わり、瞳の色は金色に輝いていた。
「髪と瞳の色が変わってる…!」
「魔力の影響ですかね。今は一度貴方の身体に取り込まれた魔力が魔王城の
「そんな……」
「逆にいえば貴方がいて魔力を供給さえしてくれたら、私たちは助かるのです」
どうも私は新しい魔王になるという運命からは逃れられないらしい。
魔力を管理し、この都市の支配者になる。
目の前の鏡に映るのは、黒髪に金色の目を持つ、新たな魔王の私。
(聖女が魔王になんてバレたら師匠に怒られそう。というか殺されそう)
自分の想像に身震いする。
「私に魔王なんて無理に決まってるじゃない。私にだって自分の意志があるの。そう簡単に従うつもりは……」
私の悪あがきに、侍女は優しく微笑んだ。
「心配はいりません。魔王様、貴女の補佐には私たちがついています。この都を、そして住まう者たちをお助けください。それに……」
セレネは私に歩み寄ると、そっと耳元に口を寄せた。
「魔王を殺した責任、とってもらいますからね」
低く囁くような声音に、私は思わず身体を硬くする。
その言葉と裏腹に、セレネの表情は不気味なほど穏やかで、口元には微笑すら浮かんでいた。
「そして自己紹介が遅れました。私の名前はセレネ・ブラックウッド」
侍女──セレネはこほんと咳払いをして私の目を見つめてくる。
「貴方が倒した魔王の名はレイヴン・ブラックウッド。つまり私の弟です」
セレネの言葉に、私の脳裏に先程の戦いの記憶がよみがえる。あの魔王が、彼女の弟……ということは?
動揺を隠せない私に、セレネは一歩近づくと、真っ直ぐに瞳を見つめてきた。
「仕えるべき主は失いましたが、それ以上に、この都の未来がかかっています。今はあなたの力が必要なのです」
セレネの瞳はとても強い意志の光を感じる。
私は彼女の本心を垣間見たような気がした。
「よろしくお願いしますね。
にこりと笑っていう彼女に私は天を仰いだ。
(……この状況で話を断れるわけないじゃない!)
どのみち交わした
ものすごく、不本意だけど。
そう。
こうして私は、予想だにしなかった新たな人生の一歩を踏み出すことになるのだった。
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