虚構聖女と魔導仕掛けの支配者

黒鋼

第一章 魔王就任編

第1話 勇者は魔王を倒せない

 冷たい床に倒れた体は鉛のように重かった。それでも私は、震える腕に力を込め、ゆっくりと顔を上げた。


「期待はずれだな」


 顔を上げた先には、玉座に座る魔王の姿。

 彼は座ったまま身動きの取れない私たちを見下ろし、落胆したようにつぶやいた。


「城に潜入して来たと聞いて、どれほどの強者かと思ったが……」

 

 私たちを見下ろす彼の瞳は、金属のように冷たく硬質な黄金こがね色。その瞳の奥の光には、何の感情も見えなかった。

 

 そう。これが私たち勇者一行の旅の終わり。

 そして、私のすがった希望の末路である。

 やっぱり勇者が魔王を倒すなんて話は、おとぎ話の世界の話だったみたい。


(悪い人をたおして、みんなその後ずっと幸せに暮らしました……そんな都合の良い話はあるわけないよね)


 正しいことをすればいつか報われる。

 幼い頃から孤児院でそう聞いて育って来た。

 

 でもそれは、ただ考えることを放棄してるだけなんじゃないかな。

 

 正しさなんてものは自分の立場から見た主観に過ぎない。自分が「正しい」と信じたことが、他者にとってはそうじゃない。

 

 思い出すのは、まだ幼かった頃のこと。

 孤児院の庭で見つけた一匹の黒い野良猫を、こっそりと部屋に連れ帰った。寒さに震えるその小さな命を見て、助けたいと思っただけ。


 しかし、翌朝それを見つけた院長からは「何故こんなものを」と叱られ、黒猫は外に追い出されてしまった。

 

 院長いわく、黒猫は不吉の象徴らしい。

 だから何? 私にはまったく理解できなかった。

 

 結局、私は普通であろうとしても、他人から見れば「普通」とは違っていたのだろう。


 今回こそはと空気を読んで頑張ってみたものの、結末はこれだ。私が私のままで自然でいられる場所など、この広い世界のどこにもなかったんじゃないかな。

 そんな諦めにも似た思いが、ふと頭をよぎる。


「うっ……」

 かすかに聞こえる仲間の呻き声。

 彼らにはまだ息がある。

 

 ここで諦めたら、彼らは故郷に帰れない。

 彼らには待つ家族がいるはず。

 私と違って帰る場所があるんだ。


 私は治癒の力を使って、彼らの傷を癒す。

 膨大な魔力の流出に、一瞬意識が遠くなり、これまでの記憶がフラッシュバックしていった。


 ◇


 私はフィオナ・シルヴァス。

 聖堂教会に仕える神官見習いで、この影の森シャドウウッドを支配する魔王を討伐するため、勇者と一緒に旅して来た。


 私の国──ロガルド王国は、古くから魔王の勢力と小競り合いを繰り返していた。魔王城のある影の森シャドウウッドは、豊富な魔素が生み出す強力な魔獣が生息する危険地帯。数を頼りに攻めるには難しい場所だ。

 

 そこで王国はどうしたか?

 

 聖堂教会を通じて、強い力を持ち少数精鋭で魔王城へと直接攻め込む『勇者』たちを募ったのだ。そして運良く──というか私にとっては運悪く、その同行者として教会所属の私に白羽が立ったというわけだ。


 私が勇者一行に加わったのは、人々を守るためなんて高尚な理由じゃない。

 純粋にお金がなかったからだ。

 不作に伴う物価の高騰で、自分の所属する修道院を維持する資金が不足していた。


 小さい頃から修道院付きの孤児院で過ごした私は、外の世界をほとんど知らない。

 成人しても自立できず修道院に居残っていたが、この機会に「何とかして来い」と追い出されたわけだ。

 「育ててくれた恩を返すため」なんて言うとカッコ良いかもしれないけど、私には他に稼ぐ手段がなかっただけ。


 確かに、私には人並み外れた魔力がある。

 人より劣った部分を補うため、生活に使える汎用魔術に熱中した。それは一定の成果は得た。でも、高位の複雑な術式までは使いこなせないし、戦いはからっきし。

 

 素質はあっても使えない宝の持ち腐れ。

 役に立たない趣味に興じる変わり者──これが私への普通の人の評価だ。


 悪かったな! 社会不適合者で。


 それに勇者の一行とはいっても、私の役目は荷物持ち兼補給役。治療術式と生活用の汎用術式を駆使し、戦闘以外で勇者たちをサポートする。それが私にできる唯一の役割だった。

 

 いうならば、勇者一行について来てるだけの従者のようなものである。


 仲間というには畏れ多い。 

 

「はあ、私だってできればもっとカッコよくありたかったよ……」


 活躍する仲間の姿を思い出し、心の中でため息をつく。

 

 出発に際しては恐れ多くも聖女の称号をもらっていたけど、こんなものは私を戦地に送る口実でしかないのはわかっていた。

 

 いや、だってさ。

 

 聖女の資格を得るための儀式で、私はあっさり落第したのだから。


 実際の私はただの見習い神官のままだ。

 要するに私の聖女の称号は言ってしまえば偽物フェイクのようなものである。


 ……いけない。思考が脱線してしまった。

 

 そんなわけで。

 

 おそらく私以外はかなり優秀だった勇者一行は、魔獣の巣窟たる影の森シャドウウッドでの幾多の戦いをくぐり抜け、魔王の住まう城へとたどり着いたのだった。


 ◇


 こうして、私たち勇者一行が、魔王城の謁見の間に足を踏み入れた瞬間、危機はいきなり訪れたのだった。


 床に複雑な模様が現れ、突如として金色の光が室内を満たす。

 同時に強力な結界が私たちの身を捕らえた。

 現代の魔術とは明らかに異なった魔術紋様パターン、そして勇者を含め私たち全員の行動を抑えつける圧倒的な力。

 おそらくは古代魔導都市の遺産を利用した罠なのだろう。

 

 続けて起こる衝撃に打ちすえられ、勇者たちも全員その場に倒れ伏した。何とか回復術式は間に合ったが、身体に重くのしかかるような威圧感に、彼らの表情には驚愕と恐怖が浮かんでいた。

 

 あ、ちょっと駄目っぽいかも……。

 

「人族の有する魔力量では、結界すら破れないか。わざわざオレが相手する必要もなかったな」

「くっ、なんて卑怯な……」


 玉座を降りて悠然と歩いてくる魔王に向けて、勇者は悔しそうな表情を受かべる。

 そりゃそうだよね。

 やっとたどり着いてこれから最終決戦とか言う時に、床に罠とか意地が悪すぎる。

 謁見の間に入って、魔王が見えて、さあ決戦だって気合い入れた瞬間だった。普通は魔王が何か仕掛けてくると思うじゃん。

 

「卑怯だと? 王城に侵入してきたお前たちにその資格があるとでも? 賊を捕らえるのに卑怯も何もない」


 相手の国からしたら、そりゃ特攻してくる勇者とか、山賊よりもはるかに性質が悪い存在なのだろう。


 しかも彼らは自分の利益ではなく、使命感で動いているのだ。だから損害を受けても歩みを止めたりはせず、自分の命すら顧みなない。


 ……よく考えたら怖いよね。


「オレを倒し、我が国の民を家畜か奴隷にするつもりだったのか?」

「違う! 貴様が人々を苦しめているからだ」

「何を言っている。我が領地に侵入して来て治安を乱してるのはオマエたちだろう?」

「くっ」


 短い間だが付き合ううちにわかったけど勇者たちはおそらくただの善人……というかお人よしだ。

 困った人の声を聞き、弱きを助ける。

 そんな思いで命をかけて魔王城へとたどり着いた。


 ただ、私は思う。


 勇者は神に選ばれた特別な人ではない。

 勇者を募る仕組みは支配者にとって都合が良い仕組みなのだ。

 高い魔力を持つ人間を勇者として祭り上げ、その存在を戦力として利用する。


 誰かのためにと言いながら、誰かを死地へと駆り立てる。

 平和を願う人は、平和を願って祈りを捧げ、今日も暖かい場所で温かい食事をしながら暮らしている。

 もちろん、彼らは私たちが死んだら、とても悲しんで祈りを捧げてくれるだろう。


 だが、それだけだ。


 彼らに比べて、私たちはしばらくずっと固くもっさりした保存食だった。

 言っちゃいけないかもしれないけど、わりと酷いよね。


 そして私の役割は、いざという時に勇者たちを無事に帰還させること。契約を果たすことで、仮に私が亡くなったとしても修道院には援助が続くのだ。


 自らお金を稼ぐ力のない私はこうして誰かにいいように使われるだけ。


「恨むなら自分の弱さを恨むがいい。力がないものはただ奪われるだけだ」


 だから、魔王のその言葉に少しだけ、ほんの少しだけイラッとしてしまった。私に力がないから奪われると、そう言われたようで。

  

(力あるものが自由に奪って良い殺伐とした世界なんてまっぴらごめんだよ!)

 

 私の中で抑えられた何かが一つ弾けた。

 今まで押し殺してきた感情が、諦めと怒り、そして自分自身への失望が、解き放たれたかのように溢れ出して来る。


「ならば、私が相手をしましょう。魔王」


 気づけば、私は魔王に向けてそんな台詞を言い放っていた。

 そして、勇者たちが倒れ伏す中、私だけが結界の影響を排して立ち上がる。

 この身に受けて解析したからわかったが、この結界はいわば魔力の働きを極限まで抑制するためのもの。

 人は誰でも多かれ少なかれ魔力を持っており、完全に阻害されたら動けなくなる。

 しかし、私は有り余る魔力を常時放出し続けることによって力技で結界の力を相殺できる。


「ほう、おまえはこの結界の中でも動けるのだな。面白い。良いだろう。相手をしてやろう」

「しかし、一つだけお願いがあります。戦いへと臨む前に、私の仲間たちを安全な場所へと送り返して良いでしょうか?」

「そいつらを離せと?」


 魔王は一瞬、眉をひそめてから、意外そうな口調で答えた。


「そうです。私としてもその方が全力で戦えますから」


 もちろん嘘だ。

 私には戦いなんて向いてない。

 だから、私はバレませんようにと心の中では祈っていた。

 

 私にとって、彼らを帰還させるのは契約の取引条件に過ぎなかった。

 彼らと私は志も違う。たとえ一緒に戦っても、最後まで心を通じ合わせることはできなかったしね。

 

「全力の私と戦うのは自信がないですか?」

「ほう、言うじゃないか」

 精一杯強がっていう私に、魔王は興味深げに見つめてきた。


「魔王も意外に臆病なんですね。期待はずれって言っていたわりには」

 様子見している魔王を挑発するために、私はさらに不敵にそう言い放つ。

 口ではそう言いながらも、手が震えるのまでは止められない。


 強大な魔力を有する魔王の威圧感が肌を通して私の心にプレッシャーをかけてくる。

 できればやめたい。

 できるなら今からでも家に帰ってゆっくり眠りたい。

 

「面白い。そうまで言うなら良いだろう。だが、契約はさせてもらうぞ」

「契約とは、一体……?」

制約ギアスの一種だ。俺との戦いが終わるまでは、お互いこの国からは出れない」

 魔王は冷ややかに笑って、私の目の前に魔法陣を展開した。

 紫の禍々しい雰囲気のそれはおそらく、呪いに関するものだと私の記憶の中から導き出した。

 

「そして、負けたものが勝ったものに従う」


 示された条件に、私の頬を冷たい汗が伝わっていく。


 魔王が示しているものは契約を利用した呪いの一種。自らの身に刻み、発動し続ける強制力を持ったもの。隙を見て私も逃げてしまおうと思ったが、これで私は逃れられない。


(……けど、少なくとも彼らは無事に生き残るのなら旅の目的は果たせたのかな)

 

 ふう、と一息をつく。

 これを拒否して生き残る選択肢は、考えても見つからなかった。


「わかりました。女神様に誓いましょう」

「俺も俺自身とこの地に誓おう」


 契約が交わされると私の首には呪縛のような紫色の首輪がはまった。それは自分の魔力を吸い取って、力を発揮してるようだ。消耗は激しくないが、ほんの少しづつ体の魔力が流れていくのを感じる。


「あなたたちは戻っていてください。ここは私がなんとかします。あ、くれぐれも報酬はお忘れなきよう」

「待ってくれ…──」


 何かを言おうとした勇者たちの言葉を遮って、帰還魔法を発動する。これは教会から渡された緊急脱出用の術式であり、勇者一行は光へと変わりそのまま消えていった。


「では、始めるか。名も知らぬ聖女よ」


 魔王の冷たい視線が私を貫く。その圧倒的な存在感に、私は思わず唾を飲み込んだ。


「ええ、でも私は聖女ではありません。ただの神官見習いですよ」

「そんな化け物のような魔力量を有していてか」

「化け物なんて失礼な!」


 手の震えを必死に抑えながら、私は魔王を睨み返した。

 このまま負けて、奴隷のように扱われるのは冗談じゃない。けど。万に一つ勝ったところで、敵に囲まれたこの地で、私の安全な場所はどこにもないのだろう。

 

 私は一つだけこの状況を打開できる方法を思いついてはいた。思いついてはいたが、実行するのは躊躇われれる、とても勇気のいることだった。


 けれど、何一つ普通にできなかった自分が、これで何かを成せるとしたら、それに賭けるのは悪くはないのかもしれない。少なくとも、この瞬間だけは、人の思い通りになるのではなく、自分の意志で未来を選んでやる。


 そう思って、小さく祈りを捧げ始める。

 

「我が魂、我が命よ。その輝きをこの手に集め、大いなる虚空への扉を開かん」


 祈りの言葉を唱え始めた瞬間、体中が燃えるような感覚に襲われる。


「なっ…! その術を使えば命を落とすことになるぞ。やめろ!」


 術に心あたりがあるのか、魔王の声には明らかな動揺が混じっていた。私は痛みをこらえながら、不敵に笑い返してやった。


「遅いです、魔王。私だけでなく、もちろん貴方も道連れです」


 自己の命を犠牲にすることにより、その命を燃や尽くして膨大な力に変える禁術。 


 それは戦いが不得意な私でも、唯一、魔王を倒せる可能性がある魔術だった。

 

 死が怖くないといえば嘘になる。

 けれど、このまま抵抗せずにやられるだけなんてのは絶対に嫌だった。

 

「待て……!」

(ふふっ、やってやったわ)


 魔王を焦りの表情を浮かべて、手を伸ばして来る。その反応を見て、私は心の中で小さくガッツポーズを取る。


 ──その日、影の森の都に広大な光の柱が立ち上がった。

 

 魔王死す。

 その訃報はやがてこの地域周辺に知れ渡ることになる。

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