カットバック2

 私は、隣の席の片瀬くんに恋をしている。


 きっかけは、他の人からすれば何てことない、些細なもので。


 彼が覚えているかはわからないが、この学校を受験した日。駅から学校へ向う道の途中で迷っていた所を、彼が助けてくれたのだ。


 と、語ってはみたが、「何だそんなことで」と思う人もいるだろう。それでも、この気持ちに嘘や間違いはないのだと、はっきり言うことは出来る。


 だからこそ、この日も授業中に彼の方にチラチラと視線を向けていた訳だが。この日は何と、彼の寝顔を目撃してしまったのだ。


 普段は控えめと言うか、どこか脅えているというか、自信なさげな表情をしている彼。しかし、その寝顔は穏やかで、まるで幼い子どものよう。


 こんな魅力もあるのかと、私は胸を高鳴らせた。


 母性本能をくすぐられるとは、こういうことを指すのかと、感情を噛み締めていると、姿勢を崩した彼が、消しゴムを床に落としてしまう。


 すぐに起こして伝えるのがいいかとも思ったものの、そこは私も恋する乙女の端くれ。意中の彼に簡単に離しかけられる訳もなく。一人で勝手にあわあわしている間に、授業が終わりを迎えてしまった。


 当の彼は、消しゴムを落としたことに気付くことなく、机を整理して教室を出て行ってしまう。


 恐らくお手洗いか何かだ。彼は引っ込み思案で友達が少ないから、休み時間に誰かに会いに行くということはない。


 本当は、ここでこそ、自分が話しかけられればいいのだろうが、それが出来ていたのなら、私達の仲はもっと進展しているはず。憶測でしかないが、彼だって恋愛には興味を持っていると思うので、一歩を踏み出すことが出来たなら、その後は案外すんなりと行ってしまったりして。


 と、ここまで妄想して、ふと我に返る。


 このままでは、彼は消しゴムを落としたことに気付かないまま、次の授業を迎えてしまう訳だ。そうなれば、当然不便も生じるだろう。これは、何がなんでも阻止してあげるのが、今の私の役割なのではなかろうか。


 床に落ちていた彼の消しゴムを拾って、彼の机に置こうとしてから、考える。先日マンガ雑誌で見かけた、恋が成就するおまじない。意中の相手の名前を消しゴムに書き、誰にも見られずに消しゴムを使い切ったら、その相手と結ばれるというもの。


 私の消しゴムには、もう彼の名前は書いてあるけれど。彼の消しゴムに私の名前を書いたのなら、効果は二倍なのではないか。


 もちろんこの理論が間違っていることには、すぐに気が付いた。おまじないの説明には『意中の相手』とある。彼にとっての意中の相手が私でなければ、そもそもおまじないになっていない。


 とは言え、自分の名前の書かれた品を意中の相手が持っているというのは、非常に魅力的な発想であった。思いついてしまった以上、これはもはや抗うことは出来ないと、瞬時に理解する。


 私は周囲の視線を確認して、誰もこちらを見ていないことを確認し、手早く消しゴムをケースから抜き取って、ボールペンで自分の名前を書いた。


 あやか。


 それが私の名前。


 苗字を入れなかったのは、フルネームで書いて、彼に気付かれてしまったら言い訳が出来ないから。


 この教室には、は二人いる。私、はらと、楠木くすのき。ひらがなで書いておけば、気付かれた時の予防戦になると、この時は真剣に考えたのだ。


 楠木さんと勘違いされたら、それはそれで悲しいのだが。間違いで、この恋心を知られるよりはマシだろうと。


 とにかく。消しゴムを素早くケースに戻し、何食わぬ顔で彼の机にそれを置く。


 そこに、彼が返ってきた。


 胸が高鳴る。彼はそれを見て、何を思うのだろう。


 机の上の消しゴムを見て、すぐに自分のものだと気付いた様子の彼は、その場できょろきょろと周囲を見渡した。


 そ知らぬ顔で、スマホを取り出し、私は正体を隠す。


 今の私は、さしずめ事件の犯人だ。この事件に名前を付けるとしたら、そう――。


 題して『誰が片瀬くんの消しゴムを拾ったのか事件』。

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