6章幕間

「――副長。若の様子は……?」

「寝ているよ。ノブリスに顔面を殴られて気絶など……随分とひどい負け方をしたものだ」


 言い方こそ辛辣なものになったが。ジョドスンは苦笑と共に部下にそう答えた。

 ドヴェルグ傭兵団のフライトシップ、その艦橋から。どんよりとした空気の室内から、何も見えない雲の中を見ていた。

 ドヴェルグ傭兵団はどうしようもない敗北を喫し、その味を噛みしめながら敗走している。フライトシップは“空賊”のものも含めて四機。そちらに被害はないが、ノブリスの側には尋常ではない被害が出た。全て敵一機にやられたものだ。たった一機に惨敗した。

 ドヴェルグ傭兵団は任務を果たせず、傭兵団の団長たるフリッサも敗北した。完敗と呼んでいいほどの敗北、そのための敗走だ。

 そんな状況だから、船内には打ちひしがれた空気が漂っているが……だというのに副長たるジョドスンが苦笑しているのを、この部下たちはどう思ったか。

 少なくとも、部下は冷静だった。つまり副長ではあってもそこまで信頼していない元悪党ノーブルのぼやきには付き合わず、実直的に目の前の問題を口にした。


「……これからどうするんで? 俺たちは……どうなるんで?」

「…………」


 簡単な返答ならすぐに思いつく。何故簡単かと言えば、出来ることなどそう多くはなかったからだ。

 惨敗の結果をぶら下げてスバルトアルヴに帰るか、出奔するか。

 どちらも先行きは暗い。が――今日になって、初めて増えた選択肢だ。これまではそれが見えていなかった。見ていいのだとすら思わなかった。だからこその部下の困惑だ。

 ここまでの大敗北は記憶にないが、それでも失敗した時に逃げ出そうなどと思ったことはない。失敗の責を咎として責め立てられてもだ。そこにしか自分たちの居場所はないのだから、そうするしかなかった。

 

(だが今なら、もう一つを選んでもいい)


 ただし、とジョドスンはまた苦笑した。それを決めるのは――決めていいのは自分ではない。

 だから素直に呟いた。


「さて、な。ひとまずは若が起きるまで待つしかあるまい。怪我があるようだが、せいぜいむち打ち程度のものだそうだ。もう一時間もすれば起きるだろう」

「…………」


 部下からのそれ以上の言葉はない。通信席、操舵席にも人はいるが、声はなかった。こちらの言い分がもっともだと思ったのかはわからないが。

 何にしてもそこから先、しばらくは言葉もなく船は雲の中を行く。

 その途中、ふと呟いた。


「どこへでも行けばいい……か。勝手なことを言う」


 思い出していたのは、あの口さがないジークフリートの若造だった。たった一機で歴戦のノブリス乗りたちを翻弄した、まだ子供と呼んでいい歳の敵。

 言うほど、簡単なことではない。ただの傭兵がこの空で生きていくというのは。だがそれでも彼はそれをしろと言った。感じたのは表現しえない感情だ――あるいはもっと単純なものかもしれない。若さゆえの無謀。それに対する嫉妬だと。

 そこにもう一つをジョドスンは加えた。

 後悔だ。権力者としてドヴェルグを酷使してきた。そして現実に気づかされた。どうにかしようと改革を検討しても、多数派のノーブルを動かす手段はどこにもなかった。“傭兵”に依存したスバルトアルヴの体制変更は困難で。だからこそせめて、少しでも守れるように。管理者を辞して自らもドヴェルグに加わった――


 分岐点は、きっとそこだった。

 内側から守ってやるのではなく、外側にいるときに連れ出してやるべきだった。まだやれることがあるうちに、自由にして解き放つべきだった。

 それでスバルトアルヴがどうなったとしても……その時の末路は自業自得だ。彼らは正しい意味で“ノーブル”であることをやめているのだから。


(重いな……この後悔は重い)


 もっと、してやれることがあった。それに今更気づかされることの、何と残酷なことか。

 時間は決して戻らない――過去には飛べない。未来なら時折見えることもある。だがそれでも見える範囲は限られ、だから必然的に取りこぼしも出る。

 どうにも、ままならない。


(……だが、それでもだ。我々は、やり直せる。そうだ。やり直すのだ。今度こそ――)


 と。


『浸ってるところ悪いんだがね――そうは問屋が卸さんよ』

「……は?」


 その声は、いったい誰があげたものだったのか――

 少なくとも、先の発言は肉声ではなかった。

 上位者による強制介入通信。その声と同時に。

 衝撃は、やってきた。


「ぐぉっ!?」


 突然の船体の激震。悲鳴を上げた部下の声を聞きながら、ジョドスンは慌てて近場にしがみついた。

 大きく揺れたのは一度だけ。だが遠くから異音が響いている。半ば悲鳴を上げるように、ジョドスンは叫んだ。


「何が起きた!?」

「しゅ、襲撃です! メインブースター損傷! 推進力が落ちます! 敵は――……<ナイト>、一機……!?」

「なんだと!?」


 あのジークフリートの若造が、心変わりして襲いにきたのか。

 戦慄と共にそれを疑ったが、違った。

 瞬く間もなく目の前に姿を現し、外から艦橋の窓にガン・ロッドを突き付けるのは……どこまでも標準的な、ただの<ナイト>だった。

 ただし、その相手は“ただの”ではすまされない敵だった。

 艦橋の中央にホロスクリーンが投影。介入した通信が映し出したのは――


『よお、ガラルド。尻拭いしに来てやったぜ』

「ラウル・グレンデル……!?」


 いきなり襲ってきた、敵の名を叫ぶ。

 スクリーンに映る男はどこか軽薄な笑みを浮かべていた。こちらに呆れているような、小ばかにするような。そんな笑みを睨んで――叫ぶ。


「どうして貴様が、ここに――追いかけてきたというのか!? 今更になってか!? だが、雲海の中を行く船をどうやって……!?」

『あーあー、違う違う。追いかけてきたんじゃない。

「……は?」


 すぐには、何を言っているのかわからなかった。

 そして理解したときには愕然とした――この男は最初から、ドヴェルグが“この形で”負けるとわかっていた……?

 呆然と見つめた先、ラウルはしたり顔で話し始める。


『管理者の“未来視”なんてピンキリだ。大半の連中は妄想や勘と区別がつかないレベルだし、狙って未来を見通すなんて便利なことは早々できん……というか、それがやれるなら誰も苦労はしないわな。そんな中、お前やレティシア嬢はよくやってたようだがね――俺のほうは俺のほうで、今日のことはよく見えてたのさ。どうせこうなるとわかってたから、先回りさせてもらったよ」

「……どうなると思っただと?」

『お前らが余分にうちのバカ娘さらったせいで、ぜーんぶうちのバカガキにひっくり返されるってさ』


 あまりにもあっさりと告げてくるので、しばしの間ジョドスンは言葉を失った。

 そしてジョドスンが何も言えないでいる間に、彼は何かを口にし始める。

 だがそれは、ジョドスンの理解できる言葉ではなかった。


『まったく、あいつもあいつだよ。“全ての敵を撃滅しろ”なんて命令受けておきながら、リムが助かったらすっかりやる気なくしやがって……まあ仕方ねえか。リムが人質に取られてたからこその命令だし、あいつもあいつで大概な甘ちゃんだし。本当にリムが死んでたならやりきっただろうが、助かった後にまで怒りは持続しないか』

「何を……何を言っている……!?」

『愚痴だよ、愚痴。終わりよければまあいいやなんて雑に現金なところばっかり親父に似た、アンポンタンへの愚痴だ……まあ気にするな。

「…………!?」


 さらりと述べられたその言葉の意味を、飲み込むのには時間が必要だった。

 そしてその意味を理解したとき、言葉になったのは悲鳴だった。


「見逃したのではなかったのか!? 傭兵として……本物の傭兵として生きていけと!!」

『あいつはな。だから言ったろ――これは尻拭いだって』


 そうして囁かれた、冷たい一言とともに。

 突きつけられたガン・ロッドを、ジョドスンは改めて意識した。

 この男は、本当にドヴェルグを――ジョドスンを殺すためにやってきたのだ。

 だからこそ、わからないことがあった。


「何故、今なのだ……?」


 ひび割れた声で、問いかける。零れ落ちるような、小さな声音だ。

 だがその疑問は理不尽であり、怒りを誘う。衝動に突き動かされて放つ言葉は、だが次第に声量を増していった。


「貴様も先ほどの戦闘にいたのなら、結果は違う形になっていたはずだ――いや、そもそも何故ことが起きることを見逃した? 見えていたのならいくらでも、こんな騒動になる前に対処できたのではないのか? それなのに貴様は……何が目的だ。何がしたかったのだ、貴様は!!」

『なにが、ねえ……そいつは、お前らこそがよく知ってるんじゃないかね?』

「私たちが……?」

『“最も困難な環境が、最も戦士を強くする”んだろう?』

「…………は?」


 その言葉は意味すら飲み込めなかった。先ほどまでの驚愕たちとは違って。

 いや、言葉の意味なら分かる。それはまさしく、スバルトアルヴの言葉だからだ。大して歴史などないくせに、いつの間にか使われるようになっていた格言。大人が子供に苦労を強いるための言い訳として――

 呆然と見つめた先、ラウルは全く表情を変えない。呆れたような、皮肉のような。そんな笑みのまま言ってくる。


『さっきも言ったが、“未来視”はそこまで便利なもんじゃない。お前たちが来ることを予見してたなら、もう少し前にどうにでもしてたさ……が、今回は見えたのが遅かったし、どうせガキどもが自分たちの手で解決するってわかったしな。最大限利用させてもらったよ――対多ノブリス戦闘の訓練なんて、シミュレータ以外じゃ難しいしな。あいつにとっても、いい“サビ取り”になっただろうさ』

「訓練……? では、なにか? 貴様は……ムジカ・リマーセナリーの訓練のために、この騒動を予期して見逃したと?」


 ラウルからの返答はない。

 だがスクリーンに映るその表情こそが、雄弁に答えを語っている――


「そんなことのために……?」


 それに対してジョドスンが感じたのは、どうしようもない怒りだった。


「貴様はそんなことのために、私たちの戦いを利用したのか? 我々の戦いを高みから見下ろして、嘲笑っていたのか? 全部、全部無駄な行為だと? 貴様は……貴様は、何様のつもりで……!?」

『仕方ないだろ、結果は見えてたんだから。あいつが負けるようであれば、手助けの一つや二つも考えたがね。そうでもないのに手を出すってのは過保護ってもんだ……し、何様と言うのならお互い様さ』

「ふざけるてるのか……!!」

『いいや。本気で言っている』


 その瞬間だけ――いや、その瞬間から。

 ラウルは表情を消した。

 先ほどまでの笑みが嘘のように……そこには何もない。虚無色をした瞳でこちらを見据えて、静かに囁いてくる。


『ガラルド……お前は本当に、余計な時に余計なことをしに来てくれた――アイツの言葉じゃないがね、本当にいい迷惑だったよ。依頼だから、任務だから仕事だからって、よくもまあ人んちに乗り込んで人殺しなんかしようと思ったな? 実行犯はどこまで行ってもお前たちだ。それでよく被害者ぶれたもんだ。感心するよ』

「貴様……!」

『あいつは甘いから見逃したが、俺はそういうの、許す気なくてな』


 その言葉と共に、ガン・ロッドに燐光が灯る。

 フライトシップの艦橋に、魔弾を受けられる装甲はない。ここまで近づかれた時点で、ジョドスンは詰んでいた。

 だがそれでも、歯を食いしばって敵を睨んだ。


「……ラウル・グレンデル……!」

『あとな、ガラルド――俺からも一つ、言わせてもらうが』


 ガン・ロッドに燐光が灯るのを、ジョドスンは呆然と見つめるしかできない――

 その声は、その銃口から聞こえたような気がした。


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