6-12 仲直りしよう

 遅れてやってきた警護隊に敵はもう去ったことを告げ、ムジカは重い体を引きずるようにしてエアフロントに戻った。

 ノブリス“クイックステップ”の中から、エアフロントの岸に着地して周囲を見回す――当然のことではあるが、エアフロントは大騒ぎになっていた。

 今回の騒ぎを受けて警護隊はフル活動。周囲の警戒のために飛び立っていく者もいれば、撃破された機体を大急ぎで運ぶ者もいる。警護隊ではない戦闘科の者も駆り出されているようで、傍目にはお祭りのような騒ぎになっていた。

 それをムジカは、他人事のように見ていたが――


「や。遅いお帰りだったね、助手よ」


 誰かが近づいてきていたのにも、しばらく気づいていなかった。

 周囲への注意がそぞろになるほど疲労している。動くのも億劫だったが声のほうを見やれば、横合いから近づいてきていたのは小柄な白衣の女だった。

 思わず呟く。


「アルマ先輩?」

「うむ。キミの先輩、大天才のアルマ様だが。大丈夫かね? 少々呆けていたようだが」

「……どーかね。少なくとも、今はツッコみ入れる余裕もないよ」


 今まで自称はせいぜい“天才”くらいのはずだったが。頭に“大”がついたうえに、“様”などと敬称までつけている。胡乱な目を向けるが、ムジカにできたのはそれくらいだ。もはやツッコむ気にもなれない。

 と、アルマの顔を見ていてふと思い出した。


「そういえば、ダンデス――<ダンゼル>はどうなったんだ?」


 リムを追いかけた後の、スタジアムの顛末についてだ。アーシャとセシリアに後を託したが、その後どうなったかをまだ知らない。周囲の空気に焦燥は感じても悲壮感は感じなかったので、さほどひどいことにはならなかったのではと思うのだが。

 返答は、どこかうんざりとしたため息だった。


「ああ、アレか。小娘ーズが撃退したが、乗ってた阿呆にはまんまと逃げられたよ。今頃空賊と合流でもしてるんでないかね……まあ<ダンゼル>の本体はいくらでも作り直せるが、魔道機関はレティシアの裏取引が出自の真っ黒な代物だ。表立って譲渡の記録があるわけでもなし、返せとも言えん。二度と戻ってこないだろうな」

「……いやに冷静だな?」


 アレを“時代遅れカタフラクト”と呼んだらとんでもなく怒るくらい思い入れがあったのに、などと首を傾げていると。

 彼女は「ふっふっふ……」と暗い笑みを浮かべて言った。


「助手よ……一つ、いいことを教えてやろう」

「あ?」

「人間、限界まで怒るとかえって冷静になる」

「……そーかい」


 つまり内心でははらわたが煮えくり返っているらしい。

 許さん……絶対に許さんぞ……などとぶつぶつ呟くのが聞こえてきた辺りで、ムジカは関わりたくないので目を逸らした。周囲の喧騒は取り留めもない。右往左往とする人々の動きで混沌としているが……


「ま、私もそこまで常識知らずじゃあない。その辺の愚痴は後で付き合ってもらうさ。見たとこ、キミもそれどころではないようだしね」

「?」


 いきなりそんなことを言われて、きょとんとムジカは視線を彼女に戻したが。


「キミのお探し物はあそこだよ。“クイックステップ”は私が片付けといてやるから、さっさと行ってくるといい」


 と、言いながらアルマはとある方向を指す。警護隊詰め所のほうだ。そちらに五人人ほどの集団があった。アーシャにサジ、クロエとセシリアに囲まれて、寒いのか、ケープのようなものを羽織った――……

 リム。

 レティシアはいない。彼女に対して思うところはあったが。


「……っ!」

「すまん、任せる」


 リムがこちらに気づいて目を見開くのを見届けてから、アルマに告げた。

 “クイックステップ”のバイタルガードを解放し、外に出る。後のことはアルマに任せて、ムジカは歩き出した。

 思いのほか、距離が遠い――だが走り出す気にもなれない。

 自分がどんな表情をしているのか。気になったのはそれだった。そしてそれと同じくらい、リムの顔を見つめていた。

 リムは……青ざめている。寒さに震えるように。あるいは何かを恐れるように。

 何かを伝えたわけでもなかったが、自然とアーシャたちはリムから離れた。といって、遠くにも行かない。後ろから、そっと見守るような距離で足を止めた。


(もしくは、いつでも俺を止められる距離か)


 そんな、ひどく突き放したようなことを思う。周りの全てが敵に見えるのは、かつての悪癖だった。人を殺しかけて、神経がささくれ立っているのを今更自覚した。

 どうにも、うまくない――そんなことを考えてふと苦笑した。今更だ。これまでの人生で、うまくいった試しなど一つもない。ただの一つもだ。

 今更な皮肉に苦いものを感じたが。そんな苦みを噛みしめる時間もなく、リムの目の前にたどり着く。

 

「ぁ……ぅ……」

「…………」


 リムはケープを抱くようにして、所在なさげにそこで待っていた。顔を青ざめさせたまま、怒られることを怯える子供のような様子だ。一度顔色を窺うようにこちらを見たが、だがすぐに目を背けてうつむく。

 それから、数秒の気まずい沈黙。やがて、無言で見下ろすこちらに怯えたような顔のまま、リムが口を開いた――

 それがいつもの手下口調だったのは、彼女なりの強がりか、気遣いだったのかもしれない。


「……あ、アニキ。あの。その……話が、したいっす。今、いいっすか……?」

「……………」

「な……なんで、黙ってるっすか? 怒って、るっすか? あ、あーし――あーしが、迷惑……かけたから? あーしの、せいで。あに、アニキが――わぶっ!?」


 それ以上彼女が何かを言う前に。

 ムジカはリムを後頭部から引き込むように、片手で抱き寄せた。

 そうして、片腕と胸で挟むように抱きしめて。どんなことを言おうか、どう声をかけようか。なんと言ってやるべきなのか――何一つ思いつかないまま、懺悔のように告げた。


「……俺は、がやれというのならやるぞ。それがどんなことでも――を見殺しにすることであってもだ」

「――――っ」

「……だからは、二度とあんな馬鹿な命令はするな」


 語りかける相手を変えて呟いた。最初は過去に。そして最後は今にだ。

 抱え込んだ腕の中で、彼女が身じろぎする。すっぽり納まっていた腕の中からこちらを見上げる彼女の声は、だが既に涙で震えていた。

 口調もいつもの手下口調でもなければ、怒ったときのツンとすました口調でもない。大昔の、まだ彼女が幼かった頃の口調だった。


「だ、だって。あ、あのままじゃ、兄さんが……兄さんが、殺されちゃうって。わ、私の、せいで。兄さん、死んじゃうかもって。だって兄さん、死ぬ気だって、わかったから――だから、やめさせないとって! だ、だから――」

「……俺は別に、お前のためなら死んでやってもよかったよ」

「――よくない! よくないよ!!」


 そこでリムは、否定のための言葉を叫んで――

 だが、その強さも長くは続かない。


「そんなの、イヤだよ……それじゃあ意味がないよ……!! 私一人が助かっても、うれしくない! 兄さんが死んじゃうくらいなら――だから、わた、私……!!」

「それこそ意味が――……困ったな。結局はお互い様か」


 やっぱり、どうにもうまくいかない。

 あそこで死ぬことが、本気で彼女のためになるなどとは思っていなかった。彼女の命脈を繋ぐ、ただそのためだけの死の覚悟だった。行き着く末路を思えばそれが彼女のためになるとは思えなくて――だがそれでも結局、それくらいしかしてやれることがなかった。

 だがそれはリムの側も同じだ。人質として捕まって、だから助命のためにムジカが死ぬなら。自分の命などないようにしてやれば、ムジカは死ななくて済む――互いに自分を見殺しにさせることでしか、相手にしてやれることがなかった。

 そんなあの状況から、よく二人とも無事に帰ってこれたものだ。

 自然と湧いて出た苦笑のまま、ムジカは素直に呟いた。


「仲直りしよう――守ってやれなくてすまなかった。この前のこともだ。俺はもう少し、お前と腹割って話すべきだった……悪かったな」

「ううん……! ううん……っ!!」


 悪かったのは自分のほうだと。そう言うようにリムは首を横に振って、あとはムジカにしがみつく。

 そこからはもう言葉もない。泣きじゃくるリムを抱く腕に静かに力を込めて、しばらくの間胸を貸した。


 と、ふと視線に気づいて顔を上げる。アーシャたちだ。困ったような苦笑を浮かべ、何か言いたげにこちらを見ている。

 見世物じゃねえぞと追い払うように開いていた手を振ると、彼女たちは思い思いの笑みと反応を返して去っていった。後で彼女たちにも礼を言わなければならない――が、今だけはそっとしておいてほしい。


 ――結局のところ、今回の騒動は何だったのかと疑問符が湧く。

 きっかけはムジカとダンデスの決闘のせいだった。ムジカはかかる火の粉を振り払っただけだが、結果が誰かの逆鱗に触れたようで、知らない相手から買った恨みのせいで勃発した。

 やってきたドヴェルグ傭兵団はろくでもなくて、スバルトアルヴは聞いている限りろくでなしの集まりで。この騒動は仕事だか任務だかで外からやってきた連中が、好き勝手暴れた挙句に迷惑振りまいてトンズラした――

 総括すればその程度のことになるのか。

 あるいは浮島の管理者であるレティシアや、当事者であるドヴェルグたちからすれば、もっと違うものの見方になるのかもしれないが……

 泣いている赤子をあやすように。リムの背を優しく叩いてやりながら、苦笑する。


(ま、今はいいさ。そんなことは、後で考えれば)


 だから今はもう少しだけ。腕の内にいる彼女の、優しい熱にムジカは浸った。

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