6-10-1 みんな死んでしまえばいい

「なん、だ、アレは……? なんだ、あの機動は……!?」


 ジョドスンと呼ばれた老人の狼狽える声を、リムはあくまでも平静に聞いていた。

 よくも知らない空賊の、得体の知れないフライトシップ。その格納庫から……リムは人質として、壁面のモニターに映された戦場を見る。たった一機のノブリスが、十を超える空賊を翻弄する景色を。

 それはリムにとって、見知った悪夢の光景だった。


 壊れた人形のように。あるいは得体の知れない“亡霊”のように。滅茶苦茶な機動でそのノブリスは飛び回る。

 ムジカが求めた、とある“目的”のためだけの機体――“クイックステップ”などという欺瞞で覆い隠しても何の意味もない。あの人間であることを諦めた機動は、まさしくリムの知る“レヴナント”だった。


「あいつ――くそっ!」


 叫んで駆け出したのは、リムたちをさらった若い男だ。

 ハンガーの<ヴァイカウント>級ノブリスに飛び乗って、壁にかけられたガン・ロッドをむしり取るように掴む――

 慌てたのはジョドスンだ。泡を食って叫ぶ。


「っ、若!! どこへ!?」

「“ドヴェルグ”で出る!! このままじゃ、あいつら皆墜とされるぞ――ハッチ開けろ!! 戻ってくる奴らの回収準備も急げ!!」


 そうしてハッチが開き、空が覗く。眩しさに目を細めた先、広がるのは“亡霊”の暴れる戦場。

 ジョドスンが止めるのも待たずに飛び去るノブリスを、リムは暗い目をして見送った。


(関係ない。たった一機増えたところで――何も変わらない。みんな死ぬ。皆、彼に殺される)


 <ヴァイカウント>級だろうと関係ない――だってあの“亡霊”は、<カウント>すら殺したのだから。代替わりしたグレンデルのナンバーツー、ドリス・ジークフリートを何の苦もなく完封した。

 それだけじゃない。だって、あの機体は――

 と。

 

「フフフ――やはり、見えてませんでしたか」


 それは置くようなささやかさで、ぽつりと呟かれた――だが聞き逃すこともできない毒が含まれていた。

 レティシアだ。周囲には自分やジョドスンの他、空賊の整備士たちもいる。状況を思えば挑発など論外のはずだが、それでも彼女はいつものたおやかな笑みを浮かべていた。

 気色ばんだのはジョドスンだ。飛び去ったフリッサを目で追いかけるのをやめ、叫ぶ。


「なんだ。レティシア・セイリオス……何がおかしい!?」

「フフ、これは失礼を。ただ、その慌てようを見る限り、思い通りにはなっていないようですね? 本当に見えていなかったのか――それとも、見えていたものと結果がズレましたか?」

「……っ!」


 図星をつかれたのか。言葉を詰まらせたジョドスンに、レティシアがくすりと喉を鳴らす。


「私たちの“未来視”には限界がある。見えたものが妄想と違うのか? 干渉はできるか? 見えなかった先に望んだ未来はあるのか? 望んだ未来を手に入れることができるか――その全てがひどく不確か。運命はあるのでしょう。それに干渉する術も。だけど私たちの“力”はそれを保証しない……それなのに、力を過信しましたね?」

「馬鹿め、とでも言いたいか!?」

「いいえ、そこまでは。ただ……いえ、だからこそ、侮るべきではありませんでしたね?」


 

 だがそれでひるむジョドスンではない――いいや、既にひるみ、それでも認められずに破れかぶれになっているだけか。彼はレティシアを否定するように手を大きく振ると、その動きよりも大きく声を荒らげた。


「だから、なんだと言う――ムジカ・リマーセナリーは孤立した! 相手はたかが一機の<ナイト>だ!! カスタム機とはいえたかが知れている――おびき出せさえすれば、勝てるはずだった!! こんな未来があり得るものか!! 我々が、あんな一機に――」


 その声に。


「……勝てるわけないよ」


 繋げたつもりもなかったが、リムはぽつりと吐き捨てた。レティシアが吐いた、それ以上の毒だ。

 怒り顔のジョドスンがハッとリムを見るが、そんなものもはやどうでもいい。

 胸の内にあるのは黒いよどみだ。それをリムは何と呼ぶか知っている――絶望だ。悲しみでもあり、憎しみでもある。だがまとめてしまえばそれは怒りだった。

 彼がやりたくないだろうことをやらせている。そんな役立たずの自身に対する憎悪だった。


「“ジークフリートの亡霊”が帰ってきた。みんな死ぬよ。殺される。だって、アレはそのための機体だから」


 ――エネシミュの中に、“”と名付けられたプログラム群がある。

 ムジカの作ったプログラムだ。名前のシンプルさと同じくらい、その中身も単純だ。

 戦闘開始状況こそ違えど、勝利条件は全て同じ、存在する全ての敵を殺害すること。

 そのターゲットとは、――


 “レヴナント”が結果的に一銃一刀流――つまりはあの蒼き英雄機、ジークフリートの劣化コピーモンキーモデルとなったのは偶然だ。ムジカが考えたのは、圧倒的多数を前に圧殺されない人間などいない――それでもそれを敵とし目的を果たすなら、どうすればいいかということだ。

 そして辿りついた結論はろくでもない。

 どれだけ敵がいたとしても、局所的に一対一を作る方法があればいい。この発想の終着点にあったのが格闘戦――すなわち“”だった。

 あの“ジークフリートの悲劇”によって格闘戦機が廃れていく中で、ムジカはその逆の道を行った。“誤射”によって父を失ったムジカがそれを戦術に組み込んだのは、ある種の必然であり悪辣な皮肉だった。

 そうして彼の<ナイト>は一対多戦闘に先鋭化してく。


 イレイス・レイ用共振器を武器としたのは、どんなノブリスノーブルでも殺すため。

 前進性に偏重したブースターレイアウトは、どこよりも敵の懐が安全だから。

 全身のブラストバーニアはいつ何時どこから攻撃されようと避けきれる回避性能を求めたから。

 回避行動と同時に索敵、周囲警戒を行うために、ムジカの戦闘機動は異形化した。一対多戦闘で敵を殺すために一対一を強要し続ける、破綻したコンセプトから誕生した機体に、幼いムジカは際限なく最適化されていった。


 まともなのは見た目だけだ。

 憎悪と怨念と妄執が生み出した。対メタル戦闘のために――人々を守るために生み出されたノブリス・フレームの中で、唯一“人殺し”のためだけに生み出された悪夢の人機。

 それこそがリムの知る“レヴナント”という名のノブリスだった。


 見つめたモニターの先で。その“レヴナント”が<ナイト>を捕まえた。

 頭部を鷲掴みにして、ゆっくりと砕いていく――魂が凍りそうなほどの悲鳴が上がった。

 恐怖を煽って、敵から冷静さを奪おうとしている。同時に敵の動きを仲間を助けるように仕向けて、単純化している。敵を殲滅するために、ムジカは貪欲に悪辣さを学んだ。これもその一つに過ぎない。

 死に怯える誰かの叫びを聞きながら、だがリムが思ったのはこれだった。


(……死んでしまえばいい)


 忘れさせていてあげたかった。

 人殺しのための戦い方など。“ノーブル”を夢見た少年の憧れが、これ以上血で汚れないようにしてあげたかった。

 だけど、それが叶わないのなら。


(あの人を殺そうとするものは、みんな死んでしまえばいい)


 怒りの中で、自分を憎んだ。

 ――誰のせいでこうなった?

 胸をかきむしりたくなるほどの痛みに、だけど泣くことを許せない。

 ――全部、お前のせいだろう。

 ドリス・ジークフリートの決闘に駆り出し、結果として彼に故郷を失わせた。罪人として彼をこの空に放り出した。

 そして今、自分のせいで彼が死んでしまうかもしれなかった。


 悔しかった。悲しかった。だがそれ以上に憎かった。弱くて、助けられることしかできない自分を殺してしまいたかった。

 だから、思う。

 この身が彼を死に誘うのなら――自分のせいで、彼が死んでしまうくらいなら。


(……何の役にも立たないお前は、今すぐ死んでしまえばいい)


 と。


「――あいつを止めろ」


 怒りは、まだある。だが……その声に、先ほどの激情はない。

 声のほうを見やればジョドスンは自らの懐に手を伸ばしていた。そうして、懐から取り出したのは――黒一色の、鋼鉄の塊だ。

 形状は、ガン・ロッドに似ている。だが、サイズは圧倒的に小さい。

 それが何かを、リムは知っていた。銃だ。人間サイズにまで縮小化されたガン・ロッド。魔弾を吐き出す機能まで同じだが……この銃ではメタルを殺せない。メタルに使うには威力が低すぎるからだ。

 この空で製造を禁じられている、人殺しのためだけの魔道具だった。


「……それはお勧めできませんねえ、ジョドスンさん」


 流石に思うところがあるのか、わずかにレティシアが声を強張らせる。


「一応は今回の誘拐事件、“留学”で済ませるはずだったんでしょう? 私たちが死んだら、もうそれどころじゃありません。戦争になりますよ。スバルトアルヴと、この空に在る全ての浮島との――」


 だが言葉が続けられたのは、そこまでだった。


「――あんな島が! 今更どうなろうと、知ったことかっ!!」


 先ほどまでの冷静さをかなぐり捨てて、ジョドスンが叫ぶ。


 レティシアが――今までとは打って変わって、表情もなく――静かに訊く。


「……そこまで大切ですか? この空賊が」

「…………」


 ジョドスンはその問いに、何かを噛みしめるかのようにしばらく無言でいたが。


「……これは、我々が生み出したよどみだ」


 やがてぽつりと、だがあふれ出すように語り始めた。

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