6‐9 勝てねえよ

『――


 形のない激痛に、ムジカは音にならない悲鳴を上げた。

 手足の感覚が消え失せて、自分がどこにいるのかもわからなくなる。呼吸の仕方を思い出せない。頭の奥で痛みを感じた――その痛みが靄のように広がって、自分を飲み込んでいくような錯覚に震える。

 息のできない苦しさの中で、ムジカは呆然と彼女を見ていた。

 モニターの先、通信の先。告げる少女はただ真っすぐにこちらを見ている。周囲を唖然とさせながら……その全てを無視して、彼女はただ彼だけを見ている。

 その瞳の、鮮やかな強さから逃げられない。

 だから。覚悟を決めるしかなかった。


「……いいんだな?」


 漏れたのはかすれ声。しわがれて、今にも掻き消えてしまいそうな弱い声。

 やめてくれと、本音の代わりに繰り返した。


「本当に、それでいいんだな?」

『…………』


 自分はこれから、彼女を見殺しにして敵を殺す。

 助けに来たはずなのに。助けられるはずもないのに。だから、ここで死ぬのも覚悟していたのに。


 ――それでも、生き残れとお前は言うのか?


 言葉にならない問いかけも、彼女にはきっと伝わった。

 強さだけをたたえた、黒曜石と同じ色をした瞳が揺れた。

 怯えと、恐怖を――覚悟で殺して。彼女が囁く。


『あなたがくれた未来です。あなたに……お返しします』

「…………」


 返答はしなかった。もう何もしゃべりたくなかった。話すこと、考えることを放棄したかった。

 だからムジカは全身から力を抜いた。

 右手に持ったガン・ロッドも、左手に持った共振器も下ろして脱力する。痺れのように頭の奥底から広がる、靄にこの身の全てを預ける――そうして彼は“ムジカ・リマーセナリー”であることをやめた。

 感覚が切り替わる。生者から“亡霊”に。呼吸の仕方を再び忘れる。ノブリス“レヴナント”と自らを同一とし、不必要な自分を捨てる。

 その瞬間に、馴染んだ。かつての感覚が甦る。頭の中は白くかすんで、必要なことだけをただ果たすだけの“亡霊”になる――


『――付き合いきれるか……こんなの時間の無駄だ!!』

『な……おい、ターナー!?』


 それは誰の悲鳴か。

 真正面から小細工もなく。突っ込んできたのはスパイカーを構えた<ナイト>。武器を下ろしたからか、あるいは人質を抱えているからか。

 何の躊躇いもなく突っ込んでくる――


『愁嘆場演じてんじゃねえぞ――抵抗しないなら死んどけよっ!!』


 ――最初の獲物はそれだった。


 身構えもしないまま、ムジカは機動した。

 ブースターと背部のブラストバーニアを全点火。踏み込んでくる敵を前に、ムジカもまた突っ込む。

 そして距離感を違えた敵に、絡みつくように激突した。


『な――ぐっ!?』


 ノブリス“レヴナント”はどんな姿勢でも機動を取れる。全身に取り付けられたブラストバーニアは機体がどんな状態であろうと、どこへでも推進ベクトルを発生させる。この機体に構えは必要ない――だからこそムジカは身構えない。

 戦闘態勢でないと錯覚した敵が不意打ちの衝突に苦鳴を上げたが、ムジカは無視した。

 まとわりつくように、その背中に回した左手。共振器で腰部の魔道機関を貫いて破壊する。


 ――


「――え? あ……えっあ、あああぁ――」


 悲鳴は肉声で聞いた。

 魔導機関はノブリスの核だ。空を飛ぶためのフライトグリーヴも、空に在るためのM・G・B・S重力キャンセラーも。この機関が吸い上げた魔力がなければ機能しない。壊れた魔道機関は用をなさず、その瞬間にノブリスはただの棺桶になる。

 だからムジカは棺桶を空から放り捨てる。何の余韻もなく無造作に。

 悲鳴と共に、こちらを掴もうとする敵の腕を足で払いながら。そいつの落下をムジカは最後まで見届けなかった。


『ターナー!? くそっ――!!』


 空賊だろう誰かの叫び。同時、包囲が行動を開始する。ムジカが見ていたのはそちらだ。咄嗟の戦闘開始。生きた仲間を空から落とされて、敵がどう動くかを見ていた。

 七体が、ムジカをガン・ロッドで狙おうとした。

 二体が、近接戦闘を狙って位置取りを探し始めていた。

 ――そして二体が、墜ちていくそいつを追いかけた。

 それらをムジカは無感動に見ていた。


(そんなに仲間が大切か)


 

 次の敵は左方にいた、ガン・ロッドを構えた敵だ。ムジカを中心とした包囲の中で、最も近い場所にいた。

 包囲の利点は敵を絶対に逃がさないことだが、欠陥もまた単純だった。包囲は薄ければ食い破られる。一方へ突撃すれば脅威はその一方向のみでいい。

 こちらを狙った全ての魔弾を置き去りにして、ムジカは全力でその敵へ突撃した。


 敵の反応は機敏だった。機動より迎撃を優先した。構えていたガン・ロッドに灯る燐光。放たれた魔弾がムジカに迫る。

 その軌道に共振器を重ね、その上で仕掛けたスウェイバック。


『よし、溺れた! ざまあみろっ!!』


 胸部を後ろに、脚部を前に。押し出して体を乱回転させ、撃たれた衝撃で空に溺れるふりをする。

 被弾に敵が快哉を叫ぶ、その声をムジカは乱回転する世界の中で聞いた。

 くるくる、くるくると。機体は天地を失って、放り捨てられた人形のように空を転がり続ける。

 その中でそいつの悲鳴を聞いた。


『――どう、して。溺れてるだろ? なのに、なんで……近づいてくる!?』


 回転する世界に、迫る敵を見ていた。

 空で溺れたふりをしたのは、敵に近づくためのフェイク。被弾を偽装し機体をメチャクチャに振り回しながら――その実、推進ベクトルは常に敵へと向け続ける。

 どんな姿勢であろうと、どんな状態であろうと敵への前進を続けること。前に進めるのであれば、直立している必要すらない。全身に備え付けられたブラストバーニアは、本来そのためのものだった。


 そして接敵の瞬間に回転を止めた。

 ブラストバーニアを適宜噴火。機体の回転を強制停止。眼前に迫った敵が放つ、魔弾はイレイス・レイでキル。前進機動はそのまま維持し、敵肩部に銃剣を引っかけてスイングバイ――一つずつこなした最後に軌道を書き換えて、過ぎ去り際に魔道機関をぶち抜いた。

 撃墜し置き去りにして、落下する敵を見届けることはない。すぐさま次の敵めがけて飛んでいく。


『う、撃て!! 敵は近距離戦仕様だ――あいつを近づけるな!! 撃て!!』


 魔弾の雨に身をさらして。ムジカはブラストバーニアを小刻みに吹かした。

 当たりそうな魔弾はイレイス・レイで殺すか、射線から体軸をずらした回転機動ですり抜けるように避ける。そうして敵へと近づいていく。

 “レヴナント”に姿勢制御なんてものはない。あるのは敵までの距離だけだ。人間らしく頭は天に、足は地になんて“当たり前”すら必要ない。ただ敵へと突撃する、それ以外は全てが余分だった。


 メチャクチャな姿勢で――だというのに、まっすぐに敵へ突き進む。その姿はまるで壊れた人形のようだ。遊び飽きた子供が放り捨てた、壊れた人形。

 空に捨てられて滅茶苦茶に、無秩序な乱回転をして……なのに、空から堕ちない。敵めがけて一目散に飛んでいく。何度も魔弾が当たっているはずなのに、決して墜ちない――死なない“亡霊”。


『ひっ――』


 ゼロ距離が迫る。勇敢に撃ち落とそうとした空賊の前で、ムジカは機動を捻じ曲げた。

 目の前で落下するように。ほぼ直角の急転換。迎撃の魔弾が空を切る。

 ムジカは共振器をオフにすると、ダガーとして敵のフライトグリーヴに突き刺した。今度は軌道変更のためではない。機体の動きを強引に止めて、股下に突っ込んだガン・ロッドで魔道機関をぶち抜いた。

 そして今度は、すぐには敵を捨てなかった。

 魔導機関が機能停止して重力に囚われた敵<ナイト>を、そのまま振り回して盾にする。備えたのはムジカを追う敵の攻撃だ。放たれた魔弾を“盾”で受けた。


「――――っ!?」

『――!? ――――!!』


 悲鳴と衝撃を耳は拾ったが、意味を脳は拾わなかった。

 ムジカは弾幕が途切れると、構えていた“盾”を後ろに捨てた。崩れた包囲の、最も遠い方向だ。捨てる間際に魔弾を当てて、より遠くへと吹き飛ばす。

 悲鳴が聞こえる。死んでいないならちょうどよかった。死んでいたら助けてもらえない。これでまた、そいつを助けるために頭数が減る。敵の一機が慌てて追いかけるのをムジカは見ていた。


 次いで頭上、死角から飛び込んでくるスパイカー持ち二機。

 先ほどの乱回転の中で見ていたから、来るだろうタイミングは読めていた。

 落ちてくる敵より一拍早く後ろへ飛び退く。突き出されたスパイカーがムジカの前方の空間を削いだ。

 外れたが、一人目は陽動だ。突撃の勢いを殺してムジカの前で急停止、更に追撃の素振りを見せて注意を引きつけながら――更に降ってくるもう一機が、ムジカを狙う。


 ムジカはその全てに受けて立った。

 目の前の敵から視線は逸らさない。タイミングは目の前の一機が教えてくれる――スパイカーを突き出しながら、その実全く踏み込んでこないその動きに合わせて後ろへ飛んだ。

 前面部ブラストバーニア全点火。後ろへの急な加速で歪む景色に、空から降ってきた二機目が映る。

 大きく空振るその<ナイト>を、容赦なくガン・ロッドでぶち抜いた。狙いはフライトグリーヴと武器だ。機動を殺して無力化し――その上で、自らは前進。バイタルガードを蹴り上げる。

 つま先がバイタルガードに突き刺さる。それで貫ける装甲ではないが、そのままの勢いでムジカは一人目にこの二機目をぶち当てた。

 

 顔面狙い。体で一人目の視界を塞ぐ。受け止めるか、それとも払うか――相手の動きはどちらでもよかったが、その敵は払い除けることを選んだ。

 スパイカーとは逆の手で仲間を押しのけ、その上でまだ攻撃を諦めない。突撃を敢行。スパイカーを突き出して前進するが――

 その時にはムジカは敵の眼前から消えている。

 下だ。いもしない場所に向かうそいつを真下から見上げ、フライトグリーヴを撃ち抜いた。被弾と衝撃で足の止まったそいつの魔道機関もぶち抜いて、空から堕とす。


 そして残されたもう一機の<ナイト>を、ムジカは捕まえた。

 ガン・ロッドを腰部ラックに戻して。空いた手で、バイザーを鷲掴みにする。元々ガントレットマニピュレータは人の手より遥かに大型だ。相手の頭部をすっぽりとその中に収め……その上で、少しずつ締め付けていく。

 ギチ、ミシ、ギチィ……不吉な音に、その空賊が何か叫んでいる。


『ひっ――や、ひゃめ、やめ――』


 だが無視してムジカは籠める力を強め続けた。

 そしてバキン、と明らかに異質な音が聞こえた時。

 空賊が、悲鳴を上げた。

 通信は繋ぎっぱなしだ。だからきっと全員に聞こえた。魂も凍るような、そんな悲鳴を。

 人質のつもりも、意趣返しのつもりもない。ただこの悲鳴を聞かせたかった。そうして敵に恐怖と怒りを植え付けて冷静さを奪う。そのためだけのパフォーマンスだ。


 誰かが誰かの名前を呼んで、敵たちが激しく機動する――誤射を避けるよう位置取りながら。

 それを見届けてから、ムジカは頭を潰しきる前に敵を放り捨てた。

 見たいものはもう見れたし、聞かせたいものは聞かせられた。だから後は用済みだった。


(そんなに仲間が大切か)


 同じ言葉を繰り返す。

 先ほど繰り広げられた格闘戦の中で。真実ムジカが警戒していたのは、踏み込んできた二機による連携ではない。その連携すら踏み台にした、誤射上等の攻撃だった。

 格闘機が敵を拘束し、その上でムジカを狙い撃つ。それこそがあの状況で最も効果的な戦術だ。それをやってくるかどうか。格闘戦に乗ったのは、それを確かめる意図もあった。

 今だって動きを止めていたムジカを撃てばよかったのに、それをしなかった。仲間を助けるために、わざわざ誤射しない位置取りを探して――

 こいつらは本当に仲間が大切らしいと、冷徹に蔑んだ。


 思えば最初からそうだった。

 ドヴェルグ傭兵団が、初めてセイリオスにやってきた日。エアフロントまで突っ込んできた敵をムジカが撃墜しようとしたその時、フリッサはバカな演技までして空賊をかばった。

 この空に空賊の居場所などない。ドヴェルグ傭兵団も実態としてはほとんど同じだ。彼らに仲間と呼べるものはいない――自分たち以外には。

 虐げられてきたのだろう。傭兵として、空賊として――そして奴隷として。だからこそ、彼らには絆と呼ぶべき何かがあるのかもしれない。大切な仲間だからこそ、見捨てられない。空へ堕ちていく仲間を見捨てて、敵を倒すことができない。


(だったら俺も、それを利用する)


 一人をすぐさま殺すより――一人を生かしたまま空から堕とせば、そいつを助けるために手数が減らせる。

 殺しつくすのはその後でいい。敵が仲間を助けている間に、他の敵をもっと無力化していく。堕ちた仲間をフライトシップに送り届けて戻る間に、戦闘可能な者を減らしていく。殺しつくすのは安全と言えるようになってからで十分だ。

 どうせ彼らは逃げられない。フライトシップが――ノブリスより遅い防衛目標がある限り、彼らはムジカから逃げられない。


 既にこの戦いの勝利条件は変わっていた。

 リムを助けるという叶わない願いは失われ、代わりに用意されたのはこの敵を殺しつくすこと。ムジカを生かす、ただそのためにクリムヒルトが条件を変えてしまった。



 リムが人質にされているのだから。彼女を見殺しにしてまでほしい勝利など自分にはない。

 だというのに、彼女はあんな命令をした。全ての障害を度外視せよ――自分のことは無視しろと。そしてお前は生き残れと――

 わかっていない。彼女は……本当に、わかっていない。


(――お前のいない世界で、俺が生きていく意味なんかあるか?)


 彼女が救ってくれたのだ――全てを失い本当に“亡霊”になったムジカを、彼女が。

 あの小さな手に連れられて、ムジカは故郷から空に出た。一人自暴自棄に死んでいくはずだった自分を人間に戻したのは、彼女だ。

 やり直そうと。ここから始めるんだと、そう誘ったのは彼女なのだ。

 だから……彼女がいない世界に、意味なんてないのに。


 それでも、彼女が命じたからムジカは“それ”をする。

 敵を殺す。完遂するために確実な手段で追い詰める。失敗の可能性すら殺しつくして、眼前の敵を全て討ち滅ぼす。

 それを彼女が願ったのだから。

 “亡霊”は空に、次の敵を探した。

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