5-5 ……つらくは、ないんですか?

『か、完封……完封です!! レティシア様と配下のムジカ!! あのエフテイル三兄弟を完全完封ぅ!! 二対三の圧倒的不利な状況から三兄弟の猛攻を掻い潜り、一瞬の隙から瞬く間に戦局をひっくり返しましたぁぁぁぁ!!』


 ――うおおおおおおおおっ!!


「アレだけの集中砲火の中を、無傷で……?」

「すごかった……まるで、踊ってるみたいだったね……!」


 実況の驚愕、観客の歓声、サジとクロエの感嘆を――


(…………)


 リムは、どこか他人事のようにぼんやりと聞いていた。

 驚きは何もない。ムジカならやれるとわかっていたし、この戦いに不安もなかった。そもそもムジカは機動系モジュールのレイアウトが未完成だったあの<ダンゼル>で、五十近いあのメタル襲撃を請け負って生還できる実力があるのだ。この程度がこなせないようであれば、そもそもあの日に落ちている。

 ムジカが勝ったこと、それ自体はうれしい――し、怪我もなくてよかったと思う。だがそれでも、リムは周りの観客たちのように感情を外に出す気にはなれなかった。


「――ムジカのやつに言わせれば」


 と、ぽつりと父が呟くのが聞こえてくる。


「魔弾の攻撃は線ではなく点だから、体の軸から射線をズラせば後は体捌きでどうにかできるんだそうだ。その感覚もいまいちわからんが、それがあの小刻みに踊るみたいな、ブラストバーニアの機動になるらしい。ついでに言えば、集中砲火といってもせいぜい一対三。<ダンゼル>の時と比べれば桁が一つ違う上に、乗機がレヴ――“クイックステップ”だとな。よほどの密度でないと、アレは捕まらんよ」

「……あんまり、驚いてなさそうですね?」

「まあね。正直に言うが、あいつを学生レベルのノーブル三人で墜とそうなんて無謀だよ。サジ君も先ほど言っていたが、ブラストバーニアのせいでどんな攻撃も強引に回避を間に合わせるし、いざとなったらあいつは魔弾を共振器で叩き落とすし。捕まえるだけでも厄介なんだよ、あいつ」


 父は呆れたようにため息をつく。何度か実戦訓練に付き合ったことがあるからこその愚痴だ。だが実際にムジカを単騎で、それもガン・ロッドの射撃だけで落とそうとするのはひどく骨が折れる作業になる。

 今回ムジカがエフテイル三兄弟の猛攻に付き合ったのは、彼が“ブーケ”のために前衛を請け負ったこと、そして共振器の攻撃使用が禁止されたことが大きい。

 完全な一対三なら彼は“プラクティカル”には付き合わなかっただろうし、そもそも共振器の使用がありなら“プラクティカル”との接敵時点で撃墜している。彼がこうまで苦戦したように見えたのは、結局のところルールのせいで――そしてそのルールにしたところで、ムジカを撃墜させるには至らない。


 紙一重の見切りと回避、そして曲芸じみた魔弾の切り払い。それを成立させるムジカの反応速度は端的に異常だ。代々英雄機を継承してきたジークフリート家の血と彼自身の才覚、そして血を吐くほどの修練がそれを可能にした。

 周囲を見渡せば、ムジカの戦いに目を見張る者の姿も多い。だがリムは表情を陰らせた。彼の本気はこんなものではない。目的のためならなりふり構わない、その覚悟を決めた時の彼の本気は――

 と。


「…………」

「……? アーシャさん?」


 ふとアーシャの声が聞こえてこないことに気づいて、リムは彼女を見やった。

 当然のことながら、アーシャは変わらずそこにいたが。

 彼女は思わずといった様子で立ち上がって、スタジアム中央――空から叩き落した“フィドラー”を見下ろすムジカを見つめている。眉間には深いしわが寄り、頬は吊り上がってはいるのだが、どうも笑っているというには不格好に震えていた。

 表情としては笑顔とも困惑とも怒りともつかぬ、なんとも言えないものになっていて――


「ふ、ぐぬ、ぐぬぬ……っ!!」

「……どうかしたのかね、アーシャ君?」

「あー……アーシャはその、自称ムジカのライバルらしいので……」

「ムジカのライバル?」


 答えたサジに、父は目をまん丸に見開く。明らかに予想外の言葉を聞いた、そんな反応だが。

 目を見開く父に、サジとクロエが補足してくる。


「自称です、自称。ムジカにはかけらも相手にされてないですけど、最初の出会いで因縁吹っ掛けた時に、まあそんな話になりまして……で、あの反応はたぶん、『やるな、流石我がライバル』と『なんでムジカあんな強いの?』と『追いつける気しないんだけど……?』がごちゃ混ぜになった感じじゃないかと」

「そういえば最近、ライバルって言わなくなったよね、アーシャ」

「ちょっと! 言わないでよそういうの! というかなんで見抜くかなそういうのを!!」


 そうして顔を真っ赤にするアーシャを筆頭に、バリアント三人組がギャーギャー言い合う。リムはそれを、呆れた気持ちで見ていた。

 実際にアーシャはムジカのライバルかと問われれば、リムは全くそうは思わない。それは単に、実力の問題以前に意識の問題だ。

 ムジカの技能は飽くなき執念によって培われた。鬱屈とした、屈折した執念だ。もはや怨念といっても差し支えないほどの、暗い熱量。健やかに育つべきだった彼の少年時代は、だが残酷な欲望によって燃やされてしまった。

 アーシャはそうではない。ノブリスの操縦技術は初心者の域を出ない。本人に暗い所を感じることもない。彼女は真っ当に健全な、普通の少女でしかない――目前に迫る死を前に、それでも戦い抜く覚悟。それだけは特筆に値するのかもしれないが。

 だから、リムはこの人を見ると嫌いではないが、敵愾心が湧く。

 リムが持っていないものを――


(この人は、当たり前みたいに持っているから)


 それは決して、誰にも語ることのない想いだったが。

 と。


「――ちっ。傭兵のやつが勝っちまったよ。つまんねーの」


 不意に聞こえたその一言が、空気を凍らせた。

 バリアント三人組の言い合いも、その瞬間に消え失せる。聞こえてきた声に振り向けば、話していたのは近くに座っていたただの学生たちだ。態度というか雰囲気というかで、なんとなく戦闘科の生徒ではなさそうだということは分かるが。

 彼らの声には侮蔑があった――悪意ではない。ただ蔑むだけの声。


「あんだけ撃たれて一発も当たんねえとか、空気読めよな。うちのノーブルがヘボに見えんじゃん」

「実際にヘボなんじゃないの。大したことないんだろ、エフテイルってのが。ほら、最近よく聞くじゃん、役立たずって……にしてもレティシア様も、意味の分からないことするよな。傭兵なんざ雇って、何がしたいんだか。ノーブルがいるだろもう?」

「使えるだけこき使って、いざとなったら捨てちまおうって算段じゃねえの? ノーブルに死なれたら困るだろうしさ、他の島のお偉いさんの子なんだし。この前、あいつ一人が大群相手してたのも、つまりはそういうことじゃねえの?」

「無理難題押し付けて、役に立ってから死んでこいって? ならそのまま死んどけよ。おかげで――」


 その言葉に。


「――好き勝手言ってんじゃないわよっ!!」


 誰よりも早く激発したのは、案の定というべきか、アーシャだった。

 寄せばいいのにこぶしを握り締めて、立ち上がる。食って掛かるとはこのことだろう。そのまま殴りに行くのかという勢いで、彼女は立ち上がる――


「勝手なことばっかり言って――どうしようもなかった状況を、ひっくり返してくれたのがあいつだって知ってるくせに!! 戦いもしなかったあんたたちが、どうしてそんなセリフを――」

「――あー、アーシャ君。ストップ。ストップだ」


 だが即座に、父がアーシャの肩を掴んで止めた。明らかに食って掛かろうとしていたアーシャもこれには動きを止める。

 その隙に、父は男子生徒たちに苦笑を向けると、厄介払いでもするかのように手を振ってみせた。今のうちにどこかへ行けという意味だ。

 いきなりの罵声に驚いた男子生徒も、意味を察して――というよりは、筋骨隆々の父に冷たく見据えられて、すぐ立ち上がる。元々この入隊テストに興味がなかったのか、彼らは逃げるように去り始めた。捨て台詞でもあるかと思ったが、意外なことにそれすらもない。

 アーシャはその間も、ずっと男子生徒たちを噛みつくような目で睨みつけていたが。


「……どうして、止めちゃったんですか?」


 どこか非難するような気配すら漂わせて、言ってきたのはクロエだ。

 アーシャほどではないが、彼女も怒っているようだ。リムは彼女をおとなしい人だと思っていたし、アーシャのストッパー役だと思っていたのだが。今の物言いからすると、アーシャの激発を肯定しているようにすら見える。

 なんにしても、父の対応は苦笑だ。肩をすくめてあっけらかんとこう言った。


「どうしても何も。つまらんだろう、こんなことで諍い起こしても」

「……こんなこと、なんですか?」

「そうだ。君たちには悪いが、俺たちにとってはこんなことだ。どこに行っても、傭兵なんてのは鼻つまみ者でね。死んでくれていたほうがよかった、なんてのはそれこそよく言われてきた話さ」


 さっきのエフテイル三兄弟なんかは珍しい例だな、などと。まるで他人事のように、どこまでも父の物言いは軽い。


「さっきの罵詈雑言なんか、よく聞いたものでね。傭兵というのは基本、どこに行っても蔑みの対象だ。人々を守るという責務から逃げ出した、と恨まれるのは仕方はない。それだけでなく我々は根無し草だから、仕事がなければ簡単に干上がってしまう。みすぼらしくて、惨めで、ノーブルのお情けで回された仕事で生きている者もいるくらいだ。夢を見て飛び出した黎明期の傭兵たちはともかく、現代の傭兵は待遇がいいとは口が裂けても言えない」

「…………」

「当然、そんな状態であれば困窮する傭兵も実際に出てくる。法外な報酬を吹っ掛ける悪党や、違法な依頼を受けてしまう者も。えてして、空賊になるのはそういった者たちだ。傭兵が空賊の窓口になっているという指摘は実際正しい。だから傭兵は嫌われるのが当たり前で……となれば、こういう扱いは序の口でね」


 それに準じた扱いを、もう三年も受けてきた。

 優しい人、受け入れてくれる人もいれば、今のように悪意や蔑みを向けてくる者もいる。というより数ではそちらのほうが多かった。

 リムが学んだのは、そんなどうでもいいことには付き合いきれないという単純な割り切りだった。気にしたところで仕方がない。どうせもう、二度と会うこともない――そう思えば自然と怒りも湧かなくなった。大切なものだけ大切にしていればいいとだけ悟った。

 父もそれは同じだろう――あるいは傭兵になる前から、そんなことは分かり切っていたのかもしれないが。

 だから父は基本的に、どこまでも他人に対しては他人事だ。どうでもいいという思いを隠そうともしない。


「彼らがどこの誰かは知らないがね。あんな物言い程度じゃもう傷つかないんだよ、我々は。つまりは、慣れてしまったんだな。こういうことに。逐一目くじらなんて立ててもいられん。だから君たちも、気にしないほうがいい。時間と労力の無駄だ」

「……おせっかい、でした?」

「そこまでは言わんよ。君たちが怒ってくれたのは嬉しかった――が、心無い世界のほうが、我々には馴染みがあるのでね。ヘタにケンカを売り買いして、君たちに傷ついてほしくはないな」


 落ち込んだようにぽつりと訊いてくるアーシャに、父はあっけらかんと言い切った。

 感謝しているのは本当だろう。さすがにそこまでどうでもいいと言い切るような悪人ではない――とは言い切れないのが、この父の嫌なところだが。それでもこの感謝は本音のように聞こえた。

 だがそんな父の言葉も、この健全な少女たちには異世界の言葉のように聞こえるのかもしれない。

 そんなことに思い至ったのは、アーシャがこう訊いてきたからだ。


「……つらくは、ないんですか?」


 辛いと思うことはもうない。それは慣れ切ってしまったから、ではない。それよりも辛いものがあると知っているからだ。

 肩をすくめてみせた父は――だが、かなりの部分、本音を語ってみせた。


「どうかな……まあ少なくとも、傭兵になる前に戻りたいとは思わんよ。となれば、そうつらくもないんだろう」

「…………」


 リムは何も答えなかった。

 ただ、ムジカはどうなのかと。今までそれを考えてこなかったことに気づいて、ほんの少しだけ息を止めた。

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