4章幕間

「――周辺空域警護隊に見つかった挙句、ボコられただあ?」


 驚けばいいのか、呆れればいいのか、それともボロクソに笑ってやればいいのか――

 フリッサは眉間にしわを寄せながら、ホロスクリーンに映る部下からの報告にうめき声を上げた。場所はドヴェルグ所有のフライトシップ、そのブリッジでのことだ。緊急連絡ともなれば、セイリオス内ではここでしか話ができない。

 うんざりするほど固い椅子から、通信先――つまりはセイリオス周辺空域内の雲海から、フライトシップの頭だけ出して通信の感度を確保している――の部下を見やれば、彼の顔には苦笑と呼ぶには苦すぎる笑み。

 その顔を見やって、フリッサは訊いた。


「なんだってそんなヘマやらかしたんだ? 雲海の中に隠れてるだけだろ?」

「それが、メタルに襲われましてね。雲海ン中じゃ視界が悪いってんで、ほんの少しだけ空に顔出したのが運の尽きってやつです。まさか、定期巡回に引っかかるとは……」

「……よりにもよってメタルかよ。ツイてねえなあ、おい」


 あの疫病神め、と思わずうめく。どこにいたって何の役にも立たない迷惑者、それがメタルだ。古代魔術師が生み出した、人を無差別に殺すことしか能のない厄介者。

 そう数が多いわけではないので、見つからないことがそもそもの前提だったのだが……まあいい。よくはないが、仕方ないと言うほかない。

 それよりも、とフリッサは本筋に話を戻した。


「んで? ボコられたってのもいまいちわからんが……つまり、警護隊のガキどもと揉めたんだろ? 無傷で逃げられるとも思えんが。被害は?」


 セイリオス周辺空域警護隊。つまりは、セイリオスの守護者たち――と言えば、聞こえはいいが。

 一度“接敵”した手前、実力はしっかりと把握している。今はエアフロントに住んでもいるのだから、彼らの訓練の様子も何度か見た。総じて言えるのは、“大したことねえな”という呆れだ。

 教官役らしいラウルとかいう男と、ロイを殺しかけたあの<ナイト>は底が知れないが。それ以外はヘボもいいとこだ。ノーブルのヒナが精いっぱいカッコつけているに過ぎない。この程度なら敵ではない――と、思っていたのだが。


(あの二人以外にも、やべえ奴がいるってことかね?)


 だとしたら、侮れないが

 言葉に重みは乗せないで放った質問に、部下は苦笑のまま答えてくる。


「人的被害のことを言っているのなら、まあ一応はゼロですな。せいぜいが、ターナーがボコられて顔面真っ赤にしてるくらいです」

「ボコられたのあいつかよ。なんで殺されなかったんだ?」

「それが、見逃されまして」

「空賊なのに?」


 この空にとって、空賊とは害虫よりも唾棄される存在だ。

 この空に居場所なんてなく、他者から奪うことでしか生きていけない。だからこそ、殺されても文句なんて言えない。それが空賊だが。

 部下の放った回答は、フリッサに納得と驚きの両方をもたらした。


「接敵した相手の一人が、ファルケンの坊やだったようで」

「……あー。そーいや兄上、警護隊やってるんだったか」


 間がいいんだか悪いんだか。あの兄はそういうところがある。どうも、妙なところで運が悪いらしい。まあそのおかげでターナーは殺されなかったようだが……


(ターナーが顔真っ赤にして怒ってるってのは、その辺の関係か? ノーブルに一番敵愾心向けてるのがあいつだしなあ……)


 甘えた環境でのうのうと生きているだけのカスども。ターナーはそう、ノーブルたちをコケにする。その根底にあるのは憎悪だ。“小人”として生きることしか許されず、侮蔑にさらされ続けた結果、そうなった。

 それはどのドヴェルグも共感できる感情だ。強いられた隷属の中で鬱血した感情。面従腹背の典型例だ。あちらがこちらを見下しているように、こちらもあちらを軽蔑している。

 その軽蔑対象にボロクソにされた挙句、見逃されたとなれば、ターナーが怒り心頭なのもうなずけはするが……


 そこでフリッサは小さくため息をついた。そんなことは今はどうでもいい。問題は、この件の影響がどこまで出るかだ。

 おそらくだが、ガディは今回の件をレティシアたち権力者に報告するだろう。そうなれば逮捕や追放の可能性も出てくるが、一方でドヴェルグ傭兵団と空賊を繋げる物証はない。ガディの証言しか証拠がない今なら、まだしらを切れる。


(本当に間が悪いな、あの人は……まったく)


 黙っていてくれたらこんなことを考える必要もないのだが。それができる人間ではないと、フリッサは知っている。

 頭が固いのだ。まだ正義を信じている。だから正しく生きようとしている。それがどれだけ甲斐のない行為かと、薄々勘づいておきながら。

 まあまだどうとでもなる。被害は軽い。その程度に見切って、彼は部下に手短に告げた。


「ひとまず戦闘ログは取ってあるんだろ? 送ってくれ。敵がどんなもんかは把握しておきたい」

「アイアイ。ログ送ったら、俺たちはまたしばらく潜航しますぜ。仕掛けるときは派手な合図を」

「あいよ」

「――ああ、それと」

「?」


 と、きょとんとフリッサはまばたきした。

 今思い出したかのように付け足された言葉の続きは、これだ。


「本島から連絡が入ってますぜ――さっさと仕事しろとのことで」

「……それ、本当に連中がそう言ったのか? 原文もうちょい長かっただろ?」

「原文は“いつまでもたもたしている。とっとと任務を果たして戻ってこい、この役立たずどもめ”ですな。やれやれ。その“役立たず”に依存している“役立たず”は、いったいどちらなのか――」

「ロイ」


 部下の言葉がそれ以上続く前に、名を呼んで咎めた。


「通信中はやめとけ。ログは後で回収される。今の発言は消しとくが、消し損ねが出るかもしれんし、ログの不整合がデカいと気づかれる。折檻はごめんだぜ」

「……了解、ボス」


 それから二、三、話をして、通信を終えた。

 深々と息をついて、固い椅子の背もたれに身を預けた。うんざりするのはこんな時だ。くだらない任務を押し付けられて、何一つ自由ではない――部下たちとの会話ですら管理される。そして不都合があれば“教育”だ。

 奴隷に――“小人”に自由はない。息苦しさに慣れることもない。いつだって味わうのは窒息する寸前の感触だ。どうせならもう一歩先に進んで、息の根も止まってしまえばいいのにと願うが、それが叶うことはない。"小人"に自由などない――

 と。


「――若」


 背後から名を呼ばれて、いつの間にか閉じていた目を開いた。

 ちらと後ろを見やれば、部屋に入ってきたのはジョドスンだ。話が終わるのを外で待っていたらしい。

 いつもの穏やかな仏頂面で、彼が言ってきたのはこれだった。


「通信は終わりましたかな?」

「ああ、ちょうど今終わったところだ……が、どうせなら一緒に聞いてろよな。二度手間じゃねえか」

「それは賢明とは言えませんな。なにしろ彼らは……私を、監視役の類だと思っておられるので」

「……アンタの元の立場を思えば、それも仕方ねえことかね」


 元浮島の管理者――それがジョドスンの本来の姿だ。すでにその座は明け渡したが、この空で、最も貴き血を受け継いでいるのは変わらない。

 元々の身分からわかる通り、ジョドスンは最初から“小人”だったわけではなかった。彼が“小人”の仲間入りを果たしたのは、今から五年前。フリッサがちょうどドヴェルグ傭兵団に加入したころのことだ。

 何故彼が“小人”になったのか。それは誰も知らない。かつては最も苛烈に“小人”を使った存在として、ドヴェルグの間では忌避されていた。今もそれは変わらない――が、ドヴェルグを見下す本島のノーブルも、彼には遠慮する。

 おかげでずいぶんやりやすくなった、とは過去を知る年嵩の者たちの言だが。

 どちらにしたところで、ジョドスンの立場は良好とは言い難い。本島のノーブルからも、“小人”の側からも疎まれる、微妙なポジションだ。だから通信の際にはこちらが話をしやすいよう、わざと席を外す――……


「本島の連中から督促があったそうだよ。早くしろ役立たずども、だそうで」


 めんどくさい人間関係からはひとまず目を逸らして、フリッサはうんざりと呻いた。


「人を殺して、ノブリスかっぱらうなんて重罪を、ガキのお遣い感覚で頼んできやがる。前から思ってはいたが、あいつら頭おかしいんじゃねえか?」

「彼らはスバルトアルヴの内に閉じこもることを選んだ者たちです。狭い世界の支配者となってしまった。彼らは自らを王と勘違いしているのです。何をしても許されると思い上がっている」

「外出ろってんだよな、あの引きこもりどもめ。そうすりゃ自分がどれだけマヌケなことやってるかわかろうってもんだが」


 まあそれについてはどうでもいい。スバルトアルヴが救いようもないのはいつものことだ。

 ため息を一つ置くと、フリッサは部下から送られてきた戦闘ログを展開した。

 投影されたホロスクリーン上の<ナイト>たち、その戦闘を見やりながら、ぼやく。


「それよか、この後どうするかだな。ガキ一人殺す算段もそうだが、ノブリス“ロア”は未だ見つからずだし……ダンデスのやらかし自体は笑えるんだが、割り食ったロア家も可哀想だよな。貸したノブリス、あいつのせいで返ってこなくなったし」

「自業自得な面もありますぞ。セイリオスへの入学に際して“坊ちゃん”が侮られないようになどと、恩を売ろうとしたわけですから。まあ……だからこそ、フォルクローレ家も“ロア”の回収を命じたのでしょうが」

「ヘタしたら、ロア家はそのままお家取り潰しだしな。譜代から憎まれたかねえだろうし……って」


 その辺りで、フリッサは思わず目を見張った。

 目の前で繰り広げられる<ナイト>の戦闘に、視線を奪われる――それも、敵<ナイト>の動きにだ。


「うっわ。スパイカー装備相手に突撃かましやがったコイツ。マジか、自殺志願者かよ」

「思い切りがいい……悪い動きではありませんな。おかげでターナーは機を逃したどころか、体当たりで吹き飛ばされた。ロイたちの援護がなければ、撃ち落とされていたでしょうな」


 冷静に評価したジョドスンの言葉の間も、映像は続く――

 確かにロイの報告通り、セイリオス側の<ナイト>の一機はガディその人だった。空賊がドヴェルグだと看破して、去れと要求する。それ自体はまあいい。まあいいが……

 戦闘はその直後に再開された。奇襲じみたターナーの射撃に、直撃するガディ。そして迎撃するセイリオスの<ナイト>――


『邪魔するなあ!!』

『逐一うるせえんだよ!』

「……この声、もしかしてアレか?」

「聞き覚えがありますな」


 思わずジョドスンとぼやきあう。ガディの間の悪さを嘆いていたが、これはそれ以上かもしれない――あるいはあちらの手並みを拝見できたという意味で、こちらの運がいいのかもしれないが。

 まさかのターゲットだった。ムジカ・リマーセナリー。殺せと頼まれたターゲットが、今不意遭遇戦を繰り広げている。

 しかも彼の駆る<ナイト>は今、まさしくターナーを蹂躙しているのだが……


「……ノーマルの<ナイト>で格闘戦やるなよ、可愛げねえ。しかもガン・ロッドまで奪いやがって。そりゃターナーも顔真っ赤になるわ」


 思わず呻く。スパイカー装備機――つまりは敵とのゼロ距離、死線上こそを舞台とするターナーが、自らの戦場であしらわれた上に見逃されたのだ。それもターナーの視点では、甘えた環境でのうのうと生きているだけのカスどもにだ。

 これは頭に血が上るのも仕方ない――と、気づいてフリッサはきょとんと背後のジョドスンを見やった。

 合いの手でも売ってくるかと思ったが、ジョドスンは無言だ。表情も険しく映像を睨んで……だが不意に表情を緩めると、ゆっくりとつぶやく。


「この動き……ああ、そうか。ジークフリートの亡霊……ムジカ・ジークフリートか。ラウルのやつめ……名と血にすがるなど、そこまでジークフリートに脳を焼かれていたか」

「……なんだよ、いきなり納得し始めて。こいつがどうかしたのか?」


 どこか懐かしむような目をしたジョドスンに訊く。

 だがジョドスンはマトモに答える気はないらしい。ゆるゆると首を横に振ると、ごまかすように言ってきた。


「いや、なに。大したことではありません。人の心がわからないなどと言いましたが、アレも所詮は人だったかと思い至った。その程度のことです」

「……意味わからねえんだが。ムジカ・ジークフリートってなんだ? ムジカ・リマーセナリーのことか?」

「ええ。哀れな子供です。ノーブルに翻弄された――そしてただ、それだけの。ただの子供に過ぎませぬ。恐れる理由はない。"ジークフリート"はもうない――

「…………?」


 怪訝に見つめた先、ジョドスンは『若の気にされるようなことではない』と話を締めくくった。

 その目にわずかに哀れみのようなものが浮かんでいるのには気づいていたが。

 答える気はないのだろうと察していたので、フリッサはそれ以上は訊かないでおいた。

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