1章幕間

『……おっせえな』


 それはおそらくはただの、独り言に過ぎなかったのだろうが――

 ドヴェルグ傭兵団の若き王、フリッサ・リドヴェルグはそれを、暗青色の<ヴァイカウント>級ノブリス“ドヴェルグ”の中から聞いていた。

 若い、少年の声だ。子供でもなければ、大人にもなり切れない、そんな声。おそらくは、自分よりも若いだろう。だが、歴戦の勇士かのように泰然と戦場を見つめている……

 その姿にニヤリと笑いながら、フリッサは部下に通信を繋げた。


「――へい、ロイ! お前、遅えってよ! ガキにバカにされてんぞ?」


 応答したのは当然だが部下だ。今は必死こいて敵から逃げている“空賊”役の、だが。

 三機の小型フライトシップと、その防衛に当たりながら逃げ出し始める<ナイト>六機。ロイはその<ナイト>の中の一人だ。

 セイリオス周辺空域警護隊に尻を追いかけられながら、必死に逃げている……といっても、敵はさほど強くないらしい。返答する余裕まであったようだ――まず初めに聞こえたのは、うめき声ではあったが。


『ぐ、ぬ……! それを言うなら、若だってヘボって言われてたでしょう!?』

「バッカお前、俺はお前を助けようとしてだな? 実際当てちまったらそっちのほうが困るだろ」


 中年の部下に言い返して苦笑する。確かにヘボとは言われたが、それもまあ傍から見たら仕方のないことではある――なにしろこちらはあの<ナイト>の邪魔をしたのだから。

 実際、フリッサはあの<ナイト>に魔弾をぶち当てるつもりで撃った。もちろん“誤射”だ。敵を狙ったのに当たってしまったと、言い訳のできる余地は残した。その上で殺すつもりで撃った。

 結果はどうだ? 完全に避けられた。おかげでロイは助かったが、続けてたらロイは落とされていただろう。その程度にはロイは圧倒されていた。


(とんでもねえ学生がいたもんだなあ……それも、二人もか)


 頭上で微動だにしない、こちらをヘボ呼ばわりした奴と、もう一人。セイリオスの警護隊とやらは大したことがなかったが、指揮官だろう一機だけは異様に熟練度が高かった。

 どうせ学生だろ? と最初はたかをくくっていたのに、、おかげでハラハラしながら見守る羽目になった挙句の今だ。“臨時報酬”も手に入れそこなった――


 ため息をつきたい気分で、フリッサは右腕を見やった。そこにあるのはスパイカーと呼ばれるガン・ロッドの違法改造品だ。ガン・ロッドとはもはや呼べない、超短射程用装甲貫通兵装。

 超高濃度に圧縮された、魔弾の射程距離はわずか数十センチ。名の由来の通り、吐き出される魔弾は貫通力に特化した円錐状をしている。時に魔槍と呼ばれるそれは、敵のブリスのバイタルガードを紙切れのように貫いて粉砕することに特化している。

 ガン・ロッドと同じ機構こそ使われているが、この武器の特性は格闘戦でしか使い道がないことだ。相手にまとわりついて、密着した状態から装甲ごと敵を貫く。

 扱いづらい武器だが、それは対メタルを想定した武器ではない。スパイカーは対ノブリス――もっと踏み込むなら、対“ノーブル”用の兵装だった。


(ノーブルを殺すためだけの武器だって言うんなら、こんな時にこそ役に立ってほしいもんなんだがな)

 

 妙に腕のいい指揮官だろうが、敵部隊はこちらの<ナイト>に近寄ることすらしなかった。遠間から削られ、指揮官にかき乱されての今だ。ため息の一つや二つ、つきたくなっても仕方ない――

 と。


『――若。通信を傍受される可能性があります。無用な通信はおやめください』


 そろそろだろうと思っていたタイミングで、やはり聞こえてきた声に。ロイと一緒にフリッサはげんなりした顔を作った。

 通信先は炎上中のフライトシップから。火の手の上がってない――そうなるように部下に燃やさせたのだが――ブリッジから声を飛ばしてきたのは、この傭兵団のお目付け役とも言うべき副長、ジョドスンだ。

 音声通信だから顔が見えたはずもないが、ジョドスンの仏頂面というのは不思議と脳裏に投影される。長く伸ばした白髪に白いひげ、しわの深くなり始めたオッサンの面だ。普段から顔をしかめたような無表情。辛気臭いツラして年長者ゆえか説教が大好きなので、毎度うんざりとさせられる――

 ため息をつく。何故うんざりするかと言えば、大抵の場合ジョドスンの小言は正論だからだ。


「……オーライ。ロイ。通信切るぞ。そっちは予定通り、しばらく分散して雲海内で待機だ。見つかるなよ」

『アイアイ……あー。ターナーのやつが不満を表明してますが?』

「なんだって言ってる」

『ナマイキなガキどもぶっ殺したい、だそうで』

「我慢しろっつっとけ。俺より年上だろあいつ。ガキくさいこと言ってんじゃないよ」


 雑に呆れを表明して、それを最後にロイとの通信を切った。

 うんざりすると言えば、これもうんざりすることだ。スヴァルトアルヴの専属傭兵団、ドヴェルグを若輩の自分が指揮しなければならないこと。年上のガキみたいな部下を引き連れて、やることと言えば本島からのクソみたいなお遣い――


『経験不足ですな。どうにも、苦労が足りんようで』


 と、うんざりがもう一個増えた。

 そういえば、まだジョドスンとの通信を切っていなかった。ロイと一緒に切断しておけば、つまらない小言を聞かされなくて済んだのだが。


「……俺のことか?」

『まさか。ターナーのやつのことです』副長は苦笑交じりに言ってくる。絶対に嘘だ、とは思ったが、それを言ってもこの男は認めまい。むしろそれをダシにして説教されそうだ。

 だからというわけでもないが、フリッサはため息をついた。

 ターナーはまだ若い。自分と同じか、少し上だったか。最年少が自分なのだから、そういう意味では“経験不足”などと彼を笑える立場でもないのだが。


「ま、仕方ねえと言うしかないさ。こんな稼業、楽しいもんでもなんでもねえしな。慣れるのにはどうしたって時間がいる……納得できなくても、せめて飲み込むことくらいは学ばなきゃな」


 でなければ、この空に自分たちの居場所はない。

 生きることとは、すなわち我慢を覚えることだ。世の中が何もかも自分の思い通りに行くことなどない。だから耐え忍び、終われば肩をすくめて苦笑して、また歩き出す――そうするほかにないではないか?

 と。


『……飲み込めてますかな?』

「…………」


 囁くようにして差し込まれたその声に。

 ほんの少しだけ虚を突かれたような心地で、フリッサは息を止めた。何に驚いたかと言えば、通信先のその男が、こちらを案じるような気配を見せたことにだが。


「……さあて。俺たちはノーブルじゃねえ――“小さき者(ドヴェルグ)”だからな」


 唇を舌で湿らせてから。苦笑とともに呟いた。


「“強盗”だろうが“人殺し”だろうが、やれって言われりゃやるしかないのさ。それで飯を食ってんだ……泥水だろうが毒杯だろうが、飲み込む以外に選択肢はねえさ」


 そういう生まれだ。それ以外に選べるものなどない。だから今、ここにいる。

 違うか? とフリッサが聞いても、副長は何も答えなかった。

 こういう時、この男はズルいな、と思う。いつも苦言ばかり呈すくせに、こう言ったときには何も言い返してこない――まるで、こちらを尊重するように。

 そんな副長に鼻を鳴らしてから、フリッサは船内の部下たちに消火を命じた。“狂言”で不時着した船だ。派手に燃えてるのもそう見せているだけで、ダメージ自体は少ないはずだが。それでも船が燃えているなど面白いものではない……


 面白くないもの、の連想で、フリッサはバイザーの表示を操作した。映し出すのは依頼書だ。本島のノーブルから押し付けられた、依頼という名の命令。

 スバルトアルヴのとあるノーブルから頼まれたのは、<バロン>級ノブリス、“ロア”の奪還ともう一つ――


(よくもまあ、ノーブルに喧嘩なんぞ売ったもんだ……命知らずなのか、単なるバカなのか。連中のメンツを潰すってことが、どれだけ危ないことか考えたこともねえのかね?)


 ――未来あるお貴族様の人生に泥を塗った傭兵、“ムジカ・リマーセナル”なる悪童の殺害だった。

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