1-3 ――そう、この私っ!!

「あー……うー……おー……いー……」

「………………」

「つー……かー……れー……たー……」

「アーシャ。はしたないよ」

「うぐぅ……」


 呻くが正論ではあったので、アーシャは何も言い返さなかった。

 だが正論であれば必ずしも言うことを聞きたくなるかと、そんなわけもなく。アーシャはテーブルに突っ伏したまま、顔だけもそりと動かした。

 対面に座るサジは呆れ顔。見慣れたいつもの顔だった。


「疲れてるのはわかるけどね。仮にもノーブルなんだから、行儀くらいはよくしてないと」

「仮って言うなー……淑女教育は受けたもん……」

「ならなおさら行儀良くしなよ」


 文句をぶー垂れるが、サジは困ったようにため息をつくだけだ。まあ、アーシャが姿勢を正そうとしていないのだから、そんな反応も仕方ないと言えば仕方ない。

 学園都市セイリオス、中央区にある繁華街。メインストリートから少し外れた場所にひっそりとある、シックな雰囲気のおしゃれな喫茶店、プリュム亭。

 昼下がりと呼ぶには下がりすぎた感のある今、店内に客としているのはアーシャとサジの二人だけだ。本来なら授業もあるこの時間に来る客などほとんどいないので、店内も営業中という雰囲気ではない。

 ある意味では、だからこんな風にだらけているとも言えるのだが。だらけている一番の理由はというと、体の疲労感以上に、精神が打ちのめされていたからだった。

 と。


「はーい。遅めのランチセット、おまたせー」


 明らかにお客用ではない気安い声に、アーシャはまたもそりと顔だけ動かす。

 視線の先にいたのは、フリフリのエプロンドレスに身を包んだウエイトレス――というか、幼馴染だ。目の前のサジと合わせて、アーシャのお目付け役でもある少女、クロエ。

 すまし顔でトレイの上の物をテーブルの上に移すと、最後にこちらを覗き込むようにしながら――何故かサジに――訊いてきた。


「……アーシャ、なんか、ヘコんでる? 何かあったの?」

「ノブリスの訓練。さっきまで、ムジカに付き合ってもらってたんだ。それでまあ、御覧のとおり。ボコボコにヘコまされたってわけ」

「うぐぐぐぐぐ……」


 ぐったりしたままうめき声だけ上げる。普段は負けず嫌いを自覚しているアーシャも、さすがに今日ばかりは反論のしようもなかった。

 今朝がたムジカにお願いし、先ほどまで行っていた模擬試合。使用機体は両者ともプレーンな<ナイト>と、条件は対等――どころか後半以降はハンデまでつけたのに、結局アーシャはムジカに一撃も当てることができなかったのだ。

 標準仕様で一度も勝てないのは、まあいい。練度の差だと言い切れるし、仕方ないと納得もできる。だが明らかに自分だったらどうしようもなくなるようなハンデをつけておいて、それでも手も足も出なかったとなると……


「ムジカが強いのは知ってたけど、だからってあそこまで差を見せつけられるとさー……」

「……そんなに強いの? ムジカさん。それともアーシャが弱いだけ?」

「うぐぅっ!?」


 欠片も容赦のない一言に、アーシャは苦鳴を上げた。

 クロエは割と、そういうところがある。この三人は合わせて同じ故郷、浮島バリアントの出身だが。彼女の竹を割るような率直さは、子供の頃から変わらない――あるいは残酷なまでのバッサリっぷりとでも言えばいいのか。

 単に気心知れてる間柄だから、容赦がないだけとも言えるが。

 なんにしろ、その気安い容赦のなさに心をえぐられている間に、サジが肩をすくめて返答した。


「ムジカが強い、で正解かな。十年も訓練積んでたって話を考えると、“ノーブルの一年生”って枠組みで見ること自体がかなりのナンセンスだし。ランク戦に出たらたぶん、ただの<ナイト>でもかなりいいところまで行くと思うよ」

「ごめん。その評価、よくわかんない」


 サジの説明に、だがクロエはどうもピンとこなかったらしい。思えば二人と違って、クロエはノブリスとは全く関係ない一般教養科の生徒だ。だからこその反応なのだろうが。

 よりにもよって、次にはこういう訊き方をしてきた。


「だいたいアーシャ何人分?」

「その物差しもわかりにくいと思うんだけど……そうだね。たぶん、二十人くらい?」

「二十人も……? アーシャ、やっぱり弱くない?」

「ふぐっ!? そ、そんなに弱くないよ!? ムジカがおかしいんだってば! だって全然当たんないんだもん!!」


 思わずばっと立ち上がって言い返す。半眼のクロエは「本当に?」とどこまでも怪しそうにしていたが。

 と、ちょうど二人の間を裂くように、投影映像が瞬いた。

 二人して、「わっ?」と驚いて一歩下がる。サジが腕時計型の携帯端末を操作して、映像を投影されたらしい。だがその映像というのは――

 と、クロエがきょとんとした顔で言ってくる。


「あ、これ知ってる。最近よく見るやつだ」

「一般教養科でも流行ってるの?」

「うん。だってこれ、一週間前の襲撃事件のでしょ? みんな見てるよ? これじゃないのもだけど」


 クロエの言う通り、その映像は一週間前の、大規模なメタル襲撃事件のものだった。

 事の始まりは、それよりももっと前――おそらくは、アーシャたちがこの学園に入学した頃よりも、もしかしたら前から。雲海の中に隠れた超大型メタル――“巣”を、周辺空域警護隊が見つけられなかったことから始まった。


 メタルは人類を殺すことだけを目的として存在する、いわば人類の天敵だ。古代魔術師が生み出した魔道具とも使い魔とも言われているが、今となってはどうでもいい。

 古くは地上にいた人類は、このメタルから逃れるために、住処を大地からこの空へと移した。生き残るために大地を捨て、この広大な空にぽつんと小さな“島”を浮かべた。それが“浮島”だ。

 人類という標的を失ったメタルは、それでもまだ人類を諦めなかった。空に隠れ住む人々を、時折地上から追いかけてくる。

 今回の“巣”も、その例の一つだ。地上から人類を追いかけてきたメタルが、長い間撃墜されずに成長し、“巣”と呼ばれるまでに大型化した。

 “巣”は別に“マザー”とも呼ばれ、その名の通りにメタルを生み出し、また人類を殺すための拠点として機能する。


 周辺空域警護隊が見つけられなかったこのメタルの“巣”は、ちょうど一週間前にこの浮島、学園都市セイリオスを襲った。最近よく聞く“襲撃事件”とはこのことだ。

 全校生徒一丸になっての抵抗の結果、どうにかセイリオスは勝利を掴んだ。その戦闘記録は、戦闘科の生徒――ノーブルの威信のためにも公開された。

 このセイリオスのために戦ったのは誰であるかを示すために――そして、自らに課された責務、“顔も見えないノブリス・誰かのためにオブリージュ”を果たしたことの証のために。


 ――だがその一方で、責務とは関係なく戦った“彼ら”のことも、一般に公開されていた。


 それがこれだ。“ラウル傭兵団”と名乗る、生徒会長直属の傭兵。

 団と言いながら、戦場に立ったのはたった一機のノブリスだけだが……改めてそこに映っているのは、漆黒色のノブリスが無数のメタルを相手に剣だけで奮闘する、まさしく異形の光景だった。

 あるいは、“偉業”の光景か。ほぼ単騎、それも時代遅れの“格闘機”でメタルの群れに飛び込むその姿は、勇壮的とも、幻想的とも言えるほど絵になっていた。たった一人が大軍に挑む、勇者の絵だ。

 と、今更といえば今更だが、ようやくクロエが気付いたように言う。


「……そういえば“これ”、ムジカさんなんだっけ?」

「そうだよ。ラウル傭兵団って言ってたでしょ? セイリオスに来た時もそう名乗ってたじゃん」

「うーん、そうなんだけど……なんか、まだあんまりイメージが繋がらないんだよね。私の知ってるムジカさんって――」


 どこかちょっと子供っぽい、ただの男の子だし――と、クロエは困ったように言う。

 アーシャはサジと顔を見合わせた。二人とも何も言わなかったが、気持ちはおそらく一緒だった。お互い、こう思ったに違いない――ただの男の子?

 クロエは一般教養科の学生だ。戦闘科のアーシャ、錬金科のサジと違って、ノブリス関係にはほとんど縁がない。加えて言えば、ムジカともあまり接点がないだろう。だから、クロエがムジカのことをそう思うのはまだ理解できる。

 だがアーシャにはもう、そうは思えない。何故なら――


(……だって、あたしも“そこ”にいたんだ)


 たった一人で、敵を倒し続けたムジカの戦場に。その姿を見ていた。誰よりも間近に。

 映像を見つめながら、サジがどこか惧れを含んだ声で言う。


「<バロン>級の魔道機関がついてるとはいえ、ほとんど単騎でこれだけの数のメタルを撃破したんだ。それも、ほぼ無傷で……並大抵のことじゃないよ。学生の実力じゃあない」

「あんまり実感湧かないなあ……なんか、変な感じ」


 対するクロエはなんというか、どこまでもマイペースだ。こてんと首を傾げて不思議そうにしているので、現実味が内容らしい。

 それに同意するわけでもなかったが、クロエが思っているのとは違った意味でアーシャも同じことを疑問に思っていた。


(……なんであんなに強いんだろ)


 サジが言った通りだ。学生の実力ではない――素人にもわかる。ムジカの技術は尋常ではない。修練の一言でも、才能の一言でも片付けられない。それは彼の歳を思えば、奇妙な“厚み”だった。

 聞いた話では、ノブリスの操縦訓練は五歳の頃から――つまりは十年間――続けてきたという。そして、傭兵になったのは三年前。それはつまり、十二歳の時に故郷の浮島を出たということだ。

 考えなくてもわかるのだ。幼すぎると。十二歳と言えば、その頃の自分はまだはなたれのお転婆小娘だった。サジとクロエとその辺を駆けずり回って遊んでいる、ただの子供だった。憧れのノーブルはいたし、いつかは自分がノーブルとなることを理解してもいたけれど……

 それでもムジカのように、幼いころから操縦訓練を受けようなどと、かけらも考えはしなかった。


(何があったら……子供の頃から、ノブリスの訓練を受けなきゃいけなくなるんだろ?)


 どうしたらこんな、一歩間違えたらすぐに死んでしまうような戦い方を覚えるのだろう――映像の先で暴れる少年を見て、アーシャはそう嘆息する。

 と。


「そういえば二人とも、この後って予定あるの? 最近戦闘科と錬金科って、忙しいって聞いてるけど」

「忙しい?」


 急にそんなことを言われて、アーシャはサジときょとん顔を見合わせた。忙しいと言われても、今自分たちがここにいるのは暇だからだ。授業も再開してないし、ピンとこない――

 だがすぐに察して手を横に振った。


「ああ、あたしたちは忙しくないよ? 忙しいのは先輩方とか、上の人たちだけかな。一年生はみんな暇してるよ」

「そうなの?」

「うん。ほら、あの事件のせいで体制の見直しとか、いろいろやらなきゃいけないこととか考えなきゃいけないことができたみたいで……授業もまだ再開のめど立ってないみたいだし」


 一週間前の襲撃事件はどうにか切り抜けられたが、一方でセイリオスも無傷では済まなかった。戦闘要員であるノーブルや機体であるノブリスにも損害が出たし、そもそもの防空体制を筆頭に課題が挙げられた。その穴埋めと解決に先輩方は振り回され、役に立たない新入生はほったらかしの状態だ。

 最低限、もう少しすれば落ち着くだろうという見通しは聞いているが。体制の見直しや今後の戦力拡充・強化の施策で揉めそうだとは一応聞いている。ノーブルの実力強化のため、何かイベントめいたことをやるとも噂されていた。

 戦闘科と錬金科が“忙しい”のは、もしかしたらそのせいなのかもしれないが。少なくともアーシャたちには何も知らされていないのが実情だった。


「だからこの後は予定ないよ? バイト終わったらどこか出かける?」

「うん。ちょっと、寄ってみたい食堂があって。夕飯前までショッピングして、それからどうかなって思ってたんだけど――」

「あー……アーシャ。悪いんだけど」

「ふえ?」


 と、不意にサジが声を挟んでくる。

 クロエと二人、きょとんとサジを見やると、彼は頭痛でも堪えるように頭を抱えながら、ぽつりとこう言ってきた。


「……たった今、暇じゃなくなったっぽい」

「……ふえ?」


 そして聞こえてきたのは、こんな声だった。


 ――オーッホッホッホッ――!!


 甲高い、聞き覚えのある――ただし馴染みはまだない――少女の高笑い。突然そんなものが響いたのだから、クロエはびっくりしてそちらを見やったが。

 つまるところ、玄関のほうである。つい反射のようなもので、アーシャは思わず呟いていた。


「この無駄に大きくてやかましくてかしましい声は……!!」

「――そう、この私っ!!」


 と、ズバンと玄関の扉が開かれる。

 そうして後光を背負って(外の方が日当たりがいいからだが)現れたのは――なんと言うべきか。


「――セシリア・フラウ・マグノリアが、問題児フラッパーに会いにきたわっ!!」


 いかにも、というか、これでもかというくらい“貴族令嬢”な風体をした少女だった。

 そしてアーシャは苦虫でも噛んだような凄まじい顔をした。

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